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参矢

――…ガランガランガラン、ガランガランガラン…――

「ごめんくださ~い、澄羽子です~」

 呼び鈴代わりの紐を引いて神社の鈴を鳴らすように、軒下から呼び掛ける。

 外観は洋館風なのに対して、呼び鈴をはじめとして木造格子の玄関扉や注連縄など、所々が神社の空気を醸し出すというこの館が、目的人物の住まいらしい。

 突然の鬼霊との遭遇から暫らくして、俺たちが山道を歩き続けた先に唐突に現れたのは、杉の山中には場違いとしか言いようのない、赤レンガの洋館だった。

 しかも近付けば近付くほど胡散臭さ満載の外観に、疲れが倍増された。

 久し振りの山間歩行だったから、俺の疲労感は当然と言えたのだが、隣の人物は声を発する様子や立ち姿からすると、至って普通。

 あの後も、何度か澄羽子は不平を口にしたり戻るように俺を説得しに掛かったりと、その口を動かし続けていたのに、平然としていられるその体力は、もう流石としかいえない。

 その内鈴が降ってくんじゃないかってくらい、澄羽子は何度も紐を引いている。

(ここまでしても返事がないんじゃ、留守じゃないのか?)

 でなけりゃ居留守だろ。と思い始めた俺は、玄関脇の石段に腰を降ろして僅かな休息に身を委ねている。

 田舎の「ちょっと先」を甘く見ていた。

 時計が無いので時間は分からないが、既に昼時を過ぎて、太陽は傾き始めている。

 それでも声を張り上げている澄羽子を見て、やはり山育ちは違う。などと冷静に考えられることが自分らしいと、近都会育ちの俺は開かない扉を眺めながら思う。

 体力が戻り始め、またあの道を歩いて帰るのか、と考え始めた俺の耳に、突然声が聞こえた。

「騒ぐんじゃないよ。開いているから、さっさと入って来な」

 扉の向こうから応答があったのは、澄羽子が声を掛け始めてから随分と時間が経っていた。

 居留守とかの次元を超えて、完璧に帰るモードだった俺は驚いた。これは応答と言うより、むしろ澄羽子のしつこさに根負けした感じだ。

 しかし当の澄羽子は慣れた様子で玄関扉を開け、館の中に入って行く。

 慌てて俺がそれに続くと、中は外装通りの洋風な造りで広い玄関ホールが二人を迎えた。

 そのまま澄羽子は奥に向かうので、俺も後を追う。

 見れば見るほど長老宅とは反対だが、廊下の脇に置かれた招き猫や魚拓らしい壁掛けが時折俺の緊張を和らげた。

 重厚そうな扉の前で立ち止まった澄羽子は、中に居るらしい人物にまた声を掛けた。

「澄羽子です、宜しいですか?」

「開いてるよ」

 短い声は、入り口で聞いたものと同じだ。

 忙しげな様子を滲ませたその声に、澄羽子が扉を開けて中に入った。

「失礼します」

「あ~ハイハイ。今日はなんだい、澄羽子」

「ちょっと教えていただきたいことがあって。先ずこちらを見ていただけませんか?」

 澄羽子が言うと、それまで机に突っ伏していた鳥の巣頭の人物が、ようやく顔を上げた。

 和服に薄汚れた割烹着姿のその人物が、どうやら目的の人物らしい。

 掛けていた眼鏡を外しながら歩いて来た女性は、俺の前で立ち止まる。

「また、面白いモノを連れてきたね」

 館の主はじろじろと嘗め回すような視線で俺を見回した。

 それこそ言葉通りに、頭のてっぺんから前後、左右と足の先まで。仕上げに屈んだ姿勢で下から見上げてくる。

「見事に真っ白だねぇ」

 感心した様子で見詰めてくる瞳は、初めて目にする緑色だ。光の加減で青にも見えるから、翡翠色と言った具合だろうか。

 目を合わせていると吸い込まれそうになる。

 くるくると跳ねた短い巻き毛が血色の少ない稜線を包んでいるが、妖怪らしい雰囲気はない。むしろ人当たりの良さそうな、やさしい空気を纏った人物だ。

「私も長いこと人間を見てきたけど、初めて見るよ。君、名前は?」

朔一しゅういちといいます」

「ほぅ。私は十詞重(としえ)と言う。君の眼は澄羽子と共鳴しているようだから、見えているね?」

 体の中まで見透かすような視線で、猫のようなアーモンド型の瞳を光らせて彼女は俺を眺めた。そして話に聞いていた通り、この人物は『見える』ことを口にした。

 俺が頷くと、満足げに目を細めて立ち上がる。

「まぁ其処にお座りよ。お茶ぐらいは出してやろう」

「いえ。どうぞお構いなく。それよりも聞きたいことが…―モガっ――」

「ありがとうございます。さ、座るわよ」

 澄羽子に口を押さえられて、強引に示された椅子に座らされた。

 猫のような足取りで、十詞重は満足そうに笑いながら後ろの扉を開けて奥に歩いて行く。

 足音が遠ざかると、笑顔から一転した真剣な表情の澄羽子が、声を潜めて言った。

「十詞重殿はね、自分の流れを邪魔されるのがすんぐぉーくお嫌いなの。だから、言われたことには「ハイ」と言って従うこと。それから、ここで出された物は何も言わずに飲み込むこと。いいわね?」

