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11・純正捕食者







「で、テメェが顔を出したって事は、あのクソッたれ野郎に勝てる算段がついたって思ってもいいんだよなァ?」


 油断なく爆心地を見やりながら隣へとやってきたエリカに、ヌエは視線を鋭く細めながらそう声をかけた。

 このエリカという女の性分はよく知っている。

 打算的で計画的。

『こいつ、絶対陰険だ』

 と思えるぐらいに頭でっかちで、策だの罠だのを散々張り巡らしてから、まるで答えが見えた詰め将棋を進めるかのように勝負を詰めていく。

 迷いなく計画的に勝ちを目指しつつも、想定外の出来事が起きて負けの目が出てくれば、それもまた計画的に負けてみせる。

 端から負けが見えた戦いなどは絶対にしないタイプで、少なくとも勝てる算段がつかなければ積極的な動きを見せる女じゃない。

 逃げる事を恥とはしないドライなクチであり、大抵の事は見て見ぬふりができる。

 ただ一つ異常に拘る事はと言えば、師である青年の体面と名前ぐらいのものだ。

 彼女が目標としているその青年が、どちらかというと負け戦にばかりとことん縁があるタイプであり、それを勝ちか、それに等しい引き分けに持っていく時にこそ一番力を発揮する人間であるのに対して、このエリカは勝ち戦を徹底的に勝ち尽くす事の方を得意としている節がある。

 つまり弱った犬は徹底的に蹴りつけるタイプだ。

 ヌエに言わせれば『とんだサド女』となる。

 そして負ける戦いにおいても、ただ一方的に負けるをよしとするようなタイプでは断じてない。

 負け戦の中であっても拾えるものは全部拾っておこうという欲張りな女なのだ。


 ヌエは――そしてエリカも絶対に認めないが、よく似た二人だという事である。


 さておき、そんな理由から今回顔を出したのも勝算が立ったが故の事だと判断して――


「残念ながら、そんな算段は立っていないわね。私が見たところの戦況分析……聞かせてあげましょうか? 清々しいぐらい絶望的な気分になれるわよ」


 そんなエリカの言葉に天を仰いだ。

 あぁ、仰いだ先に煌々と煌めく名月が憎らしい。

 そんな事をまたも考えて、忌々しげに舌打ちを漏らしてみせたのだ。




 閃光のエリカという女は、基本的には戦術家であり戦略家だ。

 非常に高い身体能力を持っており、殺傷力にのみ特化した《爆弾精製》という特殊能力も持っている。

 しかし、それらは飛び抜けたものではない。

 身体能力はシャクナゲに迫るものを持っているものの彼を越えているという事はないし、殺傷能力に特化した能力も攻撃力自体は大して高くない。

 はっきりいってしまえば、人体を壊せる程度の力しか持っていない。

 では何を持って彼女が《本物の黒鉄》と呼ばれるほどに長く戦ってこれたかと言うと、その戦略眼の正確さと状況把握能力の高さによるものだ。

 ひたすら時間を積み重ねる事で蓄えた知識と情報。それらを解析する経験値。

 そして唯一持って生まれた正確に事態を把握する目。

 それを使って致命的な状況を避けつつ、打てるだけの布石を打つ事で勝ちを拾って生き残ってきたのである。


 そんな彼女が見た戦況。それが絶望的なものであるという言葉は、あのクチナシという男がヌエがみたところよりもずっと強い相手であるという事を示している。

 ヌエからすれば、小憎らしい相手である事を我慢してエリカと組んだとすれば、いくらコンビネーションが不慣れな相手だとは言え、勝てなくはない相手だと見ていたのだ。

 エリカに言葉を投げ掛けたのも、それを確認する為とより確実に勝ちきる為でしかない。


「身体能力は私はおろかシャクよりも高いわね。常人離れどころか、超人じみてる。さっきあなたに詰めをかけた時に彼が要した歩数が分かったかしら? たったの一歩よ。たった一蹴りで十メートルの距離を詰めて、あなたにチェックメイトをかけようとしていたの」


