1・黒之五隊
この話は、黒鉄色のノクターンという話を読まれている前提で書かれています。
読まれていなくてもわかる……ようには書いていません。力量の関係というより、この話だけで分かるように書くと、やっぱり話がくどくなりますので、もう諦めて色々すっ飛ばして書いています。
多分、ノクターンを読まれていないと全く理解出来ないでしょう。
それを補足する形で、今回からしばらくあとがきには人物紹介ではなく、完結した一部と二部のダイジェストを書いてみます。
めちゃはしょって書いていますが、興味が出たり、ダイジェストじゃさっぱり分からないっす、という方は黒鉄色のノクターンを読んでみるか、読むのを諦めるかをお願いします。
「……シャクナゲが呼んでるわ。……多分今度の《外征》についてよ」
そうカクリから声をかけられて、ここ数日の間ずっとそわそわしていたカーリアンは、やっとその時が来たかと椅子を勢いよく蹴倒して立ち上がった。
強気そうな顔立ちにある赤い瞳は爛々と輝き、後ろで一つに束ねていた赤い髪ですら躍動するかのように軽く跳ねる。
「待ってました! ついに来たわねっ」
今密かに計画されている外征――大規模な盗賊集団の征伐の計画があるらしい事はカクリから聞いていた。
カーリアンは、ぜひとも新しい仲間達と共にそれに付いていきたいと考えていたのだ。
でも、どこからか情報を仕入れてきたカクリからそんな計画が挙がっている事は聞いていても、班長であるシャクナゲからはなかなかお声がかからなかった。
カクリに限って誤った情報をカーリアンまで流す事は考えられない。
故意に誤った認識を生みそうな言い方はしても……誤解をわざと招いて、カーリアンの動きを制限するような真似はしても、嘘をついたりは絶対にしないのだ。
だから、ひょっとしたら声をかけられないんじゃないか
『まだお前のところは頼りないから、今回は留守番な』
そう言われて置いていかれるんじゃないかという不安でやきもきしてきた分、逸り立つ気持ちは否が応にも高まっていく。
「じゃああたしがきっかりとウチのデビュー戦の話、シャクに付けてくるからさ、カクリはみんなに準備は怠らないようにって言っといて!」
「……わかった。……こっちは任せて」
「頼りにしてる」
「……何か分からない事を言われたら……『自分には分からないからカクリに聞いて』って言うのよ?」
「カクリはもうちょっとあたしを信用してよっ」
「……信用はしてるわ。……ただ信用と同じぐらい不安があるだけ」
さらっとそう言ってのけ、カクリは『はぁ〜』とこれ見よがしにため息を漏らしてみせる。
白髪の頭を軽く左右に振り、細い肩を大袈裟にすくめてみせるオマケ付きだ。
そんな仕草を無表情でする辺り、なかなか芸が細かい。
そんなカクリに、カーリアンはその薄い唇を軽く尖らせた。
見た目からするとカーリアンの方が背も高く、言動も活発的な分だけ頼りになりそうに見える。実年齢も彼女の方がいくつか上だ。
対してカクリは、その低い身長と身体の凹凸がなだらかな分、年齢よりもさらに幼く見られがちだった。なおかつ、いつでも無表情で愛想もない。
しかし、この二人をよく知る人間からすると、普段から頼りになるのはカクリの方で、普段はいまいち頼りにならないのに、いざという時には何故か頼れるのがカーリアン、という評価が下されていたりする。
それがカーリアンからすれば――カクリの姉を自任し、黒鉄という組織においては立場も上官にあたるカーリアンからすれば不満なところだった。
「むぅ、まぁいいわ。とにかく行ってくるからよろしくねっ」
軽く唸って、不満げな表情でカクリを見やるが、彼女は全く気にした素振りも見せずシレッとしている事に嘆息を漏らしてから、カーリアンは部屋から出るべくドアを開けた。
「……いってらっしゃい。……暗くなるまでに帰ってくるのよ?」
