6・宵闇の陰影
「よぉ、一年ぶりってとこか、会いたかったぜ。まさか俺の顔を忘れた、なんて事ぁ言わねぇよな」
ひょいと木陰から顔を覗かせて、遮二無二逃走を図ろうとする数人の男達の進路を阻むと、ナナシはなんの気負いもなくそう声をかけた。
気安げで、全く力みもなく、まるで顔馴染みにでも声をかけるような声音であったが、声をかけられた方はまるで金縛りにでもあったかのように硬直する。
「……あ、アヌビス」
そう誰かがかけた言葉は震えていた。はっきりと震えていて、その言葉には確かな怯えを滲ませる。
彼らが一生懸命に逃げても、あっさりと追い付いてその逃げ道を塞いでいる男。
その上で、さらに完全に逃げ道を塞ぐように両手を軽く掲げてみせている男。
彼の事を知らない者はそこにはいない。
ナナシの今の髪型は、金色に染め上げた髪をまるで天を衝くかのように逆立てており、個性的というよりはどこかお洒落の方向性を間違っているようにも見受けられるものだ。
体つきもひょろりとしたもので、ガリガリではなくても強壮という言葉からは程遠い。
それでもそんな彼を見た男達の顔に笑みはなく、血の気が一気に引いて青を通り越して真っ白な顔色をしていた。
「はっ、アヌビス……アヌビスか。そりゃまた、随分と懐かしい呼び名じゃねぇか。懐かし過ぎて笑っちまいそうだ」
懐かしい。その言葉に嘘はなかった。
でもそれはただ懐かしいだけだ。
『あぁ、そんな風に呼ばれてたな』
そう思うだけでしかない。
それ以上の感慨はなく、それ以下の何かが浮かぶ事もない。
名前なんてものは、それを呼ぶ誰かがいてこそ成り立つものだ。つまり、彼をアヌビスと呼ぶ者がいる事に懐かしさを感じただけであり、今はもう無くなってしまった名前を呼ばれた事に何かを思ったわけではないのだ。
「まぁ、俺にとっちゃ《それ》は単に懐かしいってだけの名前だけどよ、お前らにとっちゃそれだけじゃねぇよな? 何しろ、その名前が意味を持っていた場所に勝手に汚ぇ看板を掲げて、その名前に喧嘩を売りやがったんだからよ」
トントンと跳ねるようにして歩みの調子を整え、肩を軽く回して腕に滑らかに血液を巡らせる。
戦闘に際して、異常な回復力をもたらす何か。
体の隅々に行き渡る不思議な何か。
それが何なのかはナナシ本人にもわかっていない。
ただ身体中に力がみなぎっていく事が分かり、口許には獰猛な笑みが浮かべる。
「この辺りにゃ、そんなヤツは一人もいなかったはずなんだがな。大抵のヤツらはシメちまったはずだからよ」
数人の男達は完全にナナシ一人に呑まれていた。
この辺り最大の盗賊団だとは言えど、それは数によって築いた地位だ。
しかし、今ここにいるのは十人足らず。その数では《最大の盗賊団》が誇る唯一の武器はもはや形を成していない。
そして今ある武器(数)で対抗出来る相手かどうかは、彼ら自身が一番理解している。
アヌビスとナナシの事を呼んだ彼らこそが、目の前にいる男の力を一番知っている。
「まぁいいさ。昔は昔、昨日は昨日ってもんだ。そういうこったろ? どのみちやる事に変わりがあるわけじゃねぇ。俺ぁ親分としての責任ってもんは果たすだけだ」
例え数の上では一人対十人だったとしても、その程度の数(武器)が通用する相手かどうかは彼らが一番よく知っている。
この辺りで勢力を築いた以上、《アヌビス》の名前とその頭目の力を知らないはずもない。
今でもアヌビスが健在だったのなら、彼らはその影を恐れて傘下に加わっていたか、あるいは飲み込まれて潰されていたかしていただろう。
アヌビスがいなくなった後で、数と勢いとちょっとした幸運に任せて勢力を拡げた事は、彼ら自身が一番よく分かっているのである。
「さっきもチラッと言ったけどよ、俺ぁてめぇの名前に拘りなんざねぇし、周りが呼びたいように呼んでりゃいいと思ってんだ。
