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15・花売りと嫌われ者

お題は適当じゃないですよ?

ついでに番外でもないです。







 十日に一度の街頭市の日。

 ハルノはやや緊張した面持ちで、近くの山の麓で育てた花を積めた籠を抱えながら廃墟の街の中心部を歩いていた。

 市場となる通りの入り口に立つ黒いバンダナを巻いた女性に、籠の花と民政部から支給された住民票を提示してみせて、ちょこんと礼をする。

 この住民票は、月ごとに民政部かその詰所で判を押してもらって更新しなければならないだけではなく、時々いきなり切り換えられる事があったから提示する時はいつでもドキドキした。

 ひょっとしてうっかり判子を貰い忘れてないか。

 切り換えがあった事を知らなかったりしないか。

 そう思えば毎回心臓が高鳴るのだ。

 しかし、これを見せた後にニコリと笑みを向けられた時に感じる喜びでお釣りは十分だ。

 それはつまり、この街の住人として認められているという証であり、自分の居場所を感じられる瞬間だったから。


(今日は来てくれるかな。いいコたちばっかり連れてきたんだけど)


 そんな事を考えながら、何度も往復して花を並べていく。

 両親も個人で育てた野菜や、作業の合間に拾い集めたものやらを売りに来ているはずだった。やや離れた場所を宛がわれたが、それは抽選という形で売り手を決めるバザーの形から仕方のない事だろう。

 この十日に一度のバザーは、この廃墟の街で開かれる市の中でも最も盛況なものなのだから。

 なにしろ主催は、廃墟の街の中でも中心部に本部を構える《黒鉄第三班》だ。他の市とは売り手も買い手も安心感が違う。

 いかに廃都の治安はいい方だとはいえ、個人で売買していたりすれば、なんだかんだと因縁を付けられたりひったくられたり、あるいは全く使えない物を無理矢理売り付けられたりする事もある。

 どれだけ警備されていても穴はどこかにあるものだ。それに何事もなくても感じてしまう不安感は拭えない。

 だが、このバザーだけは違う。

 場所が第三班本部前に伸びる短い通りだけだとはいえ、そこが解放されての売買ではまず間違いが起こらない。

 等間隔で立つ歩哨が身体のどこかに巻いている黒いバンダナ。

 それは、この廃墟の街を守る黒鉄の中でも最強の部隊と名高い第三班に所属する者の証だからだ。

 中にはダラダラ歩いているだけの者もいる。

 うつらうつらしている者もいる。

 市で買い物を楽しむ者までいる。

 だが、その全員が独特の雰囲気を持っていて、健全に売買に来た住民に安心感を与え、そんな住民からちょろまかしてやろうと考える不埒者には無言の圧迫を放っているのだ。

 前にこの市で盗品を捌いていた人間が、元の持ち主にそれを指摘されて逃走を図った事があったが、その時も文字通りあっという間に拘束されて連行されていたし、売買の上で喧嘩が起こりそうになった時も、彼らが仲立ちに立つだけで両方が借りてきた猫のように大人しくなっていた。

 そして、ここでメインの客となるのは、その三班の非番の面々か三班メンバーの家族などだ。

 騒ぎを起こしたりすればメインとなる客の足は遠退くだけであり、そうなれば折角の健全な市に来た意味がなくなる。

 さらに下手をしたら出禁を食らうだろう。

 こちらから吹っ掛けなければタチ悪い客は排除されるのだから、売り手が問題を起こす必要もない。


(スイレンさん、今日も来ないかな。サービスするんだけど)


 たまに三班の中でも上級幹部に当たる人もいて、そんな人が来ている時はさらに熱気が違った。

 彼らは廃都でも有名人の集まりであり、市で手伝いをする子供たちにとっては街の英雄だ。俄然子供たちの親も気合いを入れて呼び込みをかける。

 普段の市ではハルノが商品とする花はあまり儲けにならず、従って常連と呼ばれる人もそういない。

 そんなハルノにも、運よく抽選に通った際にはよく顔を出してくれる上級幹部の女性がいた。

 たおやかな浴衣姿が綺麗な女性だ。市に来ている誰もが彼女を振り返って見送っているほどで、そこに男女の差がない辺りからしてもその人気の高さが窺える。

 彼女と会う事がハルノにとっては密かな楽しみだったりするのだ。


 特に三月ほど前の市では、スイレンに連れられて第三班の長であるシャクナゲまでもが顔を出した事があるぐらいで、その時は弟に延々と自慢話をしてやったものだ。


(あの二人、凄かったなぁ。また来ないかな。今日のコは特別綺麗に咲いてくれたから)


