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4・群狼咆哮

注)この題名はナナシ達だけを指したものではなく、全員を指したものだと思ってください。








 夕闇に包まれる時間。太陽が一日のお勤めを終えようとしたその時間帯にあげられた戦いの号砲。

 それを聞きながら、彼は眼下に目を向けた。

 今彼がその腰を下ろしているのは、打ち捨てられて数年は経ったであろう寂れた神社の本尊の上だった。

 瓦が剥げて、内の屋根材が剥き出しになったそこは、風雨にさらされた為か僅かにすえた臭いがして、彼は僅かにその顔をしかめる。

 仮にも《神様》かそれに準ずる何かを祭っていた場所に対する畏敬の念は、彼の表情からも仕草からも欠片も見受けられない。

 ただ戦場を見渡すに最適だからそこにいて、腐った木材の臭いが鼻につくから顔をしかめてみせた。

それだけでしかない。

 漆黒の外套を纏ったその姿は、社の上にて地上を見下ろす鴉を思わせる風情であり、どこか不吉さを思わせるものがある。

 彼の正体を知らないものからすれば、なおさらその印象を強くしただろう。


「誰だっ、てめぇら!」


「こ、こいつら……この黒布巻きは《黒鉄》や! 黒鉄が攻めてきたぞ!」


 その目線の先には野太い怒号が響き、何かを指示するかのような掠れた男の声や、意味が通じない単なる喚き声がこだましていた。


 ――《黒鉄》。

 その名前を驚きを含ませた声でもって呼ぶ男達を見て、ほんの僅かに笑みを刻む。

 どこか自嘲的であり、そしてどこか投げやりな笑み。さらに僅かな苦痛までが滲んだその笑みは、たった一つの表情でありながら複雑な色が入り交じっていた。


 そして、怒号を上げながら狼狽えていた集団に整然と、しかし決して無機質ではなく流動的に攻めこんでいく彼の仲間達を見て、その表情をスッと消した。

 効果的に火の手をあげ、あるいは直接攻撃を加え、的確に敵が逃げる方向を誘導していくその様は、数の差を感じさせないもので、そんな様子を鑑みて目まぐるしく頭を回転させていく。


『こちら《セッター》です。南方面の制圧完了です。どうぞ』


「《ハウンド》だ。よく聞こえてるよ。予定通りそのまま上手くラーチャー、ポインターのいる場所に盗人の野良犬共を追い込んでくれ」


『了解です。ヒナ達にどーんと任せちゃってくださいです!』


 そんな風に戦況を見下ろしながら、ハウンドと名乗った彼は傍らに置いた無骨な通信機越しに聞こえるヒナギクに指示を出す。


 チーム・ロマンサー(妄想家)。

 それは、今も関西を根城としている盗賊集団の中では、その勢力規模から構成員数において屈指の力を誇る野盗集団の名前だった。

 一年ほど前、関西地方で勢力を広げていた《旅団・ゼフィーロス》や、義賊を名乗った《アヌビス》といった武装集団が、廃墟の街を根城とする黒鉄の傘下に入り、それぞれの頭目が黒鉄の幹部として迎えられて以降、一気に勢力を増してきた盗賊集団である。


 しかし、今の今まで黒鉄第三班と直接相対した事は一度もなかった。

 当時、関西という地の最大勢力であった《関西統括軍》との争いが激化し、廃都を本拠とする黒鉄の中でも中核であった第三班は、盗賊の相手どころではなかったからだ。

 黒鉄第一班の面々は、彼らがアヌビスを解体した後になってから、こそこそとその後釜を狙って勢力を伸ばしてきたロマンサーに大層憤慨したらしく、アヌビスの元頭目であるナナシ(本人は親分だと自称する)を先頭に立て、独自にぶつかった事はあった。

 しかし、その時にはかの盗賊集団はそれなりに大きくなってしまった後であり、決着を着ける事はかなわなかった。

 それからは、黒鉄の領域に近付かなければロマンサーには手は出さない、代わりに黒鉄のテリトリーには近付かない、という暗黙の了解の内に不可侵といった関係が築かれていたのだ。


 しかし、ロマンサーが隆起しだして一年半。

 つまり関西統括軍と黒鉄が関西の地で二強となってから一年半も経っている。

 今では関西随一の規模を持つ盗賊集団――もっと言えば、関西統括軍の将軍が失脚し、その軍勢が空中分解した現状では、黒鉄に次ぐ第二勢力へと躍進した野盗の軍勢を相手に、黒鉄はついに軍を起こす事になった。

 久々に大規模な盗賊団の討伐隊を起こした理由はもちろんある。

 関西軍と黒鉄の間でこずるく生き抜いてきただけの野盗達が、関西統括軍の残党を吸収して勢力を拡張しようと動き始めたからだ。


 ――妄想家達はどうやら次は統括軍の後釜を狙っているらしい。


 そう黒鉄の上層部は判断を下して、廃都自衛の為……そして関西統括軍に成り代われるという愚かな妄想を打ち砕く為に外に討って出たのだ。


「セッターからの報告は聞こえたよな。もうすぐ野良犬共がそっちに行くってさ。盛大に迎えてやってくれ」


『ラーチャーはりょーかい』


『はん、妄想家共は俺らに任せてもらおうか。てめぇは手を出さなくていいぜ?』


 今回参謀であるエリカが立案した作戦は、奇襲と野伏り……つまり待ち伏せだ。

 精鋭により奇襲をかけ、一旦態勢を整えるべく退こうとする相手をさらに待ち伏せて、包囲殲滅する。

 一点から突っ込む奇襲を受けて、とりあえず一時退こうと考えた場合、単純に奇襲部隊とは正反対の方向に退こうとする場合が多い。奇襲部隊から距離を取ろうとする心理と、突然の事に混乱している思考がそんな行動を取らせる。

 そして混乱して三々五々に逃げるとしても、一人になる事を本能的に避けて、仲間がいる方向に逃げようとするものだ。

 そんな連中が向かうであろう方向に待ち伏せているのが、ラーチャーとポインター……黒鉄第三班に新設された五番目の小隊と、黒鉄第一班の一部隊からなる二つだった。


『こぉら、ナナシっ。あんた今はポインターの頭でしょうが。作戦ぶっ壊したらあんたんとこから燃やすかんねっ』


『……ぐっ、ちっ、了解だよ、くそったれ』


 そんな作戦確認の為に繋いだ通信機の先では、いつもと変わらない二人のやり取りが聞こえてくる。

 そんなやり取りに、さすがに若干強張っていた彼の表情にも苦笑が滲んだ。


 ――相変わらずナナシは、カーリアンに頭が上がらないのか。


 色々とあった今でも、三班の面々にはやたらと突っかかってくる癖に、三班所属となったカーリアンには頭が上がらないという分かりやす過ぎるナナシと、そんな分かりやすい態度にも全く気付いていないらしいカーリアン。