アヌビス? はん、それも俺の名前だよ、そう呼ばれていたのは間違いじゃねぇ。好きに呼べよ。俺としちゃただ顔とメンツが立てばそれでいい」
アヌビスの数はロマンサーよりもずっと少ない。
半分にも満たないどころか、さらにその半分ほどしかいないだろう。
それでも、アヌビスをバカにする人間はこの辺りには一人もいない。
ロマンサーの事を、数だけかき集めた半端な野盗だと陰口を叩く者はいても……アヌビスの不在を狙ってそのシマを掠め取った野良犬だと笑う者はいても、今はもう存在しないアヌビスを笑う者は一人としていない。
かつてあった《宵闇》と呼ばれた男とアヌビスの頭領による一騎討ち。
あの戦いに負けはしたものの、その戦いそのものがアヌビスの名前をさらに上げていた。敗軍の将である男の株をさらに引き上げているのである。
黒鉄が誇る宵闇を敵に回しながらも、一向に怯む事がなかったアヌビスの闘志と、敗北して、ボロボロになって、それでもなお見せた親分としての矜持。
それは今でも語り種となっているのだ。
「……だからな、てめぇらみたいなヤツらは許すわけにゃいかねぇな。ここらで好き勝手されたら、《アヌビス》の名前と《アヌビスだった事》を今でも誇りに思ってくれてる子分どもに対して、俺の顔が立たねぇ。そうだろうが?」
今彼らの目の前にいるのは、そのアヌビスの頭領だ。あの《盗賊殺しの宵闇に殺されずに済んだただ一人の盗賊》だ。
近衛や知事といった関西統括軍の上層部を震え上がらせた殺し屋が、殺す事なく仲間に迎え入れたほどの男なのだ。
結果は敗北して傘下に加わったに過ぎなくても、力を認められて――《宵闇に望まれて》黒鉄に参加したように見えなくもない。
なぜなら、あの宵闇に殺される事なく仲間に迎え入れられたような盗賊は、彼以外には一人もいないのだから。
それらを含めて考えれば、すでに盗賊稼業は廃業しているとはいえ、ネームバリューの面では遥かに格上の相手だ。
そしてその名前は、確かな実力と示した実績に依るものに他ならない。
「俺らのシマを好き勝手しやがったてめぇらを放置してなきゃならなかったこの一年……子分どもの居場所を廃都に作る為に我慢する事にした一年は長かった。本当にこの機会を待ちわびたぜ」
《アヌビス》という集団は変わり者の集まりとして有名だったが、その中でも《アヌビス》の名前を呼び名に宛てられた彼は群を抜いて有名だった。
義侠の男として。
義を重んじ、強きを挫き、弱きを助ける義賊の旗頭として。
彼は、『助けてやる』などと上から目線で語る事はしない。
いつでも、『やりたいように好き勝手にやってたら、勝手に助かるヤツがいた』という姿勢を崩さない。そのくせに、彼の行動によってかならず誰かが救われるか、あるいは晴らせない無念を晴らされていた。力に屈して下を向いていた誰かが、前を向ける理由を作っていた。
アヌビスという集団ができ、その仲間達からお頭と呼ばれ出したのも、その男が『お頭と呼べ』などと言ったからではない。力を誇示して、地位を望んだからではない。
自分を慕って集まってきた連中の面倒を見ている内に、自然とそう呼ばれるようになっていただけだ。
そんな集団は、今のご時世では他にはいないだろう。
人間誰しも他人の上に立ちたいという欲望があり、力があればそれを用いて権力を握りたいと考えるものが多いからだ。
そういった意味でも彼らは変わり者で……そんな変わった在り方でも勢力を拡げていけるほどに精強な集団だった。
「あぁ、待ちわびた。シャクナゲの野郎にやられた仕返しなんざ、この瞬間に比べりゃ屁みたいなもんだ。俺だけの意地ならまだ我慢出来るからな」
そんな有名な男が、今目の前にいる。
凶悪な笑みと獰猛な殺気を迸らせて、ロマンサーである自分達を見ている。
待ちわびたと言って、許せないと言って、自分達の退路を絶っている。
