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第5話:清潔なる世界、そして「次の汚れ」へ

 大広間に、鉄靴の音が轟いた。


 それは無秩序な暴力の音ではない。リリエルの掃除道具の一つであるかのように、整然と統率された帝国兵たちの足音だった。


「確保せよ。この国の『汚物』どもを、一匹残らず掃き出せ」


 アレクセイ皇帝の号令一下、黒い鎧の兵士たちが雪崩れ込む。

 抵抗しようとした王国の近衛兵たちは、すでにリリエルの『強制洗浄』によって武器の錆や手入れ不足を露呈させられており、剣を抜くことさえできずに制圧されていく。


 会場は阿鼻叫喚の巷と化していた。

 だが、その混乱の中心で、ギルバート王子とミリア聖女だけが、時が止まったかのように立ち尽くしていた。


 壁に浮かび上がった無数の罪状。

 自分たちの肌に刻まれた、不貞と堕落の烙印。

 それらは、どんなに擦っても、どんな魔法を使っても消えることはない。リリエルが定着させた『真実のインク』は、彼らが罪を償うその日まで、影のように張り付いて離れないのだ。


「ち、違う……嘘だ……」


 ギルバートがガタガタと震えながら、後ずさる。

 その目には、現実を受け入れられない幼児のような怯えが浮かんでいた。


「俺は悪くない……! そうだ、あいつらが、あの『黒い商人』たちが唆したんだ! 俺はただ、少しばかり甘い汁を吸わせてもらっただけで……!」


 見苦しい弁解。

 アレクセイが冷ややかな視線を向けると、兵士の一人が王子の腕を乱暴にねじり上げた。


「痛い! 放せ! 俺はこの国の第一王子だぞ!」


「元、王子でしょう」


 リリエルが静かに歩み寄る。

 彼女の手には、先ほどまで王子の悪事を暴いていた白い杖が握られている。ギルバートは反射的に身体を竦めた。またあの恐ろしい掃除をされると思ったのだろう。


 だが、リリエルは杖を振り上げなかった。

 ただ、淡々と事務的な口調で告げる。


「先ほど、陛下と貴国の国王陛下との間で、緊急の魔法通信が行われました。壁に浮かび上がった証拠映像も、全て送信済みです」


「な、なんだと……父上が、知ったというのか?」


「ええ。国王陛下は激怒され、その場で貴方様の王位継承権の剥奪と、身分の廃止を決定されました。ミリア様も同様、聖女の称号は剥奪。教会へ破門の申請が出されております」


 ミリアが「ひっ」と短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

 汚れの浮き出たドレスが床の腐った果汁を吸い込み、さらに無惨に汚れていく。


「そんな……私は聖女よ……次期王妃になるはずだったのに……」


「お可哀想に。ご自身のドレスの管理もできない方に、国の管理などできるはずもございません」


 リリエルは冷たく突き放した。


「ま、待ってくれリリエル!」


 ギルバートが地面に這いつくばり、リリエルの靴に縋り付こうとした。

 泥と脂にまみれた手が伸びる。


「俺が悪かった! お前が必要なんだ! お前がいないと、この城は腐ってしまう! 頼む、戻ってきてくれ! 給金は倍にする! いや、三倍でもいい!」


 その言葉に、会場の誰もが軽蔑の色を浮かべた。

 先ほどまで彼女を「ゴミ」と呼び、追放した男の台詞とは思えない。プライドも矜持もない、ただの寄生虫の叫びだった。


 リリエルは、自分の靴先に伸びてきた手を、ひらりと躱した。

 汚いものに触れることを拒絶するように。


「お断りいたします」


 彼女は眼鏡の奥の瞳を細め、氷のような微笑を浮かべた。


「私は現在、バルバロッサ帝国の筆頭清掃官、兼、皇帝陛下の婚約者でございます。私の清掃スキルは、陛下という『無菌室』を維持するためにのみ捧げられるもの。……生ゴミの処理係に戻るつもりは毛頭ございません」