 口を押さえられたままなので、取り敢えず頷く。

(まあ、確かに時折いるよな。自分ペースの自分チャートを持っているヒト。大体が何かに没頭する研究者気質に多くて……見るからに当てはまりそうだな、アノヒト)

 手を離されて、椅子に座り直しながら室内を見渡すと、所彼処にソレらしい物が並んでいる。

 分厚い何かの辞書が並び、机の上にも似たような本が何冊も積み重なっているし、さっきも何か石のような物を陽光に透かしながら、机の上で書き物をしていた。

 一八回の呼び鈴に「入って来い」と言っただけで、部屋に入るまで客人よりも自分の作業に集中していたくらいだ。人付き合いの方面ではともかく、何か情報を得られそうな気がする。

 俺が期待を胸に待っていると、ワゴンにお茶請けとティーセットを乗せて十詞重が部屋に入って来た。

 慣れた手付きでテーブルにそれらを並べていく十詞重は、さながら和装ウェイトレスの普通の給仕風景だ。ただ、そのお茶請けである菓子の量が尋常では無い事を除いて。

「さて、先ずは一杯飲みな。話はそれからだよ」

 十詞重はふたりに紅茶を淹れて微笑んだ。

 見るからにやさしい笑顔にほだされながら、俺はカップを手にした。

 澄羽子はストレート。十詞重はシュガーポットから幾つか角砂糖を入れている。

(きっと甘いものが好きなんだな、十詞重さんは)

 取っている角砂糖の数は数えずに、俺は紅茶に口を付けた。

「ぅ――っ」

「紅茶は熱いから、気をつけてね。朔一」

 短い声が口から零れたが、それと同時に澄羽子の声が重なった。

(甘い。甘すぎる……)

 紅茶色の蜂蜜液を飲んでいるような口の感覚に、思わずカップを離す。

 よく噴かずに頑張ったと思う。ゴクリと呑み込めば、食道まで糖液塗れの錯覚に陥る。

 隣の澄羽子を見れば、一口だけ口を付けたカップを置いて平然としている。

 味覚がどうこうというのではなく、いわゆる「慣れた」仕草だ。

 取り敢えず、喉が渇いてはいても少し遠慮したくなるカップを俺もテーブルに置く。

 するとさらに十詞重から、目の前のクッキーを勧められた。

「こちらも召し上がれ。さぁ、遠慮しないで」

「イ――っ、いただきます……」

 断ろうとしたが、テーブルの下で澄羽子に足を踏まれて、俺は先程の忠告を思い出し、仕方なく出された皿に手を伸ばす。

 ここは自分自身のためでもある。気分を害されないように、ある程度は我慢するしかない。たとえどんな味であろうとも。そうだ、糖分は脳の働きには大切だ。これを食べて、何か話を進める言葉を考えよう。そうしよう。な、俺。

 一呼吸置いて、俺は紅茶もどき)で甘くなった口にクッキーを運んだ。

「――(あっま……ぁ)」

「どうかしたのかぃ、朔一君?」

「い、いいえ。……美味しいです」

 俺は頑張って笑顔を作った。

 今、ジャリって言ったぞ。

 ザラメを押し潰す臼歯の感触と、ハニーコーティングした生地に口内で自己主張され、極めつけは混ぜ込まれたチョコチップが歯にまとわり着くという三段攻撃だった。

(俺、糖尿病になるかも…いや、それ以前に虫歯になる……)

