金森のこと その2
テスト週間の残りは、飛ぶように過ぎた。そういうことにしておく。テストを受けるためだけに登校して、昼過ぎには家に帰るだけの繰り返しほど退屈なことはない。書き残そうと思えばそうするべきことはいくらでもあるのだろうけれど、たぶん誰もそんな文章を欲していないだろうし、僕だってそんなものを書きたくはない(まあ、誰が欲しているかで文章を書いていたら、僕が手を動かす必要は全くなくなってしまうのだろうけれど)。
というわけで、テスト週間は明けた。そういうことにしておく。異議は認めない。
月曜の朝に金森が指定したのは、やはり特別棟の屋上だった。やっぱりか、という風に僕が返事をすると、彼は一瞬豆鉄砲を食らったような顔をしてから、すぐに僕がその場所を知っている理由を思いついたようだった。簡単な消去法である。
「やあ、お先に」
僕がこの前と同じルートで屋上にたどり着くと、既に金森は、ハシゴを降りたすぐ横の縁に腰掛けていた。はしごを登り切ると、ちょうど彼のつむじを見下げることになる。
「あれ、校舎が開いた時にいなかったから、てっきりまだ来てないって思ってたんだけど」
僕が身を翻して屋上に降り立つと、金森は例のようににやりとしながら立ち上がった。
「抜け駆けの方法は、先輩から聞いてないんだな」
「抜け駆け?」僕は聞き返す。
「うん。でも知らないんならまだ秘密にしておこう。あんまり秘密がないのもつまらないし」
金森は、おとぎ話の登場人物のような口調で言う。内緒のおまじない程度のものと思っているのだろうか。
風がひゅうと通り抜けて、金森の髪を吹き上げた。彼は、このごろ目にかかるぐらいに伸びてきた前髪を手で押さえながら、グラウンド側、この前春岡先輩が寝転がっていたあたりに歩み寄る。
「カズがここのこと知ってるとは思ってなかったけど、とにかく、たわいもないことを話すにはいい場所だろ?」
「うん。でも、君はずいぶんここを独り占めしてたみたいだけど?」
金森の背中に向かって僕が言うと、彼は思いの外素直に、ばつの悪そうな声で答えた。
「ああ、ごめん。カズに秘密にしておくつもりはなかったんだけどさ、誰かに教えようっていうのも思いつかなかったんだ。一人で空を眺めるのにも最適だから、ここは」
僕は黙って頷く。もともと彼を責めるつもりはなかった。誰にだっているべき場所と、そうでない場所がある。春岡先輩はそういうことが分かっていたのかもしれないし、あるいはもっと他の何かが、彼の思いつきに現実を託したのかもしれない。朝の終わりとともに、僕はここに来ることを許された。僕に分かるのはそれだけだ。
金森の横に並び立つと、グラウンドの向こうの町並みを透かしている空が、窓枠に縁取られることなく続いていた。それは丘を覆う木々や遠くの高層ビルにくっきりとした境界線を引かれているように見える。けれども、決して空っぽではない何かが、すべての隙間を満たしている。空とは水平線に仕切られた視界のことではなくて、目の前の空間を満たし、しかし体感することができないものすべてのことであると、誰かが昔言っていた気がするし、たった今ふと思いついたことのような気もする。
その、空の遠くの部分が、未だに淡い赤みを残しているのを見つけた。余韻と言うのもはばかられるような、目をしばたかせる度にまわりの色と区別がつかなくなっていく、頼りのないくすぶりである。これが、いつか見渡す限りの真っ赤に染められた空と同じものだとは、とても思えなかった。
「それで」僕は口を開いた。「こんなところに呼び出す気になるぐらいの話が君にはあるのかい?」
「ん、どうだろう。ただのたわいのない話かもしれない。それよりもまずは、この前聞きそびれた話をしてくれよ。まだ俺は感想を聞いてない」
金森は、この前先輩が座っていたのと同じ場所に座り込んだ。僕もそれに倣う。
「別に、感想っていうほどのこともないけど、まあ、分かるのは、君がたいそう疲れてて、手一杯になってるってことだろう。ねえ、ここのところ、自分が書いたものを見返してる?」
金森は、細めた目で遠くの空を眺めながら、小さく首を横に振った。
「あんなのを読み返してたら、馬鹿らしくなって書いてられなくなる」
「はは、それを読んでやってるこっちの身にもなってくれよ」
僕はただのイヤミのつもりだったが、金森は、返す言葉もないというふうに首をすくめて黙り込んでしまった。僕は意外に思って、彼の横顔を見つめた。彼は笑ってはいなかった。
彼が自分の書く文章に対して身勝手なのは今に始まったことではないし、そもそも彼は何事にも少なからず勝手を通そうとする奴である。しかし同時に、彼は非常に誠実な人間でもある。その二つは決して相反するものではない。むしろ、上手くすれば彼はとても大きなアドバンテージを手に入れることもできる。誠実さのための身勝手は誰にも咎められないし、ときに身勝手は他方の誠実さによって償われる。自分の中でそう思いこめるだけでもいい。彼の場合は、そういう打算を意図せずとも、大概のことは、その相乗効果によって済んでしまう。
そういう彼自身の都合のいい性質について悩んだり疑問を差し挟んでいては、彼の胃はいくら穴が空いても足りないはずである。だから、こうして不意に黙り込んだ金森が、ひどく彼らしくないように思えた。
「実はさ、頼みたいことがあるんだ」
長い沈黙の後、金森は言った。