 きっと二人の周りにいる連中も、呆れと諦め混じりの嘆息を漏らしている事だろう。

 そう思えば、いかに場違いなものと自覚していても苦笑を禁じ得ない。


「最終確認だ。セッターが野良犬共を襲撃して巣穴から追いたてる。もちろん抵抗はあるだろうけれど、セッターはウチ――黒狗小隊だ。手助けはしなくていい。数の差はあっても、たかだか野犬を追っ払う程度なら完璧にこなしてくれるはずだ」


『ちっ』


 これみよがしに舌打ちを漏らすものの、ナナシはそれ以上の反論はしなかった。

 黒鉄第三班が誇る《黒狗》小隊の実力は、かつてアヌビスの頭目だったナナシこそが一番よく知っている。かつて身を持って思い知った経験がある。

 黒鉄最強と呼ばれる第三班の中でも、特に三班班長直属として選りすぐった精鋭中の精鋭小隊だ。

 小隊規模でありながら、全員が何かしら集団戦に向いた特殊な能力や技能を持ち、それを上手く集団戦に活かす為の訓練をしてきた本物のプロフェッショナルの集まりである。

 そんな小隊であるだけに、奇襲や夜襲という不正規戦などは得意中の得意とする戦術だろう。

 元より有志による自警団上がりで、都市ゲリラだった事もある経緯からして、黒鉄達――中でも第三班は少数精鋭によるゲリラ戦を得意としている節があり、こういった戦場は十八番だと言える。

 だからこそナナシも反論は出来ない。


 もう片方の通信先にいるカーリアンは、『ふんふん』と分かっているのか分かっていないのか頷く声が聞こえてくるが、彼女が作戦を理解していなくても、隣にいる実質上は部隊長であるカクリが理解しているだろうと判断して、彼は纏めに入った。


「ここはロマンサーの本部だ。一気にここを崩し、関西軍はいなくても黒鉄は健在なんだという事を周りに示す。それが第一だ。

 その為の条件は完勝する事。夕暮れから始めたのもそれが理由なんだ。野犬狩りを今の時間から始めて、日が完全に落ちるまでには終える。完全な夜襲でも良かったけど、よく戦場が見える方がウチの強さが際立つだろ?」


『晩御飯が冷えちゃう前には終わらせようって事ねっ』


「そういう事だ。今日のメニューはシチューだって話だからな。主役の俺達が遅れちゃったら他の連中に恨まれるぞ」


『あたし、ナナシ、それにシャク、ついでにヒナギクのガキんちょ。こんな豪華メンバーがいるんだもん。盗賊なんて速攻よ、速攻!』


 ラーチャー、ポインター、セッター、そしてそれらを統括するハウンド。

 それは猟犬の種類……というより、猟犬の品種ごとに与えられる役割を宛てた名前だ。

 その四つを構成する第一班、第三班は共に、今の時代では割とメジャーな職業である《盗賊》を相手にした戦闘の経験が多い。

 第一班自体が元々盗賊上がりであり、第三班は盗賊時代の第一班――義賊集団を名乗った《アヌビス》と、真っ向からぶつかりあった時から生き残っている者達の集まりなのだから当たり前だ。

 参加しているのは、第一班の班長にして冥界の裁判官であるアヌビス神の名前が集団名の由来となるほど、常識外れの不死身さを持った《ナナシ》。

 黒狗小隊の副長であり、実戦においては班長の片腕として黒狗達の先陣を切る《音速》のコードを与えられたヒナギク。

 そして、第三班内に新設された新規部隊である《黒鼬小隊》率いる、《紅》の呼び名を持つカーリアンと、彼女に付属品のごとくくっついているカクリ。

 そして――


『シャクナゲ! ヒナ――じゃなかった、セッターですっ』


「聞こえてるよ」


『野犬達の一部隊が一足先に北に抜けていきますです。なんかハデハデなのがいくらかいますから、多分あれが頭ですっ。追い払うのは終わりましたから、ヒナ達はこれから内部の掃討にかかります』


「了解。気をつけてくれよ。穴蔵に留まったヤツの方が厄介なんだからな」


『わかりましたっ』


 一人小さな集落を見下ろすように、廃棄されていた古い社の上から戦況を見ている彼――シャクナゲ。

 今はその名前しか持たない、ただの人殺し。

 それが主だったメンバーだ。


「……だとよ。野犬の頭はナナシ達に任せていいんだろ?」


『ふん、言ったろうが。俺達だけでも十分だってよ。頭だけとは言わず、残りは全部任せてくれてもいいんだぜ?』


『ちょっとっ! あんた、シャクにいいとこ見せたいのかも知んないけど、あたしの出番取んないでよねっ! ちょろちょろ前うろついてたら、纏めてこんがり焼いちゃうわよっ』


