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13・風は塵て夜に哭く

誤字じゃないです。散りてとかけて《塵て》。

あとがきにはマルスの立ち位置とかについて。

かなり設定バレしてますので、見ない方はあとがきをスルーしてくださいませ。


ちなみに寝ちゃってて更新遅れました。








 六と七が動き、五が約束に誘われ、三番が深淵より這い出、二番が嘆息を洩らしながらそれに付き従った事によって起こった動きは、確実に廃墟の街をより大きな蠢動の渦へと導いた。

 名無しの存在を知りながらもその正体を掴めなかったものは、動き始めた亡霊に策動を見せ、その存在を知らなかった者も釣られて動かざるを得ない状況に陥ったのだ。


 二番である紫念の突然の脱班届けを受けた四班は、それを止めようとした響音――四班No.2である副官を筆頭に多数が負傷した。

 誰もが四班の三番手としてしか見ていなかったスクナが、実は望んで三番手にいただけだと考える者など一人としておらず、四班設立以来ずっと日陰にいた少女の思わぬ力に混乱を来した。

 それはやがて、あっさりと追撃を振り切られた事に対する自班の力への不信となり、他人への不信となる。それにより、今までよりも頑なに他班との関わりを避けるようになっていた。


『わたしが裏切るんじゃないの。あなたたちが裏切ってるの。お分かり? あんまり分からず屋な事ばかり言っていると、次は手加減なんてしてあげないから。

 ――勘違いを棚にあげて裏切り者だなんて思われていては、温厚である事を自負するスクナもさすがにいい気はしない。手荒な対応になってしまったが、それもスクナの責任ではないと判断する』


 そんな言葉を残し、一蹴した仲間たち……長らく共にあった仲間たちを全く省みる事なく去っていった紫念の行動に、四班に所属している者たちの多くが疑心暗鬼に陥る事になったのだ。

『また誰かが寝返ったりはしないか』

『自分たちを捨てて向こうについたりはしないか』

『自分たちは周りから、街を混乱させる裏切り者だと見られているのではないか』

 そう考えて、仲間である周囲の人間を監視するようになったのだ。

 それだけではなく、戦力の要であるコード持ちが一人抜け、もう一人が負傷した事によって膨れ上がった焦燥もある。

 そんな状態を、班長であるオリヒメは頑なに引きこもる事によって強引に収束させようとした。

 本来の役割である《防衛》に向けて専念させ、余計な事を考えさせないようにすると共に、防衛網を築く事に対する安心感を植え付け、さらには他班との接触を断つ事によって不用意に身内を疑わないようにしたのである。

 その決断を一人で下し、徹底させる事によって仲間たちに落ち着きを取り戻させた《蒼》の称号を持った少女は、いまだに苦悩の渦中にありながらも、かつては《京の同族殺し》《狂える蒼》とも呼ばれた自らの能力《空間氷結能力》でもって、本部周辺を氷土に変えて閉ざす。

 まるで自分の心を冷たく閉ざすかのような、頑なで冷たい壁を周囲に打ち立てたのだ。


 そんな行動は仲間の為、四班という居場所の為と言い訳をし、周りとの距離を開けて、答えを出す事を先伸ばしにしているだけである事は、他でもない彼女自身が誰よりも自覚していながら。





****





 五を名乗る少女は、民政部に帰る事はなかった。

 もはやあの場所で新たに入り込んでくる相手の《品調べ》をしたり、《保険》をかけたりする必要もないだろう。あそこはそれに適した場所であっただけで、それ以上の思い入れは何もない。

