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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
Re;2月
75/95

説明しずらいこと

「金森君」

 寺岡は驚いたような声を発する。彼は、降りてきた人物が誰であるかよりも、金森の表情がやけに神妙なことに驚いた。その金森は、返事を声に出さずに、こくりと頷くだけして、まるで地下の祭儀場に足を踏み入れるかのような雰囲気を身にまといながら近づいてくるのだった。寺岡は、自分の顔よりもほとんど頭一つ分高いところにある金森のそれを、目だけで見上げた。


「ちょっと邪魔するよ」

 寺岡と目を合わせるなり、金森はそう断った。その声は、少しも響かず、ただの独り言のように聞こえた。

「ええ、どうぞ、もちろん」

 寺岡は、もちろん金森と同学年だが、やけにかしこまったような言葉遣いをする。それが彼の普段の話し方なのだ。敬語というよりも、独特な丁寧語である。それに彼の細くて高めの声が合わさって、彼が心理的に数歩退いたところで話しているような印象を与えられる。そして、必要以上のことは言葉にしない。

 金森はもう一度頷くと、寺岡の正面に来て立ち止まり、クライミングウォールを見ながら徐ろに学生服を脱ぎだした。そして脱ぎ終わったそれをベンチの上に放り投げると、両肩を数回くるくる回してから、無言のままマットの上に乗った。遠慮をしているのか、チョークは手に付けない。

 金森は登山部員ではない。しかし、一年の頃に、何かの拍子で同級生だった寺岡に教えられてこのクライミングウォールの存在を知り、それからちょくちょくやって来ていた。二年になってからも時々二人は期せずこの地下倉庫で顔を合わせて、特筆すべきことはないまでも、互いのクライミングを交互に見てきた。

 金森は、先刻寺岡がしたように、下部中央の石に手をかけ、両足を足場に乗せる。彼の足の長さは寺岡のと幾分異なるから、当然足の置き場やその使い方も違ってくる。手についてもそうだ。彼は腕の長さを十分に使い、余裕を持って次の石に手を送る。少々身体を持て余しているようにも、身体に頼りすぎているようにも見える。それでも下手な昨年からの新入生に比べればよほど上達が早いと寺岡は考えている。

 急ぎ足に三周してしまうと、金森はどさりと背中からマットに倒れこみ、息を弾ませながら両手を宙でぶらぶら振った。後ろから眺めているとそう見えないかもしれないが、ボルダリングは上手くやらないと結構疲れる。冬でもチョークを付けていないとすぐ手に汗がにじむ。


「少し、飛ばし過ぎじゃないですか?」

 金森が壁にしがみついている間、その様子をベンチに腰掛けて眺めていた寺岡は、座ったまま言う。どこかからかっているようにも聞こえる口調だ。

「ああ。いいんだ、もういいから」

 金森は手を突いてマットから起き上がり、ふらっと立ち上がった。それからマットの上で少しの間目の前のウォールを見つめ、くるりと回れ右をして離れた。そして、寺岡の隣に座る。


「どうしたんですか?」

 寺岡は聞いた。何についてかといえば、すべてについてだ。

「ちょっと来てみたくなったんだ。もう長いこと来てなかったから」

「そうですね」

「やっぱり冬は寒いな、ここは」

「はい」

「いつも来てるの?」

「そうですね、週に三回くらいは」

「ふうん。俺は、たぶんもう来ないよ」

「そうですか」

 寺岡は、無表情に頷いて、ベンチから立ち上がった。腰のチョークバッグに手を入れる。

「明日は?」

 金森が尋ねた。寺岡は、マットに片足を乗せたまま止まって、暫く思案してから、

「そおですね、特に予定が狂わなければ」

 と、振り返らずに言った。

「そうか。それじゃあ、その予定を崩すようで悪いんだけど、ちょっと頼みたいことがある」

 そう言って、金森はベンチの上の制服のポケットを探り、取り出した物を手に、寺岡の横へ歩み寄った。

「これを渡して欲しい人がいるんだ。明日の七時半頃に、駅前のコンビニの近くの公園で」

「これを、ですか? 誰に?」

 寺岡は、半ば強引に渡されたものを、金森の顔と交互に見つめる。金森は、やはり神妙な顔をしていた。

「それは、待っていれば分かる」

 金森はきっぱりと言った。その口調に妥協の意思がないことを感じ取って、寺岡は無表情のまま頷いた。

「構いませんが、どうして僕に?」

「うん、すごく説明しずらいんだけど、要するに、君以外適当な奴がいないんだ。それに、自分で渡すのも都合が悪くてね。とにかくありがとう。そのうち何かおごるよ」

 そう言うと、金森はそそくさと自分の制服を拾い上げて、それに腕を通しながら、逃げ帰るように階段を上っていってしまった。

 残された寺岡は、マットの上に片足を乗せたまま、金森から受け取ったものや彼の様子から、その裏にあるものを導き出そうとした。しかし、いきなり押し付けられたパズルを解くにはヒントが少なすぎたし、そもそも彼はそれが何のパズルであるかも知らなかった。暫く考えて彼は諦め、受け取ったものを自分の制服のポケットにしまうと、チョークを再び指に馴染ませ、ウォールの前に立った。

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