『い、いや、別にシャクナゲの野郎にいいところを見せたいわけじゃなくてな、あいつらとは因縁が――』


『シャーラップっ! あたしんとこは足留め、あんたはその間に頭を取る! 役割分担はしっかりしてよねっ』



 そのやり取りに、ちょっとばかりナナシに同情を覚えたのは、きっとシャクナゲだけじゃないだろう。


『ウチのデビュー戦にケチなんかつけたら、明日辺りあんたんとこの本部をキャンプファイヤーに使っちゃうからねっ』


『わかった、わかったよっ、くそ!』


 通信機越しに延々とあーだこーだやりあってる二人の声を聞きながら、彼はよっこいしょと大袈裟な掛け声をかけて立ち上がった。

 その表情にもう苦笑は刻まれてはいない。

 あるのは能面のような感情の見えない表情と、僅かに色白な肌に映える冷たい輝きを持った黒い眼だけだ。

 不吉な印象を与える真っ黒な外套と、足元から伸びる黒い影。それは黄昏時には見合わない薄ら寒い印象をはなっている。


 黒狗達の行動に彼が同行しなかったのは理由がある。

 彼は黒狗の長であるのに、一人戦場がよく見える場所に陣取っていたのには理由があったのだ。

 彼が自分のすべき仕事だと考えたものが、部隊を直接指揮して敵を打ち砕く事ではなかったからだ。それは今回の相手であれば彼がしなくてもなんとかなる仕事だ。

 自分のやるべき仕事。それは皆の戦いが終わってから始まる。

 盗賊達を巣穴から叩きだし、それをさらに徹底的に叩いた後。

 その時こそが彼の戦うべき場所であり、そここそが彼が力を振るう戦場だ。

 黒鉄の呼び名で呼ばれるずっと前から、その仕事は自分のものなんだと決めている。


「……さて、相変わらず気は進まないけど、俺達もお勤めにいこうか」


 そう言って彼は腰からぶら下げたホルスターに手を触れた。

 頑丈な革のホルスター越しに鋼の冷たさなど感じるはずがない。それなのに、指先には確かに鈍い冷たさを感じた気がして僅かに怯みそうになる。


「今さらだ。今さら怯む事なんて何もないだろ。もうずっとやってきた事だ。今までもやりたくてやってきたわけじゃない。必要だからやってきた。それが最善だと考えたからそうしてきたんだ」


 ――そう、それが最善だからだ。

 そう呟いて、僅かに……でも確かに根付いた怯みを心に灯した冷たい炎で燃やし尽くす。

 煌々と青く輝く光で弱さを照らし出し、能面を繕った表情と無機質な計算により成り立った言葉で自分自身を奮い立たせる。


 二段備え、三段備えにしてはいても、そこから逃げ延びる者は必ずいる。その中には妄想家の幹部もいるだろう。

 そういった連中の中には、なんとか黒鉄の攻撃から逃げ延びて、息の続く限り逃げ続けて。

 そしていずれ『やっと逃げ切れた』と勘違いをし、安堵の息を吐き、攻撃してきた黒鉄を逆恨みして

『いずれは今日の報いをくれてやる』

 そう考える者達も絶対にいるはずだ。

 そういった者達を広告塔に――黒鉄を敵に回して、それでも生き残った者達を宣伝役にして、《黒鉄を相手に回す事に対する恐怖》を周りに知らしめる事。

 それこそが《汚れ役》を自認している彼の役割だ。

 ずっと培ってきた悪名を引っ提げて、怒りを恐怖に変えてやる。

『もうあいつには死んでも会いたくない』

 そう思わせる事が後顧の憂いを絶つ事になる。

 その思いを広めさせる事が、一時的なものとはいえ安寧に繋がる。

 それは寡勢であり、周り中敵だらけであった黒鉄にとって、絶対に必要不可欠なものだ。

 敵対者一人一人を全て殺す事は出来なくても、行動一つ、演出一つで多くの敵対心を殺す事は出来る。

 宵闇という名前自身、その為にあったものでしかない。


 また、最近では大人しく指揮役に従事していたからだろうか。将軍や近衛達の名前、そして新たに盗賊殺しと呼ばれている同僚の所業に紛れてしまって、すっかり忘れてしまっているらしい《最初の盗賊殺し》の怖さを改めて思い出させる必要もある。


 盗賊という存在に身をやつしたものが、真に恐れるべきなのは一体誰なのか。

 関西統括軍に成り代わるという事が、一体誰を敵に回す事に繋がるのか。

 そして、それが一体どういう結果に繋がるのか。


 ほんの一年ほど前まではほとんどの盗賊達がその答えを知っていたはずなのに、たった一年でそんな大事な事を忘れてしまったのだとしたら、それは由々しき事だ。


 ――ならば思い出させてやろう。

 ――今度はもう忘れないように深く記憶に刻んでやろう。

 ――《盗賊殺し》という忌むべき異名を最初に戴いたのが一体誰だったのかを。

 ――知事を殺して、近衛を殺して、盗賊達を殺し続けてきた宵闇が、今もまだ廃都にあってお前達を狙っているのだという事を知らしめてやろう。


 それこそが、黒鉄のシャクナゲと呼ばれ始めて部隊指揮をメインで執るようになる前から……宵闇と呼ばれていた暗殺者だった頃から、ずっと彼の役割だったものだ。


 そして彼は音もなく社の上から舞い降りた。

 まるで獲物を狙う黒い猛禽のように。

 今まで戦場を見ていて、包囲から取り逃がしそうな方角の当たりはつけている。

 一班と狗と鼬。そういった布陣から漏れる集団の中に、自分が顔を見知っているほどの者がおり、それが事前に調べさせたロマンサーの幹部の一人である事を記憶から掘り出して、その後をまるで音も立てず、寸分も気配を漏らさずに追っていく。


 彼の最初に与えられた名前は《宵闇》といった。

 それは、かつてこの辺りにいた盗賊達にとっては死の代名詞とも言える名前だった。

 その死神は、今日久々に表舞台に上がる。

 変動の時期を迎え、ゆっくりと蠢き始めた関西以西の地に最初の楔を打ち込む為に。

 そして、妄想と欲にまみれた者達の頭上に、死神の大鎌を振り下ろす為に。










「そろそろ初仕事の時間よ、みんな」


 ナナシと散々やりあって、散々にへこませてから通信機を切り、ゆっくりと一息分間を置いてからカーリアンは後ろの仲間達を振り返った。

 そして同時に右手に二本、左手に一本握った合金製の針金に紅い炎を灯す。

 無音で赤々と輝く紅の光を宿す。

 カーリアンの感情を熱と換えた業火が剣の形を取り、夕闇をより赤く染めていく。


「先陣はあたしよ。カクリっ」


「……はい。……カーリアンが先制。……その後、牽制射撃を開始します」


 ヒュンヒュンと音を立て、カーリアンの指から舞い上がった三本の紅き刃が乱れ舞う。

 それらはカーリアンの指から伸びる紅い線に繋がれてはいるものの、彼女は特に指を振るったりはしていない。

 《自走式の砲台》……そう評された紅の剣は、カーリアンの意志や彼女に対する敵意に敏感に反応して、その身を走らせているだけだ。

 それは特殊発火能力者とされた彼女――新たな人類とも人の変種とも呼ばれる者たちの中でも、《紅のカーリアン》だけが扱いうる魔弾であり、今現在の彼女にとっては奥の手の一つである。


