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経済の話

通貨循環モデルと、経済対策

 恥ずかしながら、僕は自分で「通貨循環モデル」と名付けている、経済理論を提唱しています。

 これは、経済を通貨循環の観点から捉えて、分かり易くする利点のあるもので、これにより、経済がどんな状態にあるのか、またどんな対策が有効なのかを導き出せます。

 今回は、実際に行われている経済政策を、この通貨循環モデルの観点から述べたいと思います。

 では、まず「通貨循環モデル」から、簡単に説明し始めます。

 (もう、何度も他で書いていますから、もう充分に理解したという人は、読み飛ばしてもらっても問題ありません)

 

 5人だけの社会があったとします。この社会にはAという生産物だけが存在し、5人がそれを生産し、5人がそれを買う(消費する)という通貨の循環だけで成り立っています。

 もっとも単純な経済社会ですね。

 因みに、これがそのまま「通貨循環モデル」だと、考えてくれて構いません。

 この社会が経済発展を遂げるには、生産物の生産量が増加する必要があります。現時点では、Aしか生産物が存在しないのだから、Aの生産量を増やす必要があります。と言っても、何もなければ生産量を増やす事などできないでしょう。

 それを実現する為には、Aを生産する技術革新が必要になります。

 現実社会にこれを当て嵌めるのなら、例えば食糧生産量を増やす為には、狩猟採集から畜産農業へという技術革新が必要でした。近世ならば、手作業生産から工場生産へと移行した事によって、生産量が増加しています。これは、技術革新によって生産効率が上昇した、と表現する事が可能です。

 さて。Aに関する生産量が増加したとしましょう。しかし、実はこれだけでは、この社会が経済発展を遂げる為の十分条件を満たしてはいません。Aをたくさん生産できるようになったとしても、この社会の人々がAを生産した分だけ消費しなければ(買わなければ)、通貨の循環は成立しないからですね。無駄に生産したAは、無駄な在庫になってしまいます(これも、一応はGDPに含まれるのですが)。やがては生産されなくなるでしょう。つまり、長期的視野に立てば、Aという生産物の需要の限界以上は、Aは生産されないのです。冷蔵庫を無限に、求め続ける人などいません。冷蔵庫の需要の限界までくれば、冷蔵庫は買われなくなり、どれだけ生産してもそれは無駄な在庫になってしまいます。

 そして、これはただそれだけ済む話でもないのです。それは、“失業者”を発生させてしまうのです。

 通貨循環モデルで、これを簡単に説明してみましょう。

 この社会では、5人がAを一個ずつ消費しているとして、それが需要の限界だとします。Aの総生産量は5個ですね(因みに、これがAしか生産物が存在しないこの社会においての国内総生産です)。生産効率が上昇してAを1人で5個生産できるようになったとしましょう。Aは社会全体で5個しか必要ないのだから、残りの4人は働かなくても良い事になります。つまり、この4人は失業者です。

 これは、需要の限界を超えて、生産力が高くなれば、失業者を発生させるのだ、という事を意味してもいます(実は、これはそのまま2010年の世の中の現状でもあると推測できるのですが、それは後に詳しく説明します)。

 この4人がまた働き始めるのには、新たな何かしらの生産物が必要になります。仮にそれをBだとしてみますが、そのBを4人で5個生産して5個消費する、というような通貨の循環が発生すれば、“失業問題”は解決するのです。この社会は、Aを5個とBを5個生産している事になります。当たり前ですが、総生産量は増加していますね。因みに、これが経済発展により、国内総生産が増加するという事の意味そのままです。

 これは、需要に限界がある限り、経済が成長をする為には、新たな生産物が誕生しなければいけない、という事でもあります。昔、何もなかった時代から、工場などが登場し生産効率が向上し続けた結果、車やパソコンや携帯電話と生産物の種類が増え続けている歴史が、その証拠になります。