 頭の堅いおじさん、おばさん連中にはしっかりと《約束》を刻んでおり、居心地自体はそう悪くもなかったけれど、あの場所には致命的に欠けているものがあったからだ。

 好みに合致する王子さまになれるだけの《いい男》や、凛とした女騎士を思わせる《いい女》がいないのだ。

 それが欠けていては、いい夢を見る事も出来ない。ロマンスが感じられない。

 運命を思わせる偶然を装った必然の出会いもなければ、波乱万丈に見舞われたサクセスストーリーも期待は出来ない。

 あの場所は一番安全な場所ではあっても、一番面白くない場所だ。

 廃墟の街にありながら比較的枕を高くして寝る事は出来ても、明日にドキドキして眠れないという経験が出来ない退屈が溢れた場所だ。

 やる事はたくさんあっても、自分でなければ出来ない仕事は、本来あの場所の仕事ではない《約束》を刻む事だけなのだ。

 他の一般的な仕事などは自分でなくても出来る事ばかりで、日がな一日同じ事の焼き直しを繰り返すばかりの毎日は、どうしようもなくダウナーにさせてくれる。

 もはやあの場所にいる必然もないとなれば、躊躇う事なく退職を決意出来た。

 《お気に入り》が何人も所属している三班で勤務出来るとなれば、安全や安眠などにはなんの価値も見いだせない。

 多少の横槍――廃墟の街を人知れず抜けていた彼女を、いぶかしんで監視していたらしい《誰か》からの襲撃は受けたが、それも彼女があらかじめ約束で縛って配置しておいた《お人形さん》たちが排除してくれた。

 襲撃者の中にもお人形がいて、それはそれで楽しめたから門出の祝いにしかならなかったぐらいだ。

 彼らがどこの手の者なのか興味はない。黒鉄に属する誰かが、動いた名無しを排除しようと暗躍していても彼女にはまるで関係がない。

 それをどうにかする《約束》は誰ともしていないからだ。必要とされれば、また《彼》が約束をしに現れるだろう。


 ――次は何を約束してもらおうか。


 そう考えるとまた楽しみが増えて、明日からの生活により彩りが増した。

 何かあるまでは精々三班の事務官として、適当に仕事をこなしながら遊んでいてやろう。廃墟の街の中心に位置する場所で、周りで起こるドラマの数々を見させてもらおう。

 彼女は……五番目の少女は、どこまでも自由奔放だった。約束で縛った誰かに守らせて、約束で縛った誰かに働かせて、いつでも好きなように振る舞う。それだけが全てだ。


 ――自分のところにも不届き者が来たのだから、やっぱり他の二人のところにもやっぱり来たのだろうな。


 そんな事を考えながらも、それを警告する事もしない。

 それこそが、この外征における《本当の狙い》なのだとあらかじめ気付いていたからだ。

 だからこそそんな野暮な真似はしない。計画され、作成されたドラマに水を射すなど彼女が持つ独特の信念が許さない。

 ただ六番と七番、彼らと名無しの存在を疎む《誰か》の戦いに人知れずワクワクしながら、明日の朝を待つだけだ。

 明日はいったい何が起こるのだろう?

 彼は……《イツカの二人目の王子さま》はいったいどんな事をしでかすのだろう?

 ひょっとしたら自分を、ロマンチックでドラマチックな出来事に導いてくれるかもしれない。

 そんな妄想を胸に抱いて眠る。

 ドキドキして眠れないなんて何年ぶりだろうか。

 関西軍の動きが活発だった時代以来の感覚に、ただ身震いする身体をキュッと抱いて夢を見る。


 自分以外の二人がやられていたとしても、彼女にはなんの関係もなく、なんの咎も感じない。

 弱ければ死んでいるであろうし、強ければ生きて弱き者を殺しているだろう。

 どちらにしても明日はまた動きを見せるだろうから、それを楽しみにしていよう。

 約束で他人を縛り、他人の行動に道標を穿ち、結果として他人を人形として扱う人形使いは、ただ一人微睡みながら明日を見る。

 今この時も、明日の《ドラマ》の為の下拵えがなされている事を確信し、それに穏やかな笑みを浮かべてみせながら。





****





「ちっ、これが名無しかよ。参ったな、予測範囲内ではあったけど、上限ぎりぎりだ」


 廃墟の街の外れにある田園地帯にて、彼は大きな溜め息を吐いた。

 二の腕に負った裂傷からは赤い血が流れ落ち、鋭い痛みが脳髄を駆け回ってはいたが、それ以上に周りの風景こそが憂鬱な気分にさせてくれる。


 ――大勢で囲まなくて正解だった。少数精鋭でやらなきゃもっと犠牲が出ていたか。


 周りには骸と化した仲間たちが三人、なんとか生きてはいるらしいが、少なからぬ傷を負った者が五人いる。

 十人近くで一人の少女を囲んだ結果としては余りにも笑えない結末だ。

 こんな時間に届けを出す事もほとんどの仲間たちに気付かれる事もなく、本部を抜けたというだけでは《名無し》だと断ずるには根拠が些か以上に弱かったが、それが結果として運を味方に付けた。

