2・黒花蠢動
本題変えました。
詳しくはお知らせにて。
あとがきは一部のおさらい後編です。
「何故か知ってるヤツは知ってるみたいだけど……」
そう前置きをして、チラッと視線を向けてくるシャクナゲに、カクリは薄く笑みを返してみせた。
三班内で定期的にある会議ではなく、班長の召集という形での集まり。
それは頻繁にある事ではなく、重要な案件がある時か、さもなくば外部から――ほとんどの場合は廃都の政治を司る民政部から――厄介事が持ち込まれた時に限る。それ以外は定例会議で済むように班は運営されているからだ。
――さて、外征も本決まりしたみたいだし、今日の呼び出しはその事かしらね?
そうカクリは考えていたのだが、その出だしからして予測は当たっていたらしい。
のっけからその情報を探り当てていたカクリに対する牽制から入ってくるとは考えていなかったが、それでも視線を反らしたりせず、薄い笑みであっさりと牽制を迎撃する辺りがカクリという少女の本質を表している。
「ちょっと前に民政部から要請があった。廃都の北部に根城を持つ盗賊団、ロマンサーに対しての攻撃要請だ」
普通ならばここで質問が入る。普通の集団であれば、そんな重大事を持ちかけられた事に対して、何かしらの誰何の言葉が飛ぶものだ。
――なんで今の時期に。
――なんでこんなややこしい時期に、盗賊団の相手なんて。
――今は外よりも内部に目を向けるべきではないのか?
そんな言葉が投げ掛けられるだろう。
あるいは、『民政部の要請であっても、今回は受けるべきではない』と、はっきりとした意見が出されるかもしれない。
今の黒鉄は、一枚岩ではないのだから。
一丸になって外敵に備えてられるわけではないのだから。
内部には、黒鉄最古参のカブトとアゲハが率いる黒鉄第五班を筆頭に、防衛班と呼ばれ、拠点防衛戦に特化した戦闘訓練をこなしてきた第四班、全く動きは見せていないが、どことも連携を取らず、不気味な雰囲気を醸し出している第六班などの内憂を抱えている。
それら三つの勢力は、特に連携する動きは見せていないものの、それぞれが外の盗賊団など比較にならないほど厄介な相手であり、本格的に敵対はしていないが、三班を中心とした勢力とは冷戦状態にあるのが実情だ。
交戦はしていない。敵対宣言も出てはいない。でも、はっきりと三班を中心とした勢力からは距離を置いている。
いかに反三班の急先鋒であった黒鉄第一班が三班に歩み寄り、対話による関係改善の目処が立ってはいても、元より一と三は相性の悪いところがある。それもいつどのように崩れるか分からない。
さらに微小な勢力ではあれど、カーリアンとカクリの古巣である第二班とて、いくらかの勢力を保持している。戦力は持っていなくても、医療活動に従事して培ってきた発言力という面では侮れない。
それらのメンバーの中には、三班以外の勢力に繋がりを持つ者もいるだろう。
そんな諸々の状況だけを見れば、今は外ではなく中を見るべき時だ。
今までどのような時代のどれほど強大な力を持った勢力であれ、外敵よりも内憂の方が厄介である事は歴史が証明している。
内部からボロボロにされ、外敵に備えられなかったが為に滅ぼされた王朝など、歴史上には山ほどある。
――それでも。
それでも、この黒鉄第三班という場所では、そんな当たり前の危惧は上がらないのよね。
しかし、この班はカクリの考える常識が当てはまらない。
今ここに集められたメンバー……第三班にある五つの小隊の副長以上の者達は、全く言葉を挟む事なくシャクナゲの次の言葉を待つだけだ。
「この要請、俺は受ける事にした。問題があるヤツは意見を言ってくれ」
そう言われても、誰も挙手はしない。
周りを見渡す真似すらもしない。
アオイはニコニコしているだけであるし、彼の率いる兎の副長は、その隣で書記に徹するべくサラサラと何やら文字を書いているだけだ。
猫を率いるスイレンなどは艶然と微笑んで
『意見があれば遠慮なくどうぞ、副官補佐さん』
と言わんばかりにカクリを見ている。
雉の隊長と副長はどこまでも生真面目に、シャクナゲの言葉を一言も聞き漏らすまいとしゃちほこばっているし、猫のところの副長などは、何故か藁を編んで作った人形――最近のマイブームであるらしい藁人形作りに没頭していた。
カクリの隣にいるカーリアンは、会議をそっちのけに《参謀》なんて新たな役職を与えられた女性――カーリアンが光都で拾ってきたエリカを相手に、ついさっきまでやっていた訓練の寸評なんかをしている。
シャクナゲ直属の狗の副長は、刻々と積み上げられていく藁人形と、カーリアン達の様子を交互に興味深そうに見ているだけだ。
誰もなにも言わない。
問題なんて欠片もないから、どんどん話を進めていいと言わんばかりだ。
――いやいや、問題は山ほどあるでしょう?
