7.観光と敢行
階段が現れる度に車を降り、アリスマリスに車を運んでもらったら乗り込む事を繰り返す。そうして四時間ほど揺られていれば、現状で最前線である八層、八つ目のフロアへと到達する。発見された九層へ続く階段へは、更に三十分ほどの時間を要する。
移動にかかる時間の問題は、階層を経るほどに深刻になっていくだろう。その対策を、アリスマリスは考えているというが……。
「到着っすよー」
まるでステージ上の大階段の如き迫力のある階段の前で、ワゴン車はピタリと停まった。
「此処をキャンプ地として、次の階層を探索する感じね。先ずは、テントを建てましょうか。それが終わったらお昼」
サキの号令により、一同揃って車から降り、協力してテントを建てる。ダイナの寝床は、シートをフラットにしたワゴン車になるため、一つで良い。五人が充分に横になれるものなので、なかなかの大型だ。
「アトリちゃん、指を怪我しないようにね」
「はーい」
心配そうに見つめるサキに、笑顔を返す。慣れないことをしているんだから、当然気をつけますとも。せめて邪魔しないように気を付けながら、慣れているみんなの力もあって、完成にはそう時間はかからなかった。
ターフも建てれば、キャンプの準備は概ね完了。その日陰を楽しみながら、昼食の準備が整った。
「お昼は、カツサンドと唐揚げとフライドポテトを作ってきました。荷物の関係でキャンプ中は揚げ物が出来ないから、心して食べるように」
元気の良い返事とともに、広げられた重箱の中身が減っていく。食べ終われば、私はみんなよりも長い休憩に入る。
「アトリちゃんの護衛は、私とダイナくんが務めます。次層の探索は残りの三人ね」
メリッサ、エミカ、ノゾミの三人は、頷いた後に準備を始める。携行食の替わりとして作ったクッキーも、忘れずに渡しておこう。車内で食べたものとは違う、スティック状で食べやすいものだ。
「時計の確認」
三人の中で一番所属歴の長いノゾミの掛け声で、それぞれが腕に装着した時計を見せ合い、ズレがないかを確認する。
「午後六時の帰還を目指します」
「よろしくお願いします」
彼女達は笑顔で敬礼の真似事をして、私達に見送られながら階段を降りていった。
……さて、これで完全に、私はフリータイムである。タバコを吸い終われば、後はもう、観光しかすることがない。スマートフォンの電波は届かないし、嵩張る本の類は持ってきていない。
言い換えれば、アパートや集落周辺以外の自然を満喫する絶好のチャンスである。
アウトドア用の椅子に深く座りながら、周囲に視線を向ける。海はなくなり、山が近くなっている。虫などはいるのだろうか。
「ここらへん、虫って出るの?」
「出たとしてもモンスターよ。てんとう虫みたいな、可愛らしいものは見かけないわね」
「カブトムシでもいれば捕まえたかったんすけど、いるのって大概化け物なんすよねぇ。デカすぎて捕まえるどころじゃない」
なるほど。つまり、私が苦手でしている黒い虫も、現れないかもしれないと希望が持てるわけだ。あと、ムカデなんかも苦手だなぁ。
子供の頃にソファーで寛いでいたら、後ろにあった棚から頭の上に落ちてきたのである。あれは当時、トラウマに思ったものだ。……いや、あれはヤスデだったかな? まぁ、いいや。
「とりあえず、山を散策したいかなぁ。生えてるキノコとか見てみたい」
「そう言えば、前回も見ていたわね」
「うん。日本じゃ季節が変わっているし、生えるキノコも変わってる。ダンジョンではどうなのかなって、まだ調べたことなかったから」
「へぇ、じゃあ、アトリさんはキノコの見極めが出来るんすね」
「そこまで詳しくは出来ないかもだけど、集落の人に教わったんだよ」
幸い、集落周辺はクマの目撃情報がなかったため、キノコ採りは盛況だった。
ダンジョンの植物は、そこに含まれる魔力の量から食用にはならないそうだけど、私の能力で相殺出来たり……、なんて考えもあるため、食用になりそうなものは念の為見つけておきたい。
「よし、行くかぁ」
「少しでも体調に変化があったら、直ぐに吸うのよ?」
「はいはい」
「そんじゃ、姫の道を切り開きますかねー」