「うん、わかった――って、子供扱いしないでよっ。全く、カクリったら、最近なんか反抗的なんだからっ」
そんな事を言って、足音も高く歩き去っていくカーリアンに、カクリはペットボトルのお茶で喉を潤してからもう一度溜め息を漏らした。
――だって、最近のカーリアン、何か今までと違うんだもの。無理しているんじゃないかって不安にもなるわ。
最近、やたらとカーリアンに対するお小言や、過剰なまでに心配する言葉をかけている自分の事は、カクリ自身が一番よくわかっていた。
本来ならば言う必要のない事まで言ってしまっている自覚もある。
カーリアンという少女は、基本的に深くまで考える事や計算を立ててから行動する事は苦手としているところがあるが、だからといって考えなしの馬鹿者だというわけではない。
常識的な事は弁えているし、自分で判断出来ないところは他人に頼るという、当たり前の事でありながらカクリみたいな人間にはなかなか難しい事が簡単に出来るという美点もある。
さらには天性のものであるらしい鋭い直感も持っている。
何事も理論詰めで考え、他人の力――つまり他人という第三者であり、不確定要素である者の力は極力排除して考えるカクリとは正反対の気質を持っていると言える。
もちろんそんな正反対のタイプだからこそ、協力しあえればかなり相性がいい事は間違いない。今まではそうやって上手くやってきたのだ。
でも最近のカーリアンは、やたらとなんでも自分だけで考え込んで、自分だけで判断をして、色々と一人で頑張ろうと無理をしているような気がする。
だから、今までならば言うまでもなかった事まで口を出してしまう。今までならば、心配にならなかった事まで心配になってしまうのだ。
――それが悪い事だとは言わないのだけれど、私からすればやっぱり心配になってしまうわ。
それが本当に純粋に心配する気持ちだけによるものなのか……その点についてカクリは深く考えないようにしていた。
単に頼られる事が減ってしまって、寂しいだけなんじゃないのかという点については、極力思考を向けないようにしてきた。
『名前がなかったら不便だし、面倒くさいからあんたはカクリ。隠れてたとこを見つけたからカクリ』
カクリにとってのカーリアンは、記憶を失ってからずっと共にいてくれた姉であり、世界で一番大事な存在である事は変わらない。
常識が反転し、あらゆるものの価値観が変わってしまった世界で、何もかもを無くしたカクリが一番最初に手に入れた宝物であり、適当極まりない名付け方ではあったものの、彼女にとってはとても大事な物となっている名前を与えてくれたのも彼女だ。
それなのに、カーリアンにとってのカクリの存在は変わってしまっているんじゃないか……今も変わり続けているんじゃないかと考える事が怖かった。
だから、必要以上に世話を焼こうとしてしまう。心配事を口にして、カーリアンにむくれられてしまうのだ。
しかし、カクリの気質からしてそんな自分を認められるはずもない。それがなおさら口を挟ませる原因にもなっていた。
「……考えてばかりいても仕方ない、か。……小隊のみんなにも出撃の用意をさせましょうか」
黒鉄第三班支援小隊・《黒鼬》。
黒狗、黒兎、黒猫、黒雉に続く五番目の小隊のデビュー戦。
それは、黒鼬の設立から編成にまで関わったカクリからすれば、絶対に失敗が許されない一戦だ。
支援班である黒鉄第二班を、約半数の仲間と共に二つに割って第三班に身を寄せている今、この新たな小隊の価値こそが自分や元二班の仲間達、そして小隊長であるカーリアンの価値となる。居場所を作る力になる。
デビュー戦でいきなり転けるわけにはいかない。
――その辺りもシャクナゲなら考慮にいれていてくれるだろうけど。
その考えは口には出さなかった。むしろ一瞬で頭から掻き消した。
シャクナゲなら……そしてその右腕であるアオイなら、自分達新参者にとってこの一戦がいかに大事なものか、その辺りをよく理解して戦力を編成してくれるだろう。
