ためること
再び一人残されてしまってから、僕は何かをするというつもりもなく、おもむろに花田の野球部バッグから、さっきの賽銭箱を取り出した。ふざけた貯金箱だ。それは賽銭箱の質感に関して以外の点ではとてもよくできていた。ティッシュ箱大の長方形の上面に、三角柱の格子が並んでいて、その奥は左右両側から下向きに傾斜がついている。見慣れた賽銭箱の上部をそのままデフォルメしたような感じだ。
持ち上げてみると、入れ物自体にずっしりと重みがあって、振ると金属のこすれる賑やかな音がする。容量の三分の一ほどしか貯まっているらしい。といっても、満杯にしたところで、十円玉だけならせいぜい数千円にもならないぐらいの大きさだ。底にはちゃんと取り出し口がついていて、バチ当たりなことにはならないようになっている。
僕は、その賽銭箱を自分の机の上に置いて、しばらくの間、まじまじとその様子を眺めた。
これも前に書いたことかもしれないが、僕は貯金箱に何かしらの親しみを持っている。もちろん、フェティシズムとかオタク的なものじゃなくて、ずっと昔の祖先が同じだったんじゃないか、とか、そういうものに対する親しみである。だから、ずっと自分のそばに置いておきたいとも思わないし、長い間その様子を観察していると、いやな気分になることもある。それに、僕にとって何かを貯めるという概念は、むしろ不吉なものであったりする。別に、そこらへんのことは誰かに分かってもらおうとも思わない。
そういうわけで(結局どういうわけだ?)、僕は貯金箱は好きだけれど、何かをため込むことにはあまり前向きじゃない。何かをため込むことがいいことだとも思っていない。たまるべきものは放っておいてもたまっていく。放っておいたらなくなるようなものは、初めからたまるべきでないのだ。まあ、価値観は人によって違うだろうけれど。
そう思っている限りは、僕が花田を馬鹿にする筋合いなんてないのかもしれない。すばらしいことじゃないか、十円玉貯金だって、一円玉貯金だって。それはただ純粋に、貯めることを目的に行われる。そうである限りは、そこらの芸術的な営みと何一つ変わらない。
問題があるとするならば、そんな芸術的な営みと、僕が持っている花田のイメージとが全然似合わないことか、その似合わなさを僕が受け入れられないことである。
僕の頭の中の花田は、何かをいそいそとため込むよりもむしろ、手当たり次第に周りのものをつかみだして、無造作にばらまいていくような存在なのだ。そして僕は、ぶつくさ文句を言いながら、花田がばらまいていったものを、いるものもいらないものも拾い集める。
花田の賽銭箱を観察するのにも飽きてきたころに、廊下からいくつかの足音が聞こえてきて、僕は静かに賽銭箱をバッグの中に戻した。結局、僕は貯金箱としてのそれにあまり興味を惹かれなかった。それが”花田の”貯金箱であること以外は(あるいはそのことも含めて)、それはただのふざけた貯金箱だった。別に、文句はないけれど。
「おはよう」たいやきさんは言った
「おはよう」僕も言った。
「おはよ」それからもう一人、たいやきさんの後に続いて入ってきた。この時間にはめずらしい人だ。
「あ、椎名さん、おはよう」
僕が言うと、シャンプーさんは愛想笑いとそうでないのとの中間の笑みを浮かべて、肩の横で手を揺らす。
「今日はね、部活の先輩の応援グッズ作るの」たいやきさんはにこにこしながら言う。彼女が右手に提げている紙袋からは、何やら百円ショップチックなものが顔をのぞかせていた。
「応援って、二次試験の?」僕は聞く。
「うん。あと、私立の先輩も」
「へえ」僕は感心したように言った。大変なものだ。お互いにそういうのを楽しんでいるのだろうか。
そういえば僕も、春岡先輩に何かしないといけないのかもしれない。センターの前には、一応、がんばってくださいと挨拶しておいたけれど。
「あれ、永井さんと椎名さんって、部活同じだっけ」僕は言った。確か違った気がする。
「えっとね、私の部活の先輩が、吹部と兼部してるから、ユウと一緒に作ろうって」と、写真部のシャンプーさんは言う。吹奏楽部のたいやきさんがうなずく。
「ふうん」僕は言った。
「少しうるさくなるかもしれないけど、気にしないでね」たいやきさんは、そう言いながら、自分の机に紙袋の中のものを広げる。気にするなと言われても無理だけど、別に文句はない。それに、手伝えるようなことでもない。僕の器用さの問題として。
「あ、そうだ」
僕が、いかにも気にしていないという風に、机の上に勉強道具を広げていると、後ろからシャンプーさんの声が肩を叩いた。
「篠原君って、小説部だよね」
「同好会ね」僕は前を向いたまま答える。すると、シャンプーさんは僕の横にやってきて、ピンク色のクリアファイルを差し出した。中には、A4サイズの紙が入っている。
「お願いなんだけど、これ、金森君に渡してくれないかな」
「ん、いいけど、たぶん今も教室にいるよ?」僕は、ファイルに手を伸ばしたまま言う。
「うん、私も作り終わったら行くから」シャンプーさんは、色紙やサインペンが広げられたたいやきさんの机に目をやる。僕もそっちの方に目をやってから、うむ、とファイルを受け取った。それなら終わってから持って行けばいいじゃないか、という気もしたが、シャンプーさんにたてつく理由もなかったから、言わなかった。どうせ僕は暇なのだ。
「ちなみに、これが何かっていうのは聞いてもいいの?」
「それはね……金森君に会えば分かるよ」シャンプーさんは言った。
やれやれ、と僕は立ち上がる。時計は、7時50分を指していた。




