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16・学園よりの使者








「さってと」


 目当てのものと小物をいくつか買って、お目付け役を仰せ付けられたケイを、『やっぱり近くにいるとうるさいから』という理由で荷物を抱えさせたまま置いてきぼりにしたあと、カーリアンはちょこんと首を傾げた。

 バザーのある通りの入り口に建てられたテントが見える位置にいるが、まだ帰るのは勿体ない。一所に留まってする仕事は性に合わないし、そんな仕事をするぐらいならブラブラ歩き回る方がまだ気が楽だ。


「なんか買うものとかあったかな」


 食材は買った。持ち得る目利きを最大限に活かして、いいものを買った自信はある。

 服は買っていないけれど、コジャレた柄の布は買った。何か小物か、あるいは装飾品を必要とする場合は、既製品よりも手縫いがいいというのがカーリアンの考えだ。

 今の時代の既製品は古いものか、あるいは誰が着ていたものか分からないものばかりだ。下手をすれば行き倒れていた人間から剥ぎ取ったものである可能性すらある。

 だったら、手織りされた布や毛糸などから作る方が精神衛生上から見てもお得だと思う。

 もちろん、趣味に合わない既製品を買うよりは趣味に合うものを作る方がいいという事は言うまでもない。


「もっかい一から見て回るかな。ケイってば倒れてなきゃいいけど」


 最近カクリから目をかけられている――というよりも目を付けられている――ケイは、基本的には有能で側にいてくれると便利な人員だ。

 若干空気が読めていないところと、考えなしに思った事を口にするところ、泥沼に自分から喜んでハマりにいっているんじゃないかと疑ってしまいそうなぐらい間が悪いところはあるが、それだけしか見るところのない無能な人間をカクリが気にかけるはずもない。

 また、カクリにいびられ、カーリアンに引っ張り回されても根を上げない根性も気に入っている。

 でも、食材から小物から一切合切を抱えさせたのはちょっとばかりやり過ぎたような気もして、仕方ないから様子を見に行こうかと考えた。

 食材が心配になったという面が大きい事は間違いないが。


「もし? 少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


 そんな時にいきなりそう声をかけられて。

 気配すら――紅が反応する事すらもないままで、至極丁寧な言葉が耳に入ってきて。

 カーリアンは一気にその声がした方から距離をあけ、その指先に力を籠めた。

 何故そんな反応をしたか。

 その理由は簡単だ。彼女の持つ紅が、実際に声をかけられるまでなんの反応もしなかったからだ。

 紅とはカーリアンの感情を熱に変える力だ。他人の感情にも多少の反応はする。敵意や殺意が向けられれば、それ対して同じものを向けるし、興味を向けられただけでも波を打つ。

 それは彼女に対するもの、つまりはっきりと方向性を持って向けられているものにしか反応せず、彼女にしか分からないものであったが、その面にだけは確かな自信がある。

 かつてエリカと会った際も、その言い分には矛盾が見られなかったのに警戒を解かなかったのは、この力によるものだ。そして警戒を解かなかったからこそ、エリカに不意打ちをさせるような真似を控えさせて、その結果連れ帰る事にも成功している。

 声をかける……つまりこちらに意識を向けている状態を感知出来ない事など、カーリアンがよっぽど浮かれきってて周りが見えていない時か、エリカの初見時のように感情が昂っている時か、はたまた眠っている時ぐらいのものだろう。