 多数で囲む事を避けて、精鋭のみで動いた事によって無駄な犠牲を避ける事が出来たからだ。

 もちろんこの少女には、例え名無しではなかったとしても《行方不明》になってもらうつもりでいたから、彼女自身が迎える結末とはあまり関係のない事ではあったが。


「よぉ、ネームレス。やっと尻尾を掴んだぜ。今日までウチに潜り込んでる名無しが誰なのかあたりぐらいしか付けてなかったからな。まさか候補の中でも下位にいた事務員がそうだとは思ってもみなかったわ」


 膝を付き、血反吐を吐き、腕を切り飛ばされてうずくまる少女は、小柄な普通の少女にしか見えない。

 そんな彼女に、自分が密かに鍛えあげてきた精鋭たちがやられたのだ。見た目通りの相手ではない事は明らかだ。

 念を入れて部下たちだけに先行させ、全員を倒し終えた油断を見済まして攻撃を加えたというのに、隠し持っていたらしいスローイングナイフで鋭く反撃を食らわせてくる辺りからしてただ者ではない。

 思いっきり身体を捻って首筋からは外したものの、急所の代わりに軌道に残った二の腕は深く切り裂かれてしまった。不意を打ったはずなのに、危うく暗器で不意を打たれて殺されかけたのだから笑えない。

 これ以上反抗をさせないように……何よりその心を折る為に腕を切り飛ばしてみせた時も、小さな苦痛の声を漏らしただけである辺りも驚嘆に値する。

 そんな思いをさせられただけに、もはや出血による死は免れないであろう少女を見て、聞きたい事を聞けないであろう事が非常に残念だ。


「あんたはいったい何番だい? 一番と二番以外は知らないもんでね。ついでにあんたらの中で何番目の強さなのかも教えてくれるか? 他の連中の能力も知ってたら教えてほしいね」


 それでも少しでも襲撃の代価を得るべく言葉を連ねる。

 油断はしない。すぐさま首を落とす準備は出来ている。

 もはや動けないはずだ、などという浅はかな常識は捨てなければならない。

 真っ当にやりあっても勝てた自信が彼にはあったが、追い詰めた後に油断をすれば道連れにされかねない相手である事も分かっているつもりだ。

 だから即座に殺せる準備をしてから問いかける。


「もう痛いのは嫌だろ。苦しいのは辛いだろ。痛みすらも感じない内に首を落としてやるから質問に答えろよ」


 そう言いながら、《風塵》を名乗る男は名無しの少女を中心に力を集めていく。不自然に吹き荒ぶ風は徐々に渦を巻きあげ始め、秋の夜気をより冷たいものへと変えてみせる。


 自分が誘きだされた事には彼も気付いていた。

 当たり前だ。今回の出征は不自然過ぎる。

 今まで全く補足出来なかった名無しを補足出来て、なおかつ眼前に這いつくばらせている現状からしてそうだ。

 民政部の要請という形は取っているものの、それにも裏がある事は明らかだろう。

 しかし、それも考慮にいれた上で動く事にしたのだ。


 名無しという爆弾を内に抱えたまま《動く》わけにはいかない。それが熟慮を重ねた末に出た結論だったからだ。

 もちろん正体だけを掴んでしばらく放し飼いにする事も出来た。それは大きな見返りも期待できる手段だ。

 だが、相手の能力も知らない内にそれをするのは危険過ぎる。

 監視されていると気付かれれば逃してしまう可能性もあるし、そうなれば厄介な敵を討つ機会を失う事になるだろう。

 何より、いざという時に混乱を治めるという名目で、すぐ間近にいるかもしれない誰かに六班の頭である《彼女》を狙われては非常に困る。戦う力を持たない彼女はいい的にしかならない。

