8.出会い
気が付いたら、私の周囲は闇に包まれていた。
灯りをつけなきゃ、と、ウエストポーチに小型の懐中電灯を入れていたことを思い出し、取り出そうとすると――。
「痛っ!? ――あぁ、そっか、落とされたんだ」
左肩に走る痛みによって、それまでのことが急速に思い起こされた。
あの犬が起こした地割れに、私は落ちたのだ。サキはその時、犬が起こしたであろう何かによって弾き飛ばされていたため、完全に無防備だった。
痛みを堪えて、なんとかファスナーを開く。手探りに懐中電灯を掴むと、取り出してスイッチを押した。
そこは、洞窟であるらしい。落ちたであろう割れ目は存在せず、トンネルのような、湾曲した天井が見える。左肩を庇いながら身を起こして、更に周囲を確認する。
――あの犬がいた。
「ミツケタ」
はっきりと、その声が聞こえた。先程のような、襲ってくるような素振りは見られない。お座り、と命じられているかのような体勢には、少し和やかな部分も感じてしまう。
けれど、その身が纏う黒い靄は禍々しい。フォルムによってなんとか犬と分かるが、それがどのような、毛並みや、色などといったものは見えてこなかった。
「ミツケタ」
「そればっか、かよ」
胡座をかいて、肩の状態を確認する。
骨が折れた様子はない。恐らく、落ちた時に打ち付けたのだろう。無意識に利き腕は庇ったのだろうか。その点だけは幸運だった。もしもこのジャージがなかったら、もっと酷いことになっていただろう。
一番不幸な点は、アリスマリスと連絡が取れないことか。連絡と言っても、会話ではなく、彼女がこちらの様子をある程度モニターしているため、異変を察知してアクションを起こしてくれるのだ。
その、転移が発動されない。つまり、此処がサーチ出来ない場所、なのだろう。
「ミツケタ」
「他になにか言えないわけ?」
睨んでも、その表情の変化は分からない。この犬が何を求めているかも、分からない。分かるのは、彼の目的が私だ、ということか。
「私を食べても美味しくないよ? 多分、赤身なんてそんなにないだろうし、脂身だってそんなにないだろうし。ダイナとか、ほら、一緒にいた男の子。あっちの方が食べ応えがあると思うなぁ」
「……」
今度は無視かよ。あからさまにしてみせた溜息も、あえなく無視に終わった。
洞窟の中、ということもあって火を使うのに躊躇いがあったが、このままでは此方の身も危ないからと、懐中電灯を地面に置き、息を呑んでライターの火を灯してみた。
犬はなんのリアクションも起こさないが、私は構わずにタバコを吸う。ポーチの中には二箱ほどあるため、まだまだ余裕はある。けれど、脱出に手間取ればジリ貧だ。先ずは、此処から動かなくてはならない。
足は、動く。腰の左側が多少痛んだが、このくらいなら問題はないだろう。立ち上がると、犬も真似をした。
そっと、近寄ってくる。初めてのリアクションだ。象のような巨体は身がすくむほど迫力があるが、敵意のようなものは一切見られず、むしろ、何かを求めて甘えるような、そんな気配が見て取れる。
擦り寄ろうとしているのか、私の身体がその頭によって押し出された。
「おわっ、と。なに? なにか欲しいの? タバコ?」
犬は、懸命に煙を咥えようとしていた。その行動に、私の頭にはある疑惑が湧いて出た。
それは、今まで考えたこともなかったことだ。考える要素がなかった、とも言える。けれど、このような状況になってしまったのなら、考えざるを得ないこと。
……私達が、ダンジョンに入ることで魔力に侵食されるのなら、ダンジョンの中にいたものは、どうなのか。
もしもダンジョンにいるモンスターが、侵食されているのなら、それを和らげた時、どうなってしまうのか。
私は、ポーチの中からクッキーを取り出す。余ったおやつを入れておいたのだ。それを、地面に置いた。
「これが、食べたかったんじゃない?」
犬はクッキーに顔を寄せ、ひとしきり匂いを嗅いだ。そして、舌で絡め取って咀嚼を始めた。その変化は、徐々に現れることとなる。
口の周りから、徐々に黒い靄が晴れていく。白い体毛が顔を覗かせ、蒼く美しい瞳がこちらを見つめている。
黒い靄に包まれていた時は分からなかったが、胴体を覆う艷やかな長い体毛が、地面にまで届きそうになっている。サモエドのような顔だと思ったが、流石にそっくりな見た目というわけにはならないようだ。
「見つけた。ようやく、血脈を」
「言葉が通じそうなのに、意味分かんないんだけど」
犬はじっとこちらを見つめている。早く続きを話せと促したつもりだったのだが、どうやら通じなかったらしい。