 そして《警備責任者》となっている今、いかに上機嫌であっても浮かれきるような間抜けな真似はしていない。


「あぁ、驚かせてしまいましたか。申し訳ありません。そんなつもりはなかったのですけれど」


 だから最大限に警戒をしてみせて。

 辺りで警備に立っている仲間たちに声をかけようとして。


「少しだけお聞きしたい事があっただけなんですけれど……無理でしょうか?」


 そんな困ったような表情でかけられた言葉に、慌てて警戒を解いた。形のいい眉がしかめられていて、うりざね型の小顔は心底困ったというように歪められている。

 今でははっきりとその困惑が伝わってきて、大袈裟に反応した自分が気恥ずかしくなるぐらいだ。


「あ、あぁ、いやいや、今日の警備担当だからちょっと神経質になっちゃってて」


 そこにいたのは、品のいいチェックのブレザーを着た少女だった。この廃墟ばかりの街にそぐわない小綺麗な服装だ。

 どこかの制服のようにも見える。

 胸のワッペンがその印象を強めているのだろう。

 とは言っても、今の時代に《高校生》なんて立場の人間がいない事や、学校なんて場所がない事は誰でも知っている。

 恐らく、バザーで流されていたか、もしくは普段着として家族が使っていた制服を着ているかしているのだろう……そう当たりをつける。


「まぁ! ではあなたは、黒鉄の一員なのですねっ」


 そんなカーリアンに、どこか嬉しげにそう言った少女は、ぽんっと手を合わせて喜んでみせる。


「……あんた、この街の人間じゃないわね」


 その言葉に、今度こそはっきりとした理由を持ち合わせて、カーリアンは警戒を露にした。

 この黒布巻きと目立つ赤髪。嬉しくないけど目立ちまくる容貌と、困ったことに轟きまくった悪名。

 それに心当たりがないような人間は、この廃都にはそうそういないはずだ。

 赤い髪を持つ人間は他にいても、真っ赤とすら言える赤髪を持ち、三班本部近くにいるような変種といえば、黒鉄の人間ならば《紅》の名前を思い浮かべるだろう。

 自分に対するいい情報には疎くても、悪い情報については敏感で、それが広まりまくっている事は知っているのだ。


「えぇ、この街の人間ではありませんわ。私はさるお方から使者を任された者ですの」


「ししゃ……って使者? 誰に対してよ?」


「黒鉄のトップ会いたいのですわ。この話は黒鉄に付けるようにと堅く申し付けられていますの。それで最初に滞在許可と会見許可を頂く為に民政部……でしたかしら? そこに行ったのですが、そこが何故か非常に混乱していまして」


 民政部では、黒鉄との折衝を勤めていただけではなく、それなりの立場を持っていた《事務長》の少女がいきなり抜けた事に対して、現状では大わらわ状態だったのだが、そこまでは知るよしもない制服少女が本当に困った風に、人差し指を頬に当てて首を傾げている。


「で、勝手に入ってきて、会見相手を自分で探してたって? それで通じると思ってんの? だいたい滞在許可は取ってないんでしょうが」


「……あの、お邪魔します、と声はかけたのですが、やっぱりまずかったでしょうか?」


「いいわけないでしょ! この街の周りは敵ばっかなんだからねっ。下手したら不法滞在か密入かで速攻捕まって、追い出されるかすんごく嫌な思いとか痛い目とかに合わされたりとかするわよっ」


「痛いのも嫌なのも嫌いなんですけど」


「好きって人がいたら、それは変態で間違いないわよ」


「良かった! 私、変態さんじゃないんですねっ。たまに変な性格だって言われるから心配立ったんですよ」


 ――とりあえず変なコだとはよく言われてるだろうな。


 そう思うだけで、カーリアンは溜め息を吐いた。

 そしてどうしたものかと思案を巡らせる。

 カクリに聞くという選択肢が一番に来るが、いつまでもそうではいけないと思う。

 それは今後の為というよりも、姉代わりであるという意地も強い。もし危険と判断して追い出すか……あるいは《痛い目をみせる》事になった場合は、カクリは頼れない。

 痛い目に合わせるのは嫌いじゃなさそうだけど、能力的に厳しいものがあるだろう。それはカーリアンの仕事だ。

 必要なのは《判断》だけで、それぐらいなら自分でこなさなければならない。

 今回に限ればそれは難しくない。民政部に連れていって、正式に許可を取り付けさせれば終わりなのだから。


「……はぁ、もう、仕方ないわね。民政部には行きたくないけど、あたしが付いていってあげるわよ。それなら多少ゴタゴタしてても、滞在許可とか会見の判断くらいはすぐしてもらえると思うから」


「本当ですかっ。ありがとうございます、ありがとうございますっ。実は私、すごく不安で……難しい顔をした頭の固そうなおじさんが、機嫌悪そうに書き物してたりしててすごく怖かったんですよ」


「まぁ、あそこの連中が難しい顔してる事も、めちゃくちゃ頭が固い事も事実だけどね」


「すみませんって精一杯の大きさで声をおかけしましたのに、『今日は忙しいので、作業登録の受け付けはまた後日にお願いします』って、追い返されましたのよ。作業登録って何か分からなかったのですけれど、怖くてそんな事は聞けませんでしたわ」


 作業登録とは、民政部が発行する仕事の割り当てだ。廃都の住人であれば基本的に月に決まった数それをうけなければならない。

 それがこの街で食べるものを作る際の義務であり、戦わない事に対する代価だからだ。そうした作業を経てようやく土地を持つものは農作業をする資格を貰え、土地を持たないものは僅かばかりの糧を代わりに得る。

 土地を持つものは税も取られるが、当然残りは全て自分のものとなるし、土地を持たないものは日雇い感覚で糧を得るだけという違いがあるが、それも全て作業を済ませたあとの事だ。