「あいつらの故郷を――大事な場所をよ、好き勝手されてんのを我慢するのぁなかなかに厳しかったぜ。一度攻めた時に引いた事を後悔しまくった。
あの時……まだ黒鉄の流儀に慣れてなかった子分どもだけを引かせる事にして、俺だけでてめぇらをぶっ潰してやってりゃ良かったってずっと考えてた。らしくなかったって散々悩んだもんだ」
「くっ……」
そのプレッシャーに耐えられなかったのか、はたまたいやに饒舌なナナシに隙を見たつもりになったのか、一番前面に立っていた男がその手のひらを彼に向ける。
手のひらを向ける事。それは大抵の能力者が力を使う際にする仕草だ。対象に意識を向ける為の簡単な方法として、そんな仕草を取る者が多いのである。
しかし――。
「抵抗するならすりゃいい。俺も痛みぐらい負わなきゃあいつらに対して申し訳ねぇ。
でもな、注意しろよ。俺ぁ《不死身のナナシ》だぜ? 生半可な攻撃なんざしやがったら、その反撃は痛いじゃすまねぇぞ」
次の瞬間には、その男の腕があり得ない方角に折れ曲がった。関節のない箇所で折れて、その指先は大地に向けていた。
一瞬で間合いを詰めたナナシが無造作に握った箇所からは、鈍く乾いた骨が砕ける音が響き渡り、その先は力なくプラプラと地面に向かって揺れている。
「はん、理由があったとはいえ、仮にも俺を一度は引かせたんだ。ちっとは歯ごたえがあるとこを見せてくれねぇと、てめぇの不甲斐なさが許せなくなりそうだ」
そしてそのまま、無造作に掴んでいた腕を投げ捨てる。まるで大根でも引っこ抜くかのような気軽さで、その先にくっついていた人間ごと宙に放り捨てたのだ。
その男は、投げ捨てられた勢いのまま藪の中に突っ込んでいき、それなりの太さを持つ幹にぶつかってその幹を激しく揺らせる。
当然、ぶつかった姿勢のまま起き上がる事はない。苦悶の声もなく血の泡を吹き、顔の穴という穴から血の飛沫を飛ばしてそのままぐったりと動かなくなる。
「一応言っておくぜ。確かに《あの時》、シャクナゲの野郎にゃ負けたけどよ、それでもこの体が不死身の耐久力を持っている事は変わらねぇ。この身体一つでアヌビスの看板ぶったてたその力はいまだ健在なんだ。間違っても黒鉄に入って腑抜けてる、なんて浅はかな期待はすんじゃねぇぞ。
ずっと緊張して意識を張ってろ。せめて一矢ぐらいは報いてみせろ。仮にもてめぇらはこの辺りの顔だったんだろうが」
そう言って、これまた無造作に足を進めていく。
構えはない。そんなものは彼には不要だ。
力みもない。そんなものは邪魔にしかならない。
ただ歩を進めて、ただ進路上にいる者全てを薙ぎ払っていく。それだけなのだから、無用な力を入れる必要なんて欠片もない。
強く。ただ強く。
何かしら玄人らしい動きはないままで。
その身体の頑丈さと、人並み外れた強固さを元にした《自分の肉体ごと相手を壊す》という純粋な暴力で。
彼は昔から戦い方を学んだりした経験は一切なかった。
ただ、普通の人間なら自己を守る為に無意識にセーブしている力をフルに開放して、自分ごと相手を壊す。
今も昔もやっている事はそれだけだ。それだけしか出来ない自分を本能的に理解してもいる。
ただそれだけであっても、元より並の人間よりも高い筋力を持っているその身だ。自己を省みず、安全を測る事もなく、身体の痛みにすら気を向けず、攻撃にのみ全ての意識を向ける……それだけであっても、生身とは思えないほどの破壊力を生み出してみせる。
筋が肉の狭間でブチブチ千切れても。
骨が皮の下でバキバキに砕けても。
皮膚が攻撃の負荷に堪えきれず、ついに破けてしまっても。
それは後から後から回復していき、その回復に見合うだけの確かな破壊を拡げていく。
彼は今まで生きてきて、自らの身体の故障など気にした事すらなかった。
そんなものよりも大事なものをいつでも抱えていたから、自分の身体などを気にする余裕がなかたったのだ。そんな不器用な生き方に従うかのように、彼の身体は一切の故障を長くは許さない。