 そんな俺の、暗礁に乗り上げる意識を助けたのは澄羽子の声だった。

「十詞重殿。そろそろ朔一を見ていただけませんか?」

「あ~。そう言えば、そんな用件だったね」

 正に天の助けとなった澄羽子の申し出に、十詞重は思い出した様子で応えた。

 そして椅子から立ち上がると、俺を座らせたままにして近付く。

「……ふ~む。これはまた楽しそうな事になったねぇ」

 十詞重はにんまりと目を細めながら、再び俺を見始めた。

 今度は髪を触ったり、ポケットからペンライトを取り出して瞳孔反射を見たりなど、まるで医師が診断するように俺の姿を確認した。

「瞳の色以外は見事と言って良い。一体どこで手に入れたんだい、澄羽子?」

「昨夜、十詞重殿に頂いた鎌でいつものように脳天を刺したらこうなってしまったんです」

「ほぉ…。そういや、幾つ集まったんだい?」

「一〇八です」

「そりゃまたよく集められたね。んで、一〇八人目のこの子だけが、突然変異したのか……」

「いえ。俺は一〇九人目です」

「……澄羽子、お前私の話を聞いていなかったのかぃ?」

「いいえ、そんな事はありません!」

 不意に声音の下がった十詞重に、澄羽子は慌てて否定して、経緯を説明した。

 俗に『言い訳』というやつだ。

「私だって、一〇八の『清廉の氣』を集め終えた時に、教えられた通りの行動を起こしました。新月の夜に、あの鎌を自分の胸に刺したんですよ、ちゃんと」

「それで?」

「でも何も起こらなくて……、『氣』が足らなかったのかと思って、その夜一〇九番目を取りに行ったんです」

 澄羽子の話を聞いて、十詞重は盛大な溜め息を吐いた。

「だからかぃ。この子にお前の血が入ってしまったのは」

「え、血?」

「そう。だから人間なのに、お前の能力を少し使えている」

「待って下さい。私はちゃんと清めましたよ?」

「血と言っても、血液の意味じゃない。謂わば『血の氣』。集めていた『清廉の氣』に混ざっちまったのさ。現に、妖力部分ではなく妖気に関した能力が伝わっている筈さ」

「でも見鬼の能力が使えるんですよ…少しですけど…?」

「それこそ妖気の分野だよ。感知する能力は気配感応に繋がる。逆に妖力分野で言えば、ほら、お前の武器を出すヤツ。あれとかは出来ないぞ。勿論、身体能力も同じさね。ただ、術の方面ならば、努力すると多少は使えるだろう」

 俺はどうやら、術を使えるようになるらしい……どんどん人間離れしていく気がする。

 新たに告げられた自分の生態に、俺は眩暈を起こしそうだった。

 実際に術を使った訳ではないから、自分の姿を目の当たりにした時よりは幾分かマシだが、それでも衝撃が無い訳ではなかった。

 取り敢えず、状況を確認しよう。

 混乱し始める自分の頭の中で、俺は十詞重と澄羽子の話を反芻してみる。

 つまり、一〇八集まった『清廉の氣』を持つ鎌に澄羽子の『血の氣』が加わり、それが俺の脳天に突き刺されたという事か。

「――でも、何でそれだけで俺の中に鎌の中身が入ったんだ?」

「よく気付いたね、君は」

 思わず疑問を声に出してしまった俺だったが、十詞重は気分を害すことなく、どちらかというと機嫌良く相槌を返した。

 何が?と不思議そうに澄羽子は見返してくるが、それを他所に十詞重は俺を見据えながら考えを口にし始める。

 その様子はまさに、学説を語る研究者の姿だ。

「私も考えてみたんだが、君を見る限りではその理由が見当たらない。過去には霊魂の抜けた肉体に鬼霊が妖気を送り込んで妖もどきを造った例があるが、君の魂は留まっている。ここが問題なのさ。澄羽子が朔一という人格を形成させたとは考え難い。何故ならふたりは初対面の筈だからだ。となれば、考えられるのは朔一という霊魂の在る肉体に、さらに『清廉の氣』と澄羽子の『血の氣』が混入されているという事。これは普通の人間には例を見ない状態だ」

「あ、あの……」

「シっ。完全に思考モードに入っているから、黙って聞いて」

 突然自分の考察を語り出した十詞重に俺は驚きを隠せないが、澄羽子の様子からすると、いつもの事らしい。

 内容を聞いていると、俺自身が疑問に思ったことを同じく十詞重も気付いたらしく、それに対して自身の知識と照らし合わせながら考えているらしい。

 このまま行けば、元に戻る方法に辿り着けるんじゃないかという期待が、人知れず浮かんでくる。それくらい十詞重の様子は真剣そのもので、俺は澄羽子の言うとおりに、黙って耳を傾けることにした。

「――仮に、朔一という人間の体に二つ…否、この場合は三者が内在する形としよう。では何故異なる筈の三種の『氣』が存在できるのか。元々俺にその能力があったのか。だがそれなら、一体どういう能力か。『氣』を取り込める能力なのか、それとも呑み込む能力なのかという点を考えなければ。似たような能力を神喚びの巫女に見られた例があるが、俺の身体を見る限りでは、それぞれが独立している気配が無い。むしろ溶け合っていると言って良い。何より驚くべきは、澄羽子の『血の氣』をも取り込んでいることだ。いくら妖力でないとは言え、妖気に触れた人間が自我を保っていられるなど、普通では考えられないことだ。見鬼の能力だけのようだから、微量であったために影響も少ないのだろうか。それに『清廉の氣』は元来独立して存在するものではなく、固体に影響する『氣』の一つだが、おそらく外見上の変化は『清廉の氣』の影響だと思われる。つまり『氣』が一固体として形成されている証だ。そうでなければ、肉体への干渉は見られない筈だからな…――」