 クチナシの身体能力の高さは言われるまでもなく分かっている。

 面と向かってやり合ったのだ。自分よりも数段上で、人の変種の中でも最上位にあたるものを持っているだろうという予測はしていた。

 ヌエが知る歴戦の黒鉄の中でも、シャクナゲか……あるいはあの錬血に迫るものを持っていると判断してはいた。

 だが、それでもまだ《過小評価》なのだと言う。

 その二人すらも超えているとエリカはいっているのだ。


「そして技能。これは身体を上手く使う技能の事なんだけれど……見ていて嫌になるわね。どうやればあんな風に身体を使えるのかしら? 身体能力と相まって、もはや反則としか言いようがない」


 さらにはその身体能力に振り回されないだけのスキル。

 身体能力がハードウェアなのだとしたら、それを使いこなすソフトウェアに当たるものが技術、あるいは技能だ。

 ハードだけが優秀であっても無駄な力も多くなるだけであり、ソフトだけが優秀であってもそれを活かす基盤はない。小手先の技術だけでは圧倒的な力を捌ききれない。

 これらは共に先天的な才能が必要なものであり、あらゆる事をそれなりに上手くこなせる自信があるヌエにとって、致命的に持ち合わせがないものにあたる。

 エリカは共に上位にあたるものを持ってはいるが、それも最上位とまではいかない。努力と研鑽でそれを可能な限り引き上げてはいるが、今以上の領域に至る事はないだろう。

 そこから先は《天分を持つ者》だけが進める領域だからだ。

 つまりクチナシという少年は、その天分……つまり生まれついての才能の中でも、恐らく最高のものを持って生まれたという事になる。

 シャクナゲも錬血も共に最高ランクの天分を持っているというのに、それを超えているとなれば、最上位ではなく《最高峰》と言い換えていいかもしれない。


「そして、これはもう推測の域を出ない事で、私自身も信じたくはないのだけれど。

 多分彼はそれでも本気じゃない。身体にかかった力の具合から見ると、いいところ七割といったところかしら」


「もう黙っていいですよぉ。それ以上聞いてたら、テメェの口を引き裂いちまいそうですからぁ」


 七割の力でシャクナゲや錬血と同ランク以上の身体能力。

 そこまで聞いて、ヌエはエリカの言葉を遮った。

 最初に言っていた通り、《勝てる算段》は全くついていないのだろうと理解したからだ。

 辺り一帯を薙ぎ払うような強力な能力を持っていれば別だが、今のエリカとヌエには生憎と持ち合わせがない。

 ならば、戦闘において身体能力にかかる比重が高くなるのは明白であるが、それによる強みは全く見いだせないという以上、不利は明らかだ。

 それなのにエリカが顔を出してきた理由は分からないままだが、彼女が戦況について嘘を言うような女でない事はよく知っている。

 このエリカという女は、戦術や戦況、鍛練などに対する時だけは非常にお喋りなタイプであるからだ。

 根はおせっかいで、知識や情報を語りたがるような性分をしているのである。

 だからそのお喋りを……聞けば聞くほど陰鬱な気分になっていく言葉を遮ってやる。


「そう、でも最後に一つだけ言わせてちょうだい。あの右手には気をつけなさい」


 しかし、苛立たしげに眉間へと皺を寄せるヌエにも、エリカは特に気にした素振りもない。

 むしろヌエを嘲るような薄い笑みを浮かべてみせる。


「《あれ》がヤベェのは分かってンですよぉ、一々言われなくてもぉ」


「そう、でもあなたは根本的にその《ヤバさ》がどういうものか分かっていない、そうよね?」


 あくまでも話を続けるエリカに、面倒くさそうな様子を前面に出して言ってみせてもその言葉は止まらない。

 むしろ興味を惹くように話を持っていこうとする辺りが癪にさわる。

