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3・天舞う雛鳥






「突撃っ、突撃です!」


 関西以西において、一二を争う規模を持つ盗賊団の本拠に向かい、黒狗と呼ばれる部隊は一気呵成に突撃をかけていく。

 辺りは黄昏色に染まり、これから起こる流血に先んじて一帯を赤く塗り潰している。


「遅れちゃダメですっ。ヒナ達が先陣なんですから遅れは許されませんっ」


 そんな中、一糸乱れぬ整然とした動きで展開していく仲間達に、仲間内では最年少にあたるヒナギクが声を上げて檄を飛ばしていた。

 お気に入りであるモスグリーンのトライアルバイクにまたがり、ブンブン腕を振り回して声を枯らすその様は、どこか緊張感が欠けているように見えなくもないが、本人は至って大真面目なつもりだ。

 普段は黄色のカチューシャが存在感を放っている頭部には、どこか不釣り合いな大きめのライダーゴーグルが当てられていて、それが彼女の青みがかった黒髪を乱雑にまとめている。

 やや後方にあたる位置から戦場を見やるその瞳は真剣そのものだ。

 しかしどこか幼い顔立ちをしている為だろうか。髪を振り乱して声を枯らすその様子は、なんとなくワガママをいって頭をブンブン振りながら駄々をこねる幼児の様にも見えてしまう。


「シャクナゲが上から見てるですっ。わたし達が直属部隊なんですから、情けないところなんか見せられませんっ。黒狗(わたし達)だけでこんな仕事は十分なんだってところを見てもらうですっ」


 ――ほら、そこっ! アタックが遅れてるですっ。何を押し負けてんですかっ、尻を蹴りあげるですよ!


 事前に言い含められていた作戦通りに部隊が動いているか、予定より大幅に行動が遅れてはいないか。

 それをチェックしながらも、パッと見では腕をぶんぶか振り回しているだけにしか見えない少女に、彼女が率いている狗のメンバーは苦笑を洩らしていた。


「……えらい張り切っとるなぁ、ヒナのやつ」


「まぁ、分からんでもないけどよ。役割分担からするとトドメ(おいしいところ)は他の部隊に取られる事になっちまうんだからな」


「新入りと一班の連中に主役を取られちゃう以上、狗の副長としてはせめて圧倒的な力を見せつけて、阿呆どもを潰走させるぐらいやってのけなきゃ示しがつかないって事かな?」


「はぁ、ヒナも色々考えてるんだねぇ。似合わな〜い」


 カヒュン。そんな音を立てて耳元を貫いていく銃弾にも、驚きを含んだまま怒号を上げている盗賊達を間近にしても、黒狗と呼ばれる彼らは自然体にしか見えない仕草で戦場を走る。

 男もいる。女もいる。

 壮年の男性もいれば、いまだ少女の域をでない女性もいる。

 軽機関銃のような物騒な銃器を手にしている者もいれば、コンバットナイフだけを握った者、無手の者までいる。

 乗り物に乗ったままなのはヒナギクただ一人であったが、それ以外でも性別や年代はおろか、髪の色や目の色まで統一感はまったくない。

 共通している箇所があるとすれば、全員がどこかしらに黒一色に染められた布切れを巻いている事と、服装が濃紺のような闇に馴染む色のものを着ている事だけだ。


 ――黒鉄第三班第一小隊。

 通称《黒狗》と呼ばれるその部隊は、関西という地方においては最も名前が知られた部隊だった。

 関西統括軍に所属する近衛軍を真っ向から敵に回してもひけを取らない部隊として、黒鉄という組織の中でも虎の子の部隊として知られているのだ。

 また、戦場では最も会いたくない連中として、黒鉄の敵対者からは最も恐れられている部隊でもあった。

 黒鉄の本拠である廃都が関西統括軍からの度重なる侵攻に耐えきったのは、偏に黒鉄には黒狗小隊があったからだという者までいるぐらいだ。


 そんな部隊ではあったが、実際の彼らを見たほとんどの人間は、噂を大袈裟なものだったのだと認識を改めるだろう。

 誇張された噂が一人で歩き回って、大袈裟な戦果を伝えているだけに違いない……そう考えてしまうのだ。


 まず規律が最低限しかない。

 武器も行き渡ってはいない。

 戦場でもお喋りをしている。

 何より副長が副長だ。


 部隊の質が頭である隊長とその補佐である副長によるものが大きいのだとすれば、この黒狗は隊長にこそ文句はないとしても、副長には不安を覚えざるを得ない人材が充てられていた。