 もちろん、この生産物一つ一つには、消費者から労働者へと巡る、通貨の循環があります。つまり、経済の発展とは、通貨の循環場所が増える事でもあるのです。

 そして、これを踏まえるのなら、直接的に経済に働きかけて、経済成長を起こす事は比較的容易に行えるはずだとも分かります。要は、通貨の循環を増やせば良いのですから、そういう働きかけをすればいい。

 例えば、国が生活者に対して、絶対に消費しなければいけない生産物を設定します。仮に、それを太陽電池だとしてみましょうか。各個人が料金を支払い、何かの施設に太陽電池を設置するのですね。すると、その太陽電池を生産した分だけ国内総生産は上がります。もちろん雇用が生まれ、失業者は減ります。個人の支出が増えますが、その分、収入が増えるので問題はありません(そもそも経済成長とは、収入と支出が増える事で、成り立っています)。もちろん、低所得者には配慮すべきでしょう。また、初めの1回分だけは通貨を発行してそれを消費に用いる事も可能です。こうすれば、景気が回復するまでの生活者の負担を減らせますから、是非行うべきです。物価上昇は恐れる必要はありません。新たに通貨の循環が生まれる分だけ通貨を増やす、つまり通貨需要が増える分だけ通貨供給を行うので、物価上昇は起こらないのです(もっとも、景気が回復する事によって起こる正常な物価回復は起こりますが)。

 この方法が現実に有効なものだという証拠は、たくさんあります。何故なら、明確に意識されている訳ではありませんが、これと似たような方法は実は既に実践されていて確かな実績があるからです。しかも、世界各国で。冷静に考えてみれば簡単に分かるのですが、税金を徴収し、それにより警察や消防などの公の機関を運営するというのは、原理的にはこれと全く同じなのです。

 ただし、経済成長するという事は、人件費が上がる事を意味してもいます。国際競争力を考えるのなら、まだ一工夫必要でしょう(これについては、後に説明します)。

 さて。通貨循環モデルについては、一応ここまでで説明を止めておこうと思います。次は、現実の経済政策を、この通貨循環モデルの観点から説明します。

 

 生産量増加が起こるよう刺激する事で、経済成長を促す。通貨循環モデルで示した、この考え方は、そのまま現実社会の、経済政策にも当て嵌められます。需要を創出すれば、“不景気”や“失業”という経済問題を解決できる。ただし、誤った考えも指摘できるのですが。

 基本的には、現実の経済政策では間接的にこれを行おうとしています。その内の一つに、公共事業があります。

 公共事業を行うと、生活者に通貨が供給されます。すると、それにより購買意欲が刺激されて需要が増え、消費が増えます。消費が増えれば、また生活者は通貨を手にしますから、それは更なる需要増に繋がり、やはり消費が増えます。これが繰り返される事で、乗数効果が生まれ、公共事業で用いた通貨以上に経済は成長をする… と言われています。

 さて、この考えは正しいでしょうか?

 もちろん、正しくはありません。日本はずっとこれを行い続けてきましたが、知っての通り、経済は成長していません。むしろ、後退している感すらもある。つまり、歴史がこの考えは正しくない事を証明しているのです。

 もしも、この考えが正しいのなら、今頃(2010年12月現在)日本の景気は回復しています。この経済政策には、短期的な効果しかなかったのです。もちろん、状況によっては確かな効果があります。社会に公共設備が整っておらず、その設置によって多くの需要が生み出されるような場合には、公共事業は長期的な経済成長を起こします。

 が、日本のように何の産業も生み出さない無駄な公共事業を繰り返しても、経済成長には繋がりません。どうしてなのでしょうか?

