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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
2月末
32/95

不思議なこと その3

「この写真」

 精霊さんの姿が写り込んでいる写真を指さして、林野に示す。彼は不安を混じらせた顔をこっちに寄せる。

「ん、グラウンドの入り口から校舎を撮った写真だけど、何か変なとこでもあるか?」

 林野は、純粋にこの写真のどこが僕の目を引いたのか分からないというような顔で聞いた。確かに、精霊さんが写真の中に写っていたって、彼にはそれを問題にする理由はないだろう。不自然に彼女のことを話題にして、彼に勘ぐられるのも億劫に思った。


「いや、いい写真だと思ってさ、なんとなく」

 それはなんとなく口から滑り出したほめ言葉だったけれど、嘘というわけではなかった。駐輪場からグラウンドへ降りる階段の下から斜に撮られた普通棟の校舎は、直方体の一角を暁の空へ聳えさせ、その角から降ろされる一辺をこちら側へ突き出している。その一辺を境に、グラウンド側の壁は朝日を浴びて紅く染められ、もう一方は、帰りそびれた夜が背を縮めて隠れているかのように、薄暗く沈んでいる。その両側の壁を四階分横に貫いている窓ガラスが鏡となって、水上へ浮かび上がった潜水艦のような雲の影を留めているのが印象的だった。

「確かに俺もそれは気に入ってる。割と構図もいいし、朝焼けのコントラストも運に恵まれてたな。だけど、出品するには斬新さが足りない」

 そう言う彼の顔は、言葉に反せず、二対一の割合で満足が勝っていた。僕は、「斬新さねえ」と脊髄反射的に繰り返しながら、写真の左端―およそ一カ月前、春岡先輩にグラウンドの絵を見せてもらった、校舎とフェンスとに挟まれたところ―に小さく写っている精霊さんのことを、どうやって林野から聞き出せばいいかについて考えを巡らせる。


「ここに誰か写ってるみたいだけど」

 意を決して(しかしそれを悟られないように)、それを人差し指で指し示す。林野の顔がさらに写真に近づいた。

「……ああ、その人ね。俺が学校に着いたときからいたんだ。朝の6時だぜ? まだ校門も開いてないだろって」

「待てよ、じゃあ君はどうやって学校に入ったんだ」

「あ? そんなの探せばいくらだって侵入ポイントはある」

 林野は、さも当たり前のように言う。ヒロの言っていた“抜け駆けの方法”がふと思い出されて、妙な気分になった。林野は、気にせずに話を続ける。

「でさあ、明らかに近寄りがたいオーラ出してたから近づかなかったけど、この写真撮ったポイントから見てた限りは、ずっと朝日を見てたっぽいんだよな。暇か、って話だけど、制服着てるんだからうちの生徒なのは間違いないだろ。シノは知ってる? こいつ」

 話の途中で急に自分の渾名を呼ばれてつい頷きそうになったが、少し考えてから、慎重に首を横に振った。正直に知っていると答えたとしても、精霊さんについて自分がまともに答えられることはほとんどない。


「顔は見てないのかい」

 僕は聞いた。それは最大の懸案事項のうちの一つだった。まだ彼女の顔を正面から見たことがない。それを確かめることすら忘れてしまっていた。そのくせ、二度だけ―直接見たのと、キャンバスに描かれたのだけで見た彼女の横顔の輪郭は未だにはっきりと覚えている。茶色がかった豊かなロングヘアーと、神秘的な横顔。目の前にある写真に写った精霊さんも、こちらには小さな横顔しか見せてくれなかった。

「いや、俺はずっと同じ場所でシャッターチャンスを待ってたから、写真に写ってるのと同じ角度の横顔しか見てない。ほんとになんだったんだろうな、これ」

 林野は、一瞬考え込んで腕を抱えると、思い出したように紅茶のペットボトルを持ち上げて口に付けた。僕もそれに倣う。すでに缶の中の液体は冷めてしまっていた。コンビニの店内音楽が途切れて、いつもの子役が歌うキャンペーンソングが流れ始めた。

「そういえば、この写真はいつ撮ったんだ」

 不意に気になって聞くと、林野は、それだけは自信があるという風に答えた。

「ああ、撮ったのは一昨日の6時40分ごろだ。確か。長いことねばった甲斐があった」

 思わず、えっ、という声が漏れそうになった。一昨日?