 どこか子供っぽく、あんまり頭がよさそうでもない。

 何より、部隊の面々に舐められまくっている。

 まるで子供を相手にするかのように接されていて、あやされたりしていて、時には凹まされて泣かされる事もしばしばだ。

 だからこそ、実際の黒狗のメンバーを見れば噂ほどの部隊だとは思えなくなる。

 いかにその副長が、黒鉄においては強力な能力を持つ人間にしか与えられない《コード》を持っていたとしても、強い能力者が良き指揮官だとは限らないのも事実なのだ。

 むしろ勇猛であればあるほど……自分の力に自信があればあるほど、どこか勇み足になりがちであり、他人との連携に支障を来す事はよくある事である。


 しかし、このヒナギクに関して言えば、勇み足になりがちではあっても自分の力を過信し過ぎる事はなく、連携に支障を来すほど協調性に欠ける事もなかった。

 それは周りの仲間達が、副長なんて身分に関係なく……そして遠慮も加減もなくヒナギクを戒めてくれるからだった。


「あぁ、もうっ。こらっ、逃げんなっ。まだ早いですっ! 仮にもこの辺り最大の盗賊団なら、奇襲を受けたぐらいでオタオタしすぎですっ。もうちょっとは抵抗しようとか思わないですか――って痛っ!?」


「……はぁ、あのね、ヒナ。ウチらの役割をちゃんと分かってる? ウチらは相手を巣穴から追いたてる猟犬役なんだから、逃げてくんなきゃダメでしょうが」


 いまも逃走に入る盗賊達に悪態を吐き、罵声を浴びせかけ、戻ってきて戦えと拳を振り上げるヒナギクに、脇にいたやや年かさの女性は嘆息混じりにパコンと拳骨を頭に落としていた。

 呆れ混じりの拳骨で戒められて、バイクのハンドルに頭を抱えながら突っ伏している姿からは、《頼りになりそう》なところは欠片も見受けられない。


「痛いじゃないですかっ! アヤメはちょっと加減をするべきですっ。ヒナの頭が壊れちゃったらどうしてくれるですかっ」


「ほらっ、怒ってる暇があったら、とっとと制圧しちゃうわよ。わたし達の役目は、追い出しと巣穴の制圧。中には取り残されたまま抵抗してるヤツもいるでしょうから気は抜かないでよ?」


「はいっ、わかりましたっ! まだ気を抜いちゃダメですね! って、ヒナの話を聞いてますか!?」


 プンスカ怒るヒナギクにも、アヤメと呼ばれた女性は全く取り合わない。

 はいはい、とばかりにヒナギクの頭を軽く撫でてやってから、散会している仲間達に作戦が第二段階に入った事を伝えるべく、青い煙を上げる発煙筒を掲げる。


「ヒナは東の方面な。他は三人一組で居残ったアホを狩りだすって事でえぇか?」


「わかりましたっ! ヒナは東からですねっ」


 ――どーんと、ヒナとペケちゃんに任せちゃってくださいっ!