「あぁ〜っと、とりあえずもう始まるんだけどさ、一言だけいいかな?」


 そんな紅の力を見て、どこか呆然としていたところのある仲間達を、カーリアンはゆっくりと見渡していく。

 今では全員の名前と、それぞれが持っている能力や技能まで記憶に刻みつけた大事な仲間達で、彼女が命を預かる大事な部隊の隊員達だ。

 そんな彼らを見る瞳には迷いがない。もうすぐ始まる戦いに対しても、彼らを仲間なんだと思う気持ちにもだ。

 そんな彼女の髪や瞳の色は、今の時間でもよく映えていた。彼女の紅い剣よりもより目に焼き付いた。


「といっても、そんなに小難しい事は言えないんだ。それはあたしの役割じゃないからさ。そんなのはあたしなんかより向いてる人がいっぱいいる。あたしが言うより、ずっとみんなをやる気にさせる言葉を言ってくれると思う」


 ――だから本当に一言だけ。


 そう言って、カーリアンは大きく息を吸って間を開けた。

 彼女の言った言葉は謙遜でもなんでもない。事実のみを告げた言葉だ。


 三班の長である男ならば、その実績とそこに至るまでの道のりで培った経験で、皆が望む言葉をかけてやれるだろう。

 戦場の空気を知り、怖さを知る者だから言える言葉で皆を奮い立たせてくれるはずだ。

 カーリアンの側にいるカクリであれば、考え抜いた言葉でもって皆に力を尽くさせるように追い詰めるであろうし、エリカであればこれからこなす戦いがいかに勝てる戦いであるかを説明し、皆の不安を取り除いてくれるだろう。

 そして……そして、あの《錬血》であれば、造り上げた数多の切っ先でもって、力ずくに皆の不安を微塵と切り裂いてくれるはずだ。


 でも、そんな事は彼女には出来ない。

 足りないものが山ほどある。彼女には出来ない事の方が多い。

 そんな彼女に出来る事は、《自分の望みを真っ直ぐに伝える》事だけだ。


「絶対に勝って生き残りなさい!」


 ――その為にあたしも力を尽くすから。

 ――みんなで勝って帰る為に全力を尽くすから。


 そこまでは言葉にしなかった。

 ただ舞い上がった紅の剣に力を籠めて、その言葉を乗せた力(感情)を発露させる。


「アインス、ツヴァイ、ドライ!」


 そんな彼女の呼び掛けに答え、鋭さを増して宙を飛び交う三本の紅い刃は、その先端から同色の線が三本宙を走らせた。

 それら紅の線は逃走してくるロマンサーの前面に炎色の線を敷き――その着弾点からは轟と音を立てて炎を吹き上げる。

 この炎の刃のメインとなる役割は、カーリアンが持つ特殊発火能力を纏っただけの剣である事ではない。

 カーリアンの身体能力や剣の腕では、炎を纏わせた剣として振るう形を取れば恐らくその力の半分も活かせないだろう。

 彼女はどちらかと言うと、肉弾戦はあまり得意としていないからだ。


 だからそれらの役割は剣として在る事ではない。

 剣の扱いを得意とする師とは違う形を彼女は選んだのだ。

 その結果が、三本がそれぞれ砲台としてあり、砲手としてカーリアンの紅を広げる事。

 一人きりでは賄えない手数を補う事だ。


 いわばこれは刃の形をしただけの銃身であり、カーリアンの力をそのまま宿した分身に近い。

 《自走式の砲台》と評されたその言葉は、的確にその用途を表していると言えるだろう。

 それ故に彼女は、この三本の柄すら持たない抜き身の剣を、魔剣ではなく《魔弾》と呼んでいた。

 彼女の妹分が邪眼殺しの太陽弾から名前を取って《魔弾・タスラム》とこの力に名前を付けたからだ。

 その担い手である彼女は、あくまでも《魔剣の使い手》ではなく《魔弾の射手》なのである。


「……私達は後衛、つまりここが最終防衛ライン。……ロマンサーをここから先には行かせない事が私達の役割よ。……無理に近接戦をする必要はない。……ここで押し留めておけば、一班と狗が後はやってくれる。

 ……カーリアン」


「任せときなさい。手強そうな相手や、飛ばされてきた《力》はあたしが相手をしてあげる」


「……だそうよ。……私達は一番楽で、でも一番責任がある場所を任された。……確かに後方支援がメインの私達が任されるにはキツい場所かもしれない。……でも、それだけに初陣には悪くない場所よ。……これは、私たちが単なる支援しか出来ない部隊ではないと認めさせるには絶好の機会」


