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……別に、大したことじゃないさ。簡単だよ。
俺に足りないもの……俺は今、誰よりも後ろにいるんだ。いつも周回遅れで、後ろばっかり見ながら走ってる。いや、もしかしたら、前に進んでさえいないのかもしれない。みんながグラウンドのトラックを何周もしている間、じっとスタート位置に突っ立って、時々通り過ぎて行く人たちに手を振ってるだけなのかもしれない。
そうしてる限り、俺はどこにも行けないし、誰にも顧みられないだろう。あるいは、気味悪がられることならあるかもしれない。
それに、俺には経験が決定的に足りない。要するに、中身が空っぽだ。特別なことを言ってるんじゃない。他の誰かが、知らないうちに経験してるような、ささいなことでもそうなんだ。そういう、日常的な外との関わりの記憶がない。だから、俺の思い出はいつも断片的なんだ。それから、細かいところへの観察……
しないといけないのは、そういうことの遅れを取り戻すことなんだ。他の人たちが得てきたもの、そして俺が見落としてきた、見捨ててきたものを、拾い集めていくことさ。他人より何倍も速く、何倍も多く、走らないといけない。まずは、歩き始めるところから。今まで、ちんたらやってきた分。ただ、それだけのことだよ。
うん、本当にそんなことができるのかどうかは分からない。苦しいところで賭けをすると、たいがい失敗するってのは決まってるんだけどね。でも、もう取り返しの付かない寸前まで来てるんだ。多分、まだ間に合う。もう、自分を信じるしかないさ。
自分……さんざん今まで、空っぽだって言ってきたんだから、全然信頼できるもんじゃないのは確かだな。今までだって、俺は何度も奮起してきたんだ。こんなんじゃだめだ、って。でも、その度に、気づいたら熱が冷めて、元通りになる。まあ、たいてい誰だってそうなんだろうね。俺は自分についてずっと無責任だったんだから、なおさらだよ。何にも誓ったりはしないんだ。ただ、自分の一時の興奮に任せてがむしゃらにやるだけ。それで疲れたら、おしまい。そのときにはもう自己満足ができてるし、そこでやめたって、誰に咎められるわけでもない。最初から、誰も俺の奮起なんて知らないんだから。
だから、俺は、こうやって、話さないといけなかったんだ。これは、俺の誓いなんだよ。俺の弱っちい意志はころころ変わるが、一度言った言葉は変わらないし、取り消しもできない。そう、だから-だから、お前のなかで俺の言葉が生き続ける限り、そいつが俺を、見張ってくれると思う。俺は、言葉の恐ろしさってのを知ってるつもりだからね。
その上俺は根っからの受動人間だから、やれって言われたことならできるんだ。まあ、本当は、誰でも自分の意志に従ってるって意味じゃどこかで受動的なんだろうけど、その“自分”ってのが弱い分、俺は完全に受動的なわけだから、それが弱いうちは、他人から土台を借りるしかない。誓いってのはそういうもんだと思う。一番信頼のできる相手に、自分の意志を見張ってもらう。俺の場合は、まず、お前から。
ああ、今まで誰にも、何にも誓いを立ててこなかったのは、ずっと出来合いのプライドにしがみついてたのは、俺が、他の誰も、心から信用してなかったからなんだろう。自分でなんでもできると思って、何もしてこなかったからなんだろうな。
俺に必要なのは、タイムマシンじゃない。そんなもの、あったって何の役にも立ちはしないさ。必要なのは、今の俺を変えること、いや、変えられないとしても、真っ直ぐにものを見ることなんだから。俺は誓うよ。もう逃げたりしない、って。誰よりも速く走ってやる、って。誰よりも、前に。できるかどうかじゃなくて、そうするしかないんだから。
もう、誰かの背中を追っかけてたいとは言わない。行く道が分からなくても、目をつぶってだって進むしかないさ。誰よりも先を行くんだから。たぶん、道標が欲しいのは俺だけじゃないんだろう。だったら、先に行ける奴が行って、標識を立ててやればいい。墓標だって無意味じゃないだろう。今までサボってきた分だけ、俺には力が有り余ってるはずなんだ。それぐらいする義務がある。
これは“俺の”誓いなんだ。今までさんざん嘘をついてきたし、心にもないことを言ったり書いたりしてきた。でも、これは嘘でもデタラメでもなく、いや、俺の気まぐれな決意を、嘘にしないために、誓うんだ。
……はぁ、意気込んで言ったのはいいけどさ、やっぱり、疲れるだろうね、そういうのは。結局、今まで言ってきたことも、今のところ全部独りよがりのことなんだし。カズは黙って聞いてくれるけど、きっと、同じことを話したら途中で怒り出す奴だっているだろう。
それに、いくらしがらみの中に自分を置いたって、不安が消えるわけじゃないと思う。ねえ、もし、誰よりも速く走れたとして、少なくとも、みんなと肩を並べて進めたとして、俺が「ついて来い」って言ったら、いったいどれだけの奴が聞く耳を持ってくれるだろう。うん、そんなことを考えるのが無意味だってのは分かるさ。そもそも、みんな同じ方向を向いてる訳じゃないんだし。
俺が頼りにしたい奴らは、ほとんどみんな、遠くへ行っちまう。まだ先のことかもしれないけど、いつかは。俺だって、ずっとここにはいない。
でも、そうだとしたら、俺はどこへ行ったって、ずっと独りのままなんじゃないか? いつか、誓いの効き目が切れたとき、俺はまた、何もないところで身動きがとれなくなるんじゃないか? きっと、俺はどこかで間違えてるんだ。今までもそうだったんだから。
うん、もう止そう。いつも、こういう風に考えるから、何もできなくなるんだ。もっと、前向きな話をしなきゃ。うん、そうだな、
--俺にも、夢ができた。