 撫でられて、プシューとあっさり怒りが抜けたらしいヒナギクに、周りにいた他の数人もそれぞれあらかじめ決められた持ち場に向かうべく走り去っていく。

 ちなみにこれでも副長はヒナギクなのである。

 普通の軍隊にはあり得ない姿ではあるが、これが黒狗小隊にとっての日常であった。

 ヒナギクが立場的には副長としてあるものの、その時々に周りにいる人間が言われるまでもなく彼女の補佐をする。

 副長補佐なんて役職はない。それでも、周りにいる人間が勝手に世話を焼いて、副長の仕事を手伝いがてらヒナギクの教育までもやる。

 そういった形で部隊が纏まっていると考えれば、ヒナギクの存在そのものが部隊を纏めていると言えなくもない。


「ヒナ、怪我しちゃダメよ?」


「はいですっ」


「ヒナ、ヤバくなったら俺らを呼ぶんやで?」


「わかりましたっ、大声あげちゃいます!」


「ヒナ、あんまり深追いしちゃいけないよ?」


「了解ですっ、深追いは禁物ですねっ」


 こんな具合に、部隊の面々はヒナギクの面倒を見る事で一丸となり、彼女を補佐し戒める事で冷静さを保ち、作戦を言い聞かせる事でしっかりとそれを共通認識として再確認する。

 シャクナゲが決めた作戦をベースに部隊を展開し、行動を進めていくと同時に、ヒナギクはヒナギクで部隊の纏め役を一役も二役も買っているのである。

 もっとも、本人にはそんな自覚がカケラもなかったりするのだが。


「みんなも無茶したらダメですよっ、ヒナがいないところで無茶しても助けてあげられませんからっ」


「大丈夫、大丈夫ぅ〜。ウチで一番無茶するのは、決まって隊長と副長だからぁ」


「あぁ、毎回毎回冷や汗をかかせてくれんのはヒナだけやけどな」


「シャクナゲは無茶はしても無理な事はしないしね」


 ヒナギクがちょっと副長ぶると、途端に仲間達が揃って茶化す言葉を返してくるのもいつもの事だ。


「ひ、ヒナとシャクナゲはコード持ちですから、多少ムチャをしてもいいんですっ!」


 もうっ! とばかりに憤慨するような鼻息を漏らし、ヒナギクは茶化す仲間をもう一度見やってから、跨がったバイク――ペケちゃん――のアクセルを何度か軽く吹かす。

 そしてバイクにいっぱいぶら下げたホルダーの一つから、ゴツい砲身を持った鉄砲のようなものを左手で掲げてみせた。

 カウン、カウンッ!

