第二十一話:船場の甘味と、鴻池の姫君
『梅の屋:騒動記』
第二十一話:船場の甘味と、鴻池の姫君
「源之丞さん、今日は非番やろ? 船場の『菓子屋』まで、一緒に来てぇな。松子姉ちゃんも行きたい言うてるんや」
朝から竹子が、新調した若草色の着物を翻して源之丞を急かした。近頃、船場の呉服屋の並びに、南蛮渡りの技法を取り入れた目新しい菓子を出す店ができたと、大坂の女子たちの間で評判なのだ。
「……菓子か。柄にもないが、松子が望むなら共をしよう」
源之丞は、藍色の小袖を端裏まで整え、照れ隠しに刀の柄を軽く叩いた。
松子は、源之丞の隣に並べるのがよほど嬉しいのか、いつもより少し紅を濃く引き、しとやかな歩みで二人に続いた。
船場、北浜に近い一角。
目当ての菓子屋の前に着くと、そこには一台の豪華な塗駕籠が止まり、何やら揉め事が起きていた。
「これ、通してとおくれやす! 私はこのお菓子を、おじい様に差し上げたいだけやのに!」
駕籠から降りていたのは、まだ十歳ばかりの、だが着ている振袖の柄一つとっても目が眩むような高級品を纏った少女であった。彼女は大坂随一の豪商、鴻池家の孫娘・お琴である。
彼女の行く手を阻んでいたのは、質の悪い野良犬のような素浪人どもであった。
「へっへぇ、鴻池のお嬢さん。そんなに菓子が欲しけりゃ、その指についてる綺麗な石を一つ置いていきな。そうすりゃ、道を開けてやるぜ」
周囲の町人たちは、鴻池の名に恐れをなして遠巻きに見守るばかり。
源之丞は松子の手をそっと離し、一歩前へ出た。
「……そこまでだ。女子を寄ってたかって脅すとは、侍の風上にも置けぬな」
「あぁん? どこの馬鹿だ、てめぇ……って、その小袖、西町の……」
源之丞の鋭い眼光と、身に纏う独特の威厳に、浪人たちは一瞬で毒気を抜かれた。源之丞は刀を抜くこともなく、ただ一言。
「この子の背後には、大坂の八百八橋を支える鴻池の力がある。そして俺の後ろには、西町奉行所の法がある。……どちらを敵に回したい?」
浪人たちは顔を見合わせ、捨て台詞を残して蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「……おおきに、お侍様。助かりました」
お琴は、ませた口調ながらも、丁寧に頭を下げた。竹子が「怖かったねぇ、さあ、お菓子買お!」と彼女の背中を叩くのを見て、源之丞は苦笑いするしかなかった。
数日後。
「梅の屋」の暖簾を、鴻池の子番頭が丁重に潜り抜けた。
「先日は、うちのお嬢様がお世話になりました。これは旦那様……鴻池善右衛門からの、ほんの御礼の品にございます」
届けられたのは、目が覚めるほど鮮やかな**『有平糖』と、繊細な菊の紋を象った『落雁』**の詰め合わせであった。
「……うわぁ! 綺麗! 食べるのがもったいないくらいやわ」
梅子が目を輝かせ、竹子と松子も、その贅沢な甘味の香りに包まれて、幸せそうな溜息をついた。
源之丞は、有平糖を一口齧り、その混じりけのない甘さに、大坂という街の「豊かさ」と、それを守る己の役目の重さを、改めて噛み締めるのであった。
【本日のお献立:鴻池からの贈り物・甘味膳】
有平糖: 南蛮から伝わった製法で作られた、色鮮やかな飴細工。当時は非常に貴重な砂糖を贅沢に使い、宝石のように輝く。
菊紋の落雁: 和三盆を型押しした、口の中で雪のように解ける菓子。鴻池家の品格を感じさせる一品。
梅子特製・濃い目の中之島茶: 甘い菓子の後口をさっぱりとさせる、深みのある緑茶。
【後書き:時代考証】
鴻池家:
伊丹での酒造から始まり、大坂で海運、そして両替商として巨万の富を築いた大豪商。大名貸(諸大名への融資)を行うなど、当時の経済界の頂点に君臨していました。
有平糖と砂糖:
元和年間、砂糖はまだ輸入に頼る高価な薬のような存在でした。有平糖は、その砂糖を煮詰めて作る高級菓子であり、豪商からの礼品としては最高級の部類に入ります。