そう普通の感性ならば思うだろう。
でもこの班ではそうではない。
シャクナゲがそう決めたのならやるだけだとなる。
彼が自分達ならそう出来ると判断したのなら、その期待に応えるだけだとなる。
今までもそれで上手く行ってきたし、これからもそうなるように努力をしてきたのだから、今になって慌てる必要なんてどこにもない……そう考えるのだ。
そんな空気が流れる中で、カクリだけが
『はいっ、意義あり。そんな計画は問題ありありです』
などと言えるはずもない。
そんな事を言えば、自分だけが周りに劣る程度の努力しかしていない事を認めるだけだ。自分の今までこなしてきた仕事に、自信がないといっているようなものだ。
なにより、シャクナゲという男とその右腕であるアオイが、内部の問題を棚上げにして民政部の要請にほいほい従うはずもない。
三班の連中は、黒鉄の中でも古参が集まっているだけに、民政部などなにするものぞ、という気質が強い班だ。
一番民政部が信頼する班である事は確かだろうが、一番扱い辛い班である事も間違いない。
そこまで考えて、問題を指摘するとすればその辺りまで話を詰めてからだろう……そう判断すると、カクリも沈黙を貫いた。
「ならばこの作戦に当たる編制と、それ以外の小隊の役割については――」
「私からお話しましょう。よろしいですか?」
「頼むよ」
シャクナゲがチラッと視線を向けるだけで、即座にその意図を読んだアオイが立ち上がった。
シャクナゲは班長だ。つまり、ここに集まったメンバーのトップである。
そんな人間が司会進行を進め、話を最後まで持っていってしまえば、それはもはや会議でもなんでもない。単なる決定事項の通達だ。
ただでさえこの三班というグループは、シャクナゲの意見を絶対のものとしがちだ。彼の戦績を皆が認める分、彼を頼る者がかなりいる。
『三班はシャクナゲがいなければ動けない』
そう揶揄されるのは、そんな面によるものが大きい。
確かに彼の戦績を見れば、彼に頼りたくなる気持ちは分かる。
カクリでさえも、いざ難局にあたれば誰を頼るかと言われれば、カーリアンよりもシャクナゲを選ぶだろう。
難局を乗り越える事がカーリアンの為になるとなれば、彼女ではなくシャクナゲを頼るべきだからだ。
でも、それでは人材は育たない。判断力は養われない。
だからこの班での会議では、始めにシャクナゲが挨拶がてら主旨を説明して、そこからはアオイが進行役を務める事が多かった。
最初からアオイが立たないのは、《これがシャクナゲが考えた事だ》と、そう示す為だろう。
「実際にウチから外に出る部隊は二つで考えています」
「さっそくで悪いが、質問だ」
手を挙げたのは、黒雉隊の隊長であるカエデだった。
アオイに進行役が変わった途端、いきなり質問が出る辺りがこの班の体制をよく示しているかもしれない。
カエデは背はそれほど高くなく、肉付きもそれほど筋肉隆々といったわけではないが、その切れ長な鳶色の瞳がどこか危ない雰囲気を持っている男だった。
カーリアンと同じく《練血》と呼ばれる女性にしごかれたくちで、そのせいかやたら訓練がキツいと評判の隊を率いている男である。
「はい、どうぞ。カエデさん」
「ロマンサーは、確かかなり大きな集団だったと記憶している。二つの小隊では足りなくはないか?」
「足りないですね。勝てなくはありませんが……むしろ二つでも確実に勝てる相手ではありますが、犠牲を出来るだけ少なく、そしてなるべく討ち洩らしなく終わらせるには、攻撃用の黒狗、撹乱用の黒猫、遊撃用の黒雉の三隊は必要でしょう。医療支援用の黒鼬もいれば万全でしょうね」
防衛戦が多い黒鉄において、三班においては唯一攻撃に打って出る為の部隊が《黒狗》小隊だ。
廃都を攻める勢力の指揮官を襲撃し、補給線を断ち、敵部隊の中でも一番厄介で、それだけに潰せば敵の士気を落とせる精鋭を相手取る為の部隊……それが黒狗だ。
ただ盗賊団を打ち破るだけなら、この黒狗と援護用の一隊がいれば事足りる。
しかし、大規模な盗賊団を再起不可能なほどに潰しきろうと思えば、やはり数が足りない。
