第十一話:籠もりの板場と、雑喉場の鑑定
『梅の屋:騒動記』
第十一話:籠もりの板場と、雑喉場の鑑定
東横堀の泥濘から上がった、三河屋清次郎の亡骸。
アイクチによる数箇所の刺し傷は、犯人の底知れぬ殺意と執念を物語っていた。
「……梅子。お前は今日から、この店の敷居を一歩も跨いではならん」
翌朝、源之丞は「梅の屋」の板場に立ち、かつてないほど厳しい声音で告げた。
三姉妹が新調したばかりの着物を着て、天神祭の宵宮へ出かける計画も、これで立ち消えとなった。
「えっ……なんで? 私はただ、あの鱗が気になって……」
梅子が食い下がろうとするが、源之丞はそれを力強く遮った。
「あの鱗は、大坂の海にいる魚のものではない。……そして、清次郎を殺めたのは、お前が相手にできるような端くれの泥棒ではないのだ。犯人は、自分たちの正体を知る『目』を、片っ端から潰しに来る。お前のその鋭い鼻と知恵が、奴らにとって最大の脅威になるかもしれんのだ」
母・お菊が、静かに梅子の肩を抱いた。
「梅子。源之丞殿の仰る通りです。……今は、この板場を『城』としなさい。私たちはここで、源之丞殿たちが無事に帰るための膳を整える。それが、今の私たちの戦いです」
梅子は悔しさに唇を噛んだが、父・源蔵の遺影が、どこか案じるように自分を見つめているのに気づき、小さく頷いた。
「……わかった。私、外へは出えへん。その代わり、源之丞さん。……絶対に、生きて帰ってきてな」
源之丞が店を出ると、そこには茂平が、雑喉場の甚平から聞き出してきたばかりの報告を持って待っていた。
「旦那! 甚平の旦那が、あの鱗を見て腰を抜かしてやがりました。あれは……魚じゃねぇ。長崎の方から密かに持ち込まれた、『鱗粉を固めた金色の細工』。……住友の銅と引き換えに、南蛮人が持ち込んだ禁制品の一部に違いねぇって!」
「……密貿易か」
源之丞の瞳に、冷徹な火が灯る。
三河屋の若旦那は、足袋の商いの裏で、道修町の薬種問屋を介し、この禁忌の取引に足を踏み入れていたのか。
「辰三、茂平。これからは人相書きだけでは足りん。道修町の蔵、そして住友の銅吹所の周辺を、影のように洗え。……いいか、奴らは『お城』の役人の影すらも嗅ぎ取る。我らもまた、町の闇に紛れるぞ」
板場に籠もった梅子は、外の世界の不穏な風を感じながら、無言で大根を刻み始めた。
トントントン、と規則正しく響く包丁の音は、まるで彼女の不安を打ち消そうとする鼓動のようであった。
【本日のお献立:籠もりの日の始末膳】
叩き大根の梅和え: 外に出られない梅子が、板場にある素材で「怒りと不安」を叩き潰すようにして作った一品。梅干しの酸味が、滞った気を晴らす。
根菜の泥亀煮: 牛蒡や蓮根を、皮ごと濃い口の醤油で煮込んだもの。土の下でじっと耐える力を蓄えるための養生。
焼き味噌おにぎり: もし急な捕物があっても、すぐに懐に入れて走れるよう、梅子が源之丞たちのために握り、表面を香ばしく焼き固めた。
【後書き:時代考証】
密貿易と南蛮細工:
元和年間、幕府は海外貿易を厳格に管理(後の鎖国へ繋がる過程)していましたが、大坂の豪商や有力者は、長崎を経由して届く南蛮の工芸品や薬品を「禁制品」として密かに取引することがありました。特に住友が扱う「銅」は海外で非常に価値が高く、密貿易の主役となることが多かったのです。
板場の女性と危険:
奉行所の同心が家族に「外へ出るな」と命じるのは、単なる過保護ではなく、犯人側が家族を拉致して役人を脅す「人質」の手段を常套手段としていたためです。