 これから派手に動く事にした以上、自分がずっと側にいてやるわけにはいかないのだ。身近な不確定要素はなるべく排除しておきたい。

 だからこそ餌である事には気付きながらも食らい付いた。内なる不安要素を潰す事を優先した。

 そうする事で黒鉄……正確に言えば三班とはきっぱり敵対する事になると分かってはいても、動かざるを得ない事情もある。


 彼には別に独立心などがあったわけではない。黒鉄に不満があったわけでもない。

 ただ膨れ上がる危機感と周囲の状況から立たざるを得ない事情があった。

 冷静な計算と根付いた義務感。それがあっただけだ。

 つまり動き出した北陸全土を統べる女王と、名前を隠し、存在を偽り、仲間を騙していた元新皇。

 この二人を秤にかけただけに過ぎない。

 そしてその結果として、北陸の女王の方に重きがいってしまった。黒鉄よりも北陸に未来を見た。

 元より黒鉄に所属していたのも、責任感や義侠心などからではないのだ。

 自分の目的に一番合致しており、当時は一番手堅い選択だったから付く事にしただけで、黒鉄が磐石ではないのなら身を置く場所を変えなければならない。

 自分たちを目の仇にしていた《統括軍》はすでにないのだから、絶対に黒鉄に所属していなければならない状況からは変わっている。

 統括軍が目の前にそびえ立っていた状況では、北陸の軍勢は選択肢にはなかった。仲間たちを引き連れて北陸に赴く事も、廃墟の街を割って勢力を確立する事も自殺行為にしかならなかった。

 統括軍が潰えた現状でも、次なる相手が東海の狂人であれば結果は違っただろう。一丸となって東海の軍勢に向かっていたはずだ。

 かの悪名高い狂人に従うぐらいなら、まだ不安定な居場所に賭ける方がマシだったからだ。不用意に勢力を割っては東海の軍勢に対抗しきれないし、どこかに逃げ出そうにも目前に東海軍が迫ってはそれも無理だ。

 そうである以上、風塵の称号持ちとして全力を振るって戦うしかない。

 しかし、長らく密かに使ってきた手の者から、関西圏に一番近付いていた東海の勢力が謎の失踪を遂げたという情報を獲てしまった。

 つまり選択すべき時が来たのだ。


 先も言ったように、彼としては人が支配者の遊び道具でしかない東海の勢力には絶対に従えない。自分や《彼女》が玩具になる可能性も捨てきれないからだ。

 だが、富国強兵を掲げて民衆に厳しい生活を強いているものの、まだ人間が人間らしくまともに生きていられる北陸になら従っても構わない。

 元々、黒鉄に所属していたのも、それが当時は一番の安牌だったからだ。自業自得とはいえ自分たちは統括軍にとことん嫌われており、《彼女》も統括軍を徹底的に嫌っていた。

 そうである以上、統括軍に敗れて自分たちのみで勢力を保持する事に失敗したのなら、頼れる中では一番の大組織だった黒鉄に身を寄せるしかない。

 彼女は力及ばず統括軍に敗れた後も、統括軍に膝を屈する事はしなかったのだからそうする他になかった。

 その統括軍が今はもうない。立ち塞がる壁は消えている。つまり黒鉄以外にも選択肢はある。

 ならばどうするか。それを慎重に見極めるべきだと判断した。

 動かなかったのは時勢を見ていたからだ。他の班の連中のように感情にほだされても、遺恨を引き摺って引きこもったりもしてはいない。

 今までの選択にすがるのは楽な道であっても得策だとは言いきれない。だったら他にどんな選択肢がある? どんな道が今は拓けている?


 そう考えた時に重視したのが、《黒鉄》と呼ばれる男と迫り来る大勢力の中では従っても構わないと思える北陸の皇、長尾まりあの比較だった。

 そしていまだ廃墟の街の混乱が収められていない以上、《彼》には早めに見きりを付ける必要があると判断せざるを得なかった。

 彼は新皇であり、絶対強者ではあるが、こと支配者としての才覚では《長尾まりあ》には勝てない……あるいは上に立つ覚悟がないと見切らなければならない。それが大きい。

 このまま黒鉄にすがっていれば、こんなちっぽけな都市一つ纏められていない状況だ。例え北陸の軍勢を一度は退けられたとしても、その先に繋がる未来は拓けていまい。

 個人の戦闘力だけを見れば新皇とまで呼ばれた彼の方が上かもしれない。それは確かに考慮すべきだ。

 しかし勢力間の戦争においてみれば、かつて国軍の軍人だったと噂にある長尾まりあの方が有能である可能性が高いし、軍人上がりの変種が多いという点を可能性にいれれば、その旗下にも有能な人間は少なくないだろう。

 長尾まりあは、一度関東との争いで壊滅的な打撃を受け、北陸における権力の大半を失ってはいるものの、わずか一年足らずでかつてを上回るだけの勢力を手中にしたという実績があるのだから。