 歩いている姿だけで異様に目を引く青年と、その背後に控えるかのように続く女性。

 ハルノから見ても歴戦の戦士という言葉が似合う男性が歩けば、混雑する市の通りが綺麗に割れた。

 あちこちにいた黒布巻きたちが軽く一礼したあと、素早く周囲を警戒していたのも印象に残っている。

 ここで誰よりも頼りになる彼らにとっては、その男性はとても大事な人なんだとすぐに分かってしまい、思わずまじまじと見てしまった。

 その真っ黒で凄く奥の深い瞳は、ただ見つめているだけでどこかに沈んでいってしまいそうな錯覚を覚えた。

 子供たちが手を振ると、困ったように後ろの女性を窺って、照れ臭そうに笑い返していた辺りが少し可愛かった。


 その時、二人に求められた花は気の早い向日葵で

『相棒には向日葵が似合うと思って』

 と言っていた彼に花束にして差し出した。

 あと少し経てばもっと大きくて、綺麗な花を持ってこれたのに……。

 そう思えば少し残念だったが、それでも出来るだけ元気に咲いてくれたコたちばかりを選んで束にした。

 ちょっとだけ触れた細く長い指先には、いっぱいの小さな傷があった事をいまでもはっきり覚えている。


 ――きっとこの傷の全ては、この市に来ている人たちの為に付いたものなんだろう。


 そう考えたら、どこか尊いものに思えたからだ。

 そんな彼が浮かべた儚い笑みから、その《相棒》はすでに故人であり、きっと二人は並んで墓参りに行くのだろうな、と漠然と思った。

 彼だけじゃない。いつもは花なんて見向きもしない人々が何人も買い求めてくれて、慌てて追加の花を収穫に戻った時には、その推測は確信に変わっていた。

 その相棒さんは、きっと三班の人たちにとって大事な人なのだろう……ハルノにさえ理解出来たのだ。


 だからこそもう一度来てほしいと思う。

 今度は自分たちの為に、ハルノが育てた花を求めて欲しいのだ。


(今日のコたちは特別お気に入り。臭いはキツいけど、あの二人にぴったりの花なんだから)


 あれから二度、運良く抽選にあたったが、彼らには会えなかった。色々とゴタゴタしているらしく、そんな暇もなかったのだろう。

 色々と悪い噂も出回っていたから、参加を自粛していたのかもしれない。

 でも今日こそはなんとか顔を出して欲しい。

 今日の一番綺麗なコは、黄色いマリーゴールド。

 その花言葉の一つに《勇者》というものがある。他にはその独特の香りからマイナスイメージの言葉もあるが、この言葉だけでもハルノにとっては十分過ぎる付加価値があった。

 あの二人……特にスイレンを引き連れたシャクナゲが放つ気配は、まさしくハルノには勇者に見えたから。





「よっし、準備完了っ」


 ここのお客は基本的に他の市のように無闇やたらと値切ったりはしないし、品に見合ったものは払ってくれる。今の時代にはかなりの上客ばかりだ。

 女性が一人で売り手に立っていても足元を見て恫喝まがいの真似はしないし、メインの売れ筋である食料以外の嗜好品も好みに合えば買ってくれる。

 食料や衣類以外は捨て値で買い叩こうとする他の一般的な市よりは、活気が出るのも無理はないだろう。

 気の早い売り手は、すでに警備の人間を相手に売り込みをかけてすらいる。

 だからこそ、ハルノは精一杯見映えに気を使って花を並べていく。この出来でその日の売り上げが決まると言っても過言ではない事を知っているからだ。

 折角綺麗に咲いてくれて、それに見合う価値でもらわれていく機会なのだから、ハルノが手を抜いたりなんかしてはお客にも花にも申し訳がない。

 この街頭市に問題があるとすれば、上質な市であるだけに参加希望者が多すぎて抽選になるという点が挙げられるぐらいだから、ただの一回たりとも無駄には出来ない。

 精一杯着飾らせてあげれば、忙しい人の目にも付きやすいだろうという打算もある。


(なんとかいい場所が取れたのはラッキーだったな。呼び込み、頑張ろ!)