 実は、この考えの前提条件には、致命的な欠陥があるのです。この考えは、“需要の限界”を想定していないのです。通貨を手にすれば、それだけでいくらでも生活者の需要が増える、と想定してしまっているのですね。

 先に説明しましたが、一つの生産物に対する需要には限界があります。だから、その需要が飽和点を迎えれば、どれだけ通貨を手にしても消費需要は増えません。結果的に、それは貯蓄に回り、景気は回復しない(経済は成長しない)事になります。

 要するに、景気を回復させたかったら、新しい生産物を生み出す必要があるのですね。

 公共事業と似たような発想の経済政策、減税についても基本的には同じ事が言えます。因みに、減税の場合は、徴収する税を減らして、生活者に多くの通貨を与えます。

 公共事業と減税の決定的な違いは、国の消費が増えるか増えないか、という点にあります。公共事業の場合は、国が何かを消費しているので、(例え無駄なものであろうが)国内総生産は上昇します。しかし、減税の場合は国の消費は増えないので、その分の国内総生産の上昇は起こらないのです。

 こう聞くと、公共事業の方が良いように思えますが、そうとは限りません。何故なら、減税によって民間に通貨の使用目的を選ばせれば、効果的な投資を行うかもしれませんが、国に任せると(もちろん、国が優秀ならば話は違ってきますが)、無駄な投資を行ってしまう危険性が大きいのです。例えば、企業に対して減税を行えば、その企業は余った通貨で効果的な投資を行おうと考えるでしょう(貯蓄に回す可能性もありますが)。しかし、国の場合はただ使う事だけが目的(それにより、不正な利益を得る事が目的)なので、効果的な投資をしようとはあまり考えません。また、公共事業の場合、一部の人間達が高い利益を手にする危険性が大きいのです(政治家や官僚に奪われる危険も含めています)。金持ちほど貯蓄に回す金額は大きくなりますから、景気回復の効果は薄い事になります。減税なら、この危険性は少なくなります。比較的平等に皆が通貨を手にします。

 公共事業にしろ、減税にしろ、新しい生産物が誕生しなければ、長期的な経済効果がない点は同じです。しかし、“均衡予算乗数の定理”と呼ばれるものならば、実は長期的な経済効果があります(行い続ければ、ですが)。

 これがどんな発想かと言うと、簡単に言えば“増税して得た通貨を、そのまま国が使う”です。増税によって、生活者は通貨を奪われますが、国がそれを全て使うので、結局は同額分が返ってくる。そして、国が通貨を使った分だけ国内総生産は上がっている、のです。乗数効果はありませんが、増税した分だけ確実に経済成長するのです(通貨が一部、海外に流れもしますから、その分は減ります)。

 こんな便利なものがあるのなら、どうして使わないのか、という声が聞こえてきそうですが、実は既に行われています。消費税を上げて、その通貨で福祉や医療を充実させていく。ヨーロッパで主に行われているこういった政策は、実質的には実は“均衡予算乗数の定理”の発想なのです。

 これから日本が消費税を上げて、医療福祉に回せば、もちろん、それは“均衡予算乗数の定理”を用いているという事になります(税金を、政治家や官僚が無駄遣いしてしまったら、失敗するので注意してください)。

 また、これと似たような試みは、普通にどんな国でも行われています。税金を徴収し、それにより警察や消防などの公の機関を運営するというのは、原理的にはこれと同じなのです。おや?と思う人がいるかもしれません。なにしろ同じ説明を前にしましたから。これは先の、“通貨循環モデル”の応用方法が有効であるその証拠の説明と全く同じです。

 僕が提唱している“通貨循環モデル”は、経済を別視点から眺める為のものです。だから、既存にある経済理論とそれが一致する場合も当然出てくるのです。ただし、完全に一致している訳でもないのですが。僕が先に提案した方法は、“均衡予算乗数の定理”に考えがプラスされています。

 “均衡予算乗数の定理”では、労働者がどうなっているのかは全く考慮していません。しかし、通貨循環モデルでは、それを考慮し考えに盛り込んであります。だから、通貨の循環が新たに発生する分(労働者が余っている分、でも同じ意味になります)だけならば、新たに通貨を発行する事が可能だという点を導き出せるのです。また、だから“均衡予算乗数の定理”では得られなかった乗数効果も得られる事になります。

 “均衡予算乗数の定理”では、生活者から通貨を奪った分だけ与えるので、マイナスとプラスでゼロになり、乗数効果はありません。しかし、新たな通貨循環分だけ通貨を発行すると、初めのマイナスがないので、乗数効果が得られるのですね。