 しかし、その辺り……恐らくはクチナシの《特殊能力》に関わる辺りに関心がないと言えば嘘になるだろう。

 だからそれだけは黙って聞いてやる事にして、視線のみで先を促した。


「あれは《ヤバい》なんてものじゃない。

 あなたの子供たちの惨状をよく見たなら気付くはずよ。なにしろ腕に触れて落とされたもの達の中には、《ただの一匹たりとも叩き潰されているものがいない》のだから」


 その言葉に――ヌエは改めて落とされた子供たちに目を向けた。

 正確に言えばエリカの言葉の意味を吟味して、ある仮説にたどり着いて、それを否定したくて目を向けたというべきだろう。

 腕の勢いのままに叩き落とされ、叩き潰されたのだとばかり思っていた子供たち。

 縦横無尽に振るわれ、目にも止まらない速さとしなやかさを持って、振るい落とされたのだとばかり思っていた自分が死なせた子供たちへと。


「そう、あなたご自慢の飛翔兵達は、ただの一匹たりとも力任せに叩き落とされてはいないの。恐らく触れただけで落とされて――殺されてる。瀕死のものは一つたりともなく、全てが死に絶えている。ここから何が推測されるかしら?」


「……ちっ、《死の手》――ハンズオブデスってとこか。テメェの爆破の(フラワーハンズ)とどっちがタチが悪いんだろうな?」


 子供たちの生命力はヌエが一番よく知っている。

 身体を叩き潰されてもしばらく生きているものもいるぐらいだ。それなのに、動くものは一つたりともない。瀕死のものすらいないのだ。

 全てが等しく死に尽くしている。

 恐らくあの右手に触れた事によってだ。


「私は触れたものを爆破するだけよ。彼のそれは完全に殺す手。比べるまでもないわ。

 しかも止められるものが《生命》だけなのか、はたまた《生命を含んだもっと大きな概念の何か》なのかすらも分からないときてる。

 ……以上が私の見たところの状況よ。補足はあるかしら?」


「言いたい事は山ほどありますねぇ。

 とりあえず最優先で言ってやりたい事をあげるならぁ……最後まで素敵極まるな講釈をありがとよ、とっとと地獄に堕ちろ、性悪女」


 月夜と自分の相性が最悪だという認識を新たにしながら、ヌエはギリッと歯を噛み締めた。

 名無しの中でも最悪の存在だと予想していた《宵闇の影》と、その宵闇になろうとし続けてきた《性悪な偽物》。

 一挙に邂逅と再会を果たした今夜が最悪ではなくて、一体いつが最悪になるのだろう。

 そんな事を考えながらも、沈みそうになる闘志を奮い立たせていく。


「ふふっ、今ここで地獄に落ちるのだとしたら、それはあなたと一緒にという事になるわよ? 私としては、あなたみたいな棘だらけの花と死出の道を歩むなんてぞっとしないのだけど」


「だったら最初から嘴挟まないべきでしたねぇ。あなたはそんなタイプじゃなかったはずですよぉ?」


「確かにね。私は負け戦なんて大嫌いよ。それは変わらないわ。でもまぁ――」


 そこで一度言葉を区切ったエリカは、同じように天上の月を見やってから一歩前に出て


「――私にも色々と思うところがあってね」


 スッとその身をたわめて低い構えを取った。

 それは彼女が師と仰ぐ青年とほとんど同じ低い構えだ。

 擦りきれて、ボロボロになって、でもいまだに捨てられない彼女そのものを現したかのような黒衣を翻しながらの構えは、もはや単なる模倣ではなく堂に入っている。

 ヌエと共に戦線を共にする場合、自分が前衛を務めるべきだと判断してなんの迷いもなくその前に立つ。それが最善策で、それ以外の戦術はあり得ない。


 直接的なダメージしか与えられず、身体能力にも自信がある自分は前衛でこそ力を発揮し、特殊で変質的で予想外の伏線を張れる能力を持ったヌエは、本来の資質だけを見れば後衛こそがベストポジションだ。