 ハルノが手をかけて育てた花は、食用になり生薬や漢方にも使えるものが多い。こういった時勢では、単に綺麗な花を咲かせるというだけではなかなか売れてくれないからだ。

 そういった植物から毒性の高いものを除き、さらには薬効の期待出来るものの中から見た目も美しいものを選んで売っている。

 観賞用に使えてリッチな気分を味わえ、栄養にもなってくれる、というのがキャッチフレーズである。

 春は菜の花、少し前であれば向日葵なんかはよく売れた。

 菜の花は食用にも使えるし、セイヨウアブラナであれば数さえ揃えば上質の油も取れる。向日葵の花を嫌いな人間はまずいないし、その種は炒って食べれば結構おいしいおやつにもなる。

 今の季節は食用にも使える菊科の花が売れ筋だろう。

 そう考えて、今日は菊の種類を沢山もってきていた。

 ハルノ的にはメインとなるマリーゴールド以外にも、たくさん綺麗に花を咲かせてくれて、今日のコたちの中でも目を引くだろう。

 中でも黄色いマリーゴールドは一番目立つ場所においておくと共に、念を入れて一番目と二番目のコの二株だけ取りおいておいた。


(うん、食用に使う方法や効用についても自信ある。綺麗なだけじゃなくて、すごくタメになる花なんだって分かってくれたら――)


 そうセールストークについて復習していた時の事だ。自分の受け持ちの場の前で立ち止まる少女に気付く。

 黒いバンダナと共に赤いバンダナを左腕に巻いて、綺麗な赤い髪を白いバレッタでポニーテールにしている少女だった。

 淡い黄色の生地に《33》とプリントされたニットチュニックと、細い足先が見える七分丈のレース付きジーンズが活発な印象を受ける。

 赤い瞳はルビーのようだ。

 この少女も三班の人だろうか? そう思うと少し緊張する。


「い、いらっしゃいませ」


 思わず言葉がつっかえる。舌がからまりそうになる。

 少女が誰だか分かっているわけではない。ハルノは黒鉄のメンバーに知り合いがおらず、三班の中で顔と名前が一致するのはごく数人だ。

 赤髪の少女は残念ながら一致しない相手である。

 ただ、隣で野菜を拡げていたおばさんが息を飲んでじゃがいもを転がした音と、周りが注目している空気を感じて胸が高鳴った。

 恐らくはかなり有名な人なんだろう。妙な緊張感が感じられたが、そう当たりをつける。


(綺麗なコだな。赤い髪って事は変種かな? でもそれだけが理由にしては、周りの人がすっごく緊張してるみたいだけど)


 その少女自身は、周りの注目が集まっている事に目もくれず、一番に置いた黄色いマリーゴールドをまじまじと見ていた。

 そしてジッと花を見た後、備え付けたばかりのハルノお手製《効能、食用について》と書かれたボードを見やる。

 それを読み終わった後、臭いを嗅いでみてちょっと顔をしかめてみせた。


「あっ、臭いはちょっと独特ですけど、毒性はないですよっ」



「ん〜、ちょっと部屋に飾るには臭いがキツいかも。でも花は綺麗だし……。ハーブティーっぽく使えるなら試しに幾つか貰っちゃおっかな。いくら?」


 一瞬考えこんで、それでもやはり気に入ってくれたのかあっさりと購入を決めると、腰から下げた巾着を持ち上げた。

 このバザーだけに限らず、廃都における売買は基本的に物々交換か、はたまた神杜民政部が交付する札、もしくは旧日本国硬貨だけだ。

 このうち旧日本国硬貨はあまり人気がない。いくら警戒していても小さなものである為、外からの持ち込みが絶えないという点から、その価値が低迷している。何より数を持てば重い。

 だから硬貨を出されたら困るかな、なんて思っていたのだが、その赤髪の少女は交付されている紙幣をかなりの額持ち合わせていた。その手にある朱色のチェック柄の巾着袋がはち切れそうなぐらいだ。

 凝った造幣施設もそれを回す余裕もない民政部が発行しているそれも、物々交換よりは頼りにならないものであったが、それでもこの辺りでは主流として用いられているものだ。

 民政部に持っていけば相応のものに代えられるし、街の市場ならどこでも使える。売り手や買い手によっての価値は安定していないものの、物々交換をするよりはずっと便利だ。

 それをこの少女は、尋常なものではぐらい持っていたのだ。その辺りからも、彼女の立場――つまり見合うだけのなんらかの能力を持っている事が窺える。


 ――ここでの売り上げの何倍になるだろう。


 一ヶ月民政部で割り当てられる作業を手伝って貰える額を余裕で上回るぐらいだ。そう思うと思わず唾を飲みこんでしまう。


「……あれ? ひょっとして物々じゃないとお断り? そんなとこもあるとは聞いてるけど」


「あっ、ごめんなさい。硬貨はちょっと困るけど、紙幣は受けてます」


 そんな事を考えて、思わずマジマジと見てしまったハルノにもその少女は嫌な顔一つせず、言われた額……一番価値の低い紙幣を数枚渡して対価に鉢植えと切り花をいくつか受けとると、ニコリと笑って握手を求めてきた。