 甲高い排気音を鳴らしながら、玩具のような銃を持つ彼女を見て、それが彼女にとっては普段の戦闘スタイルだと思うものはそういないだろう。

 なにしろ、《音速》の異名を持つ少女だ。

 どこをどう見れば音速などという呼び名が浮かぶのか、想像もつかないに違いない。


「あっと、のんびりしてる場合じゃないですっ。とにかくヒナはもう行きますからっ!」


「はいよ、いってらっさい」


 ギアを入れて一際高くエンジンを鳴らすと、ホイルを鳴らしながら前輪を持ち上げるような加速でバイクを走らせた。

 そう大きくはない体格に見合う排気量の少ないバイク。オフロードや障害物だらけの場所を走る為に強化されたトライアルバイクだ。

 低速トルクの塊であるそのエンジンに火を入れ、間近にあった壁に向けて加速させる。

 ぶつかる、という声も悲鳴もない。

 ヒナギクは器用に前輪をぶつけて車体を持ち上げると、続けて後輪を壁に当ててほぼ垂直な壁をあっさりと登りきってみせた。

 絶妙なバランス感覚で、危なっかしさすらも見受けられない。

 そして登りきった勢いのままで、その壁の持ち主である家の屋根に向けて車体を飛ばす。


「はぁ、相変わらず見事なもんだわ」


「バイク転がさせたらウチで一番だからな。能力の関係上、ヒナはバランス感覚がずば抜けてるし」


 ほんの数秒であっさりとバイクを民家の屋根に乗せ、キョロキョロとあちこちを見渡すヒナギクに、仲間達も大袈裟な称賛を浴びせたりはしない。

『ヒナならこれぐらい朝飯前』

 そんな認識があるからだ。


「……で、あいつは屋根に登って何をキョロキョロしとんや?」


「さぁ? 大方――」


「東ってどっちですかっ! 太陽が沈む方角でしたっけ?」


「――どっちが自分の受け持ちか分かんないから、とりあえず高いとこに登ってみただけだろ」




 こんな風に、ヒナギクは副長であると同時に部隊全体の妹のような役割に付いていた。

 しかも頼りになる妹ではなく、手のかかる妹だ。

 彼女が頼りになる副長だとは誰一人として思っていない。ヒナギク本人でさえも、自分は未熟で頼りにならない副長だと考えている。

 それでも、部隊の誰に聞いてもヒナギクがお荷物だという人間は一人もいない。

 それは彼女が《音速》と呼ばれるコードを持つ事だけが理由ではない。

 三班という黒鉄最精鋭部隊において、《宵闇》《水鏡》《不貫》に次ぐコードを持った《最年少コードフェンサー》。

 近衛殺し(インペリアルキラー)こと、《水鏡のスイレン》がその才能を認め、是非にと乞うて世話役であった《錬血のミヤビ》からもらい受けてきた三班の秘蔵っ子。

 それは確かにヒナギクに将来性を感じさせる理由ではあっただろうが、そんな付加価値だけで仲間達から大事にされているわけではないのだ。


 彼女はいつでも仲間達の為に一生懸命で、自分に出来る事は絶対に手を抜いたりしない。

 自分はまだ頼りにならないと知っているから、仲間達の言葉にはいつでも真摯に耳を傾ける。

 たまにちょっと副長ぶってみたりもするけれど、それも背伸びをしてみせただけの可愛いげがあるものだ。

 そんなところも、年長である仲間達から見れば

『仕方のないヤツだな』

 と考えられて、つい手助けをしたくなってしまう。


「さぁ、行こうっ、ペケちゃん! 今から戦場でその鋼鉄のハートを震わせてあげるっ」


 そんな変なカリスマでもって仲間達の心を掴み、班長シャクナゲの補佐に大抜擢された音速の少女。

 彼女は今日も戦場で、仲間達からからかわれて、心配されて、小突かれて、少しばかりは頼られて愛車を駆る。

 みんなの可愛い妹分として。

 それが彼女――音速の呼び名を持つ、ヒナギクという少女なのである。







「見つけましたっ」


 カウン。

 軽く吹かされたエンジン音。

 左手に持つのは玩具のような銃。

 なにより居る場所は、平屋の民家の屋根の上だ。

 とりあえずそんな少女を見て、見つけられた側の人間――ロマンサーの構成員である男は、声もなく呆然としていた。

 瓦ではなく、合成素材である屋根瓦を弾き、段々畑のような鋸屋根の上を走ってくるバイクに少女が乗っているのだ。思わず自分の正気を疑ってしまっても無理はない。

 そんな男を目掛けて、バイクの少女――ヒナギクはペケちゃんを空に舞わせた。

 綺麗に弧を描き、男に目掛けて降ってくるバイク。それにようやく正気に戻ってもすでに遅い。

 綺麗にリアタイヤは男の顔にめり込んで、男が手にしていた銃からは間抜けに一発の弾丸だけが宙に吐き出される。


「油断大敵ですっ、そうウチのリリィも梅ちゃんもヒナにしつこいぐらいに言ってましたっ」


