永劫性のこと
マインスイーパーについて書く。
マインスイーパーとはその名の通り、地雷原に見立てられた、一定数の地雷が隠されているマス目の中で、ヒントを駆使して地雷のないマスをすべて開けるゲームだ。具体的な仕様については、文字での説明から想像するより、実物を見た方が早い。近頃のWindowsならはじめからマインスイーパーがインストールされているし、スマートフォンむけのアプリでも、無料で良質なものが出回っている。これからの文章を読んで、少しでも興味を持ったなら、そうしたもので試してみるといい。
ただし、もちろん僕は、あなたがマインスイーパーに触れることでいかなる問題が発生しても、その責任を取るつもりはないし、そうする必要もないと思う。また、地雷や地雷原という言葉に不快感を持つという人は、地雷の代わりに花やコンタクトレンズを使用するものもあるらしいから、それを探してみればいい。
本来ならば、マインスイーパーのルールもここで取り扱うべきかもしれないが、それは割愛させてもらう。別に僕は、マインスイーパーの宣伝をしたい訳ではない。僕がここで書きたいのは、僕とマインスイーパーのあり方とか、関係性とか、そういうタイプの話だ。だから僕はこれ以降、あなたがもうマインスイーパーがどんなものかを知っているという前提で書かせてもらう。
僕の基本的なあり方については、もうこれまでに十分書いた。だからそれも割愛する。
マインスイーパーの本質的なあり方についてだ。その説明には、「1973年のピンボール」(村上春樹著)における、ピンボールについての記述を多くそのまま引用することができると思う。以下に抽出する原文の”ピンボール”、”ピンボール・マシーン”を、マインスイーパーに置き換えて読んで欲しい。
-あなたがピンボール・マシーンから得るものは殆ど何もない。数値に置き換えられたプライドだけだ。失うものは実にいっぱいある。(略)、取り返すことのできぬ貴重な時間だ。・・・略・・・ピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ・・・・・・、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し量ることはできる。
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある-
原文のあまりにも古い表現やマインスイーパーに関係のない表現は飛ばした。
マインスイーパーの良いところは、全くもってそれだけで完結することにある。ゲームをクリアすれば何かのポイントが貯まっていくということはなく、また課金によってアイテムや新たなステージが得られるということもない。何かのためにプレイするのではなく、プレイすること自体が目的となる。
プレイヤーが目指すのは、ミスの撲滅と、クリアタイムの削減だけだ。回数さえ積めば、誰にだって、それはある程度可能になる。ミスをすれば、そのたびリ・スタートボタンでまた最初からやり直す。ただ、それだけだ。
冬の、晴れた風のない昼に、道ばたの落ち葉をほうきで掃く。集めた葉をちりとりに入れる。ちりとりに入れた葉をぶちまけて、またそれを掃く。ただ、それだけのことだ。この繰り返しを美しいと思える人は、きっとマインスイーパーに向いている。
このように考えてみれば、Windowsにはじめからインストールされているいくつかのゲームというのは、芸術的といってもいいほどプレイの目的化に成功した傑作ばかりと言える。あるいは、これらのゲームは量産可能な永劫性を目指してWindowsに組み込まれているのかもしれない。
上司の目に付かないデスクでさぼろうとするサラリーマンも、インターネット回線を差し押さえられてしまった人も、パソコンがコンセントにつながれている限り、平等にそれを享受することができる。
さて、次はマインスイーパーの悪いところ。――
――「たまには朝を描きたくなったんだよ」彼は言った――