 もはや目前にまで迫った敵を前に、阿吽の呼吸でカーリアンとカクリはそうやり取りし、小隊結成後では初陣となる戦場に緊張感を滲ませる面々に発破をかける。

 言葉よりも自身が持つ力を示す方が得意なカーリアンは、奥の手である力を最初から出す事で味方の不安を吹き飛ばす。


 ――ほら、あたしはこんなにも強い力を持ってるんだから、みんなが不安を感じる必要はなんにもないんだよ。


 そう示してみせる。

 彼女にとっては奥の手で、見た目も派手な力を最初から使ったのもそんな意図によるものだ。


 そしてなんの力も持たないけれど、そんなカーリアンの考えを誰よりも正確に見抜けるカクリは、言葉でもって皆を奮い立たせる。

 黒鉄第三班の中では新参でしかない自分達の立場を認識させ、その上で自分達の力を周りに認めさせるには《今が絶好の機会》なんだと言ってみせる。

 自分達の居場所を掴み、それを周りに認めさせるのは今なのだと。


「……言うまでもない事だろうけれど……もしカーリアンの名前に泥を塗ったらおしおきだから」


 もっとも、そんな激励の言葉の数々よりも、ボソッと付け足した《おしおき》の一言の方が仲間達を本気にさせるには有効だったりした。

 なにしろカクリは、本気でおしおきをするのだ。

 例え直接おしおきをする力はなくても、自分が持つ知恵と立場と権限をフルに活用して、ねちねちねちねちといびってくるのである。

 心を抉る言葉の数々と、黒鼬の副長として課してくる過酷な訓練。

 それは部隊の誰もが目の当たりにした経験があり、何よりも恐れる事だった。


「来るわよ、カクリっ」


「……総員戦闘準備。……これより身の丈に余る馬鹿げた夢を見た野犬の駆除を始めます」


「みんなっ、勝って帰ったら今日はあたしの奢りで夜通し祝勝会よ! 材料ももう手配してあるんだから、誰もこんなところで死んだりしちゃダメだかんねっ」


『おおおおぉぉぉ――――!!』


 ヒュンヒュンと舞い上がる紅の刃は、その身を黄昏よりも紅く煌めかせた。

 それを使役する赤髪の少女は、自身の力を反射させた灼熱色に燃えた瞳で戦場を見やり、先制の一発を放って仲間達の戦意に火を着ける。

 彼女の補佐をする白髪の少女は、そんな彼女の意図を的確に読んで、背後に控える自分が鍛えあげた者達に鬨の声を上げさせた。


 陣の最前に立つ者は、力だけはありそうな男達だ。その前には簡単なバリケードが築かれている。

 彼らは鉄板を溶接して組み上げられた大盾をバリケードの合間合間にしっかりと立て、それを幾つも並べて、ここから先は通さないという意思を示す。

 そのすぐ背後には、数が限られているが銃火器を構えている者がいる。

 彼らは特になんらかの能力を持っている者達ではない。盾に身を隠しながら押し寄せてくる者達に先制の一発を放ち、その後は牽制射撃を加え続ける役割が与えられた者だ。

 その後ろには、距離を詰められた後には前線へと立つべく、自身が持つ特殊能力を使う為に力を溜めているものがいる。

 この小隊においては、非常に数が限られている戦闘をメインの役割とする者達だ。


 盾で一旦押し留め、銃火器などの飛び道具で牽制しつつ援護を加えて、任された一線を乗り越えようとする者だけを数少ない戦闘要員で討ち果たす。

 そんな単純なプランがカクリの立てたものではあったが、守りに主点をおいていれば犠牲は少なく済むだろうと彼女は踏んでいる。

 もちろん、カーリアンの力をメインに使い、それにもっと頼りきったのであれば他にも取れる手はあった。

 確実を期す為に……デビュー戦を鮮やかに勝ちきる為だけに、陣立てを何度も考え直そうか悩んだりもした。

 しかし、三班が誇る狗まで出張っているのだ。確実に勝ちきるだけではもったいない。それだけでは新部隊をこれからも鍛えていくには、いくらなんでもちょっと地道過ぎる。

 せっかくの実戦だ。もう少し実入りがあるものにしたい。

 なら多少の危険はあっても、戦いの空気を全員に慣れさせる為にも使おう。

 まずないだろうが、下手を踏んだ狗も一班の連中もいるのだ。こんな恵まれた機会を最大限に使わない手はない。

 そうカクリは考えて、敢えて敵が間近に迫るように陣立てを組んだのだ。


 そして全ての陣の最後衛には、この小隊の肝である医療支援要員が控えていた。彼らも今は本陣を守る為に慣れない武器を手にしている。

 そんな彼ら全員に、当初の取り決め通り喉も裂けんばかりに雄叫びをあげさせて、逃走すべく下がってくる妄想家の者たちに自分の存在を誇示させる。

 奇襲を受け後退していたところに舞い降りてきた業火を吹き上げる弾丸と、突如上がった声により混乱を広げていく為だ。


 ――さぁ、いよいよよ、あなた達。ここまでのお膳立ては私の仕事。ここからはあなた達みんなの仕事よ。


 皆と一緒になって声を張り上げ、先頭で高々と拳を掲げるカーリアンを見ながら、カクリは固く手のひらを握った。

 僅かに汗ばんだ手は、どこか自分のものではないかのようにいう事を聞かず、カクリの意思に反して握られたままだ。

 万全の準備はしたつもりだ。根回しして、周りを駆けずり回って、数の限られている武器を手に入れてきたし、意思の疎通を計る為に寝る暇を惜しんで仲間達に接してきた。溜め込んでいたヘソクリなんかはとっくに底をついている。

 強い力を持つ何人かは、カクリが頼み込んで他の隊から借り受けた者達だ。

 それでも不安は消えてくれない。


 ――大丈夫、大丈夫よ。私達にはカーリアンがいる。カーリアンがいるんだもの。


 そう最後に言い聞かせて。

 カクリはそっと発煙筒に手をかけた。

 小隊の仲間達に、もっと前線にいる他の隊の者達に、この戦場にいる全ての者達に、自分達のデビュー戦が始まったという報せを送る為に。


 こうして、黒鉄第三班の五番目の小隊、積極的支援をモットーに掲げられて作られた《鼬》の名前を冠した部隊の初戦も幕を開けた。










「ふん、鼬のとこも始めやがったな」


 彼方を見やりながら大して気のない素振りを装って……少なくとも装っている事が丸わかりの口調でそう言ったナナシに、彼の片腕を自任する大男は小さく笑みを漏らした。


「あちらが気になりますか?」


「はん、何言ってやがる。三班の連中なんざ全然気になんかなんねぇよ。

 ――おら、メメっ。俺らも行くぞ」


 大男……金剛のメメからすれば、そのいつも通りのぞんざいな口調からは、どこかいつもの《彼らしさ》が感じられない気がした。

 それは果たして、彼が気にかける赤髪の少女が同じ戦場にいるからか、はたまた昔を思い出した感傷によるものなのかは分からない。


「了解しました、お頭」


 それでもいつも通りにそう返して、配下である(お頭である男から言わせれば子分となる)者達に開戦の旨を告げる。


 ――アヌビス。

 混乱のどん底を抜け、それでも今までの常識は甦っていなかった時代。大小様々な勢力が各地にところ狭しと割拠していた時だ。

 不死身とも思える肉体強度と、異常な回復力を産み出す新陳代謝を持って生まれた男に率いられて《義賊》を名乗っていたその集団は、今戦場となっているこの場所で終演を迎えた。


 始まりは一人の男だった。

 その男はフラッとこの地に流れてきて、その土地の強い者――つまり色々な意味で力を持つ者から財を奪って散々飲み食いをした。

 持つ者からは散々奪ってみせたくせに、持たざる者達……奪われる側の者達には目もくれなかった。

 そして

『宵越しの銭は持たねぇ主義だ』

 などと言ってのけては、余り物を強者に搾取されていた者にポンッと丸々渡してみせた。

 そんな男が現れた事が始まりだった。


 アヌビスとは、そんな男の気っ風のよさに惹かれて集まり、やがて集団となった者達の集まりだった。

 彼らはみんな、ナナミネシロウという流れ者に惹かれてその子分になった者達ばかりだった。

 金剛の呼び名を持つメメも、それ以外の者達も、彼の粗野でぞんざいな口調の中にある男らしさに付いてきたのだ。

 いつしか《アヌビス》の名前を冠して義賊を名乗り、関西統括軍と黒鉄に次いで、旅団・ゼフィーロスに並ぶ武装集団となった根元は、たった一人の流れ者だったのである。


『おぅ、食ってけねぇなら俺に付いてこい。付いてくりゃメシぐらいは食わせてやる』


 そう言われて、食べる為だけに付いてきた者も沢山いる。


『この辺りはろくなヤツがいねぇな。仕方ねぇ、俺がまとめて面倒を見てやるか』


 そう言って、小さな集落に盗賊避け用の看板――《ナナミネシロウ管轄地》の看板を掲げさせ、どんどん名前を売っていく彼に付いていけば、それなりに旨い思いが出来るだろうと目して付いてきた者もいる。

