まぶたの裏のこと あるいは
瞳を閉れば……ナオヤはややうつむき加減に目を閉ざしながら、ただなんとなく、『3月9日』のサビを思い出していた。彼はこの頃、ふとするごとにこの歌を心の中で呟いている。人目のないところへ行くと、声に出していることもある。しかし、実際に目を閉じながら、“瞳を閉じれば”というサビに入るごとに、「瞳を?」という疑問をまぶたの裏へ投げかけてしまうのも事実だった。瞳孔は意識的に閉ざすことなどできない。むしろまぶたで覆えば眼球に入る光が減って反射的に開くだろう……細かい話だ。たとえそれが日本語として間違いだったとしても、この歌詞に心を動かす人は大勢いるのだろう。野暮ったい難癖をつけるのは、何百年と時代が立って、歌声がこの世から消え去った後にすればいい。その時になれば、人類は瞳を自由自在に開閉できるようになっているかもしれないし。
彼はなおも瞳を閉じ続けた。頭の中では同じフレーズがいつまでも、時々電車の揺れる音で中断されながら繰り返し回っている。
彼のまぶたの裏にも、瞳を閉じるごとに浮かんでくる顔がいくつかあった。それらが気まぐれに入れ替わったり、ぼんやりと重ね合わさったりしてスクリーンに映り込む。その多くは、その顔を最後に見た時のものだ。ある顔はにこやかに笑っていて、ある顔は引き笑いで、あるいはマスクで顔がほとんど隠れていたり、証明写真のような真顔で彼を見つめていたり、そもそも彼の方を向いていないものもあり。そして不意に、あるいは必然的に、彼は一つの顔の前で立ち止まる。ここのところ、彼はめっきりその顔と出くわしていなかった。それでも、最後に見たその顔は、とてもはっきりと彼のまぶたに焼き付いていた。その顔は、とてもこわい形相をしていた。真夜中の暗い台所で、一人夜食を求めに冷蔵庫を開けたとして、空いている二段目あたりに少し大きめのハエがうずくまって足を擦っていたとしたら、あるいはこんな視線を向けることになるかもしれない、という目で彼を牽制している。もし彼が赤ん坊で、その顔の下に抱かれていたとしたら、それだけで泣き出すかもしれない。もちろんこれも言い過ぎである。翻って、彼は赤ん坊でないから泣き出しはしないが、その代わりに、いたく申し訳ないと思った。恐らくそんな顔を向けられる理由は彼の方にあるのだ。
しかし、ナオヤがそう思うよりも先に、まぶたの裏に映る顔は、申し訳なさそうなものになった。彼は困惑した。こちらが謝る前に、用意していたものより深々と謝られては、上手く収まりがつかない。それも日本人にはよくあることだが。とにかく、よくは分からないが、そういうこともあるのだろう、と、彼は思った。
結局、それらの顔をまぶたの裏に並べたところで、彼が強くなれたかと言えば、大いに怪しかった。「強く」の意味もはなから分かったものではない。そうでなくて、あの顔を少しだけでも笑わせてみたいとは思ったが、その方法も彼には分からない。
――人が生きていく上で、“分からない”という言葉に本来意味はない。人と人との関わり合いの過程で生じることも、人が何らかの方法で考え出したことがらも、同じ道筋をたどっていけば理解できるはずだし、たとえその時々で理解できないことがあっても、それはその時理解できなかった、というだけのことで、未来永劫分からないままというはずはない。それならば、分からないことに対して「分からない」と繰り返すのは恐らく時間の無駄だ。分かるまで黙って考えている方がよっぽどいいのだし、それが無理ならいっそ場当たり的に動き出した方がいい。それだのにたいがいの場合「分からない」で終わってしまうのは、何らかの理由で分かるつもりがないからだろう。ほとんどのことは、分からなくたってやっていけるのも事実だ。しかし、仮にも何かを分かりたいと思っているのに「分からない」と言うのは、ただの甘えでしかない。
もちろん、誰も彼もが甘えることを惜しんでいたら、頭の方のお医者さんが相当繁盛することになるだろうが――
ナオヤが、そうこう答えの出ない問いに頭を悩ませている内に、彼の降りる駅の名前がアナウンスされた。いつのまにそんな時間が流れていたのかと、彼は驚く。そしてわずかに安堵した。こんな時間は早く過ぎ去ってしまえばいい、と考えていたところだったから。たぶんそれは、センター試験の朝としては最も馬鹿げた部類の時間の使い方だろう。彼は案外、馬鹿げたことが好きだった。それから、彼は、実にあいまいな具合に微笑んだ。
『3月9日』のサビは、未だに彼の頭の中でループを続けていた。“あなたにとって私もそうでありたい”と、春風に流すような口調で口ずさむたびに、果たして自分がそうであり得るのだろうかと、案外かれは真剣に悩む。彼のまぶたに彼らが映るように、彼らにもそれぞれ、思い起こす人々がいて、その人々にも同じように……百歩誰かに押し付け、ほんの偶然にでも彼が彼らのまぶたの裏にひょっこり現れたとして、どんな顔を彼らは見るのだろうか、と、いくら自分で考えたところで詮のないことを、ナオヤは思い巡らす。もしそのときに、彼も同じように剣呑な顔をしていたのでは不本意である。
そう思い至ると、彼はやはり、笑わねばならぬと思った。誰も見ていなくてもいいだろう。これから始まるのは、葬式ではないのだ。
きっと彼には潜在的に、市役所の窓に貼り付けてあるような、誰の役に立つのかも知れないスローガンをポンポンと考えつく才能がある。彼は、そういう馬鹿げたことを日夜思いついては昂奮し、熱が覚める頃には、その馬鹿馬鹿しさに気づく前に、それらをすっかり忘却している。それが彼の強さであるというのなら、あるいは、そうなのかもしれない。
地下鉄の車内に、金属と金属とがこすれあうブレーキの音がのたうち、ナオヤの体は何もない方向へ引っ張られる。そのはずみでようやく開けられた目をしばたかせながら、(きっと瞳は閉まったことだろう)彼は一瞬、向こう側の窓に映る自分の顔を視界に捉える。しかし、すぐに車体は明るい駅のホームへ入り、明るくなった壁の色に、映り込んでいた彼の顔はすっかり隠れてしまった。
ナオヤは手すりをぐいと掴んで、あるいはそのまま横向きに逆上がりでも始めそうな勢いで立ち上がり、しかし急に動きの止まった車体によろめきながら、ドアの前に立った。立つときの癖で、何の気なしに片手をポケットに入れると、そこには例の定番受験応援チョコレートの包みが二つ、手付かずのまま入れっぱなしになっていた。
ドアが開く。彼は一歩ずつ踏み出しながら、どうやったら上手いこと笑えるか考えていた。物理のことなどとっくに記憶の彼方である。この時だけは、彼も緊張を忘れていた。