 問題提起をして、自らがそれに答えを導き出す。

 その繰り返しを口にしながら、十詞重は右へ左へと歩き出した。

(よくそんなに頭も口も回るな……あ、今クッキーを手にした)

 十詞重はぶつぶつと考えを呟きながら、アノ激甘クッキーを口にして糖分補給をする。

 ジャクジャクと咀嚼される音を聞くと、俺は自分の口の中にも例の甘さが蘇って、思わず眉を顰めた。胃の中からも甘さが復活するような錯覚に、げんなりする。

 だがそんな過激な糖分補給が功を奏したのか、十詞重はふと立ち止まって声を上げた。

「あー、それなら見当が付く」

 振り向いた十詞重の顔に笑顔が浮かんでいて、俺も澄羽子も、その先に期待を抱く。

「つまり、今現在の君の体の中では『人間の氣』『清廉の氣』『血の氣』の三者が均衡を保ち、それぞれが外面に出つつも、存在するために互いを支え合っていると考えられる」

「では、朔一の中には『清廉の氣』もちゃんと存在しているのですね?」

「それは確かだ。外見が白くなったのは、その影響が強い」

「ではでは、『清廉の氣』を取り出すことも可能なのですね?」

「理論上では可能だ」

「まぁ☆」

 結論に到達した十詞重は、やり遂げたと言わんばかりに椅子に腰を降ろした。そして糖分満載の紅茶(もどき)を口にした。

 それに澄羽子が質問すると、テンポ良く十詞重は返答する。内容は澄羽子が望んだとおりのものらしい。浮かべられた笑顔の瞳は、口調通りの星マークが煌いている。

 そして俺が意見を口にする前に、本題である質問を澄羽子が訊いた。

「ならば十詞重殿。どうやったら『清廉の氣』を取り出せますの?」

「それは分からん」

 ノリに乗っていた澄羽子の機嫌が、急降下する音が聞こえた気がする。

 笑顔はかろうじてその顔に浮かんでいるものの、意識は既にこの場に無い様子だ。

 固まった澄羽子に同情しつつも、俺は自分の疑問を十詞重に向ける。しかし――

「あの…――」

「それでは困ります。あの鎌のような物は無いのですか?」

「似たように『氣』を取り出す作用がある物は有るが、お前のことだ、鎌で試してみてもどうにもならなかっただろぅ?」

「はい、その通りです。他に手は無いのですか?」

「アレで駄目だったんなら、今は新たな方法を探すしかないだろうね」

「そんなぁ……」

 静止状態から復活した澄羽子が割り込み、十詞重に詰め寄ったが答えは変わらなかった。

 予想通りと言うのか、俺の中から『清廉の氣』を取り出すことは無理らしい。

 しかし十詞重の言葉から察すると、方法を探してみなければならないだけで、全く無いという訳ではないようだ。

 けれども、それ以前に俺には聞きたいこと、教えてもらいたいことがあった。

 肩から脱力する澄羽子を横目に、俺は十詞重に話しかける。

「あの、初歩的な質問をしても良いですか?」

「構わないよ」

「そもそも『清廉の氣』って、一体何なんですか?」

「基本的な部分はその名の通りさ。心の清さの証とでも言うのかねぇ。誠実な人間、心の清い人間が持っている『氣』の一種だ。澄羽子が君を刺した鎌は、その『清廉の氣』を人間…この場合は肉体からと言った方が妥当だな。そこから具現化させて取り出すことが可能なのさ」

「……誠実さや心の清さの象徴みたいな物ですか?」

「そうだね。それによって浄化効能を持つ薬を作ったりもするから、瀞ものなのは間違いない。確か材料の残りがあの辺に…――」

 十詞重は話の途中で立ち上がり、机の裏側に回ってごそごそと資料を寄せ、ガラスの円筒を手にして戻って来た。

 見れば中には白い花が一輪、水のような液体の中に浮かんでいる。

「これが、『清廉の氣』を具現化したものだ。まぁ、この形状の中に『氣』が詰まっているというのが正しい言い方かもしれないがね」

「……っ」

 俺は、初めて目にした『清廉の氣』の花に、声が出なかった。

 百合の花のように一本の茎から俯き加減に花を開いているが、茎部分は木の枝のように少し節くれ立っていて、花も百合というよりはツツジの花のようにも見える。色は純白で、葉らしきものも白銀に近い色をしている。