それにいかに黒狗小隊でも、数が数倍もいれば犠牲がかなり出てしまうだろう。
それを危惧したカエデの言葉に、アオイは全くもってその通りだとばかりに頷いてみせる。
そして、その辺りを補足すべく言葉を続けた。
「ですが、ウチからは二隊が限度です。他にも備えるべき相手がいますから」
「それは……分かる。しかし――」
「えぇ。他に備えれば肝心の盗賊退治に赴く人数が減りますね」
アオイが何が言いたいのか、それが分からないのか、カエデはああでもない、こうでもないとブツブツと言葉を漏らして考えを巡らせていた。
まるっきり無関係っぽくポーカーフェイスのまま、カクリも考え広げていく。他の面々も同様だ。
いまだ微笑を浮かべているスイレンと
「あなた達も考えてみなさい。作戦を自分なりに考えて、それから理解する……これは大事な事よ?」
そんな事を言って、ポカーンとしていたカーリアンとヒナギクに考える事を促しているエリカ以外は、皆一様に正解は知らないらしかった。
「では、私達なりに考えた意見を言う前に、誰かにどうすればいいかを意見を言って頂きましょうか」
そう言ったアオイの言葉に、緊張を滲ませたのはヒナギクとカエデだった。
カーリアンはなにかしら考えが浮かんだのか、今にも挙手しそうな雰囲気であり、アオイの隣にいる兎の副長は
『自分は書記だから関係ありません。他を当ててください。私には当てないように』
と言わんばかりの風情で、細いペンをくるくると指先で回している。
猫の副長――リンドウという名前の根暗そうな少女は、藁人形作りに夢中のままで、隣にいるスイレンに苦笑を浮かばせていた。
「では……カクリさん、何か考えがありますか?」
「……なくはない」
内心、『よし、私にきた』とカクリは考えた。この場でアオイから発言を求められるのは、カクリからしても願ってもない事だ。
特殊な能力もなく、腕力も平均値よりかなり下であり、体力にも自信がないカクリからすれば、作戦立案や会議の場ぐらいでしか自分を示せる場所がない。
だからこそ、考える事がメインである場で自分に白羽の矢が立つ事は望むところだ。
むしろ視線に力を入れて
『私に発言させなさい、さぁ、早く!』
とばかりに、アオイの瞳を見据えていたぐらいである。
そんなカクリの考えが分かったのか……あるいはまだ新参者であり、カーリアンに引っ付いているだけの小娘という印象が抜けきっていないカクリの為にか、アオイはあっさりと彼女に話を振ったのだ。
アオイはわざとこんな機会を設けたのだろう……それは理解していても、わざわざ目立てる場所を提供してくれたのだから、カクリは美味しくその機会をごちそうになる事にする。
「……外に戦力を出せば内部の戦力が足りない。……かといって本部防衛はおろそかには出来ない。……この二つの内、本部の防衛は絶対に三班だけでやるべき。……これは減らすわけにはいかない。……なら足りないのは外に出す戦力という事になる」
「なるほど」
――何がなるほどだか。それぐらい考えてるくせに。
そうは思っても言葉には出さない。
――多分……いや、間違いなく、ここにいる連中のほとんどは、今の場で私を試しているだろう。シャクナゲとアオイの考えを、私にも理解出来るか。新しい部隊である《黒鼬》の副長は、どの程度の人間か。
気づけば、全ての人間がカクリを見ていた。
人形作りに夢中だったリンドウや、目下三班内においてカクリに最大のライバルだと認定されつつあるエリカ、肩肘張った姿勢のままの雉組二人までもがカクリを見ている。
「……ならば外に出す戦力は他から借りればいい。……民政部からの要請なら他の班も戦力を出すはず」
「そうですね。私もそう考えています。いますが、果たしてどこから戦力を出させるべきだとお考えでしょうか?」
「……一班ね。……七班なら確実に力を貸してくれるでしょうけど、七班では意味がない」
サラッとなんでもないように答えたカクリに、アオイはニコニコとした笑顔は崩さないままで次の質問をぶつけた。
考える時間すら与えない。でも、カクリには抜かりはなかった。
戦力を借りる、なら誰に借りるか?