 好みに合致するのはお互いに反対の立ち位置であるが、好みを反映出来るような場合ではない。

 弱者は勝ち方を選べない。勝負において好みを口にする資格を持たない。

 それがエリカの信条であり信念だ。

 そんな考えが分かったのか、ヌエも競って前に出るような真似はしなかった。


「それにシャク以外で宵闇の看板を背負っている者がいる、それだけで閃光にしかなれなかった私が戦う理由としては十分過ぎると思わない?」


「理由なんて好きにこねくりまわしてくれていいんですよぉ。

 実力で勝てない相手にぃ、腹黒い手で勝つって領分さえ果たしてくれれば」


「もちろんそのつもりよ。言ったでしょう? 私は負け戦って大嫌いなのよ。そして偽物と本物の戦いにおいて、《偽物は絶対に本物には勝てない》なんてステレオタイプな考えも好きじゃない」


 エリカに一体何があって、何故こんならしくない場面で顔を出したのか。

 それはヌエにはよく分からないままだ。

 でも、この《宵闇になろうとした閃光》が、クチナシの名前を持った《シャクナゲ以外の宵闇》と馴れ合う事があり得ないという事は分かる。


「私には偽物なりの自負がある。唯一の本物だけを目指して、ひたすら積み重ねてきた時間に誇りもある。いまだ偽物のままでしかない私だけれど、あんな本物を目指していたわけじゃない事は分かってる」


 《宵闇のシャクナゲ》になろうとしたエリカにしてみれば、彼と彼を目指した自分以外の誰かが宵闇の名前を冠する事など許しがたい事だろう。

 それほどの憧れを抱いていたからこそ、このエリカという女は長らく廃墟の街を……仲間たちの元を離れていたのだから。


「彼はとてつもなく強いけれど、私の憧れを彼からは見いだせそうにない。ただその資質のみで強さを示すだけの彼が、あの名前を背負っているだなんて冗談じゃない。その事実はとてつもなく不愉快な事だわ」


「ムカつくけど、そりゃ同感だ。あの野郎があいつと同じ名前を持ってるだなんて全く笑えねぇ冗談だ。しかもその名前を背負っててお嬢を狙おうってんだぜ?

 なぶり殺して犬っころの餌にしても山ほど釣りが出る」


 ゆっくりと粉塵が収まっていく爆心地。

 辺りに拡がった破壊の爪痕のほぼ中心地に立ち、全くの無傷で笑うクチナシに、二人は揃って凄惨な笑みを向けた。

 絶望的な戦況などは、古参の黒鉄である二人にとってみれば隣人のように見慣れたものだ。低い勝算であっても、そんな事前の計算などは簡単に覆せるものだと知っている。

 なにより二人は、お互いに気にくわない箇所は山ほどあるが、その実力も性格もよく見知っている仲だ。いかに負けの目が濃い状況であっても、お互いがお互いに

『こいつは引き下がるを良しとはしないだろうな』

 なんて事を考えている。

 そしていかに性格が合わない相手であっても、背中を預けあっている相手である以上、放っておいて自分だけが下がるなどあり得ない事だ。

 それは黒鉄という組織においては最低限の常識であり、頼るべき国家もなく、有志による自衛組織が出自である黒鉄にとっては己の命綱となる。

 自分が引き下がれない時には、誰かがその背中を支えていてくれるのだという事実は、何物にも代えがたいものだからだ。


 ヌエにはこの先に眠る妹がおり、あの少女の安泰を諦める事だけは絶対に出来ない。

 あの少女がゆっくり眠れる状況を作る事。

 なんの脅威も感じる事はなく、ただ笑っていられる事。

 それこそが彼女に残された生き甲斐で、少女が向けてくれる笑みこそが最大の矜持だ。

 この少年は、眠りに落ちたあの少女にとって危険な存在過ぎる。


 そしてエリカには、少し前の光都での出来事――紅との出会いにより、思うところが多分にあった。

 今では自分が師の立場に立ち、色々と指導する立場にあるからこそ見えてきたものがあったのだ。

 あらゆる才能を鑑みれば、いずれはあの少女に超えられてしまうだろう。そんな結果が改めて予想出来てしまう自分が嫌になるが、問題はそこではない。

《あっさりと超えさせてやるつもりには到底なれない自分がいる》

 その点こそが問題なのだ。

 見上げるほどに圧倒的な才能を生まれ持った相手に、自分のごとき非才な身で高く険しい壁になってやろうと思っている事こそが厄介なのである。


 ――まずは《負け戦の勘》を取り戻しましょうか。昔の私に戻る事が先決ね。


 まずは早急に黒鉄としての勘を取り戻さなければならない。

 勝てる戦いだけに勝ってきて、不利な戦いからは目を反らしてきたここ一年余りの自分を捨てなければ、やがてエリカが越えられなかった壁を越えて先へと行ってしまう後進の後ろ姿を、ただ呆然と見つめているだけの自分になってしまいそうだ。