 ただし、これは労働者が余っている状態でなければ、実現不可能です。これを理解できる事も、通貨循環モデルの利点の一つです。

 

 さて。これまで述べてきた点を踏まえて、現実に、今の経済危機を乗り越える為の経済政策を提案したいと思います。基本的には、これまでに別の文章で説明してきた方法と変わりありませんが、今回はそれに国際的な観点を付け加えたいと思います。

 通貨を発行し、それにより新たな通貨循環を発生させ、雇用創出と経済成長を実現する方法(便宜上、これを通貨循環生成政策と名付けます)は外国の存在を無視しています。外国との競争を無視しているのです。これはこの方法を考え出した当時、まだ日本の国際競争力が非常に高かったので、無視しても致命的な欠陥にはならないと考えたからです。

 しかし、ここ数年で事情は変わりました。日本は国際競争力を大きく落とし、国内の経済政策を考える場合でも、対外国を意識しない訳にはいかない情勢になっています。そして、通貨循環生成政策は、財政を悪化させずに経済成長を起こせるという、素晴らしいメリットがありますが、先にも一度触れた通り、人件費が上がる事による(基本的には、経済成長と人件費の上昇はセットだと考えて問題ありません)、国際競争力の低下という問題点も抱えているのです。ですから、この点をクリアしなければなりません。

 人件費が高くなると何が問題かというと、人件費が安い外国の企業に比べて、価格が高くなってしまうのです。これを解決するには、外国と競合にあるような産業に着目し、何かしら支援を行えば良いのです。

 では、その方法を、通貨循環生成政策と合わせて、その流れで説明します。

 どんな生産物でも、通貨循環を生成させるのには利用できるのですが、それ自体に価値があり国内企業を支援できるようなものでなければいけないので、ここではそれを太陽電池にします。公共物のような位置づけで、太陽電池を生産していると考えて下さい。初めの1回分だけは新たに通貨を発行して賄いますが、環境税か公共料金といった位置づけで、次からは通貨を生活者に支払ってもらいます。すると、太陽電池に対する通貨の循環が生まれ、国内総生産が増え、生活者の収入と支出が増えます。そして、その増えた分、人件費が上昇します。

 太陽電池を原材料以外は国内で生産したとすると、その付加価値分の雇用が国内で創出できる事になります。

 (因みに、電気を生成する原油がそれで節約できたとするのなら、(節約できた)原油費-(輸入した太陽電池の)原材料費が日本全体の利益になります)

 国内で閉じていれば、これだけで経済成長を達成できている訳ですが、国際競争を考えると、問題点があります。人件費が上がると国際競争に不利になりますから、当然、それをカバーする対策が必要になってくるのです。

 ここで、先に通貨循環生成政策で太陽電池を生産していた事が活きてきます。海外と競合する国内企業に対して、太陽電池を支給して支援を行うのです。当然、エネルギーコストが節約できますから、その分、競争に有利になります。また、これは化石エネルギーの節約を意味するので、エネルギー価格が低下し、間接的には全業種が恩恵を受けられる事にもなります。

 また、地産地消のメリットの高い生産物(農産物はこれに含まれるのじゃないかと思います)は、インターネットを活用し予約販売などで物流を簡略化し、コストを抑えるといった試みなども有効であると考えられます(物流に関する失業者が生まれてしまうので、別途対策が必要ですが)。

 もっとも、これだけで日本が抱えている不利を全てカバーできるはずはありません(人件費の差に加えて、通貨価格の差もある)。ですから、更に工夫する必要があります。そこで僕が提案したいのが“環境(炭素)関税”の概念を国際社会に提唱する事です(知っての通り、関税は輸入品に対してかける税金ですね)。

 外国の製品は安い。だから、日本が不利になるというのなら、外国の製品を高くしてしまえば良いのです。もちろん、その為にはそれなりの理由が必要になります。そして環境問題対策は、その充分な理由になります。

