第十六話:遠き身内と、板場の再会
『梅の屋:騒動記』
第十六話:遠き身内と、板場の再会
北浜での激闘から数日。宗久の捕縛により、大坂を揺るがした密貿易事件は一応の解決を見た。
しかし、源之丞の心は晴れぬままだった。
源之丞の家系は、もともと「復興の父」松平忠明の家来。忠明が大和郡山へ転封となる際、父・源右衛門は大坂の行く末を案じ、この地に残る道を選んだ。父の尽力で西町奉行所の同心に収まった源之丞だったが、古くからの「地附」の武士たちからは「余所者」と冷ややかな目で見られ、奉行所内に友と呼べる者は、あの兵馬くらいしかいなかった。
だからこそ、源之丞は誰よりも働き、誰よりも大坂を愛そうとした。
そして、その生き様ゆえに、身内との間には深い溝ができていた。
「……源之丞さん。お母様とお弟様、明日ここへ来はるんやね」
板場で、松子が少し緊張した面持ちで、新調した藍色の小袖の襟を正した。
松子との結婚は、家格を重んじる父の猛反対に遭った。母・お志津は、頑固な父に逆らえず、二人の祝言にも姿を見せなかった。しかし、息子が守り抜いた大坂の平穏を耳にし、ついに「一度、嫁殿に会いたい」と、二十二歳になる弟・源三郎を伴って梅の屋を訪ねることになったのだ。
翌日、梅の屋の暖簾をくぐったのは、上品だがどこか寂しげな目をしたお志津と、若さゆえの血気盛んな風貌の源三郎であった。
「……兄上。お久しゅうございます」
源三郎の挨拶は硬い。彼は父の傍で、兄を「家を捨てた男」と見なすよう教え込まれてきたのだ。
だが、奥座敷で彼らを迎えたのは、お菊の淹れた香り高い茶と、松子の控えめながらも凛とした挨拶。そして、板場から溢れんばかりの活気であった。
「さあさあ、お堅い話は抜きや! 今日はお祝いやもん!」
元気よく膳を運んできたのは、二十一歳の二姉・竹子だ。
彼女は、火を操る者特有の生命力に満ち、眩いばかりの若草色の小袖を翻して、源三郎の前に座った。
「あんたが源之丞さんの弟さん? 似てるような、似てへんような……。ほら、これ食べ。うちが一生懸命焼いた、鯛の木の芽焼きや」
竹子がひまわりのような笑顔で皿を置いた瞬間、源三郎の動きが止まった。
箸を持とうとした手が空中で止まり、その目は、竹子の瞳に釘付けになった。
武家の厳格な家庭で育ち、「女子は三歩下がって」と教えられてきた源三郎にとって、竹子のような自由で鮮やかな女性は、雷に打たれたような衝撃であった。
「……っ。あ、ありがたく、頂戴する」
顔を真っ赤にして俯く源三郎。それを見て、お志津は松子の手を取り、静かに涙を浮かべた。
「……松子殿。源之丞がこれほど温かい場所を見つけたこと、母として誇りに思います。……頑固な父も、いつかこの味を知れば、きっと……」
源之丞は、その光景を板場の隅から見守っていた。
孤独な外様同心として戦い続けてきた彼が、初めて「自分の居場所」が繋がっていくのを感じた瞬間であった。
しかし、竹子は源三郎の熱い視線に全く気づかず、「もっと食べや!」と、山盛りの飯を次々と勧めている。その様子に、梅子が横からクスクスと笑い声を上げた。
【本日のお献立:繋がりの祝膳】
真鯛の木の芽焼き: 竹子が強火の遠火でじっくりと焼き上げた一品。山椒の芽の香りが、わだかまりを解かす。
彩り蒸し寿司: 三姉妹の着物の色を模した、華やかなちらし寿司。お菊と松子が心を込めて盛り付けた。
白玉の冷やし汁粉: お志津と源三郎の緊張を解きほぐす、優しい甘みのデザート。
【後書き:時代考証】
地附の武士:
大坂が徳川直轄地になる前からこの地に住んでいた武士や、夏の陣後に土着した者たち。新しく入ってきた同心や役人を「外様」として排斥する傾向が少なからずありました。
松平忠明の家来:
忠明は大坂の街を作った功労者ですが、彼が去った後の大坂でその家来が残ることは、ある種の「旧勢力の残り火」と見なされ、苦労も多かったと推測されます。




