2月24日 4
7時30分
少女は“倉庫”の鍵を開けた。場違いな程の音を立てて、戸が開く。中から漂ってくる独特の臭いに顔をぴくりともさせずに、彼女は先へ進む。 少女は冬用の制服の上に黒色のカーディガンを着、A4サイズの青い手提げ鞄を左手に持っている。
少女――と何度も書くのは煩いから、これ以降はSとだけ呼ぶ――は後ろ手に戸を閉めると、やり慣れた手つきで照明のスイッチを探り当て、明かりを点けた。
相変わらず、汚い部屋。と、Sは心の中で溜め息をつく。しかし、嘆いていても仕方がない。これからここは彼女の作業場になるのだ。もう少し時間があれば、掃除から始めるのに、と彼女は思った。
Sは真っ先に奥の窓を開けて、空気を入れ替えようとした。しかし、二月も末とは言え、朝の空気は冷たく、彼女の身体には直に応えた。未だ後遺症のように続く咳を二、三度し、諦めて窓を閉める。風は止んだが、彼女は身を縮めてしばらく震えた。
震えが収まると、Sは窓の下の机に目を落とし、いすに座って、目当てのものを探した。机の上には古い書類や使い古された筆記用具が散らばっていたが、その中に探しているものは見つからなかった。次に、足を入れるスペースの横の四段並んだ引き出しを順に開ける。一番上の段には新品の原稿用紙が十数枚だけ入っていた。二段目には生徒会の物と思われる、「遺失物・拾得物届」と題された、かなり古いファイルが重ねて何冊か。三段目は空だった。
一番下の段は、他の段よりも底が深く、重かった。それで、Sが力を込めて引こうとすると、何かのつかえが外れたかのように、勢い良く開いて、彼女をどぎまぎさせた。中には、型の古い小型のノートパソコンと、その下に、びっしりと文字が印刷されたA4のコピー用紙が数十枚入っている。それこそが、彼女の探していた物のようだった。
Sは、その重さに驚きながら、ノートパソコンを持ち上げて机の端に置き、大事そうに紙を一枚残らず取り出した。だいたい五十枚、百ページほどだろうかと目算する。それからノートパソコンを元に戻して引き出しを閉め、今度は一番上の段から原稿用紙を取り出す。数えると、四百字詰めのそれは十五枚あった。全部併せて六千字。これでは話にならない。Sは机の前から立ち上がって、辺りのロッカーや棚にまだ原稿用紙が残っていないか探した。
結局、見つけた袋入りの物を含めて、“倉庫”に眠っていた原稿用紙は百枚余りだった。これだけでもかなりの枚数だが、文字数を考えると、それでもあと数百枚は必要だった。
確か原稿用紙はこの高校の生徒会でも売っていたはずだけれど、そんなに沢山は売っているだろうか。そんなことを考えつつも、Sは再びいすに座って、積み重ねた原稿用紙から一枚を机の右に置き、例の文字で埋められた紙の一番最初をその左に置いた。そして、鞄から木のケースを拾い上げ、黒く光るペンを中から取り出し、右手に持って馴染ませた。
スゥ、と、Sは目を閉じて静かに深呼吸をする。冷たい空気が、彼女の肺を犯さないぐらいに。そして、力強く目を見開くと、驚くべき速さで用紙の一マス一マスを埋めていった。それも、印刷したかのような端正な文字だ。Sが何をしているのかと言えば、左の紙に書かれている文章を、原稿用紙に写しているのだ。しかし、完全な複製を作っているのではなく、ところどころで書き換えている。
Sは脇目をする暇もなく、紙の上の文字の並びに集中していた。部屋の中には、彼女の規則的で鋭い呼吸の音と、ペンが原稿用紙の上を滑る音だけが鳴っていた。
点呼の五分前を知らせるチャイムが、部屋のスピーカーから鳴り響いた。それを聞くと、Sは書きかけていた用紙を半分だけ埋め切って、ペンを置いた。そうして、フウー、と空気を吐き出し、張り詰めていた神経を弛緩させる。作業を始めてからおよそ六十分の間で、十五枚と半分を終わらせていた。このペースなら、なんとか間に合うかもしれない、とSは独り頷く。それから、机の上に広げていたものをすべて鞄に入れて立ち上がり、できるだけ元の乱雑な状態に戻して、“倉庫”を後にした。
鍵を返し終えると、彼女は保健室へ向かった。