 この握手、もしくは軽く触れる程度のハイタッチが、この街頭市では交渉成立の証となる。

 それをよく知っていて、今まで何度となく交わしてきたはずなのに、何故か一張羅のスカートに手をこすりつけてから恐る恐ると握り返した。

 それぐらいこの少女は綺麗だった。

 赤い髪は太陽を思わせて、炎を思わせる。花たちの命である光を連想させる。


「ありがとうございました」


「ん〜ん、こっちもありがと。いやぁ、お花とか売ってる人って少なくってさ。ちょっと今の部屋が殺風景で、なんか彩りが欲しかったのに困ってたんだよね。あっ、そだ、これって押し花とか行ける?」


「出来ますよ。ただ綺麗に長持ちさせようと思ったら手間がかかりますけど」


 少し考えてそう言ったハルノに、少女は少しだけ思案げな表情を浮かべて唇を尖らせてみせる。


「ん〜、手間かぁ。ここってさ、そういうのやってないの?」


「押し花ですか? 彩りにするって事は、額に入れたりする方がいいですよね? 材料さえあれば出来なくはないですけど」


「じゃあじゃあっ、頼めたりしないかな? もちろんその分は必要経費から手間賃から払うから。今はちょっ〜とばかり忙しくて手間かけらんないし……かといって、急いでやって綺麗に出来なかったら花にも悪いしね」


 キラキラと期待に赤く輝く瞳がすごく魅力的に思える。ハルノと同年代か、はたまた少し上にもみえるのに、まるで何歳も年下のようだ。

 そして何より、《花にも悪い》という言葉が嬉しくなって、少しばかり胸を張って引き受ける事にした。

 花が綺麗で、だから求めてくれたという事がハルノの心に響いた。それは今の時代にはとても尊いものだったからだ。

 残念な事に、いくらハルノが胸を張ってみせても、目の前の少女が持つ盛り上がりには負けていたりするが、それはなんとか気付かないふりをする。


「ふふっ、いいですよ。さいわい今日は大きなバザーですから、額とかもあるかもしれませんし、ラップはないでしょうけどナイロンとかなら並んでるかも。なくても単品で飾れるようにしておけばいいですよね?」


「そうそう、壁とかに張り付けたりしてちょっとは可愛らしくしたくってさ。前までいた部屋から着替えとか必要最低限のものだけ持って飛び出したから、どこの物置部屋よってぐらい殺風景なのよね」


 そう言ってげんなりとした風に溜め息を吐くと、少女は軽く肩をすくめてみせた。

 どこかオーバーアクションにも見えるきらいがあったけれど、表情豊かな彼女がやればなんとなくおしゃまな子供の仕種にも見えるから不思議だ。


「隊長ぉ〜、待ってくだ――わぷ、すみません、すみません」


 そんな少女は、他にも並んでいた花々に目を向けて。

 遠巻きに囲んでいた……何故かこの混雑の中でも、少女の周りにだけは空間が開けられていたのだ……人々の中から、短髪と小柄な体格を持った少女があちこちをぶつけつつ顔を出した時に、ちょっとだけ少しばかり顔をしかめてみせた。