それは間違いなかったが、そんな考えが浮かぶ事自体が勘に触って――自分が二人を頼りにしているみたいで、自らの考えを打ち消した。
余計な考えを脇に押し退けて、自分の出来る事、すべき事のみに考えを巡らせていった。
黒鉄第三班第五小隊。
黒の名前を持った五番目の小隊の副長であるカクリは、相変わらず気難しい性格をしていた。
聡いがゆえに考えが回りすぎて。
他人との利害関係が読め過ぎてしまって。
そして自分の能力に自信があるが為に、心から信用しているカーリアン以外には、余計なしがらみを周りの人間との関係に含めて考え過ぎてしまうのだ。
そんなカクリを、姉代わりであるカーリアンが心配している事に、聡いと皆に言われている彼女は気付いていない。
「わざわざ来てやったわよ」
「わざわざ来てくれてありがとよ、座ってくれ」
コンコンとノックして、返事する間を待たれる事なく開けられたドアに、シャクナゲは小さな苦笑を漏らした。
そんなところがあまりにも彼女らしくて、最近になってノックをするようになっただけマシかなぁ、なんて思ってしまう事に少しだけ呆れてしまったが為の苦笑だった。
「悪いな、色々と立て込んでてさ」
そう言ったシャクナゲは、相も変わらず自室ではなく三班の執務室にいた。珍しく副官であるアオイはおらず、少しばかり緊張を滲ませて……でもそんな素振りは見せないように気をつけて、カーリアンは粗末なソファーに腰をかけた。
応接セットというには貧相な机と、二組のソファー。
質実剛健を棟としている三班の気質がよく見てとれるその部屋には、何度も来た事がある。
自然とカーリアンが座る側のソファーは決まっていて、彼女が座った向かいにシャクナゲが座るようになっていた。
「んっ、まっいいわ。話を聞かせてもらいましょうか」
「どうせ知ってるんだろ?」
向かいに座った男――意外と細い髪をしているのに驚くほど真っ黒な黒髪と、同色の深い黒瞳を持った男は、今日も色々とやる事があるのかその仕草の端々に疲れを滲ませていた。
目の下に深い隈でも出来ていれば、無理矢理にでも休ませてやるのに……なんて事を考えながらも、シャクナゲの問いにはしらを切るかのようにカーリアンはそっぽを向いた。
カクリが仕入れてきたネタが真っ当なルートからのものだとは限らない。むしろ、カーリアンが知らない以上、真っ当なソースの情報だとは思えない。
だからこそ、ここで『うん』と頷くわけにもいかないのだ。
そんなカーリアンの思惑を読みきっているのか、シャクナゲは軽く肩を竦めてから話を進める。
「今度な、《ロマンサー》って盗賊団の討伐計画があるんだ。それに、ウチ――黒狗と一緒に、カーリアンのところの《鼬》にも出てもらいたい。それについて、そっちに問題はないかどうか聞きたくってな」
「全然問題ないわよ。オールオッケー。モーマンタイねっ。むしろウチのデビューはいつになるのかって、ずっと気を揉んでたんだかんねっ」
大規模な盗賊狩りの為に、三班の半数ほどが街の外に出る計画がある事は聞いていた。
関西地方を治めていた勢力が瓦解した後、大小様々な勢力が興っている中で、《黒鉄》の名前を再度知らしめる為に――関西統括軍がなくなっても黒鉄は健在なのだと示す為に、そんな計画が持ち上がっているのだろう……そうカクリは言っていた。
黒鉄もまだまだ内部には問題を抱えてはいたが、一部は解決し、内にくすぶっていた軋轢も多少は緩和している。
いわば小康状態のうちに、周りの各勢力に楔を打とうという事なのだろう。
その作戦に、自分達も付いてくるように声をかけられるかどうか……最近のカーリアンはその事ばかりをずっと考えてきたのだ。
だから、それに付いてこいと言われるのは願ってもない事だ。
最近はずっと発火能力の制御訓練と、小隊規模の合同訓練ばかりで若干物足りなくなってきた事もある。はっきり言って、訓練ばかりで飽きてもいる。