 でもその誰もが、やがては彼を親分として認め、彼をお頭と呼び始める。どんな思惑があったにしても彼を自分の頭なんだと認めてしまう。


 そんな彼らが始めて完全に敗北したのは、かつてアヌビスの本拠があり、今ではロマンサーが居座っているこれから戦場となる山あいの地方都市だった。

 地方都市というのもおこがましい、田舎町という風情のこの場所で、アヌビスは黒鉄に敗れたのだ。



 ――あれから一年半か。色々とあったものだ。


 アヌビスの頭目であったナナミネシロウは、宵闇の名前で呼ばれていた男に敗北を喫し、副頭目だったメメは、その相棒だった女性に完膚なきまでにボコボコにされた。


 ――彼女は手加減を知らなかったからな。いや、刃で切り刻まれなかっただけ手加減したのだろうか。


 一瞬で踏み込まれ、あっさりと投げ飛ばされたかと思うと次の瞬間には大地に叩き付けられていて、その上で馬鹿デカい剣の平で思いっきりボコボコに殴り付けられた記憶は、今でもメメにとっては苦い思い出だ。

 はっきり言えばトラウマと化している。

 こんな少女が……しかもかなりの美少女が、アヌビスの副頭目であり、ナナミネシロウの右腕を自任する自分の相手なのか、そう憤慨する暇もなかった。


 それほど一瞬で、ウェイト面で見れば自分の半分ほどしかないであろう少女に投げ飛ばされ、メタメタにされた過去は、腕に自信がある男にトラウマを植え付けるものとしては十分すぎるものだろう。


『おし、終わりっ。これ以上ぶん殴られたくなかったら参ったしなさい。参ったしないと、今度は刃を返してぶん殴るわよ』


 投げ飛ばしてボコボコにした後、朗らかにそう言った女性に

『自分には勝ててもお頭には勝てない』

 そう稚拙な悪態をついてみせた時が懐かしい。

 あの時のメメにとって、お頭であるナナミネシロウこそが最強で、最高の男なんだと信じて疑わなかった。それが絶対だった。

 そんなメメを、身の丈よりも大きな剣を掲げながら(ぶん殴る用だと言っていた)少女は明るく笑ってみせた。

 笑い飛ばしたわけじゃない。朗らかに笑って、何故か『うんうん』と頷いてみせたのだ。

 そして宵闇とコンビを組み、黒鉄最強のツートップだと名高かった少女は

『じゃあ、あんたは参ったして、そこで大人しく見てなさい』

 そう言ったのだ。


『あんたのお頭も強いって聞いてるけどね、それでも《あいつ》には勝てない。あいつがあの《宵闇》よ。黒鉄の宵闇。

 その名前は知ってるでしょ?』


 宵闇のシャクナゲ。

 廃都に潜む死神。廃都と呼ばれる街に手を出した者には死の報いを与える暗殺者。

 その名前を聞いて顔を青ざめさせない盗賊は一人もいない。当時のメメもそうだった。

 いかに義賊を気取っていても、人様から奪って生きている盗人には変わりない。ならば宵闇の名前を恐れるのは当たり前だ。

 宵闇に狙われたら最期。関西統括軍の近衛でさえも無事では済まない。厳重に警備された一都市を治める知事ですらも、宵闇の前には何人も殺されている。

 それゆえに、関西地方を掌握した統括軍発行の賞金首(ブラックリスト)では、黒鉄の創始者である《アカツキ》に次ぐ大金がかけられた超大物だ。

 DEAD OR ALIVE……つまり、生死問わずの条件で関西統括軍に首を求められた者の中ではダントツの最高額賞金首であり、同じく高額賞金首であるゼフィーロスの《ダブルヘッド》やアヌビスのナナミネシロウを大きく上回っている。