 凛とした中に可憐さを見せる花だ。

「あの鎌は、この花を体内から生やさせ、そしてそれを刈ることの出来る代物だ。そして君の中にはこの花一〇八本分が固体として存在しているという事でもある」

 無意識に、俺は自分の胸に手を伸ばしていた。握り締めると、その花を掴んでいるような錯覚がある。掌に、一輪の花があるような、そんな感じだ。

 その感覚を知るからこそ、俺は気付いた疑問を口にする。

「あの。さっき俺の中で『人間の氣』『清廉の氣』『血の氣』の三者が均等で、存在するために互いを支え合っていると話してくれましたけど、それって、どれか一つが欠ければバランスが崩れるって事ですか?」

「よく気が付いたねぇ。私の見解では、おそらくその可能性が高い。つまり、何の弊害も無く、いつものように『清廉の氣』だけを取り出すことは困難だね」

「でも、取り出すことが出来ない訳では無いのですね?」

 唐突に話を切り込んできたのは澄羽子だ。

 隣でただ沈んでいただけではなく、話を聞いていたようだ。

「私ら術研究者にとって『不可能』という言葉は、全ての法則、方法を否定するものだ。不可能ならばその証明がなければ、口にはしない」

「要は、出来ないという事実が無いから、可能な場合も考えられるという事ですよね?」

「理論上は」

「では――」

「だがしかし、これは事例の無いことだしね。何より、人間領域の問題は私の専門じゃない」

「じゃあ、人間領域の知識と併せれば何か分かるかも知れないって事ですか?」

「良いトコロを突いてくるねぇ、君は。語るに足る者はそれだけで価値がある。気に入ったよ。人間にしては、だけど。だからひとつ教えてあげよう」

 十詞重の顔に、挑発的な笑みが浮かべられる。

 その眼はどこか愉しげで、それでいて鋭さを感じさせる光を見せている。

「自分の身の安全を欲するならば、まず自分のことを知ることだよ。それが、リスクを低める最重要手段に繋がる」

 低められたその声音の真剣さに、俺はしっかりと頷いた。

 それを見た十詞重はにんまりと満足気に笑って、また紅茶を一口すすった。

「ま、そういう事だから、取り敢えず暫くは鬼に喰われないよう、気をつけるんだね」

「シバラクってどれくらいですか、十詞重殿~」

「そんなの分からないよ。でも、お前の妖気を持っていても肉体面は人間と変わらないからね、鬼の奴に襲われたら一瞬で腹の中だよ。その事も含めて、当面の生活を考えておやり。それはお前にとっても仕事と修行の両方になるし、何よりも責任があるんだからね」

 泣き真似までする澄羽子を一蹴して釘まで刺すあたりは、長老と重なる雰囲気があった。

 威厳や何かではなく経験上からの意見のような、そんな重みを含んでいる。

 強い口調ではないが、事実を示された澄羽子にとってそれ以上の言葉は必要なかった。



 結局、十詞重の話では俺の現在状態を知ることはできたが、明確な打開策は見つからず、体も見鬼の能力も鬼霊に襲われる状況も、変わることは無かった。

 澄羽子は『清廉の氣』を取り出すことができないと言われてヤル気を失くしているが、対して俺は自分の体内状況を知ることができたことから、十詞重を訪ねた意義を感じていた。