 環境問題に対して、何も対策を執らなければ製品の価格は安く抑えられます。しかし、そういった製品を認めてしまったなら、環境問題対策は進みません。ならば、そういった環境問題を悪化させる製品から強制的に競争力を奪うしかない。そこで、環境汚染に繋がるような製造工程を経た製品に関しては、特別な関税である“環境関税”をかけて競争力を奪うのです。

 これは充分に正当性のある話です。

 いくらその国が課せられた義務をまっとうしてCO2を削減しても、その結果として製品の値段が高くなり売れなくなれば、その努力は無意味になります。何故なら、他のCO2削減努力をしていない国の製品が多く売れてしまえば、世界全体のCO2削減量は変わっていない事になるからです。

 また、環境関税を各国が採用すれば、CO2削減に同意していない国にも、実質的な効果が得られます。自国の製品を売る為には、CO2削減努力をしなくてはならない事になるからですね。

 2010年。中国がレアアースの輸出を制限した事が問題になりました。この時の中国の言い分の一つに環境問題があります。レアアース製造は、環境に対して悪影響なので輸出を制限したというのです。この主張を鵜呑みにするかどうかは別問題にして、中国のレアアース製造が、環境問題を引き起こしているのは事実です。そして、だからこそ、安価に輸出できていた、という事も。

 中国は、環境に対して配慮する事なくレアアースを製造していました。そして、それにより“安価なレアアース”を実現し、世界シェアを独占するまでに至ったのです。更に、突然の輸出制限で、世界市場を混乱させたのですが。

 初めから、環境関税を設定して中国のレアアースを高価にしておけば、こんな事態は防げたはずです。もちろん、発展途上国の多くが“環境関税の発想”に反対するのは目に見えていますから、それはスムーズにはいかないでしょう。しかし、やり方によっては、そうでもないかもしれない、とも僕は考えています。

 これまでの説明で分かったかもしれませんが、“環境問題対策”は、通貨循環を増加させる方向で行えば、経済を成長させます。そしてそれは、発展途上国にとっても、歓迎すべき事なのです。ですから、日本で、“環境問題対策”による経済成長に成功したなら、環境関税にも同意を示す可能性は高くなります(もちろん、先進国は技術協力をすべきですが)。

 実を言うのなら、僕はこれから人間社会が進むべき方向は、この“考え方”及びに“発想”しかないと考えています。

 “環境問題対策”を経済成長に繋げ、それにより同時に資源節約をも実現していく。

 そうしなければ、今のまま、先進国並みに発展途上国が経済成長してしまったなら、資源枯渇や環境問題が著しく悪化し、世界は崩壊します。酷い戦争や、悪化した環境の中での生活を強いられるでしょう。よく言われる事ですが、世界中の人々がアメリカ人並みの生活を送ったら、世界は保てないのです。

 そして、ここ数年の先進諸国の停滞した経済情勢を観ても、“環境問題対策”により経済成長を起こす必要性がある点は強調できます。これには証拠があります。では、最後にそれを説明したいと思います。

 

 2010年の世界経済の大きな特徴の一つに、“通貨安競争”があります。日本の円もこの煽りで高くなってしまいました(つまりは、日本は通貨安競争に負けているって話なのですが)。

 普通、通貨価値はその国の経済力の高さを示すと言われています。ところが、この通貨安競争ではそうはなっていません。何しろ、国際競争力を大きく下げた日本の通貨が高くなってしまっているのですから。これは、一体どうしてなのでしょうか? それを理解する為には、まず通貨高通貨安の意味から説明しなくてはいけないでしょう。

 経済の本を読むと、色々と書いてありますが、細かい点を省略して輸入と輸出に焦点を当てて極簡単に説明すると、通貨が高くなるとは、“買う力”が強くなる事です。通貨が高くなると外国の製品を、より多く買えるようになると思ってくれて問題ありません。だから、輸入が強くなります。そして、反対に通貨が安くなるとは“売る力”が強くなる事です。もちろん、輸出が強くなります。