「そ、そんな……」


「それに、殿下。いいえ、罪人ギルバート」


 リリエルは身を屈め、王子の耳元で囁いた。


「貴方はご自身で掃除をするべきです。地下牢の冷たい石床を、その舌で舐めて綺麗にするくらいの覚悟で……ご自身の魂の汚れと向き合いなさいませ」


 それが、最後の宣告だった。

 アレクセイが手を振ると、兵士たちがギルバートとミリアを引きずり出していく。


「嫌だ! 嫌だあああ! 誰か助けてくれ! 俺は王子だぞおおお!」

「私のドレスが! 宝石が! 放してえええ!」


 二人の絶叫が、腐敗した広間に虚しく木霊する。

 だが、誰も助けようとはしない。

 彼らが長年積み重ねてきた悪臭に、誰もが鼻をつまみ、背を向けたのだ。


 騒ぎが去った後、広間には重苦しい静寂だけが残った。

 壁の告発文だけが、変わらず彼らの罪を主張し続けている。


「……さて」


 アレクセイがリリエルの肩を抱き寄せた。

 彼は懐から清潔なハンカチを取り出すと、リリエルの頬に飛んだ微かな埃を優しく拭い取った。


「掃除は終わったな。……帰ろう、リリエル。ここの空気は、私には少し毒が強すぎる」


「はい、陛下。……ただちに、洗いたてのシーツと温かい紅茶が待つ、我らの城へ」


 二人は腕を組み、堂々と広間を後にした。

 背後で、王国という巨大なシステムが音を立てて崩壊していく気配を感じながら。


          ***


 それから数日後。

 かつての王国は、事実上の解体を迎えていた。

 王城の衛生環境崩壊を発端に、疫病の発生、食料庫の腐敗、そして王族の不正発覚による民衆の暴動。これらがドミノ倒しのように連鎖し、国家機能が麻痺したのだ。

 現在は帝国の管理下に置かれ、大規模な「消毒」と組織再編が行われている。


 地下牢の最深部では、かつての王子と聖女が、ボロボロの雑巾を手渡され、カビの生えた石床を泣きながら磨いているという噂だ。彼らの手についた汚れは、一生落ちることはないだろう。


 対照的に、バルバロッサ帝国は黄金時代を迎えていた。


 朝の光が降り注ぐ、白亜のバルコニー。

 そこには、一点の曇りもないティーセットと、焼きたてのスコーンの香ばしい匂いがあった。


「……平和だ」


 アレクセイはティーカップを傾け、心底幸せそうに目を細めた。

 彼の肌艶は以前より遥かに良く、神経質だった眉間のシワも消えている。


「君の淹れる紅茶は、なぜこうも雑味がないのだろう。まるで朝露をそのまま飲んでいるようだ」


「温度管理と、茶葉の選別。そして何より、ポット内部の『水垢』をミクロ単位で除去しているからです」


 リリエルは彼の隣で、新しい書類の束に目を通しながら答えた。

 彼女の薬指には、アレクセイから贈られた巨大なダイヤモンドの指輪が輝いている。その透明度は、彼女の清掃スキルを象徴するかのように高く、陽光を反射して虹色の光を放っていた。


「リリエル、仕事はほどほどにして、私の相手をしてくれないか? 最近、君は忙しすぎる」


 アレクセイが甘えるようにリリエルの腰に手を回す。

 リリエルは苦笑しつつ、彼の手の甲に自分の手を重ねた。


「申し訳ありません、あなた。ですが……どうやら『大掃除』は、まだ終わらないようなのです」


 リリエルは、手元の書類――あの日、王城から押収した『裏帳簿』の写しをテーブルに広げた。


 そこには、ギルバート王子を操っていた黒幕の名前が、薄っすらと浮かび上がっていた。

 それは一国の王子など足元にも及ばない、大陸全土に根を張る巨大な組織の名。


『聖教会・枢機卿団』


 そして、東の大国を支配する『黒の商会』の印。


 リリエルは、ギルバートが最後に叫んでいた言葉を思い出していた。

 ――あいつらが、唆したんだ。


「この世にはまだ、頑固な油汚れのようにしつこい『巨悪』がこびりついているようです。彼らは神の教えや経済活動を隠れ蓑にして、弱者から搾取し、世界を汚し続けています」