 また負けるべくして負けてしまう。

 色々諦めて、認め難い事を認める事にはなれてはいても、そんな自分だけは絶対に認められそうない。

 そう考えていた時に巡りあった相手としては、この少年ほどうってつけの相手もいないだろう。


 彼は宵闇の影で本物だ。張りぼてではなく、綺麗に磨きあげただけの模造品でもない。

 自分は偽物だ。鍛えあげて磨きあげたつもりではいても、偽物の輝きしか持てない人工物だ。

 だからこそ自分の壁としてはこの上ない。

 何より紛い物の偽物である自分が、低い勝算を覆して本物に勝つというのはさぞかし痛快な事だろう。

 紅との出会いで消失した自信を取り戻してもまだ余りある。


「私はエリカ。閃光なんて名前を持ってはいるけれど、彼の後継を目指してる女よ。

 初めまして、彼以外の宵闇。

 ――そしてさようなら」


 一人は己の限界を知りながら、それでも天分の域を目指し続ける偽物。


「牙桜なんてけったいな名前を持っててぇ、ヌエって名乗ってますぅ。お察しの通りぃ、あたしは銀鈴じゃなかったりするんですねぇ。でもぉ、そんな事は気にする必要なんてありませんよぉ。

 ――テメェが彼女に会う時は永遠に来ねぇ。ここで惨めに死ね、クソ野郎」


 もう一人は古い知識と変異によって持って生まれた能力を融合させ、己の非力を他のあらゆるもので補ってみせて、この国の皇と呼ばれる《本物》のすぐ近くにいた守護者。


「……やれやれ、また面倒な事になったな。また一から挨拶から始めなきゃならなかったりはしないよね? もう必要ないだろ? そちらの自己紹介は名前以外のものを必要としてはいないんだしさ」


 そんな二人の前に立っているのは、今の今まで闇よりもさらに深き場所にいた少年で、そこから姿を見せずとも、分かる者にはその力を示し続けてきた黒鉄の中でも最たる異端の存在だ。

 彼は二人の戦意を真っ向から受けても小揺るぎもしない。

 その存在を誇る事もなく、見せつける事もなく。

 ただ透き通って薄っぺらな笑みを浮かべたままで破壊の痕から一歩近付いた。








「僕はさ、基本的に血の色ってヤツが大嫌いなんだ」


 先制の一撃は、エリカによる飛櫟の一撃だった。爆破という属性を持ったコンクリート塊の連打だ。

 それのいくつかをクチナシに届く直前で爆散させて散弾と化し、残る幾つかを本命として直接ぶつけようとする。


「だから殺す相手には、なるべく血を流させないようにしてる。昔はそんな事お構いなしだったんだけれどね」


 そんな散弾と爆弾の全てを、クチナシは軽く腕を振るうだけで無効化させた。櫟の全てを右手一本で受け止めて、散弾と化した欠片の全てを打ち払う。

 そして、握り締めたままの爆弾が手の内で爆発しても気にも止めず、粉々になったそれを面倒そうに後ろに放り捨てる。


「今は面倒な倫理観なんてものや善悪についての知識なんてものを持っちゃってるからね。後味がよくないのは避けられないにしても、少しでもそれをマシにしておきたい、そう思うのは当たり前だろ?」