 もちろん黒鉄たちも、暇な時があればうけなければならないもので、持っている能力によっては月に何度か特殊な作業を割り当てられていたりする。

 カーリアンなどは、《燃やす》《熱を作る》事に特化している為、それに関する作業においてはあちこちから引っ張りだこな状態だ。

 一番人気である《発電能力者》のコガネと、二番人気である《冷却能力者》であるオリヒメには敵わないが。


「ったく、外からの使者なんでしょ。入り口にあたる民政部でびびって逃げてどうすんのよ」


「え、えへへ、どうにも強面のおじさん方は苦手ですの。私のいる場所はああいった方がいないものですから」


 ――中年男がいない街ってどんな場所よ。


 制服少女の言葉にそう返そうとして。


「その制服、学園の者か。手紙だけじゃなく、人まで寄越すとは、随分と熱烈に招待したいみたいだな」


 そこで感じ慣れた気配からよく聞き慣れた声がかけられる。

 今からバザーに行こうとしていたのか、小さなバスケットを抱えた和装の女性を従えた男。

 見慣れた黒衣を着たその男を見て、難しい顔をしていたカーリアンはそれを綻ばせた。


「あ、シャクっ。あんたねっ、最近引きこもりすぎよっ。ただでさえ顔色よくないのに、今以上に悪くしてどうすんのよ。不健康なもやしっぽいわよ」


「あぁ、似たような事はスイレンにも言われたよ。だからバザーに連れ出される事になったんだ」


「私はあそこまで言っていないはずですが?」


「似たようなもんだろ。引きこもりと不健康ってのは言われたし」



 いつも以上に歯に衣を着せぬカーリアンに苦笑を浮かべて、チロッと背後の女性を見やれば、彼女は彼女でたおやかにその細い肩をすくめてみせる。

 ただスイレンは、笑みは浮かべてはいてもその視線だけは真っ直ぐに制服少女に向けられていた。その瞳だけは全く笑っていない。


「シャク……? というと、あなたが――」


「そうだよ、おたくの委員長から熱烈な招待状を送りつけられ、散々悩まされている人物さ」


「そうですか……あなたがシャクナゲですか」


 飄々とした口調で肩を竦めてみせるシャクナゲに、制服少女――学園よりの使者は笑みを消した。

 黒い上衣と、同色の真っ黒な髪。その瞳の色もまっ黒で、まるで艶消しでもしたかのように周りの情景一つ写してはいない。

 その瞳だけが少しばかり異常な深さを垣間見せていたが、容貌は変種が現れる前までの日本人の標準的なものだ。

 そんな彼を確認して、一瞬で消した笑みを変貌させると、彼女は凄みのある冷笑を浮かべてみせた。


「あなたがこの国最大の罪人、あの人を縛る大敵なのですね」


 その笑みは、先ほどまで民政部のおじさん連中を怖がっていた少女とは一線を画するものだ。

 思わず側にいたカーリアンが数歩下がり、体をたわめた猫科の獣のような攻撃態勢を取って全身の毛を逆立たせ、スイレンはその姿を掻き消すと一瞬でシャクナゲの前にその姿を現す。


「そうだよ、最大の罪人って辺りは大正解だ。後半の意味はよく分からないけれど、多分それも正解だろうさ。俺に縛られたヤツなんてそこら中にいるからな」


 それでも当の本人はどこまでも皮肉げに笑って軽く天を仰いだ。

 そして、あっさりと制服少女の笑みを受け流して鼻で笑ってすらいる。


「でも、罪人ってのは確かに俺の事だけれど、もし《灰色の皇》って存在そのものに用があるのなら、それは東の地をあたってくれないか。多分脱け殻ぐらいは落ちてるだろうし、その名前を騙っているヤツも十人や二十人はいるだろうさ」


「そんな繰り言はやめて頂けませんかしら、《新皇陛下》。あなたはあの灰色で、あの世界そのもの。あなた以外にその色を名乗る者は所詮は紛い物でしかない。あなたこそが最も多くの人間に夢と希望と苦痛と絶望を賜り、あなたこそが俗人どもに抱えきれない欲望を与えた方でしょう?」


「繰り言のつもりはないな。戯れ言ではあるけど。少なくとも誤魔化すつもりなんかはないよ。灰色として振る舞うつもりはないってだけさ」


 ピリピリと空間が歪むのは、ここにいる四人ではなくとも感じられただろう。一般的な感覚しか持たない人間でもその片鱗は垣間見えたはずだ。

 もっとも、その空気を演出しているのは制服少女と相対したシャクナゲではない。彼を庇うように立ったスイレンと、制服少女を挟む形で立っているカーリアンだ。

 幻像を乱立させ始めた水鏡と、赤い光を放電し始めた紅がその戦意を空間に拡げていく。


「さて、あんたはこんなやり取りがしたくて――俺を糾弾してやりたくて、わざわざここまでやってきてくれたのか? それとも様子見に? もしかしてそれは口実で、暗殺でも狙ってきたのかな?」