それは当然出てくる疑問であり、それぐらいは考えてから案を出している。
「七班では意味がない、とはどういう意味だ?」
それでも一旦話を区切ったのは、誰かがその質問をしてくれるのを期待したからだ。
その期待に答えてくれたカエデに、カクリは視線を向けて考えを述べた。
「……確実に裏切らない味方では意味がないと言っているの。……ここで戦力を出させるべきなのは、内部に残した場合には、わずかでも警戒を向けなければならない相手で……そして外に出向いた先で裏切る可能性の低い相手。……だから一班なの」
黒鉄第七班。
黒鉄最強の座を、三班班長であるシャクナゲと争う相手がいるとすれば、それは他の誰でもない。この七班の班長である《銀鈴》のスズカだろう。
彼女の圧倒的なまでの能力を知らない者は黒鉄には一人もいない。
彼女の力は全黒鉄を見渡しても、頭二つ三つは抜けている。独走している、と言い換えてもいい。
かつてのアオイの言葉を借りれば、《純正型の人の変種》とされる彼女は他の人間とは次元が違うのだ。
そんな彼女が率いる七班が三班の無二の仲間としてあるからこそ、勢力が別れた黒鉄が小康状態にあると言っても過言ではない。
もちろん三班から協力要請があれば、七班は援護をしてくれるだろう。
――でも、それでは戦力の計算が微妙になってくる。内部に残す部隊だけでは、他の勢力の抑えが完全には効かなくなってくる。
カクリの考えでは、シャクナゲか《銀鈴》が廃都に残っている事、それが周りに対する牽制になっている部分はかなり大きい。
関西で一番強い能力を持っていたと思われた《将軍》を打倒したシャクナゲと、そのシャクナゲをも越えていると言われるスズカ。
そんな二人が二人とも出ていく事は、それは単純に戦力が減るという以上に大きな意味を持つ。
三班に敵対しているグループは……中でも現状を理解しきれていない末端の班員などは、それを絶好の機会だと感じるだろう。
相手を罠に掛けるつもりならばともかく、まだ話し合いの余地があるうちから戦端を開く原因にもなりかねない。
そういった事情から、シャクナゲが外に出るならばスズカにはなるべく廃都から離れて欲しくない。
彼女はその存在があるだけで抑止力になる。
三班内部の戦力も、色々な不安要素に対応する為に過半は残していく事になり、七班にも援助は求められない。
そうなればどうすればいいか。
簡単な話だ。三班が警戒すべき相手から戦力を引っ張ってくればいい。
その相手が外に出る部隊に付いてくれれば、一気に計算が楽になる。
七班の《銀鈴》の力とその名前、そして三班の半数で内部を警戒出来るようになり、外に出る部隊も数を増やせるようになるのである。
確かにリスクはある。外に出向いた部隊が裏切りに合う可能性は確かにある。
だがそれも、相手を吟味する事でかなり抑える事が出来るだろう。まだ混沌とした内部から切り離せる分、割のいい賭けだ。
「……話し合いが進んでいる分、いまだに連携が取れていない他の班よりは信頼に足る。……それに一班が外に出れば、内部に残す戦力は一班に対する警戒を緩められる。……五や六や四も、三班が民政部の要請で外征に出ている上、警戒部隊を十分に残しているとなれば、行動を起こしにくいはず」
そして、そう考えた上で誰に協力要請を出すかと考えれば、黒鉄の諸勢力が袂を別つ原因となった五班は論外として、連携が全く取れそうにない四、六班よりは、一班が候補に挙がる。
そしてなにより――
「それに一班と三班が和解しつつあるというアピールにもなる、ですね」
「……そう」
三班の勢力が一班と和解しつつあると周りに喧伝する効果がある。
そこまで考えていたのだが、それもアオイとシャクナゲが考えた筋書きをなぞっただけだったのだろう。
ニコニコ笑ってはいるものの
『それぐらいは考えてもらわなければ困ります』
という色がカクリには見て取れた。
「さすがはカクリさんですね。私達が考えた案もほぼその通りです」
「……そう」
――今回は乗せられてやったけど、借りなんて思わないから。
ニコリともせずアオイを見返しながら、そんな思いを視線に乗せて、表情だけはニコニコ笑顔のままでおべんちゃらを述べるアオイを見やる。
この男がカクリにとっては一番の《政敵》と言える相手だった。
個人的なライバルではない。カクリが属する勢力にとって、厄介極まりない相手。
直接の上官にあたり、班長シャクナゲの右腕にあたる男――アオイ。
――いくら調べても過去が掴めない。誰に聞いてもアオイの事はほとんど分からない。そんな事があるの?
有志が集まった自警団が元となった黒鉄では、基本的に他人の過去を調べる事はタブーだ。
地方の有力な勢力を相手に回して抵抗活動をしてきた黒鉄は、そんな活動をしてきただけにお尋ね者の集まりとなっている。
過去を知られ、家族を知られれば、それを弱点と見て突かれてしまう可能性は否めないのだ。
だから本名を名乗る者はなく、自然と呼び名は本名からかけ離れる。
シャクナゲやアオイ、スイレンやヒナギクなどの三班の幹部連が名乗る名前は、全て植物にちなんだものであるが、もちろんそれが本名であるはずもない。
カーリアンやカクリなどの元二班の面々も、当然そんな黒鉄の風潮を受けて本名を名乗ってはいない。
『本名を教える相手は絶対に信じるに足る者か、もし裏切られてもその相手を恨まないと決めた者』
それが黒鉄の当たり前だ。
――でも、誰も過去を知らないなんて事があるのかしら? シャクナゲや……あるいはスイレンなら何か知っているだろうけれど、他の誰も本名も過去も知らないなんて事がありうるの?
