第六話:掘割の残り香と、商人の意地
『梅の屋:騒動記』
第六話:掘割の残り香と、商人の意地
大坂の夏は、石畳から立ち上る陽炎の中に、水の匂いと揚げ物の香気が混ざり合う、むせ返るような活気に満ちている。
ここ船場の「梅の屋」の奥座敷からは、昼下がりだというのに、景気の良い笑い声と、時折机を叩くような激しい議論の音が漏れ聞こえていた。
「……そやから言うたやろ! あの道頓さんがおらなんだら、今の道頓堀も、芝居小屋の賑わいもあらへんかったんや!」
別の座敷では、非番の源之丞が、梅子の運んできた冷やし素麺を前に、静かに耳を澄ませていた。
「……梅子殿、あちらの座敷は、随分と熱が入っているようだが」
「船場の薬種問屋の大旦那衆やわ。近頃、公儀が掘割の管理を一段と厳しくしはるから、不満が溜まってはるんやね」
十六歳の梅子は、困ったような、それでいてどこか誇らしげな微笑みを浮かべて答える。
襖一枚隔てた向こう側では、冷えた酒も手伝ってか、旦那衆の話はさらに熱を帯びていく。
「冬の陣の折、道頓さんはお城に入らはった。家康公から『あんたほどの男が、なぜ豊臣に付く。城を出て工事を続けよ』と諭されても、『わしは大坂の土と水に恩があるさかい、ここを離れられまへん』と笑うて散らはったんや……。あの人が命懸けで掘った溝が、今の天下の台所を支えてる。それを、後から来たお城の役人どもときたら、土砂が詰まったの、船が通りにくいだの、好き勝手言いおって!」
「しっ、旦那、声が大きおます! お隣には奉行所の御同心様がおられるんやで!」
「構うかい! 源蔵さんの娘・梅子ちゃんが作るこの『鱧の落とし』を食うてたら、嘘はつけん! 道頓さんは、大坂を愛した。わしら商人は、その遺志を継ぐんや。お城の言いなりにはならんぞ!」
その言葉を壁越しに聴きながら、源之丞は箸を止めた。
奉行所の同心として、公儀の法を正し、城代の意を汲むのが己の役目。だが、この街の根底には、法よりも深く、強く流れる「道頓の志」という名の、目に見えぬ掘割が通っている。
源之丞は、目の前の素麺を一口啜り、その喉越しを確かめるように目を閉じた。
出汁の奥に潜む、わずかな茗荷の清涼感。それは、どんなに世が変わろうとも、変わらぬ技と心で客を迎える「梅の屋」の矜持そのものだった。
「……梅子殿。この街の人は、本当に道頓殿を愛しているのだな。公儀が何を命じようとも、彼らの心までは埋め立てることはできまい」
梅子は、空いた皿を片付けながら、仏壇の父・源蔵の遺影をそっと見上げた。
「お父ちゃんも言うてました。『道頓さんの掘った川は、大坂の血筋や。血が止まったら、街は死ぬ。役人は法で縛るけど、うちらは味で血を巡らせるんや』って。源之丞さん、あんたも大坂の血を止めんように、上手いことやってな」
源之丞は、壁の向こうの喧騒を、もう「不敬」とは感じていなかった。
彼は立ち上がり、お菊が用意した「養生の薬酒」を盆に乗せると、自ら隣の座敷の襖を静かに開けた。
「……お話し中失礼。同心の吉本である」
旦那衆は一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、慌てて盃を置いた。
「……こら、御同心様。不敬な物言いを、お聞きに……?」
源之丞は微かに口角を上げ、薬酒の瓶を中央に置いた。
「道頓殿の話、感服した。公儀の法は厳しきものだが、この源之丞、大坂の血を止めるような無粋な真似はいたさん。……さあ、このお菊殿特製の酒で、その熱い胸を少し冷やされよ。明日からの商いも、この街のために励んでいただかねば困る」
旦那衆は顔を見合わせ、やがて一人が「……へへっ、こら一本取られましたな。奉行所にも、これほど出汁の効いた御仁がおるとは」と、照れ笑いを浮かべた。
元和の世。城代が睨みを利かす大坂城下。
だが、梅の屋の座敷では、かつての英雄・道頓を偲ぶ香りと、それを包み込む若き同心の度量が、琥珀色の酒の中で静かに溶け合っていた。
【本日のお献立:道頓を偲ぶ夏の陣膳】
鱧の落とし・梅肉添え: 道頓堀の開削によって物流が良くなり、鮮度を保ったまま届くようになった夏の恵み。梅子が「一寸二十四回」の細かさで骨切りした身は、湯引きされて真っ白な花のように咲く。
冷やし素麺・隠し茗荷: 道修町の冷水で締めた極細の麺。薬味の茗荷が、議論で熱くなった頭を冷やす養生の知恵。
お菊特製・養生薬酒: 桂皮と丁子を漬け込んだ、内臓の熱を取り、気を静めるための酒。
【後書き:時代考証】
安井道頓と道頓堀:
道頓は、夏の陣の直前に掘割の開削に着手しました。彼自身は戦死しましたが、徳川に降った従兄弟の安井九兵衛らが跡を継ぎ、元和元年に完成させました。徳川秀忠は道頓の功績を認め、その名を川に残すことを許したと言われています。そのため、大坂町人にとって道頓堀は「商人の意地の象徴」でした。
元和の商人:
この時期の大坂商人は、まだ豊臣への思慕が強く、幕府に対しては「商売をさせてくれるなら従うが、自治は譲らない」という強いプライドを持っていました。