「……」


「暗殺ならやめとけ。暗殺者を暗殺する難しさは分かるだろ? 真っ向勝負ならなおさらだ。いまお宅を囲んでいる二人は、ウチの班でも五指に入る二人だよ。具体的に言えば攻撃力の高さナンバーワンと、厄介な能力ナンバーワンのコンビだ」


 制服少女は返答を返さない。

 思わず……つまり反射的に向けてしまったのであろう敵意は消えなくても、冷静さは失っていないのだろう。

 それを見て、シャクナゲは口を動かしながらも思考を巡らせる。


 ――なるほどな。この様子からすると、学園は俺に……恐らくは《シャクナゲ》じゃなく《灰色》に遺恨があるのか。そしてその遺恨について、百パーセント俺の側に原因があるんだと考えれば、智哉が俺には勝てないといった理由も見えてくる。


 灰色を恨む者。灰色に何かを奪われた者。

 そんな存在と相対したのなら、確かにまともに戦ったりは出来ないだろうと思う。

 それを危惧したのだとしたら、《勝てない》と言われた理由も分かる。

 でも、《絶対に》と条件はつくだろうか。

 そんな相手などこの国には山ほどいる。そういった相手に手も足も出せないのなら、自分はこの国最弱だ。手を出せない相手が多すぎる。


 ――何か他にもあるのか? あいつが《絶対》とまで言ったんだ、他に何かないわけもないか。

 くそっ、迷わせる事を言うのなら答えも残しておけよ。


 そんな事を考えて、もう少しこの学園からきた少女を怒らせてみるか、はたまたここらで線を引いてみるかを考える。

 そして答えはすぐに出た。

 あんまり怒らせてしまうのはやはり得策じゃない。一旦矛を収めさせて、彼女がわざわざやってきた理由を聞くべきだろう。

 そうする事が結局は情報を引き出せる可能性が高いと判断したのだ。


「カーリアン、スイレン。このコを丁重に応接室へと通しておいてくれないか」


 笑いながらそう言った彼の判断が分かったのか、あっさりと幻像を崩したスイレンは穏やかに笑い、カーリアンはカーリアンで持ち前の気楽さを発揮したのか、はたまたシャクナゲがそういうのならと納得したのか、紅をあっさりと霧散させると肩を竦めてみせた。


「よろしいのですか?」


「いいんじゃない? シャクがそれでいいって言ってんだし、あたしも応接室で見張っとくから」


 そんな様子を受けても全く様子が変わらなかったのは、本人である制服の少女だけだった。真っ直ぐに――刺し貫くようにただ一心にシャクナゲを見やったまま、軽く返礼をするかのように首を上下させただけだ。

 そんな彼女には構うことなく、シャクナゲはそのままバザーの方向へと歩き去っていき、スイレンとカーリアンは話を進めていく。


「リンにも付き合わせるわ。最近、ちょっと退屈していたみたいだから」


「げっ、リンってリンドウよね。いまいちコミュニケーション取れないんだよね」


「すごくいいコよ? ちょっと引っ込み思案なだけ。ぜひお友達になってあげてね。私とサツキにしかなつかないからちょっと心配していたの」


「ん〜、自信ないのよね。話し掛けても応えてくんないし」


「恥ずかしがってるのよ。あなたの事は興味があるみたい」


「そうなの?」


「えぇ、あなたのところのカクリさんが前に一緒に食事をした時に色々話していたらしくて」


「……カクリ。いったい何を言ったのよ」


「今、あなたにあげる用に一生懸命人形を編んでるから、出来上がったらもらってあげてね?」


「その人形って藁人形よね? 無言で渡されたら絶対に誤解されるわよ、それ」


「あのコ、ちょっとだけ個性的だから」


「ちょっと……かなぁ」


 ごく普通に会話を交わしあっているが、一定以上は近付いて来ない辺りからも、この二人が単なる緩いだけの人物ではない事が少女には分かる。

 五指に入るというのも伊達ではないのか……そう判断して、彼女はその物騒な気配を納めた。

 元より強行手段に出るつもりであれば、民政部を通すような真似はしない。学園から出張ってきている人間がいるとなれば、否が応にも警戒されるだろう。

 そこまで分かっていて、シャクナゲがあっさりと応対を認めた事が彼女には分かった。様々な駆け引きがあり、その末に引くべき時に引いてみせた事もだ。

 この廃都と呼ばれる街を、アカツキという絶対的な指導者を失ってからも守ってきただけはある……そう認めるべきなのだろう。

 使者の役割とは、交渉をする事だけではない。相手の懐に入り込んでいる内に、その手の内を出来るだけ見聞する事も含まれている。中でも見るべきなのは、勢力の指導者を筆頭とした人物だ。