 これは逆も真で、通貨高になれば、“売る力”が弱くなりますし、通貨安になれば、“買う力”が弱くなります。

 

 つまり通貨は、

 高くなると、物を多く買えるけど、売れなくなる。

 安くなると、物を多くは買えないけど、売れるようになる。

 という事になります。

 

 では、これを踏まえた上で“通貨安競争”の現状について考えてみましょう。

 各国が通貨安を望むとは、つまりは“売る力”を強くしようとしているという事です。それは、世界的に需要が低迷している事を意味します。需要よりも供給の方が高い。この状態が長らく続いているのです。つまり“通貨安競争”の背景には、圧倒的な需要不足があるのです。

 日本と違って、外国…、特にアメリカは新産業の育成に力を入れてきました。ところが、この世界経済の現状を観るに、それは需要増をもたらしてはいません。ならば、全体的に消費需要は飽和点を迎えている、と捉えるべきではないのでしょうか?

 だから、ヨーロッパもアメリカもそして日本も深刻な経済的問題点を抱え、そこから抜け出す糸口を見つけられていない。

 しかし、今まで説明したように、環境問題対策をそのまま“需要”にするのなら、その問題は解決できます。

 また、物理的にもそれは必要です。

 先に説明しましたが、このままの状態で発展途上国が経済成長をし続ければ、環境問題は加速しますし、何より資源問題は致命的なまでに悪化します。そして、世界経済はその方向へと向かっているのです。

 製品が安ければ、販売に有利になる。だから、生産拠点はコストが安く済む発展途上国に移動する。すると、その地で経済は発展します。ところが、経済が発展すると、安く製品を製造できなくなってしまう。結果的に、新たな発展途上国を求めて生産拠点がまた移動する事になる。すると、またその地の経済が発展する。

 基本的には、このような流れで発展途上国は経済成長をし続けています。この流れは、恐らく、止まらないでしょう。もちろん、これは歓迎すべき流れでもあります。世界の貧困を救う要因の一つにもなるでしょう。先進国にとっても、それは新たな市場の誕生を意味しますから、決してマイナス点ばかりがある訳じゃない(そうでなければ、日本は今頃、もっと酷い状態になっているはずです)。

 しかし、売るために人件費を安くするという点に固執すると、それは本質的な経済発展には結び付かない可能性があります。もちろん、その国の生活水準は向上しません。経済競争に勝っても、人々は貧困、という事になりかねないのです。それはその国にとっても不幸でしょう。そして更に、そうなれば、CO2削減や、資源再利用などの各種問題点を解決する流れには繋がっていかないのです(コストが高くなるからですが)。

 日本だけの問題ではなく、世界の問題解決として、環境問題対策をそのまま“需要”にする、という発想は重要です。そして、その為には、通貨循環生成政策かこれと似た経済政策が必要になるはずなのです。

 また、先に述べましたが、これは財政問題解決と経済成長を同時に達成しなくてはならない、という日本が(日本だけじゃありませんが)抱えている難題。それを解決できる方法でもあります。景気が回復すれば、当然、税収も上がりますから。ただし、莫大な額の借金を放置したままでは、景気回復と共に、金利が上昇し国家破産を引き起こすという、悲劇的かつ喜劇的な結末を迎えかねませんから、注意が必要ですが。

 

 よく悲観的な意見を耳にしますが、冷静に問題を分析すれば、必ず解決の糸口は見つかるものです。

 今はインターネットという便利なものがあり、個人が行動し易い時代です。自分自身が助かる為に、どうか、皆さん、行動してください。

 今回は、以上で終わりにしたいと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 日本の経済政策について様々な角度から述べられており、とても面白いと思います。 [一言] 似たようなお話が1980年代後半にもあったような気がします。プラザ合意後の急激な円高不況に対応するた…
[一言] なるほど! これが実現されれば、未来は少し明るくなるような気がします。 それにしても、増税がそんな風に作用して経済発展に繋がるとは……無知な一市民の目から鱗が一枚はげ落ちました。 この政…
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