 そしてすぐ先の曲がり角から顔を出した男に、左手の銃を向けると引き金を引いた。

 バスッ。

 気の抜けた発破音と共に飛ばされた弾丸は、目視できるほどに大きくて鈍い。それでもとっさに反応出来るほどではない。

 その弾丸はなんとか避けよう身をかわす男に迫り、一気にその姿を広げられた網に変えた。

 ネットシューター。

 かつて特殊部隊でも使われていたそれは、男をあっさりと絡め捕る。


「とりあえず何人かは生け捕り予定だって話ですから、とりあえずお縄ですっ。液体窒素が籠められたヤツとか、普通の散弾とかだったら動けないだけじゃ済まなかったですよ」


 無造作に首から下げたバッグに手を突っ込み、そこにある指先より二回りほど大きな弾丸を籠めると、ジャコっと音を立ててボルトアクション式の改造銃に特殊弾丸を装填する。

 その全てを左手のみでこなしながらアクセルを吹かせると、脇を走り抜けざま網に絡められ倒れた男に銃把を叩きつけた。


「眠ってる間に終わってるです。言っても聞こえてないでしょうけど。今のうちにいい夢でも見ててください」


 カウンカウンっ。

 吹かせるエンジン音は、まるで上機嫌に歌うかのように音を響かせ、その背に乗せた少女の望むままに風を切る。

 垂直の壁も、鬱蒼とした庭木ですらもものともしない。むしろそれを足場にトリッキーな動きを繰り出していく。

 銃弾の雨を器用に抜け、近くを飛んでくる特殊能力の脇をすり抜けるようにかわしざま、銃を代わる代わる握った両手をひらひらと左右に向けると、そこからは様々な効果がある特殊弾丸が敵に襲いかかる。


「う〜ん、ペケちゃんは今日もご機嫌ですっ。さすがヒナが整備しただけはありますっ」


「くそっ、なんでバイクでこんなに器用に動けるんだ!? こんなチビっこいガキ――」


「ガキじゃないです! ガキって呼ぶ人にはちょっとキツいヤツをお見舞いするですよっ」


 アクセルターンで後輪を滑らせて足元を薙ぎ払い、敵を踏み台に壁を駆け上がり、特殊銃で次々と無力化していく。あるいは持ち上げた前輪で敵の顔面にタイヤによるキスマークを刻む。

 飛んでくる銃弾は、そのトリッキーな動きを捉えきれない。

 あらゆるものをグリップ力の強いタイヤで足場として駆け回り、人を超えるスピードと馬力で蹴散らしていった。


『ヒナっ、西地区で予想外の抵抗を食ってる! チッ、主力は全部引いたんじゃねぇのかよ。そっちが終わったら来てくれっ』


 彼女が最初に見つけた十数人を叩きのめすまで、五分もかかっていなかった。

 顔にタイヤ痕を刻まれて伸びている男が数人。

 体を網で絡め捕られた上、弾き飛ばされて伸びている男が数人。

 《運が悪かった》らしい数人は、腕をカチンコチンに凍結された上、そこに一撃を食らったのか腕が取れてしまっている者もいた。

 もっと運がなかった者は、体中を散弾で穴だらけにされて絶命している者もいる。

 そんな中、ゴーグルに付けられたイヤホンマイクから聞こえてきた声に、ヒナギクの顔が僅かに強張らせた。


「すぐ行きますですっ、待っててくださいっ」


 ――西って、あっちには何人いましたっけ?


 それを考えようとして、とりあえずそんな暇はないと《ペケちゃん》――XRとだけ残っている古いエンブレムの《X》からペケちゃん――のスタンドを立てかけると走り出した。

 そして、頭にかけたままのゴーグル……運転中もカチューシャ代わりにしかなっていなかったそれを下ろす。


 音速と呼ばれる彼女の能力は、そのバイクを自在に操る運転技術でも類い稀な身体能力でもない。

 彼女の運転能力は、本来の能力を使いこなす為に必要なバランス感覚を活かしたものでしかなく、副産物に過ぎない。

 もちろん特殊弾丸は三班技術部作製のものと、今は袂を別った五班が作ったものだ。これも能力に関係はない。


「みんなっ、すぐにヒナが行きますからねっ」


 そういったヒナギクの体は、駆け出した速度のままゆっくりと……しかし加速度的に速度を増して宙に舞い上がっていく。

 上から糸で吊るされているかのように空を舞い上がり、凄まじい速度で入り組んだ民家と民家の間をすり抜けて西――太陽が沈む方向だと教えられた――へと飛び去っていった。



 最年少で三班の顔役である《符号所持者》に選ばれた彼女の能力。

 それは自在に宙を翔ける能力と、自ら起点となった飛翔物の軌道を動かす能力だった。

 つまり《自分が起点となった飛翔物の軌跡を自在に操る能力》である。

 軽く飛び上がっただけで飛翔物となった自分自身もそれに含まれる。


 空を飛べて、投げたものの軌道を変える……それだけ言えば大したことのない能力だと思えるかもしれない。単なる念動力の珍しい形……念動力の非常に珍しい亜種だと言えるだろう。