 だからこそ彼の噂はよく知っている。

 戦場でも、そしてそれ以外の場所でも最も会いたくない相手として知っている。


『盗賊殺し(ロバーズキラー)で近衛殺し。あたし達黒鉄の中でも一番の有名人。さてさて、おたくらの《アヌビス》であいつに勝ってるかにゃ〜?』


 思わず息を呑むメメの喉元に剣を押しあてながら気楽にそう言って、彼女はパチンと指を鳴らすと大地の土から刃を精製して次々に飛ばしていく。

 向かい合った二人の周りに。

 まるで宵闇の一騎討ちを誰にも邪魔はさせまいとするかのように。

 荘厳なる闘技場を拵えるかのように、剣で二人を囲ってからさらにこう言ったのだ。


『あんたは知らないでしょ? あいつは暗殺なんてやり方を得意とする陰気なヤツだって思われがちだけどね、あいつが一番力を発揮するのはそんなやり口の時じゃない。

 自分の背後に仲間を抱えた時よ』


 ――あたしや……ついでに他のみんなが見ている前であいつが負けるとこなんて、あたしには想像も出来ない。


 剣匠と呼ばれた少女はそう言って、二人の戦闘を鑑賞すべくどっかりと座り込んだ。

 周りでいまだ争っていた双方のメンツを、舞い降る剣の雨でもって恫喝して辞めさせただけで手を貸そうともしない。

 ただナナミネシロウに対するメメのものにも負けない確かな信頼を、決闘場にいる黒衣の男に向けている事だけはメメの目から見ても明らかだった。

 そんな彼女の様子に、アヌビス対黒鉄の戦いの結末は、いつしか宵闇対ナナミネシロウの結果に任される事になっていたのだ。





「おぅ、メメ。部隊の方は任せたかんな。妄想家の頭はちょっと行ってこの俺が取ってくるからよ」


「お気をつけて」


 懐かしい過去を見て、思わず呆然としていたメメに、かつてのナナミネシロウはそう声をかける。


 あの一騎討ちの結果、アヌビスは黒鉄に下った。ろくに戦闘にもならなかった。

 お頭が敗れたというだけで、アヌビスの戦意はがた落ちだったからだ。

 悪足掻きをするものすらいなかったぐらいだ。

 もちろん殺されると考えた。

 盗賊殺しの宵闇が率いてきた部隊だ。義賊を名乗ってはいても殺されないわけがない。


『俺らは敢えて難易度の高い相手を選ぶけどよ、いかにひねてはいても盗人だからな。どのみちろくな死に方はしねぇ』


 お頭である男の口癖通り、本当にろくな死に方は出来ないみたいだ……そう思うだけだ。

 でも、それによる恐怖なんかより、ナナミネシロウが――自分達のお頭が負けたというショックの方が大きすぎて、メメには抗う気力は全く出てこなかったのだ。


 あんたは最強だったんじゃないのか。

 あんたこそが最高の男だったんじゃないのか。

 そんな思いしか浮かばなかった。


 ボコボコにされて、身体のあちこちを撃ち抜かれて、それでも身体の並外れた頑丈さでもって宵闇を相手に立ち回る男。

 何発も相手の身体を掠めていた。

 あの宵闇が……盗賊達にとって最悪の死神が、押されていた場面すら見受けられた。

 あの宵闇を相手に回し、互角に近い戦いを出来るものはそういないだろう。それは誇るべきなのかもしれない。さすがはお頭だと言うべきかもしれない。

 でも、戦場を区切っている今の状態が、暗殺者として名を馳せた宵闇の得意とするフィールドではない事も明らかだった。

 暗殺の基本は、標的に悟られずに近付いていきなるべく一撃で仕留める事にある。真っ正面から突っ込んでいくような暗殺者もそうはいまい。

 今の区切られた限りある戦場――真っ向勝負による戦闘は、ナナミネシロウの得意とするものだ。

 その状態で互角だという事こそが、宵闇の方がアヌビスの頭よりも強いという証明に他ならない。


 結局、最後にはナナミネシロウの身体に回復上限が来て宵闇に軍配があがった。

 終わった後には大きな息を吐き、疲れを滲ませてはいたものの、宵闇は最後の最後まで致命打を受けなかった。

 何発もナナミネシロウを撃ち抜き、代わりに身体に攻撃を掠めながらも、彼は結局最後まで《身体の強度を無視したナナミネシロウの攻撃を、一発でもまともに食らえば終わり》という細い綱渡りを終えていた。


 そんな経緯の果てにアヌビスは解体されて、黒鉄の《ナナシ班》――ひいては黒鉄第一班が生まれる事になったのだ。


 それでも、アヌビスのメンバーだったものはほとんど全員がナナシの元に残った。

 宵闇に負けて、最強の資格を失って、組織に縛られる形になってしまっても、彼の元を去ったものは本当に一握りの人間しかいない。


 ――ナナミネシロウ。ナナシと呼び名を変えたその男は、確かに最強ではなかったかもしれない。期待を裏切ったのかもしれない。

 でも、最強ではなくなっても、彼が最高のお頭だった事実だけは変わらなかった。


『……おぅ、黒ずくめ。殺すんならこの俺からやってもらおうか。でもな、《不死身》とまで呼ばれたこの命をくれてやろうってんだ。まさかタダで取ろうとか思っちゃいねぇだろうな?』


『なぁ、こいつらの事をよ、なんとか頼めねぇか? こいつらをお前らんとこで使ってやっちゃくれねぇか? 食わせてくれりゃ十分だ。こいつらにも文句は言わせねぇ。この俺の――俺が鍛えてきた子分共なんだ。絶対使えるはずだ』


『俺がアヌビスだ、俺だけがアヌビスなんだ。

 ……それでなんとか済ませちゃもらえねぇか?』


 そう言って膝を着いたナナミネシロウを見て、裏切られた気持ちがこびりついて離れなかったメメは、まるで目から鱗が落ちたような感覚を覚えた。


 回復限界が来て、ガクガク震えながらも膝を付かなかった男だ。

 例え負けても子分の前での無様は晒さない……そう言わんばかりに、最後に倒れこんだ時も膝から崩れ落ちるような真似はしなかった。

 本当に限界がきて、身体が言う事を聞かなくて、まるで糸が切れた操り人形のように、砂埃を上げながら全身で倒れこんだような男なのだ。

 そんな彼が、最後に自分の意地を棄てて、親分としての意地を通そうとしている。


 元々流れ者でしかなかった彼だ。

 血縁のあるわけでもない。借りがあるわけでもない。

 むしろあちこちに貸しを作ってばかりいるのに、それを取り立てようとした事ですら一度としてなかったぐらいだ。

『貸しの取り立て? ンな野暮な真似はしたかねぇな。そもそも貸しなんてつもり自体もねぇ』

 そんな事を言ってのけては、また新たに貸しを平然と上乗せしているぐらいだ。


 彼は最強ではなくなった。それは確かだ。

 ナナミネシロウは負けた。それも事実だ。

 でも最後まで最高であろうとしてくれている。

 自分に付いてくる者達にとって最高の親分であろうとしてくれている。無様な姿を見せて、付いてきた者達に恥をかかせるような真似なんて一つもしていない。

 親分らしい姿を崩したりはしていない。

 今、彼が膝を付いているのも、《頭である自分以外》の――勝手に最強の期待を寄せて、勝手に裏切られたつもりになっている身勝手な子分達の命乞いをする為だ。


 それが恥ずかしい姿か?

 自分達を裏切っているのか?



 結果許されて、アヌビスが解体された後、また放浪生活に戻る事なく黒鉄に身を寄せる事にしたのも、子分である者達の為であろう事は明らかだ。

 盗賊上がりと蔑まれるに違いない子分達を、周りの冷たい風当たりから守る為でしかない。

 親分である彼が黒鉄に必要不可欠な存在になれば、その子分達が不要とされるはずもないからだ。

 そんな自分達の為だけに生き方を変えてくれた男が――生き方を曲げてまで自分達の為に膝を折ってくれるような男が、最高でなくてなんなのだろう。


『彼が自分達のお頭なんだと誇れるなら、別に最強でなくても構わないだろう?