熱を上げ、白い水蒸気じみたものを吹き出しながらどんな傷でも即座に治癒していき、不死身の名前に見合った在り方を示す。
「……さっさと来いよ。逃げんじゃねぇぞ。あんま俺を失望させんな。どうせ逃げられやしねぇんだ。せめて背中に逃げ傷残さねぇって程度の意地ぐらいは見せてみろよ」
ちょいちょいと残る相手を手招きしていた時、ナナシの頭が軽く左右にぶれる。脇から拳銃を構えていた男に頭を撃ち抜かれて、その上体は弾かれたように揺れたのだ。
だが、その攻撃による結果はそれだけで終わる。
倒れる事もなければ、当然死んでもいない。
それどころか、すぐさま撃った男に対して鋭い眼光を向ける。そして、なんでもなかったかのように頭をちょっとだけ左右に振ってみせると、《頭蓋の途中で止まっていた弾頭》を振り落としてみせた。
「おぅ、悪くはなかったぜ。いい腕だ。まぐれだとしてもな」
たったそれだけでその攻撃は終わる。それ以上の何かを残す事もなく、先端が軽く潰れた弾丸を転がしただけでその攻撃は終わったのだ。
人を確実に殺せる速さと硬度を持っていた弾丸。
それは、ナナシの側頭部に僅かな血を流させただけで大地に転がる石ころに紛れた。
人体で一番高い硬度を誇るのは頭蓋骨だ。不死身と呼ばれた彼のそれは、弾丸のそれにすらも勝っている。
そして例え頭蓋が圧され、砕けたとしても、脳に至る前に次々に修復していき、弾丸を致命の一撃にはしない。
「でもまぁ、その武器がちゃちかったな。象撃ちのチャカか……あるいは対戦車ライフルだかを持ってりゃあ、逃げる時間ぐらいは稼げただろうによ」
――まぁ、そんなもん持ってるようだったら《今みたいに当たってはやらなかった》けどな。
そう言った言葉が終わる前に、銃手は無造作に張り飛ばされてぐったりと動かなくなる。
強く、ただ強い。ナナシの戦いぶりを見た人間は誰しもそんな安易な感想を思い浮かべる。
人間として誰しもが自然に持っている力を極大化させただけでしかないのに、その力は圧倒的なものだ。
小細工はしない。そんなものは必要ない。そんなものは、人よりもちょっとばかり優れた肉体を持つ自分がするべき事ではない、そうナナシは考える。
そんな事をするのは格好悪い事だと考える。
別に小細工を全面的に否定するわけではない。勝つ為に策を弄するのは当たり前であるし、そうしなければならない人間もいるだろう。
ただ、《自分がするべき事ではない》。
こんな身体を持った自分がそんな真似をしたら、それはどう考えても格好がつかないだろう。自己嫌悪の海に溺れてしまうだろう。
だから彼は、戦場ではただ愚直にある。
だから彼が周りから持たれる印象は《ただ強い》という純粋なもので、見ている人間に……従う人間に高揚感を抱かせるのだ。
武器もなく、策もなく、それでもただ強い。
それが憧れを抱かせるのである。
「おら、次来いよ。てか纏めて来やがれ。そのぐらいハンデをやらなきゃ後味が悪くなりそうだ」
今も自分から遮二無二攻める真似はしない。それが出来ないわけではないし、敵が呆然としている現状ではそうするべき状況なのに《それをしない》。
攻撃を受けて――あるいは受けそうになって、その相手に反撃をする事しかしていないのだ。
間を詰めてはいても、そこから先は相手の出方を見ている。どっしり構えて、自分の姿を見せつけている。
それをバカな戦いぶりだと言う者もいるだろう。
力に驕っていると嘲笑う者もいるだろう。
でも彼はその戦い方しか出来ない。
もちろん、相手が自分より明らかに格上であったり、自らの背後に仲間を抱えている場合であったりすれば話は別だ。そんな時にまで余裕を見せるのは、他者を率いる親分として間違っている。
だが、目の前にいる相手は明らかに自分に怯えていて、この場には自分しかいない。