 ただヒナギクの場合、その飛翔速度が半端ではない。

 バイクを乗り捨てて、自身の体のみで移動している事からも、バイクの比ではない速度が出せる事が明らかだ。

 ヒナギクの見かけにはちょっとゴツ過ぎるゴーグルは、あまりスピードを出さないトライアルバイクの運転用のものではなく、能力を使用して飛翔する時のものなのだ。


 また、身体能力に任せて投げたものを、能力によって軌道を《前により向ける》事でさらに加速させるというように、能力の使い方も先天的に上手い。

 何より、水鏡のスイレンが是非ウチにとそう願ってもらい受けたのは、それら特殊能力を使いこなせるだけのずば抜けた反射神経によるものだ。

 考えてみれば分かる事ではあるが、足場の全くない宙を飛ぶという事において、身体のバランス感覚が必要とされる比重はかなりのものとなる。

 方向転換一つを取って見ても、考えてから重心をずらしていれば壁に正面衝突しかねないし、速度を上げれば重心の移動もより精密にこなさければならなくなる。

 ヒナギクの能力であれば方向転換すらも能力一つでこなせなくはないが、それらを自身の反射神経に任せた重心移動でこなす事により、速度に割り振る力の比率を上げ、さらには飛翔時に投擲物の軌道調整が出来るようにする。

 そうする事で、より戦闘向けの能力へと昇華している彼女の能力は、乱戦においてはかなり高い戦闘能力を誇っているものだ。

 自在に戦場を飛び回って相手を翻弄するだけではなく、すれ違いざまに一撃を加えるだけでもかなりの威力を発揮する。

 また敵陣の偵察や、高度からの破壊工作においては無類の力を発揮する事は言うまでもない。


「本気で飛ばすとお腹が減るんですけど、今日は大盤振る舞いですっ。なんてったって今日は帰ったらご馳走ですからっ」


 問題があるとすれば、身体にかかるGを能力で軽減させてはいても、かかってくる負担は大きくなりがちである事と、能力を使用しながら感覚を鋭くする事によるカロリーの消費が半端ではない事だ。

 スピードを上げれば体力の消費も増え、コストパフォーマンスの面――つまり燃費だ――では難点がある。


 だからこそ普段は天性のバランス感覚と、類い稀な反射神経、それに付随する目を武器にして、バイクを足にして戦う方法を取っていた。いかな変種であれ、バイクの馬力やスピードを越えられるものはそう多くはいないし、仮に敵の中にそんな人間がいたとしても、ヒナギクの場合は飛翔軌道の操作という能力もある。

 バイクの馬力と弾丸軌道――あまりにも早く小さなものは無理でも、なんとか視認出来るものであればその軌道を動かせる能力。それらをフルに使えるように考えられた彼女専用の装備。

 これだけあれば十分戦えるだけのセンスが彼女にはあった。

 しかし、仲間から救援要請があれば構っていられない。燃費がどうとかケチな事を言って、能力を抑えているわけにもいかないのだ。




 彼女の今の立場……つまり黒狗の副長の位置は、ほんの一年と半年ほど前まで別の女性のものだった。


『あらら、空飛ぶひったくりとか、世の中物騒になったもんねぇ』


 ヒナギクがまだヒナギクではなく、そこら中にいたストリートチルドレンの一人だった頃、彼女は生まれ持った飛翔能力で引ったくりを繰り返し、それで生き延びる糧を得ていた。

 そんな時に獲物として狙った一人の若い女性。生涯最後になってしまった引ったくりの獲物であり、最初で最後の失敗をした相手。

 彼女こそが、黒鉄という組織では最強の部隊と名の知れた黒狗部隊の副長だった。


『珍しい能力だけどさ、それだけにちょっと危ういかな。このままだったら、あんたはいつかその力に噛み付かれるにゃ〜。ま、引ったくりのしっぺ返しなんだって考えれば因果応報ってやつだけど』


『……でもねぇ、ほっとくのも目覚め悪いしにゃ〜。うん、仕方ない。仕方ないよね、うん。あんた、あたしに付いてきなさい。あたしがあんたを生き延びられるようにしてあげる』