「待ってくださいよぉ。一人出歩かせたりしたらわたしが《また》カクリさんに苛められるんっすからねっ」


「……もうっ、お目付け役なんかいらないっての。それにお目付け役をするつもりならちゃんと付いて来ないとダメじゃん」


「隊長がいきなり駆け出すからっす!」


 その小柄な少女も細い腕には黒布が誇らしげに巻かれていて、困ったような、戸惑ったような表情でハルノと赤髪の少女を交互に見やる。

 なんとなく頭を下げてしまったのは、恐らく習慣によるものだろう。そんなハルノに小柄な少女も慌てたかのように一礼してから、赤髪の少女を恨めしげに見やった。


「隊長ってばちょっと目を離したらすぐどっか駆けてっちゃうんすもん」


「あっ、あんた、あたしのせいにすんの? カクリに言い付けちゃうわよっ」


「そんな事されたら苛め殺されますって!」


 とりあえずこの二人が上司と部下である事は分かった。

 そして上司に当たるのであろう少女は、ハルノが抱いていた印象通りに活発で奔放な性格をしている事もだ。

 さらに言えば、その奔放な上司に振り回されているらしい小柄な女の子が、ものすごく苦労性である事まで見て取れる。


「あぁ、あのコにネチネチ言われたらキツいよねぇ。まっ、なんか言ってきたらあたしがばっちり言い聞かせてあげるから、あんたもバザーを楽しみなさいって」


「いやぁ、隊長に告げ口みたいな真似したら、それこそ明日の朝日は拝めないんじゃないかなぁ、なんて思うんですけど。

 ――それに今日は市を楽しむ為じゃなくて、市を警備する為にここにいるんじゃなかったでしたっけ?」


「あ、あの……」


 とりあえず商談は済んだけれど、肝心の商品受け渡しはどうするかを決めていなかった事を思い出して、ハルノは意を決して口を挟んだ。

 バザー参加者としては、警備担当をしているという二人の様子に不安を覚えないでもなかったが、そこはなんとか無視する事にする。


「あぁ、ごめんごめん。このコがうるさかったよね」


「それもわたしのせいっすか!?」


「あ、あんた、それもあたしのせいだっての?」


「リピートしなくていいっす!」


「まぁ、ケイをからかうのはこの辺りにして」


 肩で息をしながら『なんか最近、わたしの立場が不当なものに変わってる気がする……』とボヤくケイと呼ばれた少女をほったらかしにして、最初から最後まで楽しそうな雰囲気を持ったまま、ハルノのお客さんは遅すぎる自己紹介をした。


「あたしはカーリアン。今日のバザーの警備責任者なの」


「はぁ、責任者……って責任者なんですかっ」


 危うく『全然それっぽくないじゃないですっ』と言いかけた言葉を飲み込んで、ハルノはカーリアンを見る。

 どう見ても盛況で人気のあるバザーの責任者を任されるようなタイプには見えない。その若さを理由には含めないにしても、そんな《責任者》という肩書きが似合うようなお堅い人間には見えないのだ。


「何が言いたいのかは分からなくもないけど……まぁ仕方ないのよ。このバザーの責任者って、シャクを除いた三班五隊の幹部での持ち回りみたいだから」


「そ、そうなんですかっ」


 失礼な感想を浮かべながら、盛大に驚いてみせたハルノにも苦笑してみせて、カーリアンはあははっと小さく笑う。

 面倒そうな言葉には相反して、どこか嬉しそうだ。


「頼んだものは三班本部までよろしくねっ。材料費かかるだろうし、先払いで多目に渡しとくから出来たヤツは事務の人に預かってもらってくれたらいいから。もし費用で足が出たらそれも言ってきていいよ」


 そんな事を言って、本当に適当極まりない仕草で半分ほどの紙幣をごっそり抜き取ると、ボケっとしていたハルノにそれを持たせた。

 あまりにも躊躇いが無さすぎて、しげしげとその紙の束を見つめてしまう。これだけあれば、ここの花を全部売って、それを全て押し花にしてもお釣りがくる。

 さて、明日からは押し花職人にでもなろうか。

 そんな事を考えてしまって、必要な材料を幾つか候補にあげたところで我に返った。


「こ、こんなにかかりませんっ」


「あれ、そうなの? いやぁ、あたしって服以外買わないし、食事は班で出るからお金ってあんまり使わないんだよね。こっち来てからはずっと黒鉄やってるし。だからイマイチこの街の金銭感覚には疎くって」


「すみません、うちの隊長は色々疎すぎでして」


 ポリポリと頭を掻く赤髪の少女と、げんなりした様子の小柄な少女を見やって、ハルノは少しだけ多目に紙幣を頂く事にして、残りをカーリアンに返した。

 多目に貰ったのも、ガラス張りか透明なアクリル板がついた額なんかがあれば、絵のように綺麗にしあげられるだろうと思ったからだ。

 返す時にちょっとだけ悩んだのは秘密である。多目に貰ったにも関わらず、返却分の方が十倍近く多かったりするのだから無理もないだろう。


「では仕上がったら持って行きますけど……本部事務所に届ければお名前だけで分かるんでしょうか?」


「分かるんじゃないかなぁ、あたし宛って言えば。事務所に知り合いはいないから、多分だけど。うん、きっと誰か一人はあたしの事とか知ってるはず……とは思うんだけど」


「いや、間違いなく全員分かるっす。隊長はもう少し自分が有名人だって自覚を持つべきっすよ」


「そっかなぁ。一般事務所なんか行かないからさ。その辺りはカクリに任せてるし」


「で、では、なるべく早くお持ちしますのでっ」


 それなりの立場を持っているらしい事は周りを囲む人々の反応から分かっていたが、どうやら予想よりもずっと上位の幹部であるらしい事に気付いて、いまさらになってハルノは少しだけ慌てた。