 それからまた少しの間三人でお茶をして(実際口にしていたのは十詞重だけではあったが)、外が暗くなり始めたので、澄羽子と俺は長老の家に戻ることにした。

「暗くなるから、アヤカシの道を通ってお行き」

 玄関の軒先まで見送りに出て来てくれた十詞重は、そう言って袂の中から大きな鈴の付いたランプを取り出した。

 既に明かりを放っているランプを手渡された澄羽子は、相変わらず意気消沈した様子ではあるが、頭を軽く下げて礼を言った。

 そして十詞重は俺を手で拱きながら呼んだ。

「澄羽子が一緒なら大丈夫だとは思うが、もし何かあったら、これをお使い」

 手渡されたのは、紐の通された小さな笛だ。短いストローのような形状で、犬笛のようにも見える。鉄のような見映えに対し、それはとても軽い。

 下手に断るのも気が引けたので首に提げて礼を言っていると、澄羽子が覗き込んできた。

「何ですか?」

「ちょっとした土産さ。お前も欲しいのかぃ?」

「いえ。今日は手持ちが無いので。また今度、お願いします」

「……手持ちって、やっぱりなにか払った方が良いのか?」

「いつもは、生菓子やチョコとかの甘い物をね。でも、今回のは良いんじゃないかしら」

 俺が気になって小声で聞くと、澄羽子は十詞重の笑顔を一瞥して教えてくれた。

 確かに、十詞重は満足そうに微笑んでいるだけで、何かを要求する風ではない。

 ありがたく頂戴する決断をして、ふたりは十詞重に挨拶をしようと向き直った。

「今日は色々とご馳走様でした」

「十詞重殿、また近い内に参りますので宜しくお願いします」

「はぃよ。でもあまり期待はしないでおくれね」

「では、私たちこれで失礼します」

「あ、ちょいとお待ち澄羽子。お前、この件を報告したのかぃ?」

「…まだです…。やっぱり、お伝えしなくちゃ駄目ですかね?」

「人間のことだからな。必ず巫女様には届くぞ」

「そうですよね……気が重い」

「だが、人間の問題ならば巫女様ほど適任もおらんだろ。何か良い案をくれるかも知れん」

「そっか。巫女様なら何か御存知かも。でもそこに至るまでの道のりが……」

「些細なもんだろう、そんな事。第一、必ずお前の手に負えなくなるぞ」

 最後の言葉が真剣そのもので、俺は自分の中でざわつくものを感じた。

 手ニ負エナクナル。

 澄羽子でも太刀打ちできないような鬼霊に、襲われるということだろうか。

 それとも封印の呪布の効力が弱まり、鬼霊に襲われる頻度が上がるということだろうか。

 いずれにしろ、俺の身をおびやかす事態が来る可能性があるという空気を感じる。

 しかし、十詞重に忠告を受けた当の澄羽子は、俺をじっと見詰めて唇を噛み締めている。

 その視線は、身を案じているものにしては鋭く、微かな焦りを感じさせるものだ。

 俺が怪訝に見返すと、深紅色の丸い瞳は瞬きひとつして見慣れた光を宿し、十詞重に向き直った。

(何だよ、一体……)

 胸に引っ掛かるものを覚えながらも、俺は澄羽子に倣って十詞重に一礼する。

「では、十詞重殿。失礼致します」

「何かと教えてくださって、ありがとうございました」

「はぃよ。じゃ、気をつけてお行き」

 十詞重に背を向けて一歩踏み出すと、ふたりの周りが一変した。

 後ろを振り返っても、館も十詞重の姿も見当たらない。

 鬱蒼と繁る木々は夕闇に包まれており、頼りの明かりは澄羽子の手元のランプだけだ。

 小さな明かりに下から照らされた木々は、心なしか異様に大きく、歪んで並んで見える。

 急変した辺りの様子に俺が足を止めると、澄羽子が急き立てた。

「ちょっとぉ。いくらアヤカシの道でも、鬼霊が現れない保証はないんだから、さっさと付いて来て欲しいんですけどぉ」

「わ、悪い。ちょっと驚いて……アヤカシの道ってココか?」

「そうよ。このランプの光に導かれると、通常の空間とは異なる場所を歩けるの。でも、異空間というのともちょっと違うわ。むしろ、所々を結び付けた一本道って言った方が分かりやすいかしら。要は、特殊な近道よ」

「へぇ。便利な物があるんだな」

「でもこれを使えるのは妖力のある者だけ。十詞重殿の推論からいくと俺に妖力は無いから、普通の人間が使った場合と同じ様に、アヤカシの道に出ることは出来ないわよ」

「でも今、俺歩いているけど?」

「それは私が一緒だから。首の鎖で引っ張って上げているのよ」

「ふ~ん……って、ちょっと待て。鎖に引っ張られてるって、俺は犬かよ?!」

 新たな事実に、声を上げて澄羽子を見る。

 首を前に戻した澄羽子は歩きながら平然と、またもや俺のアイデンティティを貶めるような発言をした。

「前にちゃんと外す代わりだと言ったでしょ。第一、アナタを放し飼いにする気はないわよ」

(……飼われていることが前提かよ。いい度胸だな、コイツ)

 俺は返す言葉を失いつつも、澄羽子の後ろを追い駆ける。

「アナタの首の呪布には一定の力を与えていないと、効力が弱まってしまうの。だからそれを補う呪布を巻いていたのに、身動きが取れないとか文句を言うから、仕方なく遠隔タイプの鎖にして上げたのよ。ま、簡単に言えば鎖を通して首輪に力を与えて制御してるってコト☆」

(そんな笑顔で言われても……しかも「制御」とか言いやがった。俺のプライバシーはどうなんだよ)

 一度は考えた見た目の印象をそのまま肯定されて、俺は頭痛を覚える。

 更に追い討ちを掛けるように、澄羽子は俺が心の中で抱いた疑問に答えを与えた。

「因みに、ある程度の範囲内でしか動けないから。アナタの首には眼に見えなくともその鎖の先がちゃんと在るってことを、忘れないでね☆」

(だから、そんな明るくペット宣言されても……。しかも俺の自由はリード圏内ってか?ハハ。頭わいてんな)