 そう言って、引ったくった瞬間には捕まえられていたヒナギクをぶら下げたまま、黒鉄へと連れてきたのだ。


 そして彼女は文字通り、地獄のような特訓を課してきて。

 容赦なく体罰を与えてきて。

 何も持ってはいなかったけれど、自由だけは有り余るほど持っていた彼女を縛り付けてきて。

 そして居場所を与えてくれた。

 生き残っていけるように、今までやった事のなかった能力の制御訓練に付き合ってくれた。

 返しきれない借りをヒナギクに無理矢理押し付けてくれた。

 そしてそのままいなくなってしまったのだ。


 ヒナギクをヒナと最初に呼んだのは彼女だった。

 空飛ぶヒナギクを目掛けて能力で作った剣を飛ばし、その上に乗って追いかけてきたかと思うと、空というフィールドでは敵なしだったヒナギクに、最初の敗北をプレゼントしてくれたのも彼女だった。

 家も家族も失って以来、ヒナギクを抱いて寝てくれたのも彼女が初めてだ。


 そんな彼女の元を離れて、初陣を終えたばかりの時。

 黒鉄にとってはいつも通りの防戦でありながら、ヒナギクにとっては特別な一戦をなんとか生き延びた時だった。


 ……彼女の訃報が届いたのは。


 今からようやく借りを返していけるという時になって、彼女がいなくなってしまったという報せが届いたのは。


 その訃報を聞いた際は信じられなくて


『あの剣の姫が……黒鉄が誇る錬血が敗れるはずがない』


 そう笑えない誤報を鼻で笑ってみせようとした。

 でも、すぐにそれが事実だと知ってしまった。

 関西統括軍の近衛総長である男に、彼女にとって唯一の弱点である《生徒》が盾に取られて。

 いまだ未熟な生徒がいる場所を戦場にされて。

 最後までその場に留まったまま、皆が逃げ切るまで一歩も退かずに死んだのだと聞いて、それが《ありえる話》だと理解してしまった。

 せめてもの意地をみせ、近衛総長直轄部隊のほとんどを道連れにして、その進軍を彼女以外の犠牲は誰一人として出さずに退けたという辺りが、いかにも彼女の最期らしいと思ってしまった。

 だから暴れて、泣きわめいて。


『仇はヒナが討ってやるっ、絶対に殺してやる』


 そう叫んで、生き残った近衛軍の元へ突っ走りそうになった。

 ヒナギクを引き取って、面倒を見てくれるようになっていたスイレンがいなければ――彼女がヒナギクを抱き締めて一緒に泣いてくれなければ、恐らくそのまま突貫していただろう。