カクリの情報網にかかれば、ここにいるほとんどの相手の過去の一端は掴める。
仲間のうち、誰か一人はそれを知っている者が黒鉄にいたからだ。
ヒナギクはストリートチルドレン上がりだった。盗みや物乞いをしていたところを、シャクナゲとミヤビに拾われたと聞く。
雉のカエデは元々食い詰め者で、廃都の食糧を狙ってきたところをシャクナゲにコテンパンにやられて黒鉄に入ったらしい。
その片腕である《生真面目サツキ》は、カエデとは《錬血》と呼ばれた女性の元で知り合ったらしく、それからはデコボココンビを組んで一隊を率いている。
リンドウはスイレンがどこからか拾ってきたらしい。スイレンになつくあまり、スイレンの《視界支配》……関西統括軍の近衛軍ですらも手玉に取った《水鏡》に対する抵抗力がある、という不思議体質を持っているようだ。
兎の副長は、案外ずぼらで良く分からないヤツであるものの、元はいいとこの出らしい。しかし黒鉄としての経歴は、三班の中でもシャクナゲに次ぐほどらしく、アオイよりも古株のようだ。
カーリアン。
東海地方において、変種と呼ばれる自分と同じ側に立つ人間を、憎悪と復讐の名前において殺しまくってきた《東海随一の同族殺し》の少女。
でも、彼女はカクリに名前をくれて居場所をくれて……全てをくれた。
ただ、その情の深さゆえに自分を抑えきれなくて。
動乱期に無くしたものが大きすぎて。
手にした発火能力が強すぎて。
憎悪をぶつける手段を持ってしまって、荒れ狂ってしまっただけだ。
彼女の為なら、カクリはなんでもしてみせる。
どんな汚い事も我慢すると決めている。
そんな彼女の事ならば、カクリはなんでも知っているつもりだ。
認めたくはないが、その中に秘めた少女らしい恋心も。
そしてシャクナゲとスイレン。
黒鉄という組織の中でも、《黒鉄》という組織名と同じコードを持つ男と、《水鏡》のコードを持ち、《近衛殺し(インペリアルキラー)》の呼び名で知られる女性。
遡れば、関東というこの国で起こった動乱の中心地点にいた《新たな人類の王》と、その《側近》である二人。
この二人の経歴ですらも、今は知っている。
黒鉄の根幹に関わる事ですらも知識としてある。
それは自分の力で掴んだ情報ではないが……むしろ翻弄されて真実からはかけ離れた場所にいたが……それでもカクリはその隠された知識を得るところまできた。
それでも。
そんなカクリでも、アオイの事は全く分からない。
噂すらも入ってこない。
必要以上に目立つ事のない彼を、誰も深く気に止めようとしないから誰も彼の過去を知ろうともしない。記憶に留めようとはしない。
《シャクナゲの優秀な右腕》
《三班の副官》
《あまり目立たない黒兎の長》
《陰険スマイル》
そこまでしか、それだけしか誰も知らないのだ。もっと言えば、そこまでしか興味を持てない存在なのである。
三班という精強な部隊の運営に関わり、その屋台骨を支えている優秀さは誰もが認めているはずなのに、だ。
それは《異常な事態》だと言わざるを得ない。絶対に普通では……並の《優秀》程度では、なし得ない事だ。
――認めなければならない。私ではまだアオイには敵わない事を。
彼を越えなければ……己の優秀さを、立ち回りと日頃のスタイルで隠しきり、ニコニコとした笑みで感情すらも隠してみせる男をどこかで上回らなければ、カクリが本当に欲しい情報を手に入らないだろう。
本当に欲しいと思えるような重要な情報であればあるほど、絶対に目の届かない場所か、それと気付かれないほど完璧に擬態させて上手く隠しているに違いない。
はっきり言えば、今のカクリの見える場所にあるネタは、《彼が見せてもいいと判断したもの》でしかないかもしれないのだ。
三班に加入して、それがつくづく痛感させられた。自分の力に、知識に、情報網に自信があったというのに、懐に潜り込んだ後でさえも何もつかめないという事実は、問答無用に現実を認識させてくれたのだ。
だからこそ《政敵》だ。
最近一方的にライバル視しているエリカ――カーリアンとの時間を取られがちな為だ――とは違う。
「こちらからは黒狗と、新小隊である黒鼬を出します。黒狗は我々三班の誠意と本気を周りに見せる為に、そして黒鼬はお披露目とその実力がどれほど実戦で使えるかを見る為ですね」
――補足するなら、カーリアンが一班に対して……はっきり言うなら《ナナシ》に対しての餌になるから、でしょう?