今日は久しぶりに自転車で登校した。別に大した理由ではない。定期を更新し忘れただけだ。どうにかいつもと同じ時間に到着するように調整したが、思ったより体が鈍っていて、もたもたしていたら7時40分になってしまった。
これは、連続一番乗りの記録が危ないかもしれない。それに、僕の記録を阻止するのが順当にたいやきさんであるとして、きっといつも通り僕がもう鍵を開けていると思うだろうから、無駄足をさせてしまうことになるかもしれない。それは申し訳ない。
そんなことを考えながら、急いで駐輪場に向かっていると、駐輪場の近く、普通棟の西端とグラウンド(丘陵地に建てられた高校であるから、いろいろな施設がいろいろな高さに散在している。グラウンドは校舎より3メートル弱低い)へ降りていく階段とに挟まれた茂みに、誰かがいるのが見えた。そこに誰かがいるだけなら、僕はたいして気にしなかっただろうが、その誰かは、茂みの中でキャンバスに向かい、何やらフェンス越しにグラウンドの絵を描いているようなのだった。こんな寒い朝っぱらから、わざわざ大したとりえのない風景を描きに来ているなんて、ただごとではない。
僕は呆気にとられて、左手に自転車のハンドルを持ち、左手でタイヤロックに鍵を差し込んだまま、その誰かの様子を見つめていた。
そうしていると、唐突に強い風が吹いて、僕の体ごと自転車を押し倒し、僕の知っている限り日常生活で最高レベルの悲惨な音がして、横に並んでいた自転車も将棋倒しに倒れていった。一瞬間、僕のすべての思考が停止する。目をさっきの誰かに戻すと、当然、向こうもこっちに目を向けている―それは僕のよく見知った顔だった。いや、見知った顔にせよ、そうでないにせよ、たいやきさんには悪いけど、教室と職員室を往復してもらわないといけないらしい。僕の頭の中には、やれやれという言葉しか浮かんでこなかった。
「ずいぶん派手に挨拶してくれたな」倒れた自転車を丁寧に立て直しながら、先輩は言う。
「すいません」僕は、苦笑いをしながら答えた。
少し前まで、僕と先輩は毎朝同じ電車に乗り合わせて一緒に登校していた。僕が早い時間に登校するようになる前の話だ。そうなってからは、彼とはあまり顔を合わせていない。
春岡先輩は、我らが小説同好会の実質的な生みの親である。先輩が新入生だった二年半前、この高校にあった文芸部には部員がおらず、生徒会でも新たに文芸部に部費を配分する余裕がなく、文芸部はその年のうちに廃部になる予定だった。その事態を打開したのが先輩である。
彼はその畏敬すべきねばり強さをもって生徒会と交渉し、判子の押された廃部手続き書を覆して、部費の請求にいろいろな制約のかかる同好会に格下げまでして部を存続させた。
どうして彼がそこまで文芸部を存続させようとしたのかは分からない。本人に聞いてみても、「俺には分かるんだよ」などと意味不明の供述を繰り返すばかりで、一向に本気で答えようとしない。あるいは、いわゆる春の電波を受け取ってしまったのかもしれない。そして彼は、翌年僕と金森が入部すると、すぐに文芸部をやめてしまった。それ以来、美術部や書道部などを転々としている。アーティスティックと言えばそうなのかもしれない。そういうことにしておく。
「うっし、これで終わりだな」先輩はそう言って、倒れていた最後の自転車を元に戻す。
「ありがとうございます」僕は言った。できればこのまま踵を返して教室まで走っていきたかった。
「相変わらず早いんだな」
「まあ、そうですね。先輩は、今日は-」言い掛けて、僕はしまった、と思った。先輩の方を見る目が泳ぐ。
「俺か? そうだな、まあ、ちょっと思い立ってさ。お前も用がないならつき合ってくれよ」先輩はそう言うが、はじめから僕の返事を聞くつもりはないのである。そもそも、用のない人間がこんな早くに登校してくると思っている時点で僕にはついていけない。どうして見抜かれているんだろう。
彼はくるりと振り返って、もといた茂みの中に歩いていく。僕は、彼に気づかれないように小さくため息をつきながら、その後を追った。今日は点呼前の予鈴に間に合うのも諦めた方がいいかもしれない。