だが、そう返事を返しながらもカーリアンはやや腑に落ちない表情をしていた。
『黒狗も出張るんなら、別に必要なくない?』
そう考えていたのだ。
黒鉄第三班第一小隊・通称《黒狗》。
第三班班長である目の前の男――シャクナゲが率いる三班の精鋭集団が出るのなら、たかだか武装盗賊ごときが相手では物足りないぐらいだ。
黒鉄にある七つの班の中でも最精鋭と言われる第三班の中において、さらに精鋭ばかりを集めた小隊。それが黒狗であり、かの小隊は班長シャクナゲ直属の親衛隊だと言っても過言ではない。
そんなカーリアンの考えが分かったのだろう。シャクナゲは少しだけ皮肉げに見える笑みを浮かべて、肩をすくめながら言葉を続けた。
「ロマンサーってのはな、一年ほど前まで関西地方にあった《アヌビス》と《ゼフィーロス》が相次いで黒鉄に合併したあと、急速に勢力を増してきた盗賊団なんだ。アヌビスとゼフィーロスについては知ってるか?」
「確かナナシんとこの一班が元々アヌビスって集団で、ヘルメスんとこの六班がゼフィーロスだったっけ?」
その辺りの事は、最近になってカクリから勉強していた事もあり、ちょっとだけ得意気な表情でそう返した。
『こう見えても、あたしだって黒鉄を取り巻く環境とか色々と勉強とかしてんのよ』
そんなカーリアンの気持ちが見て取れて、シャクナゲは少しだけ驚いたような表情をしてみせる。
別にそれは結構有名な事であったし、知っていてもおかしくない事ではあったが、だからといってサラッと流して無反応では味気ない。
かと言って大層に褒めてみせるのも違う。
カーリアンが《勉強しているという事》には驚いたし、それを素直にみせるのが妥当だろう……そんな考えの上でだ。
意外と細かい芸をする男である。
「そうだよ。ナナシが率いてたアヌビスは義賊を名乗っててな、当時は関西最大勢力だった《関西統括軍》に所属する地方都市や、黒鉄の本拠である廃都ばかりを攻めてきた集団で、弱小勢力や郊外の小さな集落には一切手を出さなかったヤツらだよ。
それどころかアヌビスは、他の盗賊やらに小さな集落や村が襲われていたら手を貸してすらいたらしい。当時は黒鉄よりも評判の高かったヤツらさ」
「ふぅん、あたしが関西に来るちょっと前に、ナナシのとこは黒鉄に負けて、傘下に入ったって話は聞いてたけど」
「ウチとしてはアヌビスを放っておくわけにもいかなかったからな。勢力としても登り調子だったし。
それからゼフィーロス。単純に旅団とも呼ばれた集団は、同じ時期に関西統括軍の部隊とぶつかって敗れたんだ。その時に黒鉄に援護を求めてきてさ。こっちはこっちで、一時期は黒鉄よりも統括軍の連中に嫌われてたぐらいでな」
「ヘルメスんところって、そんなにややこしい相手だったの?」
「ゼフィーロスはアヌビスと正反対でな、弱い相手にしか手を出さない。強い相手からは絶対に逃げるを徹底してて、関西統括軍の地方都市は結構な被害を出してたみたいだ。白都……統括軍の本拠である光都から南の辺りじゃ、ゼフィーロスによる被害はかなりのもんだったらしい。しかもゼフィーロスは本拠を持たないヤツらで、なかなか尻尾が掴めなかったんだとさ」
そこまで語って、シャクナゲは当時の勢力図をサラッと脇にあった紙片に書いてみせる。
関西統括軍→ゼフィーロス。
黒鉄→アヌビス。
合併してアヌビスは一班、ゼフィーロスは六班。
アヌビスの頭目がナナシ、副頭目がメメ。
ゼフィーロスの頭目がヘルメス、副頭目がマルス。
そして、カーリアンやオリヒメを足して、七班体制になった辺りまでを、簡易な手書きの地図とちょっと癖のある文字での補足を交えて分かりやすく教えてくれる。
そして、黒鉄の本拠である廃都のやや北部にある地点に《アヌビス本拠》と書いて×を付けると、その脇に《ロマンサー》と書いて締めた。