もちろんそれは口に出さない。
一班班長であるナナシが、カーリアンにベタ惚れである事は明らかだが、肝心のカーリアンだけは気付いていない。
それをここで口に出すのは野暮というものだ。
ただ、カーリアンが出るとなれば、ナナシも出てくる可能性が高くなり、そうなれば外の戦力はかなりの増強が望めるだろう。
恐らくそこまで考えてこの編成にしたに違いない。
「何か異議はありますでしょうか? ……ないようでしたら今日は終わりますが。
シャクナゲ、最後に何かありますか?」
「あぁ、悪いな、ちょっとだけ時間をくれ」
ほとんど議論をする事もなく、あっという間に会議は終わった為、カクリからすればあまり会議といった感覚はなかった。
恐らく作戦は、事前にシャクナゲやアオイが決めていたとおりだろう。
もっとも、カクリの顔を広める役に立ってくれたから、彼女としても文句を言うつもりはない。
でも、まだ話し合いは終わっていなかったらしかった。
最後にシャクナゲが立ち上がると、皆の視線は集まり、緩みかけた空気が再び引き締まった。
「あぁ、最初に一応言っておくぜ。
俺はな、こんなちっぽけな外征なんかで仲間を失うつもりは欠片もないんだ。誰か一人でも欠ける事なんて許さない。そんな俺から言いたい事は一つだけだ」
ちょっと前までに比べれば、どこかはすっぱな物言いをするようになったシャクナゲ。
それをカーリアン共々、一時期は不思議に思っていたが、彼の過去を一番よく知るスイレンにいわせれば、彼は《変わった》のではなく、《戻った》のだという。
アカツキがいなくなって。
絶対の指導者を黒鉄は失って。
それでも仲間を支えようとして、今までのシャクナゲは《暁》の雰囲気を模していただけなのだ、と。
アカツキという男は、仲間内では気安い言葉を使い、他人をからかって喜ぶような男ではあったが、いざ《暁》として黒鉄の先頭に立った時には、万人に聞こえのいい言葉遣いをしていたらしい。
皮肉気ではあっても言葉尻は柔らかく、意見をごり押しするような物言いはしなかった。
周りの意見を拾いやすいように、ゆっくりと話を進めていた。
自分の力や考えに自信は見せても、周りを頼るような素振りも滲ませていて、周囲が自ら奮い立つような雰囲気を作っていた。
つまり気安い仲間内に見せていた態度は彼個人のもので、指導者として大勢の前に立つ時は全然態度が違っていたのだ、と。
『今までの彼は、いずれ命が潰える事が分かっていたアカツキになろうと努力した後に残った彼。黒鉄の為に自身を消してアカツキであろうとした彼よ』
そう言って、今までより若干強い口調でありながら、仲間に対する気遣いはそのままに、確かな存在感を放つシャクナゲこそが、本来の彼なんだと語った。
関東から逃げ出して、関西に逃げてきて。
ゆっくりと長い月日で変わってきた彼が――黒鉄という膜で覆われていた彼が、単に元に戻ってきただけではなく、確かに成長して今の彼になっただけなんだ、と。
「――勝て。俺たちは盗賊なんかよりも厄介な相手にも負けた事はなかった。例え勝ちは拾えなくても……敵が十倍以上の数を誇る相手でも、他の班の仲間たち全員が退いても、俺達だけは敗れた事は一度もないんだ。だから今もこの街は黒鉄の故郷であり続けている」
そんなシャクナゲは言った。
「勝て。俺たちこそが黒鉄だ。俺たちこそがこの廃墟ばかりの街の守護者だ。俺たち三班こそが黒鉄最強なんだ。外と中に部隊を分けても俺たちが負けるはずがない。そんな程度、なんのハンデにもなりはしない。黒鉄最強はそんな柔じゃない」
ただそう続けて、まっすぐに仲間達を見やっていた。
「誰が相手でも勝てるように準備はしてきたはずだ。それこそ統括軍の近衛を相手に回しても負けないようにな。
俺はそれだけの努力をしてきた自信がある。うちが最精鋭であり続けられるように頑張ってきた自信もある」
檄を飛ばす、というには静かな言葉だ。
淡々と事実を話しているだけ……そんな風にしか聞こえない。彼の言葉に強さはない。
ただ積み重ねてきた重みがあるだけだ。
「最強の名前に胡座をかくようなヤツはうちには一人もいない。だから俺たち三班は、今までずっと黒鉄最強と呼ばれてきたんだ。そうだろ?」
見渡されて、目を反らすものは一人もいなかった。
彼の黒瞳を見返すだけの自負を持つ者しかここにはいなかった。
――あぁ、これが黒鉄最精鋭にして、廃都をずっと守ってきた部隊か。
カクリはそう思う。ただ事実を見て、それを受け止める。
シャクナゲの言葉に迷いはない。