そんな状況で自分から遮二無二勝ちにいくなんて真似は、ナナシからすれば格好がつかない事だ。
格好がつかない――それはナナシにとって最大の禁忌である。
自分の格好がつかない=自分を慕ってくれる子分達の顔が立たない。そんな図式が成り立つからだ。
「来ねぇのか? 来ねぇならこっちからいくハメになるだけだぜ? どのみち殺らなきゃ殺られんだ。今はそんな世界で、そんな時代だ。それぐらいは分かってんだろ」
何より、ナナシは相手の面子も考える。
怯えを殺して向かってくるほどの気概を見せるのなら、その死に様は覚えておいてやりたいと考える。
そんな相手の名前を聞いておいたならば、自分が死ぬ間際にでもなればきっと思い出すだろう。
それは、死ぬまで忘れてやらないという、ナナシ流の敬意の払い方だ。
だからこそ挑発してみせ、相手に攻撃の機会を与える。
相手を憎んでいるか否かはそこには関係ない。敵は敵でしかなく、そこにはなんの違いもないからだ。
要は殺しあいだからこそ……お互いの命を懸けているからこそ、悔いは残さないようにする。それが彼の流儀で、彼が出来る唯一の礼の払い方なのだ。
「ちっ、纏めてかかってこいっつってんのに震えるだけかよ。それだけで相手がびびっちまうほどにデカい名前ってのも考えモンだな、こりゃ」
食らった攻撃は、こめかみから僅かに滴る血の滴のみが後を残していた。
それを拭う真似もせず、ただ見せつけるように掲げてみせた両腕をダラリと下げて軽く頭を振ると、失望したように――憐れむように男達を見やって宣告する。
「もういい。てめぇらの事は、つまんねぇヤツらだったって殺した後にゃ忘れてやるよ。お前らみたいなのを相手に、一度であれ道を引いた事は一生の恥だったんだって思う事にすらぁ。
さっきの二人だけしかマシなヤツがいないとはな……てめぇらの子分共が哀れだぜ」
それが死刑宣告である事を理解出来た者は、その場にはいなかっただろう。
次の瞬間にはナナシの姿は、髪の金色だけを余韻として残して掻き消えると、ガクガクと震えていた男達を次々に吹っ飛ばしていく。
握った拳を弾丸の代わりとし、しならせた腕の筋肉を弾薬として、風を切って振るわれたそれが男達を無造作に壊す。
その時になって抵抗しようとしてももう遅い。
ナナシにとっての彼らは、命を賭け合って戦う相手ではなくなっている。単なる障害であり、過去にやり残しただけの残務に成り下がっている。
「ま、待てっ、待ってくれ! 俺達と組もうじゃねぇか! あんたと俺達が組めば、あの宵闇にだって――」
そう金切り声で叫ぶ最後まで立っていた男のどてっぱらに、砲弾よりも破壊力のある拳を思いっきり叩きつけ、言葉の続きに代わり真っ赤な血をだくだくと吐き出させると、心底つまらなそうにナナシはため息を漏らした。
半ば以上腹を突き破った拳を引き抜くついでにその身体を投げ捨てる。ゆっくりと辺りを見やるその瞳には後味が悪そうな色が見てとれるが、それも一瞬で掻き消えた。
「あん? よく聞いてなかったんだけどよ、なんか言ったか? 俺と組めば《あの野郎》に勝てるとか面白くねぇ冗談をほざいてたような気がしたんだがな」
辺りにはすでに自分の足で立っている者は他にはいない。
戦闘が始まって、まだ十分も経っていないのに、辺りには風前の灯火と化した命をまだなんとか宿している数人以外は息絶えて転がっている。
いまだ辛くも息をしている者達も、もはや死神に魅いられている事は明らかだ。
「……てめぇらみたいなのと組んだぐらいで勝てるようなら、あの野郎が持ってる《黒鉄最強》の名前なんざいらねぇな。そんな程度のもんなら、俺が掲げる名前にゃ見合わねぇよ」
そう言って、ナナシは特になんの感慨もない様子でその場に背を向けた。
あっさりと終わった戦場と、自らのみで勝ち獲た戦勝を誇る事なく。
それを誇るべき相手がいなかった事を嘆く事もなく。