「このロマンサーっていうのは、その二つの勢力が抜けた後になって、その後釜に治まった連中でな。二つの勢力――特にアヌビスが根を張っていた辺りを掠めとって力を付けた連中なんだ」
「デカいとこなんだ」
「今じゃ関西随一の盗賊集団で、関西地方に今もある勢力の中では、黒鉄に次いで二番目の勢力だと言ってもいいな。そこを叩く」
そして付け足すかのように廃都から矢印を伸ばし、ロマンサーの名前に大きく×印をつけた。
そして、『たかが武装盗賊。何度か戦った関西統括軍の勢力と比べるべくもない』……そんな考えを若干持っていたカーリアンを真っ直ぐに見据える。
「言っておくけど、盗賊の相手なんて楽な作戦だと考えているなら抜けてくれ」
「……」
「ヨツバとかは簡単に盗賊を潰して回ってるけど、それはあいつだからだよ。あの《不貫》のヨツバだからさ。
俺は盗賊に殺された仲間を何人も知ってる。中にはかなり強い能力を持ってたヤツもいるんだ」
そう言ったシャクナゲは、普段の皮肉げな笑みは浮かべていない。ただ真っ直ぐにカーリアンへと視線を合わせてくる。
「カクリがいくら小隊を万全に整えていても……そして、俺やアオイがいくら知恵を搾って作戦を考えても、甘い考えを持ってるヤツが頭に立てば無駄に死人が出る。カーリアン、俺の言いたい事は分かるか?」
「……ごめん」
「今までの二班みたいに後ろから医療支援をし、近付いてくる少数の敵だけを追っ払うだけなら問題はない。死に物狂いで攻めるヤツらは俺の部隊が相手をするし、そうそう後ろに通すつもりもない。
でも、鼬の在り方はそうじゃない。そうだろ?」
カクリは言っていた。
自分達は二班から抜けたのだから、二班とは違う在り方の部隊を作りたいのだと。
せっかく一から作った部隊だから、同じものを作るのは進歩が無さすぎる。
確かにその通りだと思う。
そう思っていたはずなのに、その新しい在り方に付随するリスクをよく考えていたかというと、カーリアンは少しだけ自信がない自分に気付く。
「……そうね。あたし達は前線に立つ連中を積極的に支援する為の部隊よ。その為にカクリもみんなも頑張ってる」
「俺達もそんな在り方の部隊だって信じて作戦を考える。それでいいんだよな?」
「うん、問題なんかないわ。あたしが少し浮かれちゃってただけよ。ごめん、気を付ける。あたしが隊長なんだから、あたしが敵を舐めてかかっちゃ皆が真似するもんね」
「分かってくれたならいいよ。その辺りをちゃんと確認しておきたかったんだ」
――自分のせいで仲間を死なせる重みは……ちょっとばかりキツいからさ。
そう言ったシャクナゲは、少しだけ儚く笑う。
カーリアンよりもずっと多くの仲間と、大事なものを失ってきた人間が言う言葉だ。
胸にズシンと覚悟が重くのしかかって――彼女も自分や仲間達を逃がす為だけに散っていった一人の女性を思い出して。
改めて気合いを入れるべく、自分の頬を思いっきり叩いてみせた。
「よっし、んじゃ今から、ちょっと気合い入れて集団戦の訓練してくるわっ。『飽きた』とか、『面倒くさい』とか甘っちょろい事言ってるヤツらは、こんがりレアよ!」
「いや、ヤキを入れるにしてもやりすぎだろ」
「この厳しい訓練が、いずれ仲間達の命を救うのよっ。心を鬼にして行ってくる!」
ちょっと……というか、かなり叩いた後の頬を真っ赤にして、カーリアンは拳を突き上げる。
そして話は決まった、善は急げとばかりに部屋を出掛けて――
「あたしは先には死なないからさ、あんたもムチャしないでよ?」
そう言って、赤く染めた頬を背けてシャクナゲの執務室を出ていった。
ボソッと呟いて、聞こえていなくてもおかしくない程度の声で言われたその言葉に、少しだけシャクナゲは目を白黒させる。
そして、一人になった執務室で長い溜め息を吐いてから、誰もいない部屋で小さな自嘲の笑みを漏らした。
「……死なないよ。俺はまだ死ねない。だってここからはあいつが遠すぎる」