 ヒナギクは、そんな借りが山ほど作ったままいなくなった女性の後継者なのだ。

 数いる後継の中でも、自分は特別なものを彼女から引き継いだという自負がある。

 何故なら大勢いた弟子の内、自分だけが彼女が一番大事にしていた居場所を引き継いだのだから。

 直接聞いても否定されただろうけれど、恐らく――本当に恐らくは彼女が好きだったのであろう男に一番近い場所。

 それは他の誰でもなくヒナギクだけが引き継いだのだ。

 その立場は、班長や副官といった正式な役職を持った立場ではない。特別な位置ではあっても、所詮は無位無冠だ。

 でも、班長や副官の立場と代わってやると言われても絶対にお断りな場所だった。

 彼女ももっと上の立場に立てたはずなのに、その位置から動こうとはしなかったのだ。

 だからヒナギクもその立場を動くつもりはない。彼女が守っていたものは、彼女に守られた自分が守ってみせると決めたからだ。

 彼女が生きてさえいれば守りきったであろうものを、彼女に救われた自分が代わりに守ってみせたいと願ったからだ。

 その決意は、ヒナギクにとって何にも替えがたい大事なもので、誰にも譲れないものだ。


 それだけではない。

 彼女以外にもヒナギクを救ってくれた女性。

 彼女を師とするならば、姉とも慕う女性。

 ヒナギクが今まで生きてきて一番悲しかった日に――生まれてきてから一番泣いた時に、ヒナギクを抱き締めて一緒に泣いてくれた女性の為でもある。


『ヒナが泣いて泣いて泣き疲れて、身体中の水分を出し尽くしてしまわないように、あなたが泣く予定だった半分の涙は私に流させてちょうだい』


 そう言って、ずっと側にいてヒナギクをあやしてくれた女性……スイレン。

 彼女は悲しみの余りヒナギクが無茶をしないようにずっと側にいてくれて、頭を撫でてくれて、夜は抱いて寝てくれた。

 一人きりになった感覚に囚われていたヒナギクを、自分の暖かさで包んでくれた。

 恐らくは誰も見た事がないであろう彼女の涙をヒナギクだけは見て、その暖かい涙に救われた。

 だから彼女は無茶をしないで済み、今も生きていられる。

 あの暖かさを覚えていられたから塞ぎこむ事もなく、みんなが大事にしてくれる明るい自分を手に入れられた。

 そんな彼女がヒナギクに頼んだのだ。


『私の力は直接シャクナゲを守ってあげられるようなものじゃない。私ではミヤビにはなれない。私の代わり……あなたにお願いしてもいい?』


 その言葉が彼女を強くしてくれた。

 自分を頼ってくれた言葉が。

 自分を認めてくれた言葉が。

 今は亡き師の立場に立つ勇気をくれた。


 だからこそ、ヒナギクは今こそ《音速》と化して空を駆ける。

 きっと師と姉が身を案じる彼は、仲間の危機には全てを投げうって駆けつけるだろうから。

 お腹が減るし疲れる、なんて言い訳は絶対にしない。

 そしてもしあの師が生きてさえいれば、そんな彼の側で剣を打っていただろう。

 必要とされれば、それこそ百でも二百でも。

 空も大地も剣の吐息で包み込み、先駆けとなって刃を振るっていたに違いない。


「ヒナが守ります。全部、全部っ、ヒナが守ってみせますっ。ヒナを拾ってくれて、ヒナを見つけてくれたミヤビの代わりにっ。ヒナを救ってくれて、ヒナが必要なんだと言ってくれたスイレンの代わりに!」


 ヒナギクは錬血にはなれない。それは確かだ。

 剣を作る事は出来ないし、それを操るすべも持たない。

 水鏡のように変幻自在な戦い方も、巧妙な戦闘方法も持っていない。

 でもヒナギクにはヒナギクだけの力がある。彼女だけが出来る事がある。

 その身を音速に染め、誰よりも早く仲間達の元に駆けつける事だ。シャクナゲやスイレンでは間に合わなくて、その結果として傷を負ってしまう事になる仲間達を違う結末を導く事だ。

 それは錬血のミヤビも水鏡のスイレンも持たない力だ。

 その力を持って、彼女が呼んでくれた『ヒナ』という名前を今も呼んでくれる家族の為に駆ける。


 ――思いは力になる。忘れちゃダメよ、ヒナ。あたし達みたいな強い力を持つ人間にとって、それは何よりも大事な事なんだから。



 その教えは今もヒナギクの心に根付いていた。

 音速と呼ばれ、黒狗の二代目副長を勤めるようになって一年たった今でも。



心折れたダメージはでかかったです。

今回のあとがきは二部のまとめ……を入れる予定でしたが、まだ傷が癒えてなくて。

正直すぐには書けそうになかったので、次回に延期させてください。


自分、あとがきは下書きを一切しないままサラッと書くだけだったり、まるっと設定をコピーしたりするだけなのですが、今回はコピーともいかず、サラッと書けそうにもないので。

題名がお知らせと違うのは仕様です。

本当は四文字漢字で通そうかと思ってましたが、拘ってそうしていたわけではなかったので、今回はちょっと違います。

次回更新はまたお知らせにて。


次回はカーリアンと……ナナシまで入るかな。

めちゃ長くなりそうだから、分けるかもしれません。

とりあえずヒナっこの紹介はまた後日。

ヒナっこも彼女の影響を受けまくってます。

肝心の彼女は本編入る前に退場してるのに、どうしたものでしょうね?

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