笑うこと
「笑うのは、いいことだ。まあ、理屈っぽい説教をするわけじゃない。ただ、君は笑ったほうがいい絵になる気がする。絵描きの勘さ」
ナオヤは言った。それは率直な感想だった。もちろん、一般論として笑顔が他の表情に劣るはずがないのも事実だ。しかし、彼が少女にそう言う理由は、それだけではなかった。ナオヤは、彼女の素顔を知っているような気がした。
「ま、そんなこと言う前に、何か面白いことの一つや二つ披露するのが礼儀なんだろうな。生憎俺は人を笑わせるのがあんまり得意じゃねー。ユーモアのセンス、ってやつか。言い古したジョークをもったいぶって話すぐらいなら誰だってできるが、アドリブでどうのこうの、ってのは、やればできるってもんじゃない。だから、なんだ、俺の話がつまらないのは許してくれよ」
少女は真っ直ぐに前を向いていた。ナオヤの言葉が耳に届いているかさえも怪しいぐらいだ。彼はかえって、その状況に話しやすさを感じた。誰も、壁に話すことに気兼ねはいらない。
「俺は、面白い話をして人を笑わすのは苦手だが、何を間違ったか、中学の頃には、三年間、行事があるごとにコンビを組んで漫才をしてた。……一応言っとくと、ここは驚くところだ。高校に入ってからは殆どその話をしてこなかったから。まあ、それでもある程度は漏れてるだろうし、その上で大した反応もないってことは、誰もそのことに興味がないんだろう。それはそれでいい。ちなみに俺はボケの方だった。
もちろん、漫才だのコントだのをやるって言い出したのは俺じゃなくて、入学式の次の日から、俺の後ろの席に座ってた奴の方だ。どうしてそいつが俺を選んだのかは、結局知らず終いだった。チビで、バカで、やたら色の白い奴だった。まさかそんな奴と三年間、コンビで舞台に立つとは思わなかったが、今思えばなかなか充実した中学生活だった。漫才以外にも、パートリーダーやってた三年の合唱コンクールで金賞獲ったり、なんかよく分からん善行賞もらったり……
思い出話はいい。
ただ、こうやって世捨て人みたいな高校生活をしてきて、それがもうすぐ終わるってなると、あの三年間がいったいどういう意味を持ってたのか、考えないといけないような気がしてくる。俺は何を学んだのか、ってさ。
本当のことを言えば、何も、たいしたことは学んじゃいない。俺はそのころも、今だって、自分を上手く客観できてた訳じゃない。大勢の前に立つ心構えぐらいはできたかもしれねーな。あんなもん、一対一で人の眼を見て話すよりかよっぽど簡単なんだぜ。恥かくこと承知でやれるなら。第一、文化祭やらの舞台で漫才だのをするのに、本心から人に笑ってもらいたいって思ってる奴もそうはいない。ほとんど功名心だ。ま、俺の場合は、先生に気に入られたり後輩から弟子入り志願された以外は大した利益もなかった。舞台の上以外じゃずっとこういう風なわけだから、それも当然だな。人間メリハリってのは大事だ。
どっちにしろ、そういうことに関しちゃ、俺は欲張らない方だったかもしれない。そもそも、訳もわからず引っ張りだされたんだから、舞台の上でも何も考えちゃいなかった。案外、ああ言うのはやってる側は無心のことが多いと思う。受けなくても、恥ずかしいよりかは『あーあ』って気持ちになるだけだし、受けたら受けたで、笑いが収まるまで次のセリフを忘れない程度に安心するぐらいのことだから。
それでもやっぱり、笑ってもらえれば嬉しいわけだ。自分でも笑いたくなるのをぐっと堪えることになる。もしかしたらそれが一番難しいかもしれない。逆に、哀しいのは、受けなかったことよりも、滑舌が悪くて何言ってるのか分からなかった、って言われることだ。最初の何回かはそれしか言われなかった。それでも心なしか受けてたのは、よほど勢いが良かったんだな。ありがちな教訓を見出すとすれば、言葉が通じなくたって笑いは起こる。もちろん、俺らがやってたのはチャップリンのそれと比べ物にもならねーが、少なくとも人は、理由がなくたって笑える、っつーことだ。