 地に落ちた威名も今ではかつて以上のものとなり、北陸の地盤は他の地域よりも磐石だと高い噂になっているほどだ。

 だからこその《北陸の女王》だ。

 そこに早めに味方として売り込みをかければ、なんとか水準以上の生活を維持出来るだろう。

 自分の風は珍しい力で、頭次第で使い勝手はいくらでもある。十分な魅力に映るだけの鍛練をしてきたつもりだ。

 闘り合う機会さえあれば、一度は負けた近衛総長も今なら殺せる自信がある。

 その力で、彼女と……ついでに《無能》と嘲笑われながらも、牙を磨ぎ続けてきた自分なんかを信じて、ずっと従ってくれた部下たちに報いてやれればそれでいい。こんな打算と損得の勘定にまみれたちっぽけな自分なんかに、たった一つの命を賭けてくれた馬鹿な連中へお返しをやれれば十分だ。


 この選択肢にある一番の問題は、もう一人の純正型で反則的な強さを持ったもう一人の新皇《白銀》だったが、それにもあては付いた。

 北陸には関西よりも純正型が多いと聞いているから、白銀ほどの者はそういなくても数で補う事は出来るだろう。

 北陸にも長尾まりあという反則が手札にはあるのだから、やりようはいくらでも考えつく。

 そして何より、今の彼女には《弱点》がある。どこから拾ってきて、抱え込んだ子供という弱点がいる。

 それも決め手となった。

 今さら子供をさらって脅迫をする程度の事に迷うほど、自分がまっさらな人間のつもりはさらさらない。細い首に風の刃でも突き付けてやれば、真っ当に動く事は出来ないだろう。


 そこまで状況を眺めながら考えを纏め終えた時、一番の問題となった存在が内部に潜んでいると思われる名無しだ。

 事が動き出した時、部隊の頭である彼女にいつその魔手をむけるか分からない亡霊。

 仲間たちに手を向け、致命的な混乱を起こすか分からない要因。

 それこそが最大の問題だった。


 ――北陸の長尾が古都を落とすまでに、この街全部……いや、せめて半分程度でも手中にしておきたい。そうしておけば、手土産なしで単に頭を垂れるよりもずっと付加価値を持たせられる。

 ならばもう動かなければ間に合わない。


 そう焦っていた時にようやく掴めた亡霊の尻尾だ。ここで掴まなければ、もう機会はないかもしれない。

 餌だと分かっていても食いつかなければじり貧なのだ。

 だからこそ、信頼出来る小飼いの部下――民政部にも届け出ていない彼個人の精鋭の中から数人見繕って行動を起こした。

 起こしてしまった。賽は投げてしまった。

 もはや後戻りは出来ない。


「答えろ、名無し。口が重いってんなら、他のところもちょん切ってやろうか? どこがいい? 耳か、鼻か、次は足にしてやろうか? なんなら全部切り飛ばして目の前に並べてやっても構わない」


 だから餌である少女から、引き出せるだけの情報を引き出そうとして。


「くふ、くふふ。あぁ……油断した……油断したなぁ……ほんと」


 その少女が愉快そうに笑う声に眉を潜めた。

 痛みは堪え難いものであるはずだ。そうなるように、綺麗に切り飛ばしてやらなかった。

 ズタズタに裂けた傷口からは、今もピュッピュッと脈に合わせて血を吹き出し、辺りに立ち込める血臭にはやった本人である彼ですらもえずきそうになる。

 それでも少女は笑っていた。首からゴツい双眼鏡を掲げた、何度か顔を合わせた事もある少女は笑っていたのだ。


「……そうかい……出来損ないの能力しか……持っていないナナには……所詮はこの程度が限界かな。……折角のゼロちゃんの忠告と……毎回のロックンのお小言を無視した罰にしては……ちょっとばかり痛すぎるけど」


 そう言って脂汗を浮かべながらも笑ってみせた少女に、彼は特に何かを言う事もなく力を飛ばした。いまだ繋がったままである腕を切り飛ばして無駄なお喋りを封じようとした。

 どうせ死ぬのだから、せめて役に立つボヤキを漏らして欲しい。遺言や戯言に付き合う義理もない。

 まだ笑う余裕があるなら、それを完全に消し飛ばしてやろう。

 そう考えて、宣告する事すらしなかった。

 そんな甘さを持っていないと示したつもりだった。


「……はっ、その躊躇いのなさが……素敵だね。カッコいいよ、君。……でも無駄だよ。……ナナにも意地がある。……言えない事は……死んでも言わない。……この街に生きてきた君にも……命より大事なものがあるだろう? ナナにとっては……ここで口を閉ざす事がそれだ」