 お頭が率いる自分達が最強になればいい、それだけの事だ』


 そう皆に話を持ち掛けて、黒鉄に入って以来、どこか気落ちしたところのあった仲間達を奮い立たせたのはメメだ。


『お頭に受けた恩を返す機会なんかずっと来ないと思っていた。お頭は強くて、いつでも前向きで、私たちをずっと引っ張ってきてくれたのだからな。

 それなのに運よくその機会がやって来たんだ。ここで張り切らなくては、播州に名を轟かせたアヌビスの名が廃る。お頭の名前に泥を塗る。そんな事がお前達には我慢出来るのか?』


 そう言って、行動でしか自分を示せないお頭の代わりに、お頭にはずっと頼りきりで、情けない名前ばかりの片腕だったメメが、ガタガタになりかけた部隊をまとめ上げてナナシ班にしたのである。


 それからのナナシ班は、シャクナゲ班に迫るほどの勇猛な部隊としてあった。

 最初はナナシ班だけがライバル視していた状況が、やがては徐々にシャクナゲ班からもライバル視されるようになった。

 黒鉄第一班となり、黒鉄第三班となっても、この二つは二大前衛部隊として名前を上げられるようになっていたのだ。





 ――未だ私には何も言ってはくれないが、お頭が三班に協力するというならば是非もない。



 ここ数ヵ月、本当に色んな事があった。

 当然、その間の出来事には、まだ含むものもある。流しきれない禍根もある。

 でも、お頭であるナナシがそう決めたのなら、それはナナシ個人の独断によるものではあっても、決して利己的な考えによるものではないだろう。

 理由があるとすれば、それは絶対に子分達の為という理由だと確信出来る。

 だから三班と協同で任務に当たる事になっても、一班の面々は士気が非常に高い。

『お頭が率いる自分達が、三班なんかに負けてなるものか』

 とばかりに、目を爛々と輝かせて自分達の《親分》からの指示を待っている。


「いいか、野郎どもっ。ここらは元々俺らのシマだっ。残飯漁りの野犬なんぞにゃもったいねえっ。ロマンサーだかなんだか知らねぇが、そろそろ熨斗ぃつけて返してもらうぞ!」


 今では黒鉄第一班のメンバーとなった者達は、男も女もほとんど全員が元アヌビスだ。

 ナナミネシロウに付いてきて、ナナシを今でも最高の親分だと慕う者達だ。

 ここにはいない《鉄拳》のように、中には元アヌビスではなかった者もいるが、そういった者達もほとんどがナナシという男に惹かれ、自然と彼を親分だと慕いはじめた者ばかりだ。

 その全員が自分達の親分の檄に高らかに声を上げ、拳を突き上げて答える。

 黒狗や黒鼬の面々よりも、ずっと粗野でより雄々しい気迫を上げる。


「三班のやつらに遅れを取るなっ。 クソ野郎共の頭はこの俺が取る。てめぇらは雑魚を適当に片しながら、その様ぁしっかり見届けやがれ!」


「一班、いくぞ! このケンカ、アヌビスの時からのやり残しだっ。お頭に恥をかかせんじゃねぇぞ!」


 ナナシとメメ。

 頭目と副頭目の言葉に、かつてこの辺りでは最大の戦闘力を誇った元義賊達の瞳に炎が灯る。

 自分達の後釜に収まり、故郷に居座った者達に、アヌビスだった頃はお頭一人に頼りがちだった彼らが牙を剥く。


 黒鉄第一班。

 総合的な戦闘力では、三班や五班には劣ると評価されがちな前衛部隊。

 しかし、黒鉄にある七つの班のうち、真っ向からぶつかり合う勝負ならば三班にもひけを取らないと言われるのは伊達ではない。

 彼らが《強行班》と呼ばれるのは、その恐れを知らぬ勇猛さによるものだ。

 集団戦において言えば、《幻影》や《碧兵》の戦闘能力だけが飛び抜けている一点特化型の五班を上回っているぐらいだろう。

 彼らは、さながら狼の群れのごとく、その統率はお頭を心臓部に、副頭目を頭脳にして完璧に取られている。

 かつてぶつかった時よりもさらに磨がれたその牙の鋭さは、奪って食らうだけの生活に甘んじていた妄想家達とは比較にならない。

 ロマンサーを《野良犬》だと評するならば、今の彼らは群狼だ。群れをなす狼だ。

 故郷であるかつての巣穴だった場所に、今は空き家だからと手を突っ込んで居座っているものに容赦はしない。


 狼は犬とは違い、簡単には牙を剥かない生き物だ。

 狼が牙を剥くのは大事なものを守る時か、さもなくば獲物を噛み殺す時だと決まっている。

 狼を気取っただけの野良犬風情は、ほんの数刻後にはその事を思い知る事になる。

 巣穴から追いたてられ、態勢を整えるべく下がったその先で待ち構える、《不死身のナナシ》と呼ばれる男と彼に従う者達によって。


第二部を本当にさらっとおさらいするダイジェスト前編


アカツキの能力とそれに縛られたシャクナゲの正体。

それにより、黒鉄はいくつもの勢力に別れる事になった。

シャクナゲ率いる三班を中心とした勢力と、反シャクナゲを掲げた勢力。

それらの間に板挟みになりながらも、当人であるシャクナゲ本人は一刻も早く自分がすべき事を決める。

先の件で、多くの者に知られる事になってしまった《アカツキの能力が作り出した遺産の破棄》。

造物者・アカツキが作った創造物のなかでも、最初に作り出した誰かを殺す為の物にして、最悪の力を宿した《災厄》。

それの破棄をする事こそが、彼の親友であり、今も彼の力に助けられている自分が最優先にすべき事だと考え、その為に動き始める。


一人動乱に揺れる街をいち早く離れ、動乱の隙に関西へと押し寄せてくるであろう東からの波に備えていたスズカの前には、東海の《マスターシヴァ》が姿を現した。

東海地方最強の名前を冠し、地方の勢力を完全に掌握する《狂人》を前に、今では銀鈴と呼ばれている少女は、今一度《白銀の皇》と呼ばれていた力を解放させる。


その頃、カーリアンも街の外いた。

ずっと廃都の外にいて、定期的に関西統括軍の情報を寄越してくれていた情報提供者を、統括軍が瓦解し、揺れ動く関西東部地方から迎える為だ。

その彼女に、一人の女性が接触を図る。

黒鉄に縁が深いというその女性は、自身をかつて黒鉄に所属した《閃光》のコードを持つ者だと名乗る。

それだけではなく彼女――エリカは、自身を黒鉄にとっては何よりも憎むべき《赤の符丁》――レッドコードと呼ばれる裏切り者なのだと口にした。

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