 確立されつつあった自己像が、ガラガラと音を立てていくのが脳裏に浮かぶ。よもや普通の生活を送っていた頃の自分でさえも、だ。

 この扱いに何か意見してやりたいのだが、既に為されてしまったことだと、認めつつある自分が隅の方にいる。それが俺にとってはあまりに自然過ぎて、言葉が浮かばない。

 いやいやいや。ここで受け止めようモノなら、俺は今後も良いように持っていかれる。思い止まれ、自分。

 流されそうな己を横に押しやり、俺は改めて澄羽子に聞く。

「ひとつ確認しておく。俺は人間だ」

「何を突然。そりゃあアナタは使える方だとは思うけど、脆弱な人間に変わりないわ。それがどうかしたの?」

「……使えるって言うのは良い意味だよな」

「当然だわ」

「ならお前は、その人間に対してこんな扱いをするのか?」

「あら、それは愚問よ。使えるからこそ手を施しているんじゃない。呪布や鎖は親愛の証よ」

「これが親愛だっていうなら、お前の人格疑うぞ?」

「失礼ねぇ。確かに鎖で行動は私に伝わるけど、思考や心の内側は全く分からないのよ?」

「それでも、だ。俺のプライバシーを尊重しろっ」

「嫌~ぁよ。そんな事して、知らない所で鬼霊に襲われたらどうするの。どうなるかわかってる? どうにかできるの?」

「そ、それは…確かに危険かも知れないが……」

「でしょ。アナタだって自分の身は大切な筈よ。鎖があれば、鬼霊にも直ぐに対応できるわ。それを思えば、常に隣にいなくちゃならない訳じゃないのだから、些細な事でしょ?」

「う、うーん。まぁそう言う理由なら……」

 上手く言いくるめられていくような気もするが、澄羽子の言うことは確かに一理ある。

 行動範囲が限られるとは言え、身の安全と引き換えに出来るほど厳しいものではない。むしろそれくらいで済むなら、安いものかもしれない。

 初めは、自分の存在を貶めるような待遇だと思って頭に血が上ったが、その必要性と利点を示されると、俺の怒りは急速になりを潜めた。

「――大体、勝手に元に戻られても困るのよ。返してもらわなくちゃ――」

「何か言ったか、澄羽子?」

「ううん。こっちの話」

 突然吹き抜ける風と木々を揺らす音に紛れて、澄羽子の言葉は俺に聞こえなかった。

 聞き返すと、取って付けたような笑みを浮かべられただけだ。

 これと似たような光景を前にも見た気がしたが、俺はやはり何も言えずに前を歩く澄羽子に続いた。勿論、首の鎖があるからではなく、自発的に。

 ただ、後ろを歩くのは気が進まなかったので、左隣の位置にした。

 並んで歩きながら澄羽子の顔をチラリと見ると、直ぐに横の髪が揺れて俺と眼が合う。

 見ていたことに後ろめたさなど無いのだが、何か話さなければと思い俺は口を開く。

「な、なぁ。長老様ってどれが本当の姿なんだ?」

「う~ん、どれかしらね。私も分からないわ。長老様の条件だから、変身能力は」

「そうなのか?」

「人間が万が一、烏森に紛れ込んでしまった時の窓口なのよ。子供なら子供の姿で。登山客なら地元民を装って。相手が不審がらず、適度に警戒心を解いてくれる姿を見せる。そして来た道に戻してあげるのよ。それが長老様のお役目」

「へぇ。この山、一般人が迷い込むこともあるのか」

「時折ね。結界もあるし、望んで来られる場所じゃないけど、絶対に無いとは言えないわ」

 意外な事実に、取り敢えず話を振った内容にしては良かったと俺は胸を撫で下ろす。

 それはひとえに、突然振り向いた澄羽子の瞳が思ったよりもやさしく、一瞬でもドキリとしてしまった自分を知られたくなかったからかもしれない。

(確かに、顔は可愛い素材なんだよな……)

 歩きながら俺はそんな感想を抱く。勿論それは隣を歩く澄羽子の容貌についてである。

 橙色の明かりに仄かに照らし出されてやわらかな稜線を描く白い頬と、少し高めの鼻梁に、ぽやっとしてそうな割に危ない言葉を発する唇。そして艶のある黒髪と同じ漆黒に縁取られた深紅色の丸い双眸。

 瞳の色を除いたとしても、これほどの顔立ちは間違いなく可愛い部類に入るものだ。

(あ、行動と言動は外見を裏切っているか)