 最初の強襲でその黒い修道服が裂け、あちこちが煤けた印象のある少年の声は、先程までとなんら変わりのないものだった。

 黒服の痛みに反して、痛手も傷も全く受けていないような飄々とした声だ。

 エリカの強襲をなんとも思っておらず、二人の称号持ち……その中でも上位の実力者である《牙桜》と《閃光》を前にした今でも、なんの焦りも彼からは感じられない。

 効果の見られない桃色の芳香に代わって、稲穂色の粉末による気流がクチナシの神経を焼き、痛覚を過剰に刺激しても一瞬顔をしかめさせるだけに終わる。

 対峙する者が一人から二人に増えた事に何も思うところがないような素振りで、彼はまた一歩足を踏み出してみせる。


「だからかな、僕には自分が殺せる相手かどうかが一目見ただけで大体わかるんだ。『こいつは手強そうだ』『血を見ても仕方ないか、やだなぁ〜』って感じにね」


 彼はただ先程までと変わらないままで、ただそこにある。

 対峙する二人が素早く距離をあけて、手の届かない位置から攻撃を仕掛けてきても、気にした素振りもない。

 なんの感慨もなく、強がりでもなく、ただ一人で語って一人で笑ってみせる。

 お喋りを楽しんでいるかのようにも、単なる独白のようにも聞こえる声だけが辺りに響いて、夜闇にゆっくりと溶けていくだけだ。

 傷一つ、煤一つ、くすみ一つ見当たらない不気味な右腕と、死神の笑みを刻んだ唇。

 瞳にはなんの感情の色もなく、想いも乗ってはいない。液体ヘリウムを思わせる無機質で冷たく鈍い輝きがある。

 その視線も道端の石ころに向けるものと変わらない。


「ふふっ、そんな感覚が初めて理解出来たのは、《彼》に最初に会って、衝動のままに殺意を向けた瞬間だったよ。

 あぁ、きっと彼は僕じゃ殺せない。今の彼は殺せても、本当の彼は僕じゃ届かない。彼の血は僕には重すぎる……そう分かったのさ」


 その彼が誰なのかは聞くまでもない。

 クチナシが……宵闇の影である殺人者が殺せないと感じる者など、黒鉄にもそうはいない。

 いや、はっきりと言ってしまえば、二人しかいまい。

 白銀と灰色の二人。

 恐らくは東の地で変種の皇と称されたこの二人だけだ。


「それまではそんな風に思った事自体がなかったんだ。誰が相手でもね。だからこそ驚愕だったよ。殺意に染まった僕に、そんな思考が持てるだなんて思ってもみなかったからさ」



 一対一でやり合って、命だけを拾える者ならば他にも数人いるだろう。

 そう、例えば水鏡ならば、力の全てを使って逃げを打てば逃げ切れなくはあるまい。

 だが、勝てない相手となれば彼女は含まれない。

 完璧に不意を打ったエリカの一撃を避けてみせ、その先に張ってあった罠にすらも対応してみせたこの少年を相手に回せば、いかに幻影に守られていても即座に本体を察知され、あっさり返り討ちにあうだろう。

 また三班の盾とされる不貫は、他の追随を許さない不可侵領域の盾をもって、クチナシの攻撃であっても傷一つ負うことはないだろう。

 だが、彼は基本的にその身体そのものを盾としている。つまり、非常時以外はその身体に触れられなくはないという事だ。

 傷は負わないだろう。痛みも感じないはずだ。

 でも、殺される事は十分にあり得る。

 この少年ならば――気付かれずにそっと近付いて、一撃で殺す事を生業とする生粋の殺し屋であれば、その死の手を当てる事も出来なくはあるまい。

 いかに最高の盾であっても、防御を固めた真っ正面からやり合わなければ……ひたすら強く固めた場所から当たらなければ、防御力など関係ないのだ。


「だから違和感を感じて、戸惑った。殺意に動かされながらも、今一歩踏み込めなかった。殺せなかったんだ。あれは……そうだな、僕が初めて触れた奇跡だった。信仰心を持たない僕が、奇跡ってヤツを目の当たりにした瞬間だったよ」


