表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
Re;1月
65/95

抜け穴のこと


 翌朝 6時40分



 まだ校庭は薄暗い。グラウンドの白砂は、暁の空気の中で、海の底のように何かの深い圧力を受けながら、それを跳ね返すでもなくさらさらとした手触りの光を放っている。

 林野は、グラウンドの端に立って見えたその景色に、かつてある山へキャンプに行った朝の、涸れ沢の下流を見下ろす光景を思い出した。水の流れが涸れてしまった路では、丸みを帯びた白石がどこまでもむき出しになって続いていた。見回せば、両側から灌木の森が漆黒に限りなく近い深緑を忍び寄らせ、いつかはこの沢までも覆い隠そうと、その時機を狙い息を潜めている。しかし、涸れ沢に充溢する青白い巨石の間々には、一筋の葉も根ざすことを許されない。石ばかりの涸れ沢は、それでも何かが、絶えず音もなく流れているように見えた。あるいは彼の立っていた平べったい石にすがりついて耳を押し当てれば、彼の聞いたことのない大地の息吹を感じることができたかもしれない。けれども彼は、背後から吹き付ける山おろしを左右に分ける一本の杭になって、首に提げた愛用の一眼レフのレンズを覗きこんでいた。

 それは、彼が今まで写真に収めた中で、最も美しいものの内に入る光景だった。そしてまた、その美しさを十分に切り取ることのできない己の未熟さを痛感させられる一枚でもあった。


 林野の記憶の中にあるその涸れ沢と、今目の前にあるグラウンドの共通点は、ただ一つ、それらの浮かび上がらせる厳かな光の色合いだけだった。彼は、その密度の違う空間へと、静かに足を踏み入れていった。



 当然、グラウンドには誰もいない。なにせまだ校門も開いていない時間である。ならばどうして林野がここにいるのかと言えば、それは抜け穴を使ったからだ。抜け穴……グラウンドの校舎側から見て一番奥にある、アンドボールコートのゴールネット裏で、ブツリとフェンスに空いたそれは、文字通りの抜け穴だ。いつ開通したものなのか、応急処置として穴の前に置かれたベニヤ板が、そのまま最終処置として放置されている。その板は、フェンスの裏側から簡単に押し倒すことができた。

 もちろん、写真部の部長としてシャッターポイントの選定をするという理由をもってすれば、写真部の顧問はこの時間にでも校門の鍵を開けただろう。それでも林野が、わざわざ正門の正反対の位置まで大回りをして、露を蓄えた茂みの中に分け入ってまでこの抜け穴を使うのは、ただ、その方が興が乗るというだけのことである。


 早朝の侵入作戦は、ひとまず成功した。


 侵入に成功した後は、勘を頼りにひたすらいい絵が撮れそうな場所を探して歩きまわるだけだ。しかし林野は、それだけのことをそれだけでやりおおせる男ではない。にわかミリタリーオタクでもある彼は、遮蔽物のない荒野という非常に難度の高い侵入経路を、見えない敵の攻撃をかいくぐりながら駆け抜けていく……という妄想を抱きつつ、かつそんな妄想にふける自分を反面冷静に見咎めながら、校舎の方へ向かってのんびり歩いて行く。


 グラウンドの終わりから階段をのぼって普通棟のすぐ前までくると、彼の妄想は野戦モードから市街地戦モードに切り替わる。潜入ならば体をすっぽり隠せるだけのダンボールがあればなお良いが、いくら頭の中とはいえ、そこまで贅沢は言えない。

 林野は、足音を潜めて一歩二歩と踏み出す。少しずつ妄想と現実が入り乱れてくる。彼はこのとき、戦地の朝を駆け巡る戦場カメラマンである。戦いは止んでいるが、どこかの物陰からゲリラの銃口が彼を狙っているかもしれない。


 と、林野が片足を地面から離したそのとき、ズサリ、と彼のものではない足音が聞こえてきた。彼は、その足を上げたまま、ピタリと固まる。もう一度、今度はシャリ、という粗い砂を踏む音がした。間違いなく、彼の他にも誰かがいるのだ。首から提げた一眼レフを支える手に、じわりと汗がにじむ。足音は彼の背後から近づいている。それよりも先に、彼の心臓の音が、歩幅を縮めながら駆け寄ってくる。


 林野は、兵士が小銃を構えるように、時には確かに武器とさえ呼ばれる一眼レフを胸の前に構えて、振り返る――


「よう」


 足音の主は、少し意地の悪い声で言った。










 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