 そんなハルノに、カーリアンはうんうんと頷いてみせると、周りから遠巻きに見ていた人々に見せ付けるようにその拳を掲げた。



「みんなぁ、今日は絶対不埒な輩に問題起こさせたりしないから、精一杯売って買ってしてってねっ。多分非番の連中も昼には来ると思うからっ」


 その人々の視線は、どこか他の幹部連に対するものとは違う事がハルノにも分かる。

 なんとなく、忌避するような……昔のまだ落ち着いていなかった頃の廃都で、強い力を持つ変種に向けられていた人々の視線と似たものに感じられるのだ。

 それでも当の少女は気にした様子もない。

 一瞬だけ顔をひきつらせ、怯んでいたように見られたけれど、小さく『よしっ』と気合いを入れてからは、先程までと同じ明るい笑みを浮かべていたぐらいだ。


「最初に言っておくけど、問題起こしたりなんかしたら、その度合いによってレアからウェルダンまで焼き加減を考慮して、こんがり焼いたげるから、なるべく生身で生きていきたい人はくれぐれも問題を起こさないようにっ」


 掲げた拳からはパチッと赤い光が空に向かって駆けあがり、それに対してどよめきが上がっても気にもしない。その光が空高い位置で炎を吹き上げたかと思えば、それが一瞬でかき消えた段階で、ビシッと人々の中心にその指を突き付けてみせる。


「ちなみに、あたしって全力でいくのは得意だけど《手加減》はかなり苦手だから、そこんとこを忘れたりなんかしちゃったらきっと後悔しちゃうわよっ」


 そうした宣言を終えて。

 カーリアンが周りにいた黒布巻きたちに視線をやると、その黒布巻きたちは慌てて姿勢を正し、軽く頭を下げる様子が見て取れた。


「あたしんとこはまだ新米で、このバザーの流儀とか詳しくないから、なんか問題があったら周りの誰かにガンガン言ってきてね。やる気と根性だけは他のとこにも負けないつもりだからっ」


 そんな黒鉄たちの仕種、カーリアンに向けられる視線は、今まで見てきた三班の上級幹部――この黒鉄第三班の中でも、特定の人物にだけ向けられているものと全く同じものだった。

 例えば水鏡のスイレンに対するもの。

 例えば優男にしか見えない三班の副官である青年に向けられるもの。

 それと同じものだ。

 このカーリアンという少女が、今日のバザーで警備に当たっている黒鉄たち――つまり責任者である少女の部下たち――からは、ハルノの勇者たちと同じだけの敬意と信頼が向けられている事が分かった。

 彼女も今ここにいる三班の面々からは、頼られるにたるだけの実績を持っているのだろう。


「ほら、ケイ、ぼさっとしてないであたしたちも見回り行くわよっ。今日の市の安全はあたしたちにかかってんだからねっ」


「あっ、ちょっと、お願いだから少し休ませて、いきなり駆け出さないで、こんな微妙な空気の中に置いてかないで……って、隊長ぉ、ウェルダンは絶対にマズいっすからねっ、お願いしますから全力で手加減してくださいよ!? 隊長が本気になったら、辺りの景観が冗談抜きで変わっちゃうんすからねっ。この街はわたしの故郷なんすから、間違っても荒野に変えたりしないでくださいよっ? そんな事になったらわたしが全責任ひっかぶらされちゃうんすから――って聞いてくださいよぉ!」


「あ、あのっ」


 なんとなく誇らしげにカーリアンの傍らに立っていたケイは、またもいきなり駆け出した上司を慌てて追いかけようとして。

 それをハルノは辛くも呼び止めた。

 聞きたい事があったからだ。今日のバザーにおいて、売り上げ以上に大事な事柄――すごく綺麗に咲いてくれたコたちを渡したいと思っている相手について、黒鉄である彼女なら知っているはずだからだ。


「あ、すんませんした、うちの隊長がお騒がせを――」


「そ、そうじゃなくってっ」


 一刻も早く追いかけたいと言わんばかりに、その場で駆け足を続けている少女には申し訳なくなるけれど、ハルノも引くわけにはいかない。


「今日はスイレンさんとかバザーには来られないんですか?」


「スイレンさんのお知り合いっすか?」


「お得意様です」


 その言葉は嘘じゃない。唯一のお得意様と言ってもいいぐらいだ。そんなハルノのちょっとだけ自信を籠めた言葉にあっさりとケイは納得してみせた。


「あぁ、そういえばあの人はたまに花とか活けてるっすねっ。その活けてる花を見て、うちの隊長も花を買おうと思ったみたいだし……あの人は非番だから多分来るんじゃないっすか?」