――あいつの無色を俺の灰(絶望)色に染めるまで、俺は死ぬ事すら許されていないんだから。
そう言って。
一人きりになった部屋で呟いて。
シャクナゲは窓の外の景色……その先にある場所に想いを馳せるかのように瞳を向けた。
そして、今の彼からは手の届かない場所にいるであろう一人の女性を思う。
ずっと泣きながら、悲しみながら、寂しがりながら、狂い続けている一人の女の子を思う。
まだ彼女の側にはいけない。すぐに行ってやりたいけれど、彼にはやるべき事があったからだ。
やるべき事を放って側に行ったりすれば、きっと昔の彼女……狂う前の彼女なら
『もうちょっと待ってるからさ。ちゃんと格好よく駆けつけてきてよ。中途半端で後ろ向きなんてらしくないし、そんな姿は見たくない』
そう言って叱り飛ばしただろう。
それに、今の居場所は親友に託されたものだ。その居場所には大切なものが山ほどある。
だから今は行けない。
だから今は思うだけだ。
遥か彼方にある絶望ばかりがある故郷と、そこに残してきた後悔を。
今までの歴史を築いてきた人間と、そこから少しだけ変化した人間。
その二つの種族に分かたれた世界……その中でも日本という国の関西という地方には、黒鉄という組織がある。
新たな人間、今までにはなかった力を持つ人間が、その力を持って簒奪し、強奪し、分割して統治を始めたその国において、関西地方で権力を握った勢力に抵抗する為に生まれた組織だ。
彼らはアカツキという人間に導かれて集い、アカツキがいなくなってしばらくして、再びいくつかの勢力に別れる事になった。
ある勢力は、アカツキの親友だった男を長として、今までの黒鉄の在り方を貫く事にした。
またある者は、その親友を謀って、彼をアカツキの代わりに黒鉄を変えようと試みて、その挙げ句に失敗して袂を別った。
またある者は、その親友を裏切り者と呼び、日本という国に住む人間の最初の敵と呼んで距離を置いている。
関西最大の勢力、設立当初からの仇敵であった関西統括軍が瓦解しても、長らく統括軍と敵対していた黒鉄達に安息は訪れていない。
アカツキ亡き黒鉄は、いまだ《シャクナゲ》という男を中心に大きな軋みを上げていた。
今回から人物紹介を……という話でしたが、変更して一部や二部のダイジェスト、しかもちょろっと触りだけを書いてみます。
今回は一部の始まり。
人という種に進化が訪れた世界。
急速に、そして拙速ともいえる速さで変化を来した人類と、その変化が訪れなかった既存の人類が並び立つ世界にある日本。
その世界では、今までの人類では持ち得なかった力を持つ新人類――人の変種と、それを持たない人類が争い合い、殺しあった後、力を持つ人類が勝利を収め、日本という国は特に強い力を生まれ持った人間数人に分割統治されていた。
その中でも、関西地方を力でもって手中にした《関西統括軍》に対抗する為に、有志達により結成された組織がある。
《黒鉄》。
彼らは自らの組織を黒鉄と名付け、自身も黒鉄という組織に所属する人間の証として《黒鉄》と呼称する。
黒鉄は関西の一地方である旧・神杜市を統括軍より奪回して、都市そのものを要塞化すると、関西という地を統括する軍と称する勢力に対して、徹底抗戦していた。
そこに所属する、黒鉄の創設にも関わった古参の男――今はシャクナゲと名乗る男と、彼に故郷である東海地方から連れられて、今では一部隊の長となった発火能力を持った少女・カーリアン。そして、古くからシャクナゲを兄のように慕っている、白銀の髪を持つ《黒鉄最強の能力者》とされる少女・スズカ。
彼らを中心に物語の舞台は幕が上がる。
黒鉄で立案された隣の都市、統括軍が治める《戦都》への作戦行動。
その最中、《裏切り者》がいるという事実の発覚によって。
これは物語の最初も最初。始まりも始まりの辺りです。
次回は真ん中辺りをスパッと切って、ラストの辺り。
世界観だけでも読めれば御の字です。