自分は仲間の期待に応えるべく、その先頭に立つべく力を尽くしてきたし、みんなも自分に負けないだけの汗を流し、時間を費やしてきたのだと信じている言葉だ。
そんな確かな信頼に応えようと力を尽くす者ばかりだからこそ、黒鉄第三班は黒鉄最強なのだろう。
カーリアンではこうはいかない。いかに悔しくても、彼の言葉に込められた力は天性のものであるだけではなく、長い時間をかけて経験を積み重ね、錬磨してきたものだ。
これをカリスマというのかは分からない。違うのかもしれない。
彼はその力に胡座をかいているわけではなく、そこにさらなる重みを積み重ねている。持って生まれただけのものではきっとこうはいかない。
シャクナゲがいなければ黒鉄第三班は動けない……そう揶揄されるには、そうされるだけの理由がある。
彼が班員達全ての力を認めて、自分の努力に並ぶものを費やしてきたのだと言ってくれるからこそ、メンバーは自信を持って戦闘に赴ける部分は少なくないのだろう。
彼がゴーサインを出すという事は、そういう事なのだと信じられるからこそ、自らの力を信じる事が出来るのだろう。
だから彼が動かなければ、三班が精彩を欠くという面を持つのではないか。
「勝て。自分の為に勝て。仲間の為に勝て。それでも理由が足りないってんなら、お前たちが勝って生き残る事を望む俺の為に勝て。
殺し合いに誇りなんてものはない。あるのは後悔だけだ。でも、命を賭けただけの結果は後から付いてくる。俺が力ずくでも付いてこさせてやる。だからお前達はただ勝て」
その言葉の終わりと同時に、ずっと彼に従ってきた三班幹部は全員が立ち上がった。
長らく黒鉄から離れていたはずのエリカや、作った人形に不可思議な躍りをさせていたリンドウですらもだ。
それにやや遅れて、慌ててカーリアンも立ち上がり、釣られてカクリも立ち上がる。
「この作戦が終わったら黒鼬のデビュー祝いだ。今回の作戦の対価に民政部から出された食料は全部使って派手にやる。ヘタを打って、せっかくの宴に涙を持ち込むようなヤツがいない事を願ってる。以上っ」
そう座ったまま言ったシャクナゲだけを残して、他の面々は慌ただしく部屋を出ていった。
防衛にあたる三隊は、アオイに引き連れられて部屋を後にし、攻撃に出る黒狗のヒナギクは、参謀であり訓練教官をも兼任させられた――ヒナギクに懇願された――エリカを引っ張って部屋から駆け出している。
敬礼をする者もいなければ礼儀に気を使うものもいない。それをする必要もないし、そんな暇も惜しいというのが本音なのだろう。
黒鉄第三班は、勝つ為だけの部隊であり、敗北は許されていない班だ。
――礼儀をどうこういう暇があれば、生き残る為に頭を使え。それが出来ないなら汗を流せ。
それこそが第三における最大の規律である事を、カクリもカーリアンも今ではよく知っている。
「あたしたちも行くわよ、カクリ」
「……うん」
だから二人も遅れじと部屋から歩き出す。
いよいよ迫った黒の五小隊の一つとしての初戦に向けて、今の状況よりもさらに万全に状態を整える為に。
「このデビュー戦、絶対にコケるわけにはいかないわ。あたしの頭脳として頼りにしていいんでしょ?」
「……当たり前。……その為に私はエリカに戦術を学んできた。……寝る暇を惜しんで勉強してきた。……全てはカーリアンの為」
下げたくもない頭を下げて、余裕のない時間を遣り繰りして、苦手な戦闘に関する知識の習得に努めてきたのは、全てカーリアンの役に立つ為だった。そこに嘘はない。
「違うでしょ。あたしとカクリ、それから小隊の仲間の為、でしょ?」
それでも肝心のカーリアンは、カクリの言葉に否定を返す。まだカクリが認められない感情をしっかりと見抜いた上で、にっこりと笑ってみせる。
「…………仕方ない。……訂正する、私達みんなの為」
「素直じゃないんだから」
本当は否定を返したいけれど……カーリアンの為だけなんだと言ってやりたいけれど、まぁ、カーリアンがみんなの為であってほしいというのなら、そういう事にしておこう。別に誰かが損をするわけでもなし。
そんなひねた考え方をしているカクリの事が分かったのか、カーリアンは『仕方ないなぁ』とばかりに溜め息をついて、さらに足を速めて歩き始めた。
三班の在り方を改めて間近に見て、新参であるカーリアンやカクリがのんびりとお喋りをしているわけにはいかない。
自分たちはもう十分に頑張ったから、後は本番に備えるだけ……なんて余裕をかましていれば、あっという間に今の場所に置いていかれるだろう。
