第十二話:道修町の闇と、消えた香薬
『梅の屋:騒動記』
第十二話:道修町の闇と、消えた香薬
東横堀川の泥濘から引き上げられた三河屋清次郎の亡骸と、その首筋に残された「鋼のような鱗」。
源之丞に「外出禁止」を言い渡された梅子は、悔しさを押し殺し、今日も「梅の屋」の板場で包丁を振るっていた。
「……トントントン、トントントン」
大根を刻む音が、いつもより鋭く響く。
「梅子、そのあたりで。大根が泣いていますよ」
母・お菊が、静かにまな板を指差した。梅子はハッとして手を止める。
「……ごめん、お母ちゃん。でも、源之丞さんが一人で、あの気味の悪い鱗の正体を追ってると思うと、居ても立ってもいられへんのや」
「源之丞殿を信じなさい。あの方は今、大坂の街を守るために、己の誇りを賭けておられるのですから」
その頃、源之丞は、岡っ引きの辰三と共に、町人の姿に身をやつし、道修町の薬種問屋街を歩いていた。
夕闇に包まれた道修町には、生薬の独特の香りが霧のように立ち込めている。
「旦那、あそこでさぁ……」
辰三が顎で示したのは、大手の薬種問屋の陰に隠れるように建つ、古びた蔵であった。
そこは、殺された清次郎が頻繁に出入りしていたという、中規模の薬種商『鳴海屋』の裏手だ。
「……清次郎は、ここで何を買っていたのだ」
「表向きは、奥方への気付け薬だと言ってましたが……実際は、住友の銅吹所から流れてきた『削り銅』を、南蛮の禁制品である『龍涎香の細工物』と交換するための繋ぎ場所だったようで」
源之丞の目が鋭く光る。
密貿易。それも、お城(城代)の普請で使う資材や、住友の銅を横流しし、代わりに異国の禁断の香りを手に入れる。三河屋の若旦那は、その甘い香りに誘われ、深入りしすぎたがゆえに消されたのだ。
「……門を開けろ。町奉行所の検分である!」
源之丞が偽装を解き、一気に蔵へ踏み込む。
中には、鳴海屋の主と、異様な風体の浪人たちが、まさに「鱗の細工」を木箱に詰めている最中であった。
「吉本源之丞! 貴様、余計な首を突っ込みおって……! 殺せ! 一人も生かして帰すな!」
浪人たちがアイクチを抜き、月光の届かぬ蔵の中で源之丞に襲いかかる。
源之丞の十手が、暗闇を切り裂く一閃を放った。
一方、梅の屋では。
梅子が、源之丞たちの夜食にと、**「焼き味噌の握り飯」**を握り終えていた。
その時、梅子の鼻が、わずかな異変を察知した。
「……この匂い。源之丞さんが言うてた、あの『生臭い鱗』の匂いがする」
店の外、闇に紛れて、数人の影が「梅の屋」を囲み始めていた。
源之丞が踏み込んだ報復に、賊の残党が、最も脆い「家族」を狙いに来たのである。
【本日のお献立:戦う男たちの夜食】
鉄火味噌の握り飯: 生姜と牛蒡を細かく刻み、味噌と共にじっくり練り上げた「鉄火味噌」を芯に入れたおにぎり。表面を香ばしく焼き上げ、冷めても味が落ちず、懐に入れても崩れない。
冷やし葛練り・山葵添え: お菊が用意した、喉を通りやすく、気を落ち着かせるための涼味。
【後書き:時代考証】
龍涎香:
マッコウクジラの腸内に発生する結石で、当時「究極の香料」として珍重されました。南蛮貿易でも極めて高値で取引され、幕府の許可なく所持することは重罪となることもありました。この「禁断の香り」が、大坂の豪商たちを狂わせたのです。
銅吹所:
住友が大坂に築いた銅の精錬所。当時の日本の銅は世界最高品質であり、海外輸出の目玉でした。それゆえ、その一部を横流しすることは、現代の金塊を盗む以上の巨利を生む犯罪でした。