「そうですかっ、よかった」


「他にも幹部の方だと、カエデさんとかリンドウさんは来ると思いますよ。班長やアオイさんは来ないと思いますけど」


 ――うちの隊長と違ってあの二人はお忙しいみたいだし。


 そんな余計なことをぼそっと付け足すケイに、ハルノは少しだけ苦笑を浮かべてみせた。

 班長であるシャクナゲが来ない事は残念だったけれど、苦笑の理由はそれではない。


「……ふ〜ん、誰と違ってなんだって?」


 追いかけてこないケイを連れにきたのか、はたまた何かしらまだ用があったのか、その後ろには陰口を叩いたばかりの《隊長》が立っていて。

 すごくいい笑顔で小柄なケイの頭に片手を乗せていて。

 その手先からパチパチと光を溢れさせていて。

 ケイの顔が一気に真っ青になったかと思えば、蝋のように真っ白になった様子が少しだけ憐れに思える。

 でも、自業自得な気もするから、どんな表情を浮かべてみればいいのかわからない。

 だから苦笑してみたのだ。


「あ、あわわ」


「カクリが言ってたけど、ケイってば少しばっかり無駄口が多くて、ちょっとだけ空気が読めてないみたいよね? あたしって暇そうに見える?」


「み、見えないっす」


「そうだよね」


 にっこりと笑う笑顔が素敵だった。

 その笑みは許しを与える笑みではなく、罪人を断罪する時の獄卒のような笑みであったが。


「あたしは今日は警備の責任者だし、仕事はあるもんね? 前の外征でも頑張ったつもりだし。でもそんなあたしを暇人扱いって事は、ケイってばあたしよりいっぱい働いてみせるんでしょ?」


「……えっと、そのぉ〜、もうすでに仕事はいっぱいいっぱい溜まってまして。これ以上何か任されたら、首を括るしかないって言うかっすね」


「大丈夫よ、カクリが言ってたわ。ケイはやれば出来るコだって」


「……そうですね、そうっすよね。今日の日報とか反省文とか定時報告とかは、このケイにお任せくださいっす」


「ついでに荷物持ちもさせたげる」


「鬼っすっ!」


 なんとなくこのケイという少女の立場が、今日会ったばかりのハルノにも分かってしまった。

 鬼呼ばわりしながらも、すでに買ったばかりの切り花を受け取っている辺りが笑えてしまう。押し花にする用に、と鉢植えをハルノが預かっていただけ助かったと思うしかない。


「スイレンは多分昼過ぎには来るよ。最近引き込もってるシャクを、二人で協力してむりやりにでも引っ張ってくるってヒナっこが言ってたから」


「班長さんも来るんですかっ?」


 一度今日は来ないと聞いていただけに、思わず声を上げてしまったハルノに、一瞬だけカーリアンは驚いてみせてから小さく笑った。

 その視線がちょっとだけ真剣で、僅かに細められていた辺りから、何か誤解をされていそうで怖い。


「うん、たぶんだけど。だからあたしは気合い入れて、バザー開始早々から見回りしてたのよ」


「見回りって言うか、買い物をしてただけっすけど」


「……ねぇ、ケイ? あの石像とかご利益ありそうだと思わない? すっごく重そうなところも素敵よね。ケイに持てるかな?」


「……すんません、黙りますから勘弁してくださいっす」


 ハルノもケイと同じ事を思ったりしたが、それを口に出さないだけの知恵はあった。

 きっと考えなしに言葉を口にして、色々苦労しているんだろうなぁ〜なんて事を思えば、優秀な人材ばかりが集められているはずなのだから少しだけおかしい。

 今も半ば本気で石像――ハルノの腰までありそうな女神像に興味を惹かれたらしい上司を、半泣きになりながら止めようとしている。

 彼女が知っている黒鉄は、だらけたところはあっても、こんなに身近に感じられる人々ではなかった。


「まっ、あたしもシャクを――うちの班長を見たら、ここに顔を出すように言っとくね。スイレンは放っといても来るだろうけどさ」


「あ、ありがとうございますっ」


「んっ、じゃ、バザー頑張って」


 今度は余計な事言いがちな部下の首根っこを引っ掴んで歩いていくカーリアンを見送って、その歩いていく先が綺麗に別れていく様にまたも首を傾げてみせた。


 ――ん〜、なんであのコだけこんなに避けられてるんだろ?