 ここまでの流れを振り返り、自分が受けた数々の暴挙からの感想を付け足していると、不意に横から声が掛かった。

「何を考えているの?」

「ん。見た目は可愛いのに、態度がな……って、ぅわあ!」

 思わず口にしてしまい慌てて両手を口に当てて一歩下がるが、時既に遅し。

 澄羽子の目は不審者を見るような視線で俺を眺めている。

 けれども次の瞬間にはその頬に、にっこりと微笑みを浮かべた。

「その後が気になるけど、『可愛い』って言葉に免じて許してあげる☆」

 嬉しそうにも見えるのだが、今まで見てきた笑顔の例があるだけに、俺はそれをすんなりと喜びの笑顔だとは受け入れられなかった。

 その証拠に、細められた瞳の奥からは鋭い光が覗いている。

「でも、この後の巫女様の所に向かうのに拒否権は与えないから」

「え、この足で行くのか?」

「そうよ。何か文句ある?」

「い、いいえ。喜んで同行させていただきます」

「うん。良い返事ね」

 澄羽子は踵を返し、再び歩き始めた。

 『巫女様』というのは十詞重の口にも上がった、何か案を出してくれるかもしれない人物で、確か澄羽子の上司にも当たる人物のことだ。

 自分の体を元に戻す手掛かりとなるならば、直ぐにでも訪ねたい気持ちはある。むしろ願ったり叶ったりだ。慣れない山道を歩いた疲労感も空腹感も忘れるほどの。

 しかしこんな夜分に訪ねるのは失礼じゃないのか、と俺は心の中で思うが、拒否権は無いらしいので、黙って付いて行くことにする。

 そして少し歩くと、見たことのある風景が目に入って来た。

 立ち並ぶ木々も見慣れた姿で、少し開けた場所に出る。

 辺りはまだ夕日の名残を受ける薄闇で、寂れた木造の山小屋と側に立つ人の姿が見えた。

「おぉ。澄羽子に朔一君、無事だったか」

 家の前で立っていた長老が、ふたりの姿を見つけて駆け寄って来た。

 どうやら自分達を待っていた様子で、澄羽子は微かに驚いた表情を見せる。

「何かあったのですか?」

「昼過ぎにな、アシナギか召集が入っ。どうやら烏森付近に鬼霊が数体確認されたらしくてなぁ」

「それでしたら、私も片付けましたよ」

「お前が一緒じゃから心配はしておらんかったよ。何も無かったのなら良かった」

「ご心配をお掛けしてすみません。お気遣い、ありがとうございます」

「なに、君が頭を下げるようなことは無いぞ。さ、中に入りなさい」

「お待ちください、長老様」

 安心して笑顔を浮かべる長老に家の中へと促されたが、澄羽子がその足を止めた。

「十詞重殿のところでは、あまり良い情報は得られなかったんです」

「そうか…それは残念じゃが、家の中でゆっくり考えようじゃないか」

「いえ。私たちはこのまま、巫女様のところへ向かおうかと思います」

「何もそんなに急がずとも……と言いたいところじゃが、俺君のことを考えれば当然じゃな」

「はい。十詞重殿の見解で、俺の体内に『清廉の氣』が存在しているのは確かだという事は分かりました。それを取り出す方法を探してくださることにもなったのですが、やはり俺が『人間』であるという事が気掛かりらしいです。何よりも、鬼霊に襲われる心配は大きくなる一方のようですから。それに、由翬子への呼び出しがあったとなれば、巫女様も御社にいらっしゃる可能性があります。人間を関わらせてしまったのは事実で、それを報告することは義務ですし、あまり時間を掛けるよりは宜しいかと思いまして」

「ほぅ。澄羽子もしっかりしたもんじゃ。儂はてっきり、叱責を避けて良い具合になってから報告に行くかと思っとったんじゃが、こりゃ良い誤算じゃ」

「…できれば、私もそうしたかったんですが……。時間を置いて、根が張ってしまってからでは余計に大変そうなので、覚悟を決めました」

「そうか。では、儂の扇を貸してやろう。その方が速かろう。ちょっと待って居れ」

 澄羽子がこのまま出掛けることを告げると、長老は途中でちらりと俺に視線を向けたが、その意図を汲み取って大きく頷いた。

 なぜ扇を貸してくれるのか。と疑問に思ったが、自分が家からここまで羽扇に乗せられて来た事を思い出し、乗り物としての『扇』を指しているのだと察した。

 そして俺の予想通り、長老が持って来てくれた羽扇は、澄羽子が開くと人が乗れる大きさとなり空中に軽く浮かんだ。

「では、行って参ります。長老様」

「おぉ。気をつけてな。処理班の手を借りる件で、多少の事情は伝わっとる筈じゃ。それから、これは道中で食べなさい」

「ありがとうございます。あ、お茶まで。助かります」

「ふむ。方法が見つかることを祈っとるよ。澄羽子、くれぐれも宜しくと御伝えしとくれ」

「はい」

 長老から風呂敷包みの弁当を受け取って、俺と澄羽子は一路『巫女様』の元へと飛立った。

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