 それでも少女は軽く身を揺らしただけで、その笑みを消す事すら出来ない。

 ただ血に濡れた口元からは、それ以外の何も出てはこない。


「でも、そうだね……つまらない質問をしてくれた……ご褒美はあげようか。……ナナは一番弱くて……出来損ないさ……名無しの中でダントツの最下位……いわば《補欠》がこのネームレスのセブンだよ」


「他のヤツの能力は?」


「知らないね。……もし知ってたとしても教えてなんかやらない。……代わりに別の事を教えてあげようかな」


 この少女が本当に最弱の名無しであるのか。

 どんな能力かは分からない。使っていた形跡もない。ひょっとしたら戦闘に使える能力ではないのかもしれない。

 それでも、その身体能力の高さととっさの反応は変種の中でもかなり高位のものだろう。それだけでも十分脅威になり得る強さを示していた。


 ――これで最弱ってか。マジかよ。

 マジなんだろうな、やっぱり。


 答えは見出すにはピースが足りない。他の名無しの情報が少なすぎる。

 でも、自分を嘲笑うような笑みが本当の事を言っているんじゃないかと思える。



「……三番と二番には……君じゃ勝てないよ。四番や五番も……ナナよりはずっと強いから勝てないだろうね。……不意を打てば六番には勝てるかもよ。

 ……つまり……潜入がメインの名無しに勝つことのがやっとって事さ」


 ――君はさ、精々がその程度なんだよ。

 そう言って大きく、でも徐々にか細くなる息とともに呟いた少女は、どこかマルスを憐れんでいるようにも見える。

 それが少しばかり癪に触ったが、なんとか平坦な口調を心掛けてから返事を返す。


「自分の限界ぐらい知ってるさ。お前が最弱なんだとしたら、俺よりも強いヤツはいるんだろうさ。まぁ、お前が思っているよりは上の力を持っているって自負はあるがね」


「そうかい……くふふ、そんな君が……自信家の君が……あの本物の《ネームレス》を見た時にどんな顔を見せるのか……それが見られないなんて残念だよ。……でも仕方ないかな」


 そう一人ごちるように言ってゆっくりとその目を閉じる少女を見て、もはや彼女が何も喋るつもりがないという事は理解出来た。

 覚悟を決めたような顔をしていたわけではない。今になって覚悟を決めたような浅いものでは断じてない。

 浮かべていた嘲笑を消した彼女は、今まで何度か見てきた絶対の決意をずっと秘める人間が最後に浮かべる表情をしていたからだ。

 まだ自分より年下の少女でありながら、その表情からはいまわの際になって慌てて覚悟を決めたような薄っぺらさが感じられない。

 こんな表情をしている人間は、例え拷問をかけられようが暗示をかけられようが口を割らないという事を、情報班として活動してきた経験で知っている。

 何人もの間諜を捕らえ、その口を割らせてきた彼だからこそ理解してしまったのだ。

 かつての錬血が一度だけ生かしたまま捕らえてきた統括軍の近衛も、これと全く同じ表情をしていた。その時の情報収集も何も得る事は出来ないまま、一週間も続いた責めにも尋問にも堪えて、食物を一切口にしないという方法で緩慢な自殺をされて終わっていた。

 無理矢理ぶっかけるようにして水分を取らせなければ、三日も持たなかっただろう。

 想像を絶する飢えに堪えてみせただけでも驚嘆に値するが、それ以上に死なせないように最低限の食料を置いておいたのに、手の届く場所にあるそれに一度も手を付けないままだった点こそが驚かされた。

