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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
2月下旬
27/95

なんとなくのこと

「どうして、先輩は小説書くのやめたんですか」

 僕は聞いた。先輩は既に自分のスマートフォンを取り出して、いつものようにマインスイーパーを始めようとしていた。

「ん、前にも言わなかったか、それなら」

「『なんとなく』となら」僕は言った。我ながら、この口まねはけっこう似ていたと思う。

「うん。だから、なんとなく、なんだよ。別にこれといって理由があったわけじゃない」

 先輩は、もうそれ以上話すことはない、という風に、オモチャを握る手元へ目を戻す。

「先輩、最後までそれで通すつもりですか?」

 僕は、こぶし一つ分、座り込んだ腰を先輩に近づける。

「ああ。それが本当だから。・・・・・・お前は俺を買い被りすぎなんだよ。俺は謎掛けをしながら生きてる訳じゃない」

 いや、別にそういうことを言ってるんじゃ、と言い返そうとして、しかしその言葉は出てこなかった。


 遠くの方から轟音が聞こえて、すぐにそれは頭上を通り越し、向こうの方へ去っていった。いつもよりも間近に見えたそれは、やはり遠く頭上の出来事だった。


「俺はさあ、次に何をするか、考えながら生きてる人間じゃないんだ。終わったことにも頭を使うつもりはない。俺の脳味噌はよぉ、考えるためじゃなくて、実行するためにある」

「つまり、今のところは何も書く気はないってことですか」

「さあ? でも、お前は一つ勘違いしてる。俺は同好会はさっさとやめたけどさ、文章を書くのをやめたとは一度も言ってないぜ・・・・・・なあ、バッグの中にコーラが入ってるから、出して持ってきてくれよ」先輩は、あごで自分のバッグを指す。

「あ、はい。・・・それなら、先輩が書いたやつがあるなら、また読ませてくださいよ。あいつのばっかり読むのも飽きたんで」

 僕は、先輩のバッグの中をかき回しなが言う。コーラはすぐ目に付くところにあった。けれど、すぐにそれを取って、顔をあげる気にはなれなかった。

「ああ。好きなだけ読ませてやるよ。減るもんじゃない」

 先輩は言った。


 一年の頃に読んだいくつかの先輩の文章はーーいや、やめよう。たぶん、僕が僕の言葉であれこれ言ったところで、きっと僕の言いたいことはこれっぽちも伝えられないだろうし、つまり先輩の文章がどういうものかということも適切に言い表すことはできないと思う。

 強いて言うなら、そもそも先輩のそれは、誰かに何かを伝えようというものではなかった。そういう風に言って、本当にそんなことが可能なのかとも思うけれど、事実、先輩は誰かのために書いているというわけじゃなければ、自分のために書いているというわけでもないようだった。ただ、思い浮かんだから書いたとでもいうような、短い文章が多かった。


 僕が、やっとコーラをつかみ出して先輩の所に戻ると、彼は上半身をぐっと起こし、手を伸ばした。

「サンキュ。・・・・・・うん、そうだな、確かに同好会を止める理由はなかったが、そのときは、続ける理由もなかった。必要性がないところからは、何も産まれないんだよ。俺はそういうところにいるのがあんまり好きじゃない」

「じゃあ、今のところは絵を描くことに必要性を?」

「ああ」コーラのキャップが開けられ、炭酸の抜ける小気味いい音が通り抜ける。先輩は、最初の一飲みでペットボトルの三分の一は飲み干した。

「でも、それを決めるのは俺じゃない。ゼア・イズ・ノー・テリング・ワット・ハプンズ・トゥモロウ」

 先輩は言った。格好付けているというのではなくて、ただ、思いついたのを口に出しただけのようだった。僕は何も言わなかった。


 先輩と並んで仰向けになって眺めた空は、滲みだしてきそうな青を湛えていた。青。ようやく、先輩が「なんとなく思っていたのと違う」と言うのが、ようやく感覚として分かったような気がした。


「あいつは俺と違って、必要性を持ってる」

 先輩は言った。

「だからあいつは書き続けるだろうな」

 僕は、何も言わなかった。



 下の方から、点呼五分前のチャイムが聞こえてきて、僕は思いだしたように立ち上がった。先輩は、のんきに寝転がったままで、

「帰るときは、人に見られないように気をつけろよ」

 と、気が利いているのか不親切なのか分からないようなことを言った。

「先輩はいつまでここに?」

 僕は、ハシゴの前に立ちながら言う。

「ああ、今降りて知ってる顔に会ってもまずいから、授業が始まった頃に、こっそり帰る」

「そういえば、先輩はどうやってここへの行き方を?」

「さあね、一年前のことだから、忘れたよ」

 先輩は言った。僕はそれ以上詮索する気にもなれなくて、ハシゴに手を掛け、体の向きを変えてから、ふと、

「先輩の受験日って、いつでしたっけ」

 と聞いた。

「ん、ああ、確か来週」

 僕は、それ以上何も聞かずにハシゴを降りた。

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