 リリエルの眼鏡が、キラリと鋭い光を放った。

 それは愛する夫に見せる妻の顔ではなく、戦場へ向かう戦士の顔だった。


「陛下。私の掃除用具スキルは、まだメンテナンス万全です。……次は、もう少し大きな『ゴミ袋』が必要になるかもしれませんね」


 アレクセイは帳簿の文字を一瞥し、そしてニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。


「いいだろう。私の愛する世界を汚す害虫どもだ。君が望むなら、大陸の果てまで付き合おう」


 彼はリリエルの手を取り、その指輪に口付けた。


「行こう、リリエル。我々の『清掃行脚ハネムーン』は、ここからが本番だ」


 風が吹き抜け、二人の髪を揺らす。

 その風は、どこまでも澄み渡り、新しい時代の匂いを運んできていた。


 掃除のプロフェッショナル、リリエル。

 彼女が通り過ぎた後には、埃ひとつ、悪ひとつ残らない。

 その伝説は、まだ始まったばかりである。


 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。


 『「君の掃除はただの家事だ」と婚約破棄され追放された筆頭侍女』、いかがでしたでしょうか。


 理不尽な扱いを受けてきたリリエルが、自身のスキルとプライドを武器に、腐敗した者たちを物理的にも社会的にも掃除する姿を楽しんでいただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。


 さて、物語は一つの区切りを迎えましたが、リリエルとアレクセイの清掃行脚はまだ始まったばかりです。


 第5話の最後で少し触れましたが、この世界にはまだ、手強い頑固な汚れが残っております。

 神の教えを隠れ蓑に私腹を肥やす聖教会、大陸の経済を裏で操る黒い商会。

 彼らは王子たちとは比べ物にならないほど強力で、そして不潔です。


 リリエルはすでに、新しい洗剤という名の戦術の調合を始めております。

 潔癖症の皇帝陛下も、愛する妻のために軍隊を動かす気満々です。


 もし、この続きである聖教会・枢機卿編や、リリエルとアレクセイの甘々な新婚旅行、いえ浄化ツアーを読みたいと思っていただけましたら、ぜひ皆様の力をお貸しください。


 【読者の皆様へのお願い】


 このページの下にございます【☆☆☆☆☆】のマークから、評価をいただけますでしょうか。


 皆様からの【★★★★★】という評価と、温かい感想が、リリエルの最強の掃除用具となります。

 ポイントが集まれば、すぐにでも彼らを新しい戦場である新章へと送り出すことができます。


 スカッとした、ざまぁ最高、続きが読みたい。

 そう思っていただけた方は、ぜひブックマーク登録と、評価ボタンのクリックをお願いいたします。

 一瞬の手間で済みますが、その一瞬が、ランキング上位を目指す本作にとって、何よりの推進力になります。


 何卒、よろしくお願いいたします。


 ◆


 【おまけ:幕間のひとこま】


 すべての騒動が終わった夜、バルバロッサ帝国の寝室にて。


 アレクセイは、純白の天蓋付きベッドに腰掛け、湯上がりのリリエルを手招きした。


「リリエル、こっちへおいで」


「はい、陛下。髪を乾かしておりませんでしたので、少し湿っておりますが」


「構わない。むしろ、君の水滴なら聖水のようなものだ」


 アレクセイはリリエルを膝の上に乗せると、その濡れた髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「いい匂いだ。やはり君は、世界で一番清潔で、美しい」


「陛下こそ、良い香りがいたします。先ほど私が調合した、特製ハーブの入浴剤はいかがでしたか」


「最高だったよ。毛穴の一つ一つまで浄化された気分だ。だが、まだ少し、洗い残しがあるような気がしてね」


 アレクセイは妖艶に微笑むと、リリエルの首筋に熱い口付けを落とした。


「私の心の渇きという汚れを、君の愛で洗い流してくれないか。朝まで、たっぷりと」


「ふふ。承知いたしました。私の主人は、ずいぶんと甘えん坊で、手のかかるお客様のようです」


 リリエルは眼鏡を外し、サイドテーブルに置いた。

 今夜のお掃除は、どうやら長くなりそうだった。


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