 その点を少女もよく理解していた。

 そして理解している以上、一定のライン以上は踏み込まず――つまり茶番とも言える交渉の前哨戦やおべんちゃらの並べ合い以上は不許可だ――交渉役をこなさなければならない事も。


「ご案内、よろしくお願いいたしますわ。

 私、学園にて総括委員長より、サジタリウス――外的勢力折衝委員を任されております《雅楽川怜衣(うたがわ・れい)》と申しますの。

 果敢な働きにより、ついにあの将軍より故郷を守り徹した黒鉄の皆さんにお会いできて嬉しいわ」


 だから色々な思惑はあっても、学園の名前を汚さないように、その制服の裾を軽く持ち上げてみせてたおやかに礼をしてみせる事にしたのだ。


 決して表に出ない学園の看板の価値は、そこから外に出る事を許された存在にかかっている。

 関西統括軍に自治を許させた時も、瀬戸内水賊衆に暗黙の内に不可侵を決めさせた時も、表に出たのは天秤の名前を持った外交官だけしかいない。アカツキがいた頃に、学園に対する警戒心を呼び起こさせ、学園に敵対する事の不利を植え付けた時にもだ。

 外的勢力との折衝役を仰せつかった以上、彼女は感情を殺して、あくまで上品に、どこまでもたおやかに礼を尽くして笑みを浮かべる。


「学園で栽培したお茶も持って参りましたのよ。焼き菓子は手作りですの。お口に合えばよろしいのですけど……。お台所を貸して頂ければお茶もご用意いたしますが、私は学園の者。勝手も分からない者でございますから、よろしければお願い出来ますかしら?」


 そんな学園の外交官としての顔を前面に出した彼女に、浴衣姿の女性は同じような含みのある笑みを浮かべてみせ、紅の少女はその手を差し出してきた。


「あたしはカーリアン、こっちはスイレンよ。あたしは知らなくても彼女の名前は知ってるでしょ? よろしくね」


「お二方とも存じておりますわ。先ほどはお声をかけて頂き、ありがとうございました」


「ま、あたしは結局何もしてないけどね」


 握手を交わして、裏表なく笑う少女は、全くの無垢に見える。後ろで笑みを浮かべ、黙礼をしてみせながらも、どこか値踏みする色を隠していない女性とは大違いだ。

 言葉通り怜衣は二人ともよく知っている。

 ネームバリューで言っても、上から十番以内に入っている二人だ。

 それは要注意リストでも変わらないだろう。

 この二人の印象は真逆ではあったが、それだけにこの二人が揃っている現状は厄介かもしれない。そう思う。

 直感型の人間と理論型の人間と別れていたのなら、対応は難しくなるだろう。


「あ、あたしが案内するから付いてきて」


「はい、お願いいたしますわ」


「あともう一人か二人来ると思うけど、気にしないで」


「はい」


「それから――」


 手を握ったまま、さっさか歩き始めたカーリアンに、怜衣は内心苦笑を浮かべ


「あんまりあいつをイジめないでやってね。あいつは我慢強いから何を言われても許しちゃうんだろうけど、あたしはちょっとカチンと来ちゃうからさ」


 そう言った彼女が一瞬だけ……本当に一瞬だけ、握ったままの手からバチッと赤い光を走らせた事に冷たい汗をかいた。



「善処しますわ。私にも言い分はあるのですけれど、今は個人ではなく学園の代表として来ていますもの」


「ん、お願いね。あたしより我慢効かない――というか見境ない危ないヤツとか、短気を起こすガキンコとかもいるからさっ」


「はい、ご忠告、痛み入りますわ」


 元より魔窟である事は覚悟していたが、東海地方において最も有名で凶悪と評判の高い《死にたがり》に、初っ端から目を付けられるほどだとは思ってもみなくて、思わず溜め息を吐きそうになる。

 もちろん辛くも飲み込んで、あっさりと笑顔を向けてみせたが。





 学園。

 堕ちた学舎。

 変種の為の隔離された教育機関。

 そこからのコンタクトがあったこの日、盤上の駒はまた一歩先へと進む。

 暁の預言書にも記されていない形での規定事項として。



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