「じゃ、じゃあ、この人って、いつまでここにいたか分かる?」

「ん、さあな、俺は7時前には場所を変えたけど、その時にはまだ同じところにいたと思うけど」

 一昨日の7時ごろ―ちょうど、僕とヒロが特別棟の屋上で会う少なくとも30分前までは、精霊さんはこの写真に写っている場所にいたことになる。そういえば、ヒロは僕よりも早く“抜け駆けの方法”を使って屋上に来ていた。だとすると、もしかしたら? ―そこから先の仮定は、しかし想像もつかない。


「なんかおまえ興味津々だな」

「いや、別に、ちょっと気になっただけだよ」

 林野は怪訝そうな目と好奇の目を向けてきたが、それは無視をして彼がほかの話題を始めるのを待つ。彼がくだらない話を再開する間に、考えなければいけないことはたくさんありそうだ。整理をしないといけない。自分の周りで起こっていることについて。たぶん、彼女のことについて書かなければいけない。見て、聞いて、考えたことを。そのためにはまず、彼女に会うことができないとどうしようもない。いや、まてよ? 彼女は同じクラスなのに、どうしてわざわざそんなことを考えなくちゃいけないんだ。いったい僕の“今まで”はどこにいってしまったんだろう。何かが狂ってしまっている。何かが……


「シノ、顔色が悪いぞ」

 林野の声ではっと現実に引き戻されると、彼の顔がすぐ頬の横まで迫っているのに気がついて、小さく上半身を飛び退かせる。

「おまえ、今日なんか変だぜ」

「そうかい? いつも通りさ」

「あー? なに、いつも俺の話聞いてないってことか。うわー、マジでへこむわぁ、さいてー」

 おどけた口調で小柄な上半身をくねくねとさせながら罵る林野の頭を小突いて、むやみに笑ってごまかす。彼も歯を見せてカラカラと笑った。

「もうそろそろ行くよ。校舎の鍵ももう開いてるだろうし」

 振り返って、コンビニの時計を見ると、もう7時半はとっくに過ぎていた。コーヒー一本分にはまだ短いかもしれないけれど。

「ん、俺はもうちょっとここにいるわ。あ、そうだ、ちょっと頼みがあるんだけどさー」

 そう言うと、林野は身をかがめて、再び革のバッグに手を突っ込んだ。僕はまた少し期待をしたけれど、彼の手に引っ張り出されたのは、いかにも業務用という感じの薄い封筒だった。

「これを椎名さんに届けるだけの簡単なお仕事です」

 林野は人を小馬鹿にしたような口調で言う。そう言われて、椎名さんも写真部だったことを思い出した。

「別にいいけど、これは? 写真?」

 彼に手渡された封筒の重みと感触から推理する。

「ああ、この前写真部の研修会に行ったときの写真。先生に渡されてから配るのすっかり忘れてたわ」

「なるほど。でも、それくらい自分で渡せばいいじゃないか」

「えー、頼むよ。同じクラスだろ? 俺階違うし面倒じゃん」

「はあ。分かったよ。じゃあ、そういうことで」

 封筒を自分の鞄の中に丁重に入れると、缶の底に冷えて縮こまっていた残りのコーヒーを飲み干して、席を立った。林野がじゃあな、と言って、僕も手を小さく振って返す。ドアの方からピロピロという電子音がして、客の一団が出て行った。その後に続いて、コンビニを出る。その間際に振り返った時計は、7時45分を指していた。

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