顔に向かって煙を吐くと、煙多そうに目を細めた。
「何も知らない。そうか、元の場所に流れ着いた訳ではないのか。世界を超えた僅かな血脈と、こうして巡り会えたのだな」
「だから、もっと詳しく話しなさい。血脈って何のこと?」
「この方舟を作った者の証。その力を受け継がせるために、方舟は種を保存しながら、世界を渡るのだ」
これは、私の質問が悪いのだろうか。こういうときにサキや、アリスマリスがいれば話が早いのに、と溜息をこらえて煙を吸った。……結局は、吐き出すのだから。
「おーけー。分かった。一つづつ訊いていく。此処から脱出する道は?」
「貴女を外には連れ出せない。貴重な血脈を、危険な目には晒せない」
危険な目に合わせたのは、どこのどいつだよ。
そう思わず言ってやりたくなったが、話が拗れると厄介なので、次の質問に移ることにする。
「此処はなんなの?」
「廃棄口。本来は、不要な情報を流し出すためのもの」
「本来は、って。じゃあ、今は本来の使い方がされていないの?」
「多くのものを受け入れすぎた。廃棄する情報を整理できずに、溜め込むだけになってしまった」
「溜め込むと、どうなるの?」
「過剰な魔力となって、住むものを侵食する」
頭が痛くなってきた。つまり、自分なりに整理をしてみると――。
このメガダンジョン、つまり方舟は、種を保存しながら世界を渡り、その製作者の証を方々に残す役割を持っていた。恐らく、渡り歩いた世界で、そこにいる生物――、というよりその情報か。それを保存して回っていたのだろう。
すると、多くの世界を渡るに従って、その保存された生物は方舟のキャパシティを超えることになってしまう。本来はそのキャパシティを超えないように、不要な情報、要は既に保存されている物と同様なものは、廃棄されるように出来ていたのだろう。
しかし、その廃棄がうまくいかず、情報が溜まり、既に此処を住処としていた者、つまりは情報を、過剰な魔力となって侵食をし始めた。それで生まれたのが――。
「つまり、ここにいるモンスター、黒い靄の化け物は、本を正せばここに保存された生き物の情報、ってこと?」
「そうだ」
よく理解できたな、私。
「で、私はその、方舟を作った人の血脈なんだ」
「そうだ。血脈は、魔力を操作する唯一の能力を身に宿す。人がここに足を踏み入れて能力を身に宿すのは、血脈を判別するための機構である」
なんて他迷惑な判別法。
「それ以外に、血脈を判別する方法は?」
「ない。刺激を与えなければ、発現しない。人知れず、受け継がれていくものだ」
てことは、だ。この方舟は一度、この世界にやって来ているのか。その時に齎された証が受け継がれて、今、私はここに立っている。
……もっと早く、料理をあげることに気が付いていれば、もっと探索が楽になったのではないか。そう考えると、より頭が痛くなってくるなぁ。
「でも、さ。この……、方舟? にいる情報を元に戻すのなら、私の料理を食べさせなきゃならない訳でしょ?」
「いかにも」
「だったら、外に出ないと話になんないじゃん」
「此処では、出来ぬのか? 此処が一番、今では安全なところだ。魔力が流れ出してゆくから、僅かでも理性が取り戻せた」
つまり、この犬も偶然……、いや、方舟のことを知っていたのだから、一抹の望みをかけて、魔力に侵されながら此処に辿り着いたのだろう。そして、機会を見ていた。
廃棄口に繋がる場所は限られていて、今回、偶然、私はそこに足を踏み入れた。彼としても、一世一代の大勝負だっただろう。
「出来ません。仲間も必要です。みんなの下に戻してもらわないと、私はなんにも出来ません」
「分かった。では、戻ろう」
そうして、彼は私の脇を抜けて先へ行こうとする。
「ちょっと待ちなさいよ。私、怪我してんだよ? 痛いんだから、乗せてくれるくらいの優しさを、見せてくれても良いんじゃない?」
「怪我? 死ぬか?」
「いや、死にはしないけど」
あ、露骨に嫌そうな顔をした。
しばらく睨み合う。本来で言えば、こうしていて損をするのは私なのだろう。けれど、正直、楽をできるならそれに越したことはないのではないか! と、私は思うので、しっかりとガンを飛ばしておく。
折れた瞬間は、分かりやすいものだった。
そっと伏せてくれたその背中に、痛みを堪えてよじ登る。この一瞬さえ我慢できれば、後はこちらの物だ。
「揺れないように移動してよー」
「……」
「返事は?」
「はい」
主従関係が生まれた瞬間であった。