 生存本能に訴えかける飢えに耐え抜いて死んでしまったその近衛には、一年以上経った今でも苦い敗北感を覚えるほどだ。

 だからこそ今回も、どのような手管を使っても結局は徒労に終わって、口を割らせる側の心が荒む結果が残るだけだと分かってしまった。


「……あんたみたいなヤツが最弱ってか。ほんと、とんだバッドニュースだ」


 だからそう言うに留めて、まだ聞きたい事は山ほどあったにも関わらず、それら全てを諦める。

 こういった輩は、《夜鶴》と呼ばれる女性であっても口を割らせるのは容易ではない。それどころか下手に彼女に会わせるのは危険なタイプだ。

 身体中をがんじがらめにして、四肢を切り裂いてその身を封じてみせても、一体何をしでかすか分からないという不気味さがある。

 能力を知らないという不確定要素も怖い。

 さらには、《夜鶴は彼の独断専行を知らない》という弱みがある。

 いかに彼女の為にやった事ではあっても、今の行動を許してはもらえないだろう。

 全てが終わって、もはやどうしようもない状況にしてしまって、それでも部下たちの居場所も込みで用意して、誰かの為に働く場所があるという状況に持っていってから打ち明ける、という計画の大前提が狂ってしまうのは困る。

 そうしなければ……やるべき事もちゃんと用意して、彼女が果たすべき責任を課してやるという手順を踏まなければ、自分や身内にはことさら厳しい彼女の事だ。自責の念で潰れてしまう。

 だからもはや問答をする余地はどこにもない。夜鶴の力が使えない以上は、この少女を生かしておく余地もない。

 放っておいても死ぬだろうが、そんな真似が出来るほど無責任でもないつもりだ。

 摘むべき命を摘む時ぐらいは知っている。

 慈悲と残酷という言葉が矛盾しない事ぐらいは分かっている。


「仮初めとは言え、同じ釜の飯を食った仲だ。遺言ぐらいなら聞いてやるよ」


 だから最後にそう言って、彼は風を纏う。全てを塵に返す風塵が辺りを吹き荒ぶ。

 返答はないだろう。いまさら遺言なんかを残したがるような人間じゃない。

 そう思っていた彼に、七番を名乗った少女は伏していた瞳をあげて、少しばかりいたずらっぽい笑みを浮かべてみせる。


「……君はカッコいいだけじゃなく優しいね、マルス……ただの事務員としてのナナは……名無しじゃないナナは……ちょっとだけ君に憧れてたんだよ」


 そして笑いながらそう言って、無言で圧力を強めていく風にその身を任せるように欠けた腕を広げてみせた。


「……くふふ、この言葉なら……いかな君でも少しは呪われてくれたりするのかな……くふ……くふふふふ」


 その言葉を最後に、轟音を上げる風が少女のいた場所を薙ぎ払っていった。

 その後に残されたものは、赤い血で咲いた大輪の花とその中心で真っ赤に染まった小さな人型。

 首から下げられていた紐が切れて、高々と空に飛ばされた双眼鏡が大地にぶつかって上げる乾いた音。


「……くそ」


 さらには胸糞悪そうに顔をしかめるマルスだけだ。

 すでに肉塊と化していた仲間たちは、今の一撃でさらに原型を無くして単なる肉片となっており、身元確認が出来そうなものは何も残していない。

 なんとかまだ動けた数名は、痛む身体を引き摺りながらまだ残っていた戦いの痕跡を消す為の作業にかかっている。


「性格悪ぃヤツだな、しばらく嫌な夢を見そうじゃねぇか」


 そんな中、そう小さく毒づいてからマルスは空を見上げた。

 風一つ、雲一つない名月が映える空を。

 それは綺麗な真円を描いていて、その美しさが憂鬱さを何故か水増ししてくれて、口内に溜まった唾を酸味のある気持ちの悪いものに変えてくれる。

『君に憧れていた』

 などと、殺した相手に言われた事は一度もない。

 その言葉が本気のものだとは思わないが、少しばかり胸にくるものがある事は否定出来ない。

 呪いの言葉や憎しみの言葉以外のものが、最期に向けられる事――それがここまでキツいものだとは思わなかった。

 まさかそんな戯れ言を残されるなんて思わなかったという驚きもあったが、それ以上に一応顔見知りであった点が大きいのだろう。

 だからそんな自分にもう一度舌打ちして。

 これからの計画表を最後に確認する。


「面倒くせぇな。やっぱ四や五を煽るだけじゃ足りねぇか。一が和解したのは痛いな。

 戦都と水都を抱き込む準備はしちゃいるが……統括軍の残党と仮初めとはいえ手を結ぶのは、どうにも気乗りしねぇなぁ」


 ――そんな事を言ってる場合じゃねぇんだけどよ。


 小さく呟く声は気だるげなもので、やる気の欠片もみえないものに変わっていた。

 いつも通りのやる気なし、張りもなし、元気もなしとなし尽くしな風塵らしい声音だ。

 しかし、今までとはそのヘタレた声が担う役割は全く違う。

 今までのそれは外部に対する《自分は頑張る気なんか全くないですよ》といったアピールで、今のそれは《俺はほら、こんなにも今まで通りですよ》という内部に向けたものなのだから。