 戦いに能力を使う事に対して特化した者は多数いる。

 エリカの能力もそうであるし、かつていた《深緑》――大陸系の裏組織で暗殺者をしていた過去を持つクロネコなどもそうだ。

 己の技を、能力を、敵に勝ち、殺す為だけに錬磨したタイプだ。

 でも、この少年はそれらとは違う。

 対峙する二人にはそれがよくわかった。

 触れただけで殺す――あるいは止める能力など、何かを殺す為以外には使いようがない。

 だからこの少年は、息を吸うかのような自然さで人を殺せる。今のように雑談を口にしながら凶器を振り下ろせる。

 罠を張る事も、武器の殺傷力をあげる事も、他者の感覚を狂わせる事も出来ない《純粋に誰かを殺す為だけの能力》は、彼をそういう存在にしてしまった。

 ナチュラルボーンキラー(生粋の殺し屋)にしかなれず、それ以外を目指す道が始めから断たれている彼は、戦士ではなくあくまでも殺し屋だ。

 過程として戦うだけであり、結果として死なせる事になる他の者たちとは戦いにおける考え方が違いすぎる。

 それが向き合った二人には分かってしまう。


「それから、何人かそういったタイプを見たよ。とはいってもほんの数人だけどね。

 名無しの一番……なんじゃないかって予想している人がいるんだけど、ひょっとしたら彼は僕には殺せないタイプかもしれない。大した事がなさそうにも見えるんだけどね、見ていて何か訴えてくるものが僕の内にあるんだ」


 彼はエリカのように、今の道を己から選んで進んだわけではないだろう。

 そしてクロネコのように、その道を選ぶしかなかったわけでもない。

 その一本しかあらかじめ道が用意されていなかっただけで、生まれついての殺人者にしかなりようがなかった。

 人は生まれ持った特性と環境による嗜好、そこから伸びる才能に生き方を左右される。人は才能に縛られる生き物だ。

 皇にしかなれない者がいれば、殺される側にしか立てない者もいる。

 戦士を目指していても、才能が足りない者もいる。

 芳香師になるべく生まれ、世が世ならそうなる道しか用意されていなかった者もいる。

 話好きで社交的であれば、話をする事を仕事に志す者はいるだろう。だが、内向的で本を読む事が好きな人間が、本人の意思で咄家を志す事はまずない。

 ならば殺す為の能力しか持たず、殺す為の精神しか持たず、人を殺す為の殺意だけは山ほど持たされた人間がいたとしたら、それは本人の意思のみで戦う事を決めた人間とは全く別の存在となる。

 それは捕食者として……つまり殺人者として生まれついた人間と、被捕食者として生まれながら捕食者になろうとしたものの違いだ。

 つまり人造の、後付けの、養殖されて訓練されただけの者とは、殺し屋としての純度が違う。


「でも二番――スクナじゃダメだ。前に僕を見ていた名無しの二人でも無理だね。はっきり言えば、彼らには何も感じないんだよ。スクナでさえも、血の絆を除けば僕の心を震わせるものは持っていない」