「俺が手に入れ損なったもんはな、ンな安っぽい看板なんかじゃねぇってんだ、阿呆が。
てめぇらの安っぽい秤に乗せて、俺の戦いを語んじゃねぇ」
彼は強く、ただ強い。
力も、自負も、誇りも、精神も。
ただ真っ直ぐで、ひたすらに愚直で、そして圧倒的に強い。
自らが倒した相手であっても、それが誇れる相手であれば敬意を払い、自分が勝てなかった相手であればいかに認めがたくてもその大きさを認める。
そして幾度倒れても何度でも挑み続け、自分に足りないものを補っていき、その度により強くなっていく。
自分に付き従ってくれる子分達の期待。
それを背負い、それを誇りにして。
自らの《不死身》とも呼ばれた身体のみを唯一の武器にして
「それにしても……だ。うん、やっぱ俺って強いよな。帰ったらもう一回あの野郎に挑んでみるか」
不死身のナナシ。
彼を一言で現すとすれば、タフな男という一言に尽きるだろう。
その回復力だけではなく、防御力だけでもない。
その諦めの悪さと精神的な強さこそが、彼を不死身と呼ばせる由縁なのだ。
「くふ、さすがは……さすがは班長。結構強いよ、あいつ。だから73点」
戦場から少しだけ離れた濃い藪の中に悠然と立つその辺りでは一番大きな大木の幹に、二つの人影があった。
それはまだ若い少女とどこか皮肉げに表情を歪めている青年で、二人は揃ってあっさりと盗賊団の幹部連中を撃ち破ってみせた《不死身のナナシ》へと視線をむけていた。
その瞳は興味深げな色を宿してはいても、どこか冷たい観察者のようなそれで、どことなく戦いぶりを値踏みするようなそんな雰囲気がある。
「どう、どう? 勝てる? ロックンが勝てないなら菜々も勝てないっぽいけど」
「……ふん、あの程度なら、な。ただ、まだ何かを隠し手でもあるのなら微妙なラインではある」
蜂蜜色の髪をした少女の方は、彼女の小さな手には厳めすぎる双眼鏡を覗いていたが、戦闘が終わったと見るやあっさりと興味をなくした様子で、その双眼鏡ごと隣に佇んでいた濁ったような茶髪を持つ青年へと視線を向ける。
平均よりは大柄で、やや筋肉質な体つきをした重量級の肉体を持ったその青年は、そんな少女の双眼鏡越しの視線に対して煩わしそうに顔をしかめるも、少女の問いかけには律儀に答えを返していた。
「ロックンは……うん、80点以上。大台だね。この7点は大きいよ?」
「嬉しくないな。そもそもお前の採点基準が俺には分からん」
「くふ、菜々の採点は公平至極で公明正大だよ。だから菜々は79点。大台には一歩届かず。残念無念恨めしや」
菜々と名乗ったその少女の方は、どこか落ち着きなく双眼鏡をあちこちに向けていた。戦闘を終わらせたばかりのナナシにはもはや全く興味がないのか、そちらには視線を向ける事もない。
そんな彼女に、青年は皮肉げな仕草で肩をすくめてみせると小さな嘆息を漏らしてみせる。
「……お前がコード持ちの力を見ておきたいと言ったんだろう? どうせ夜のお勤めまでは時間があるからとか言ってな」
「うん、言ったね」
そんな青年の言葉に含まれた批難の色すら気にした様子もなく、少女は夕焼けの空を悠然と飛んでいる鳶に視線を合わせていた。
ぴーひょろろー。
などと間抜けに鳴き声を真似している辺り、青年をバカにしているようにすらも見受けられなくもない。
「それなのに、何故お前はそうもつまらなさそうにしているんだ。わざわざ付き合ってやったというのに」
「……ん〜、だってさ、みんながみんな思ってたほど《大した事ない》んだもん」
そう言った少女の言葉には、嘲りよりも落胆が大きく含まれていた。
《大した事ない》と言った言葉に、言った本人である少女自身がつまらなさそうに溜め息を漏らすおまけつきだ。
「不死身のナナシ73点、紅のカーリアン65点、金剛のメメ60点、音速のヒナギク62点。点数だけみれば……まぁ悪くはないよ?