そうして、ダイナを先頭にして草原を進み、山へと入っていく。枝葉によって日差しが遮られ、木漏れ日が心地良い。川のせせらぎ、蝉の鳴き声が聞こえてくれば、夏と見間違うことだろう。
「皆さん、しりとりでもどうっスか? 俺、自信があるんすよ」
「パス。わざわざ自信がある、なんて人とやる気は起きません」
「張り合いないっすねー、アトリさんは。サキさんはどうっすか?」
「膝、って十回言ってくれたら、良いわよ」
「膝ぁ? まぁ、いいや。膝、膝、ひざ、膝、膝、ひーざ、膝、膝、膝、膝。はい、言いましたよ」
たまに言い方を変えるのが、なんか腹立つ。
「はい、十一回言ったから失格。しりとりはやりません」
「はぁ!? いや、だって、……えぇ?」
なるほど、問い直した時点でゲームセットか。上手いやり方だなぁ。
「じゃあ、私からなぞなぞでも出してやろう。キノコはキノコでも、木製ではなく電気仕掛けのキノコってなーんだ」
「……え、下ネタっすか?」
お前は思春期かよ。
「サキさん、この答えどう思います?」
「男の子らしくて、逆に健全だと思うわ」
「イジるくらいなら、正解を教えてくださいよー」
「はいはい。正解は、木ではなく、電気仕掛けだけにデンノコ。つまり電気ノコ――」
正解の言葉は、最後まで続かなかった。それは、大気を震わすような、地面さえも震わせるような、大きなオオカミの遠吠え。
ダンジョンに入る経験の少ない私はもとより、警戒心を露わにする前後の二人にとっても、それは予想外なものだったようだ。
「しっ! 腰を落として。周囲を警戒して」
「初めて聞く声っすね。探索している時は、こんな遠吠えはなかったっすよ」
私達の間に、もう和やかな空気は存在しなかった。首筋に汗が流れるような緊張感が、周囲を包み始める。風によって揺れる木々のざわめきが、恐怖を掻き立てるようだ。
しばらくその場に待機をするが、一向に変化は現れない。
「声からすると、かなりの大型ね。アリスに頼んで、アトリちゃんだけでも戻してもらおうかしら」
「そうするにも、先ずは敵の姿を確認したほうがよくないっすか? 簡単に倒せる奴かもしれないじゃないっすか」
ダイナの能力、〈プレス〉は、圧力や重力といったものを操ることが出来る。姿さえ目に出来れば、先手を取ることも出来るだろう。
もしも相手がサキの言うように大型のものなら、視界が限られる山の中で、発見に遅れることはないだろう。彼はそう判断しているはず。
「最悪の事態を想定するなら――、そうね、もう遅い。ここで先に転移させても、もしも強敵だったら、アリスの疲労から私達の転移が遅れる可能性がある。どうせなら、纏めて転移してもらった方がベスト」
アリスマリスの転移は同じ世界の中でなら制限はないが、別の世界、世界とダンジョン。そんな違いの中では、大きな疲労を伴ってしまう。使うのならば、少ない回数のほうが良いに決まってる。
「なら、様子を見たほうが良い、ってこと?」
「そうなるわね。ごめんなさい、アトリちゃん」
「大丈夫。逃げ足だけは鍛えているから」
キノコ採りだって、足腰を鍛えるために始めたことだ。山の中なら、それを充分に活かせるだろう。
張り詰める緊張感の中、変化は未だに訪れない。
このフロアに到着して、和やかに昼飯を食べて、こうして危機に晒される。まるで頂上まで迫り上がるジェットコースターのようだ。乗り込んでからは和気あいあいとしていたのに、いざ登り始めると無口になる。緊張感が漂い始める。
後はもう、落ちるだけ――。
「見えた! 黒い靄を纏った、でっかい犬!」
山頂の方からだろうか、象ほどの大きさをしたそれが迫ってくる。かなりのスピードであったが、ダイナの索敵は負けていない。
「ちっ! 動きがはえー。プレスが効く前に抜けられてる。なら、前からっ!」
押し出すようなプレスに、巨大な犬は敏感に反応した。
「キレッキレのサイドステップかよ! サキさん、とりあえずアトリさんを連れて逃げてください」
「広範囲にプレスを撒く気ね。分かったわ。気を付けて」
サキ手を引かれ、私は下山するように駆け出した。その背後から、それは確かに、忍び寄っている。
――ミツケタ。
そう、聞こえた気がした。