――気が抜けないわね。でも、私とカーリアンの存在を、価値を示すにはこの上ない場所だわ。
黒鉄第三班班長補佐と副官補佐である自分たち。
新たな役職を新設され、そこに就いて。
それに見合うだけの力を持っている自信がカクリにはある。
東海地方最悪の同族殺しにして、その地方最強の変種である《マスターシヴァ》にすら手傷を与えたカーリアンと、彼女の頭脳としてあるべくずっと自身の長所を伸ばす努力を続けてきたカクリ。
そんな二人がお互いの長所を認めあい、短所を補いあって頑張ってきた時間は、三班のメンバーが過ごしてきた時間にも負けるはずがない。
――地盤は作った。三班内部に居場所の雛型は出来た。あとはそれを戦果で研磨して、確かなものとする。
アオイ、今はまだあなたに負けておいてあげる。でもずっと私の上に立っていられるとは思わない事ね。
歩みだした小隊。
規模は最小のものであり、構成員もいまだ頼りない部隊だ。
強大な狗よりも。
狡猾な猫よりも。
穴蔵から全体を見せない兎よりも。
誰よりも過酷な錬磨を続ける雉よりも。
小さく、弱い小隊だ。
経験も実績も全く持っていない。先行きには不安ばかりがある。
でも、それは伸び代が誰よりもあるという事だ。いまだ確定されていない強さを秘めている可能性だ。
カクリはそんな不確定の部分を伸ばすべく頭を使い、カーリアンはカクリが作った部隊の先頭に立つべく汗を流している。
お互いに自分の役割をしっかり認識して、相手の仕事を信頼して、自分もそれに負けないようにと力を尽くしている。
目指すべき背はいまだ見えない。
アオイも、その先にいるシャクナゲも、いまだ背中すら見えてこない。遥か先にある事しか分かっていない。
でも、この一戦を乗り越えたのなら……そんな期待はあった。
自分の能力を結果として出せたのなら、あの全容の見えていない《名無し》に一歩は近付けるんじゃないか、そんな予感はあった。
二人にとって、この初戦は単なるデビュー戦ではない。到達点ではなくても、単なる通過点でもない。
今までの頑張りを確認して、周りに示して、自分達は三班に必要な存在なのだと証明して、三班のメンバーにかけがえのない仲間なんだと認めさせる。
今のような半分《お客さん》といった立場から脱却して、同時に三班に五番目の小隊あり、と外部にも示す。
そうすれば、外からでは見えていなかった部分にも目が届くようになるだろう。
……そんな思惑を持つカクリにとっては大事な一戦も。
三班にしてみれば今まで何度もあったやり慣れたはずの作戦も。
そして、民政部からこんな時期に回されてきた要請でさえも。
全てが事前に根回しされてもたらされたものである事と、より大きな視点から見ても始まりの一歩であった事に、いまはまだ誰も気付いてはいない。
内部の裏切り者はなんの為に作戦情報を外に流したのか。
それを悟ったシャクナゲは、過去の一部に決着を着けるべく、関西統括軍の本拠に向かう。
裏切り者の考えを理解して、それでもその思いを叶えてやれない自分が出来る事。
それは、今後の黒鉄がどうなろうと当面の敵であり、設立以来の仇敵でもある統括軍の長たる将軍を倒しておけば、助けになるだろう……そう考えたからだ。
また、過去に将軍と向かい合った時には、自身の弱さゆえに倒しきれなかった清算をする為でもあった。
将軍を相手に回せば、ひょっとしたら帰ってはこれないかもしれない。
また自分の弱さに負けてしまう可能性もある。
だから黒鉄に残した副官のアオイには、自分がどのような存在で、どういう経緯から黒鉄になったのかを話しておくように伝えて――その結果がどのようなものであっても受け入れる覚悟をしてから、シャクナゲは光都へと旅立つ。
スズカの思惑により、無理矢理付いてきたカーリアンを連れて。
しかし、アオイと三班の仲間達は、シャクナゲの考えを知り、理解はしつつも、それとは違う道を選択する。
それは、五年に渡って関西という地方に根を張り、統括軍に次ぐ存在としてあった黒鉄を、いくつもの勢力に別つものだった。
とりあえずメチャはしょって書きました。
全部バラさずに、でも大筋は分かる程度に……って難し。
普通に考えて、50話近くの話を千文字ほどで書くのが無理な話です。
単純計算で20文字で一話。
全く分からない方は、一部《黒鉄色のノクターン》を読むか、もうこのシリーズを読むのは諦めるかしてくださいませ。
とりあえず次回のあとがきは二部前半。
二部の方が書きやすそうだから、ちょっと安心。