 ――やっぱヘルっちは怒るかね? 怒るんだろうなぁ。嫌だなぁ、あいつに怒られたらマジでヘコみそうになるもんなぁ。


 それでも。

 それでも風塵は、また一歩、ゆっくりと一歩、でも確かな一歩分、夜鶴の意思から離れた場所へと歩を向ける。

 実質的には六の行動部隊と、裏で蓄えた私財と知己をフルに使って、少しずつ、本当に少しずつ増やしていった私兵。

 出来る限り兵たちには報いるつもりではいるが、いざとなればその全てを夜鶴の為の贄として北陸の皇に捧げると決めて。


 その日、風塵と呼ばれた彼は、黒鉄として培った全てをなげうって夜風を纏うと、夜鶴の代わりとして闇に一歩踏み込んだ。

 計算して、打算によって、全ては理解ずくで。

 感情に振り回されず、遺恨に呑まれず、全てはただ一人の為だけに。

 自分の独断であったのならば、もし幾度も試算した計算が狂って北陸の女王が引っ込んでしまったとしても、彼女には最低限の火の粉しかかからない事まで計算して。

 その時には、自分が彼女に隠れて色々と汚い事をしていたと、《事実より水増しされて》知られる事になっている。彼女が知る幼馴染みは、私服を肥やして、私兵を募って、権力を求めた男に成り下がったのだと思ってくれるように。

 そこまですれば、きっと自分の事なんかは見限ってくれるはずだ。

 もし自分の為に泣いてくれたとしても、それはかつての幼馴染みの愚かさを悲しむだけだろう。

 そうなるように考え抜いて、そこに行き着くように道筋は残してある。


 そうして全てをお膳立てした上で、彼は自身を戦火の種火を灯したのだ。



はい、一人目です。

ナナ。メチャ普通にデッドエンド。

彼女が自分の事をことさら《名無し最弱》と言って六班所属としたのは、この話の為です。

何しに出てきたの? って話ですが、まぁ色々です。

彼女にもちゃんと意味がありますから、それは今後のお楽しみでお願いします。

風塵、噛ませ役がひたすら多く、マスターシヴァに次ぐ名・噛ませ犬としてだし続けてきました。

ある時はアオイ立場を匂わせる為に。

またある時はスイレンやアゲハを盛り立てる為に。

ただ違うのは、彼は噛ませ犬役を望んで請け負っていた、という点です。

噛ませ犬になるような人間って、よく分からない人間よりも侮られるタイプでしょう?

《役立たず》ではまだ足りない。

《無気力》でもまだ侮りが足りない。

だから《噛ませ犬》。

もうぶっちゃけるなら、北陸女王・長尾編、堕ちた学園の咆哮編

、黒鉄挽歌編に別れるのですが、彼はある意味では黒鉄編の人。

ずっとずっと、『彼を警戒されてる割には大した事のないように』、『強い場面はあっても、結果は侮られやすいように見せる』と書いてきた伏線が三部に集約します。

例としては、スイレンがマルスに《ヌエとシュテンの出自を語った》辺りとか、アゲハがあっさり帰ったりとか。

本当に一番の脅威と見なされていたら、そんな情報を与えたりとか、厄介なモノ――つまりシークレットクランの間近に置いたまま引いたりはしないでしょう?

警戒はされてるけど、一番に目をやって動向を見るほどじゃないかな、という辺りに気をつけていたつもりです。


印象的には、マルスのキャラクターはシャクナゲと被るんですよね。

いや、正確に言うと《ぐーちゃん寄り》なんですが。

その辺りもいずれはっきり分かるかと思います。


次でプロローグっぽいのは終わりです。

それが終われば、北陸長尾も顔を出したり、ちょっとお気楽な話が入ったりします。

長々と引っ張りましたが、これからもよろしくお願いします。

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