 彼は他の生き方を選択する余地がなかった。

 いわば生まれつきのスペシャリストだ。

 人を殺すという点においていえば、他にも選択肢があり、そちらにも才能を振っている人間などとは比べ物にならない。

 戦略家や芳香師の才を持たない。

 誰かを喜ばせる技能もない。

 誰かを騙す口先もない。

 物を創造する力もない。

 誰かを育む事など到底出来ない。

 そんなものに振り分ける才能の全てを、殺すという一点に振り分けた存在だ。

 精神が生まれつき鈍化し、倫理が欠如し、《自分には出来るから》という理由だけで、妹以外の全てを――両親をも殺した過去があり、その対象の顔すらも覚えていない。

 両親の顔ですら記憶の海からこぼれ落ちている。

 宵闇が最強の暗殺者に与えられる称号なのだとしたら、この《無音》こそが宵闇だ。


「そして君たちもそうじゃない。君たちじゃ僕には及ばない。ただ強いなぁ〜って思って、血を見なきゃならないかなぁ〜って憂鬱になるだけだ。

 僕は《君たちには他に何も感じない》」


 それを彼は自覚している。

 自分はそれしか出来ず、他には何も持っていないけれど、

《なんの感慨もなく誰かを殺す》

《意味も意義もなく殺す》

《ただ殺す》

 という一点においていえば誰にも負けない者である事を知っている。

 戦いにおいて負ける事はあるだろう。殺し合いばかりが戦いじゃない。結果として死に至る戦いは何も直接的な戦いばかりとは限らない。

 謀略も内政も舌戦も戦いで、その敗北が死に至る事もある。

 でも直接誰かの命を摘み取る事にかけては、自分こそが最高峰だ。他に何も持たないのだ。他には何も与えられていないのだ。

 他の道も用意されていながら、結果として自分と同じ道に紛れただけの紛い物に負けるはずがない。


「だから理解しろと……諦めろと言うつもりはないよ。信じなくてもいい。

 君たちの確認作業にも付き合ってあげる。僕は暇人だし、夜はまだまだ長いからね。君たちが納得して、動かなくなってから《本命》を探しても十分に時間がある」


 本物の宵闇は、そう肩をすくめて見せてから二人の称号持ちへと駆け出した。

 夜風を体に浴びて、それに背中を押されて駆けるだけのようにゆっくりと。

 ただ他の者からすれば恐るべき速さで。

 それをエリカが舌打ちまぎれに迎撃に入り、ヌエはその後方で切り札である《灰色芳香》を繰り出そうとして。


「大丈夫。銀鈴はまだ殺さない。これは僕が銀鈴を殺せるという確信を持つ為の過程だ。

 そして安心していい。君たちの亡骸も僕の墓標に眠るだけだ。君たちは今まで僕が殺してきた相手みたいに闇の彼方に失踪するだけなんだよ」


 その戦闘の幕は唐突に降りる。

 一瞬で終わる。

 予期せぬ形で終幕となる。


「随分とお探ししましたよ、スクナお兄様。スクナに制御されているだけの欠陥品である身分で、これ以上手を焼かせるのはやめて頂けますか?

 ――スクナはそう言って大きな溜め息を漏らした。縄から離れた狂犬に、今にも噛みつかれそうになっている二人には同情の念を覚えずにはいられない。しかし、今の時代で狂犬病の予防接種など受けられないのだから仕方ない。飼い犬から目を離したスクナだけの責任じゃないと思う事にする」


 三番以外のもう一人の亡霊の出現によって。

 今までは同じ場に現れる事のなかった名無しが、もう一人ここに現れる事によって。



フラワーハンズとエリカの能力をヌエが呼んでいますが、これはヌエ独自の言い回しによるものであるだけで、エリカが名付けたワケではありません。

爆破の手だとハンズオブボムかボマーハンドかですが、余りに直接的な物言いである為に、

《爆破》→《つまりは火が花開く状態》→《フラワー》。

で、フラワーハンズ。


まぁエリカの爆破能力は、一般的に《爆発》と呼ばれる燃焼速度を持った現象を起こすものではなく、破裂やあるいは炸裂がメインに置かれる爆破であり、炎が巻き起こるようなものではありませんが、一般的な爆発のイメージに対するネーミングです。

エリカやシャクナゲは、自分の能力に名前を付けたりするタイプではないので、ヌエが便宜上そう呼んで、その呼び名を聞いた者がその名前を拡げた形。

握って爆破させる能力をフラワーハンズ。

任意爆破をさせる爆弾精製能力を、ブラストワークス(爆破精製)。


ちなみにシャクナゲの使っているワードは、名前ではなく命令です。

簡単な単語ばかり。

起動させる、接続するとつけたりはしますが、《イージス》の他に《罪人》《連鎖駆動》《線の駆動》など、日本語に訳するとまんまだったり、単に浮かんだだけの単語だったり。

その名前で動きを決めているだけで、技名とはちょっと違う感じですかね。


さて、次回はスクナンが出ています。

更新は来週中……つまり一週間後で予定していますが、今回がやたら苦戦したので、ちょっと時間かかるかも。


三部は初っぱなから飛ばしすぎて、日常っぽい面が出ていませんが、もう少ししたら始まる予定です。

なんでいきなり名無しばかり出まくったのか。

その結果どういう動きが起こるのかは、すぐ分かるかと思います。

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