 カーリアンが故郷である東海の地で、家族を殺した変種と呼ばれる同族たちを、見境なく殺して回った《凶悪な同族殺し》だとは、彼女が去ってしばらく経った頃に、女神像を置いていたおじさんが教えてくれるまで知らなかった。

 とてもそういった意味で有名になりそうな少女には見えなくて、そのおじさんの質が悪い冗談だと思って眉をひそめたぐらいだ。

 隣で野菜を売っていたおばさんまでもが同じ事を言ってくるまで、信じていなかった。


「大丈夫? 何かされてない?」


 と心配されても曖昧に頷く事が精一杯で。

 何故かムカッとくる。

 ハルノが何かされていない事は、側で見ていたのなら明らかだ。彼女がした事は、ハルノから花を買ってくれた事と掛け合いを見せてくれた事だけだ。

 彼女が過去に何かをしていたとしても、周りにいた同僚から受け入れられている事も分かるだろう。

 ハルノも一番酷い時期には盗みをした事がある。他人を突き飛ばして逃げた事もだ。

 それが原因で、死んだ人もいるかもしれない。

 他の人たちも、あの混乱期を生き抜く上で何も汚い事をしていない人なんて稀だろう。実際に人を殺した人間もこの中にはそれなりにいると思う。

 あのスイレンやシャクナゲも、人を殺して立場を獲た人間だ。そこを歩く黒布巻きもそうだ。

 彼女の過去を否定して、今のカーリアンと名乗った少女まで否定すれば、ハルノが憧れる二人まで否定してしまう気がするのだ。

 だからムカッときて、それをなんとか笑みに変えると


「大丈夫、なんにもされてないです。すごくいい人でしたっ」


 と力強く言ってあげた。

 殺人を忌避する気持ちは分かるけれど、そうしなければ生きていけない時代があった事は、ハルノの年齢でも知っている事だ。

 綺麗なだけの人間なんてどこにもいない事も知っている。

 だから花に憧れて、花を広める役について。

 周りから遠巻きにしていた人々に、あの少女は無闇やたらと人を傷つけるようなコじゃないんだよ、と言ってあげたのだ。


「花が綺麗って言ってくれましたっ。すごく嬉しかったですっ。ただの怖いだけの人なんかじゃ絶対になかったですよっ。そんな人なら、きっと黒鉄の人たちからあんなに認められたりしませんっ」


 そうはっきり言ってあげると、ちょっとだけバツが悪そうにおばさんは顔をひきつらせて。


「そ、そうさね、うん。おばさんも噂ほど怖いコじゃないんじゃないかって思ってたのさ」


 なんて言って、照れ臭そうに笑ってみせる。



「はいっ、わたしもそう思いますっ。噂なんて大きくなる事はあっても小さくなる事なんてないですからっ。さっきみたいなすごい能力を持ってるから大袈裟に伝わっちゃっただけなんですよっ」


「ハルノちゃんがそう言うならそうかもしれないね」


「はいっ、花が好きな人に……花が綺麗だって思える人に、本当に悪い人なんかいませんからっ」


 こんな風に見たままを受け入れて、感じたままを伝える事がいかに難しい事か、ハルノは気付いていない。

 あちこちで

「そういや噂ほどに怖くなかったな」

「むしろ可愛かったかも」

「それにバザーの警備についてくれるってんなら、これほど心強い相手もいないし」

「発火能力者としては黒鉄最強なんだろ。盗賊どころかもし関西軍の残党がこの日に攻めてきたとしても安心だよな」

 なんて言葉が広がっている事を嬉しく思うだけで、自分がどれほどの事をしたのか――カーリアンやカクリがどんなに望んでも叶わなかった事をやってのけたのかについて、全く気付いてもいない。

 ただ綺麗なものを広めたくて、花を綺麗だと思ってほしくて、あまり売れ筋とは言えないそれを売り続けている立場として、少しだけ周りの意見を変えられた事を嬉しく思っただけだ。

 綺麗な少女を綺麗だったと言っただけに過ぎないけれど、誰かの悪意をいい方向に変えられた気がして胸が温かくなっただけだ。


 この花売りの少女でしかないハルノが、今日のバザーでした事――《死にたがりの紅》に対して根付いた先入観の一角を崩した事が、今後いかに大きな事に繋がるか。

 そこに気付いている人間は、今日のバザーの責任者に入ってきたばかりのカーリアンを指名して、一般の住人たちに触れあわせようと考えた人間だけしかいないのだ。


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