でも紅と音速なんてさ、能力だけは中々だから加点したけど、あとはへっぽこもいいとこ。多分二人がかりでこられても、能力任せなだけのあの二人なら菜々は勝てるよ」
――まだ分を弁えてるっぽい金剛の方が厄介かもね。大した事はないけど、逃げに走られたら捕まえるのが面倒そうだし。
そう言って、太い幹に腰をかけてぶらつかせていた足をフラフラと前後に大きく揺する。
双眼鏡越しの視界は、もはや鳶にも興味をなくしたのか、新たな面白いものを探すべくあちこちをさまよっている。
自身が言った言葉はそれほど大した事でもない、といった風情であり、どこまでも自然体で力みのない佇まいだ。
そんな少女の様子に、青年は髪をガシガシかきむしりながらそのやる気のない言葉に反論しようとして……途中で面倒になってその努力を投げ出した。
色々ツッコむべきかと年長者らしく考えたものの、少女の言葉はほとんど全てが事実ばかりである事もまた間違いない。
それに彼とて、どこか落胆したような気持ちもあったのだ。
――今のコードフェンサーはこの程度か。
昔、まだ荒れていた頃の関西地方で、黒鉄の基盤を作った者達を知っている身としては、正直なところを言えば今一つという印象を受けていたのである。
「くふふ、《名無しの権兵衛の中で一番よわよわ》な菜々にも勝てないんじゃ、それはちょっとばかりお話になんないよね。そうは思わない? ロックン」
「お前のその飽きっぽいとこと他人を舐めてかかるところ……治した方がいいぞ」
「そう? 一回痛い目にでもあったら治すかな」
名無しの権兵衛を名乗った少女はどこまで気楽で、ふらふらとした様子のままそう笑う。
そんな締まりのない様子ではあっても、その言葉は自らの力量をよく知った上での物言いである事は青年が一番よく知っている。
それでも口煩く忠告してみせる辺りから、青年の皮肉げな印象の見た目を裏切る生真面目さが見てとれた。
「ま、痛い目にあったとしても、その時は相手にも同じぐらい痛い目を見てもらうつもりだけどね。菜々だけ痛いなんてごめんだもん」
そうイタズラっぽくニッと笑った口元だけを見せると、少女は再度その視線を同僚である青年に向ける。
この辺りでは一番興味を抱ける対象であり、自分と同じように外征に駆り出された男。
五番や七番と同じように、普段は全く別の顔を持って、別の役割を担って、三班以外の班に入り込んでいる六番目の名無しである男を。
「くふ、ロックンのところの碧兵と菜々んとこの風塵、それぐらいかな、期待出来そうなのはさ。
でも、あの頃から比べて新戦力として期待出来るのがこの二人だけだったら……それはあんまりにも笑えないよね。昔は大台が十人は軽くいたのに」
「お前の評価や分析なんか聞いていない」
「あは、そんな事を言って、それでもきっちり聞いて答えを返してくれるのがロックンだよ」
「勝手に俺の性格を分析して結論を出すな」
風塵のマルスと碧兵コガネ。
共に今は敵になり得る立場にある二人だけが、自分達の眼鏡にかなうという皮肉。
それを彼は笑うつもりはない。
少女みたいに楽観的に他人を評価するつもりはさらさらないが、ことさら悲観的になるつもりもない。
あの二人はその力に見合うだけの対価を払ってきており、それ相応の時間を費やしてきている。
それが一人の女性の為か、あるいはたゆまぬ向上心が為かの違いはあれど、あの二人は有事に備える事を一時も怠らなかった。一時的な平穏に気を許して、自身を甘やかすような事をしなかった。
それは五と六に入り込んでいる二人が一番よく知っている事だ。
こうなると見越して、あの二つの班に自分達名無しの《六番》《七番》が入り込んでいるのだと考えれば、それはある意味では当然の結果だとすら言える。
――いざとなれば、あの二人は自分達が手を下さなければならないか。
それが必要だとされ、決行すると決まれば、いかに自分達であれどかなり危ない橋を渡る事になるだろう。
今の分裂した黒鉄の状況に、いつその指示が《一番》から回ってくるのかと気を揉んでいた部分もあった。
もちろん恐れてはいなかったが、次々と浮かんでくる憂鬱な気分まではどうしようもない。
しかし、そんな気を揉む状況で持ち上がってきたのが、今回の外征だった。
《五番から七番の名無し》にも協力するように……そう上からの通達があったのである。
それも名無しの一番ではなく、そのさらに上から。
「くふ、彼は何を考えているんだろうね?」
「知らん。ただあの男の名前をもう一度広める為に、《手数》が必要だったんじゃないか」
正直な話をすれば、自分が言ったその言葉を彼自身がそれほど信じているわけではない。わざわざ自分達がでなくても、手数を一人で補える力量の持ち主に心当たりがあったからだ。
それは少女も知っていたのだろう。彼の言葉を聞いていかにも可笑しそうな掠れる笑いを漏らす。
「……くふふ、ふふっ、あの《三番》がいるのに? 時たま穴蔵から出てきては、《宵闇の影》完璧に演じてきたスクナンのお兄ちゃんがいるのに、わざわざ菜々達も引っ張り出した……そうロックンは思うのかな?」
「……」
「だんまりなの? ダメだよ、ロックン。自分も騙せない誤魔化しなんかしたらさ」
――宵闇の影。
宵闇の名前を持つ彼だけではその名前が持つ役割をこなしきれない時に、その称号を被って、在り方を被って、存在そのものを被って肩代わりをする影。
それはもっぱら《三番》の役割であった事は知っている。名無しであれば誰でも知っている。
あの正体も存在も掴ませないまま、死体の山を作り上げる本物の殺人者だけのロール(役)がそれだったからだ。
入り込み、監査する為に、羊の皮を被った他の名無し達とは一線を画す存在。
どうやっても隠しきれない異常。
それが三番で、その補助と制御を請け負うのが二番である以上、六番と七番である二人がこの場にいる理由は思い浮かばない。
三番である彼が動くのなら、自分達を引っ張り出す理由などどこにもなく、そのやり方でもう何年もやってきたという実績だけは確かにある。
「それともロックンは、あの三番に勝てる算段があったりするのかな? 彼よりも上手く影に徹する力がある? だったら菜々のロックンに対する評価は大幅に書き換えなきゃならないんだけど」
「無理だな。俺とお前の二人がかりならあるいは……とも思うが、正直試してみたいとも思わん」
「だよね、だよね。菜々も試してみたくないな。四番や五番も巻き込んで、あの二人が肉の盾にでもなってくれるなら試してみてもいいけど」
「俺はそれでもゴメンだ」
そう。それほどの異常である三番がいるのだ。
自分達のような名無しでさえも恐れるような異常が、《彼》には付いている。
それなのに、なんで自分達がこんな外征に付いてきたのか。
考えても仕方のない事ではあるが、ついそんな思考に耽ろうとして……彼はこの考えを突き詰める努力をこれまた投げ棄てた。
どのみちやる事には変わりはなく、やらなければならない事にも変わりはない。やれる事もそう多くない。
存在も名前も在り方も隠して入り込み、どこかに潜む者である彼らは、普通の戦場で力を振るうわけにはいかない。
存在も名前も力も全てを隠して、闇の影に徹する他ない。
「ふふ、三番をじっくり計測してみたいんだけど、聞いた話によると近付くだけでも命懸けになりそうだから悩むんだよね」
「やめちまえ。俺は付き合わん」
「そんな事言っても、結局付き合ってくれるのがロックンだよ」
「勝手に俺の行動を規定するな」
辺りはゆっくりと黒の帳が広がっていた。
中秋ゆえにその進行速度は日毎速くなり、もはや黄昏の色は地平に沈もうとしている。
そんな中、大小二つの黒い影は音もなく大地へと降り立った。
気負いもなく。焦燥もなく。義務感もなければ使命感もない、ただの名無しとして夜が迫る大地に影を落とす。
「そろそろ暗くなる。お勤めの時間だ」
「くふっ、そうだね、菜々達のダンスタイムさ」
少女は変わらず双眼鏡を覗き。
青年は変わらず皮肉げに口元を歪め。
二人はゆっくりと……だが確実にその気配を異質へと変えて、ほぼ同時に何気ない様子で歩を進めていく。
「俺達は影。黒鉄の陰影」
「くふ、死ぬ時は顔形を潰して、存在を消してただ消えるだけの誰か」
少女は北に。
青年は西に。
その間には離別の言葉もなく、激励の言葉もない。
「だから、お前が死んでも悲しんではやれない」
「それでも《わたし》は悲しんであげるよ。表面上はニコニコ笑って、こころで泣いてあげるね」
「……死ぬな」
「君こそだよ。なにしろ甘いからね」
「勝手に俺を――」
――甘チャンに規定するなよ。
ここであった事……いや、会ったという事実そのものを記憶の奥底に封印して。
また廃墟の街で会えば、赤の他人に成り下がる同僚を振り替える事もなく。
二人の名無しは、その姿を宵闇の影へゆっくりと沈めていった。
ロックン……ロック→ロク→6。
菜々→なな→7
すみません、適当かとも思いましたが、設定ではこのまんま書いてました。
すごいおざなりネーミング。
簡単に紹介。
ロックン……五班所属の一般隊員。
ネームレス・シックス。
大柄、筋肉質で皮肉げな表情。
意外と世話焼きで、流されやすい。
80点以上。
菜々……ネームレス・セブンス
六班所属。事務及び記録要員。
双眼鏡がお気に入り。
普段は普通の眼鏡。
蜂蜜色の髪と小柄な身体。
飽きっぽく他人を舐めてかかる傾向がある。
他人の能力や仕種、行動などに点数をつける悪趣味を持つ。
最年少っぽいが、実はスクナ二人より年上。
名無し最弱を自任している。
ロックンとスクナン(二番の方)がお気に入り。
他は肉の盾扱い。
こんなおざなりな作りを持っている二人です。