6.出発
襟の一番上までファスナーを閉めると、首元が大分暖かくなる。エアコンが起動していない室内は、この季節相応に冷えており、また、朝だと感じられる静けさが感じれる。
ダンジョン探索用のジャージに袖を通すのは、どのくらい振りだろうか。夏を感じさせる日差しに参ったのを覚えているから、七月か、八月のことだっただろう。
二ヶ月から三ヶ月かで次の階層に辿り着けるのだから、かつてのことを考えれば、大分ペースは上がっている。三年をかけて、二層が限度だった。私が入ってから徐々にペースが上がり、八層目を攻略していた筈だ。
進むに連れて、敵は強くなっているそうだ。それでもアリスマリスの世界で攻略されたという九層に足を踏み入れるのだから、魔法も何も無い平和な世界でありながら、なかなかの結果を出していると自信が持てるだろう。
それ故に、多少の油断があったとしても、慢心にはならない。そう私は思っている。
だって、そのために階層の移動には、慎重になっているのだから。
「これで防御力があるなんて、未だに信じられないなぁ」
この感想は、前線に立っていないから言えるものだろう。着替えなどを詰めたトランクとバッグを持ち、私は部屋を出て施錠した。
「はよー。アトリさん、早いっすね」
アパートの前には、既にダイナが待っている状態だった。彼の場合、朝にランニングをするのがルーティンとなっているため、人よりも早く集合場所に現れたのだろう。荷物は足元のボストンバッグだけらしい。
「持ってく食材の最終確認。調味料とか、忘れたら面倒だしね」
豚汁を作ろうとしたのに、味噌を忘れたなんてことになったら、笑い話にもならない。既に移動用の車に積み込んであるが、確認にはそう、手間は掛からないだろう。
「ご苦労様です。……それにしても、やっぱりアトリさんってスタイル良いっすよねぇ」
「なによ急に。朝っぱらからセクハラ?」
「いやいや、そんなつもりはないっすよ。でも、アトリさんっていっつもダボッとした服を着ているでしょ? なんか、このジャージみたいなぴったりめの服って珍しいじゃないっすか」
言われてみれば……、と改めて自分の体を目にしてみる。刃物を扱うときって、何となくだけどゆとりを持った服を着たくなるのだけど、このジャージにはその様なゆとりは見られない。けれどストレッチが利いていて動きやすいという、運動をするのにもってこいなものだ。
「あぁ、そういうこと。ダボッとしている方が、なにかが当たったときに分かりやすいからだよ。包丁とか、危ないし」
「そういうものなんすスね」
「少なくとも、私はね」
工事現場の作業員的な考え方なのに、何の疑問も抱かないこの子は、結構純粋だ。
彼の背後に止まっていたワゴン車の梯子を登り、上に積まれた荷物を眺める。私達よりも早い時間に、駐在するスタッフが積み込んでくれたのだ。
ダンボールにはそれぞれ中に入っているものが分かるように文字が書かれており、その数に漏れはなかった。中身に関しては、昨日の内に何度も確認をしたし、そこに間違いはないと信じよう。
次にラゲッジに積まれた荷物。こちらには調味料な上に積みきれない小さなものが積み込まれているため、一つ一つ開けて確認をする。六人が乗るためにそこまでスペースはないが、ある程度のスペースは空けられている。そこに、私達の荷物が積み込まれるのだ。
「あ、そうだそうだ。アトリさん、携帯ゲーム機は持ちました? 車で充電できますよ」
「そう言うってことは、ダイナは持っていくんでしょ? それでパーティーゲームでもやれば良いよ」
「それはマストですけど、ほら、アトリさんはロールプレイングのレベル上げが好きでしょ? 暇なときにやったりとかしません?」
「しません。折角のダンジョンなんだから、精一杯観光させてもらいます」
「自然ばかりで観光も何もないと思いますけどね」
それは、行き馴れている人だからこその言葉だと思う。私に関してはこんな時ぐらいにしか入る機会がないのだから、精一杯楽しみたいという気持ちが湧いてくるのだ。
一通り確認も終わり、しばらく雑談をしていると、残りのメンバーもお揃いのジャージを身に着けてアパートの前に集まった。
ダイナは私を見てスタイルが良いと言ったけれど、この中で一番を決めるのなら、間違いなくサキ。ついでメリッサだろう。二人とも私より背が高いため、出っ張りがより強調されていると思う。
なんて会話を、ダイナの発言をイジるために披露しつつ、最後の一人を待つ。
「皆のものっ! お集まりのようだね。それでは、点呼を取る。背の順に並びたまえ!」
やってきたアリスマリスの命令に、素直に従っておく。小さい方から順に、エミカ、ノゾミ、私、メリッサ、サキ、ダイナとなる。
「番号!」
「一!」
「二!」
「三!」
「三は真面目に言っては行けません!」
巫山戯るアリスマリスを無視するように、全員が数字を言い終わった。
「ふぅ。それでは、そろそろ出発の時間だね。忘れ物はないかい? 特にアトリ。タバコは充分に持った? それがないと話にならないからね」
「大丈夫。ウエストポーチにも入れたし、バッグにもたっぷりと」
「ライターは?」
「持ったし、なければないでサキさんがいるから」
サキは〈テンパーチャー〉と言う、物の温度、それによって生まれたものを自在に操るという能力を持っている。つまり、炎や氷ですら自在に操ってしまうのだ。私の能力と一番相性が良いのが彼女だろう。
「それより、カレーを作っておいたから、好きな時に温めて食べなよ。余るだろうから、それはカイさんにでも届けてやって」
「おお! ありがとう。朝昼晩と食べまくるよ。因みに、なにが入っているんだい?」
「豚」
「そこは愛情と言ってくれ!」
愛情がない料理を、私は作ったことがないのよ。と言うのは、流石に恥ずかしくて言えないか。
「こほん。ともかく、みんなも、くれぐれもアトリの安全には気を使ってくれたまえ。もしも私がサーチ出来ない場所なんかに迷い込んだりでもすれば、転移で連れ戻すことも出来ないから」
「分かっているわ。けれど、あんまりしつこく言うと言霊なんてこともあり得るから、貴女は大人しく見送っていてね」
心配性のアリスマリスをサキが諭し、私達は見送りに手を振ってダンジョンの入り口へと向かう。車はそこからは入られないので、後ほど、見送ってくれた彼女が転移で送ってくれることになっている。
アパートの裏手にある林の中を、縫うように舗装された細い道が伸びる。数分ほど歩いたところで見えてくるのが、ダンジョンの入り口。水が湧き出る泉である。
足をつけても濡れることはなく、緩やかな重力を感じながら暗闇の中を落ちていくと、気が付いた時には、広大な大地へと足をつけている。
この瞬間は、本当にアニメの世界に飛び込んだ気がして、馴れていない私は気分が高揚してしまう。
右手には草原が広がっていて、奥には木に覆われた山が見える。左手にも草原が見渡せるが、その奥は山ではなく、海が広がっている。まばらに生える椰子の木が、どこか異国情緒を感じられるようだ。
「変わらないなぁ、ここは。温かいし」
「常夏って感じですよね。私もビックリしました」
メリッサが歩いてきて、伸びをした。ここ最近、トレーニングを重ねてきたのだから、既に見慣れた光景になっていることだろう。
周囲には敵と呼べるようなものはいない。黒い靄を身にまとった動物のようなものがいたら、それが敵だ。モンスターだとか、化け物だとか。それぞれ好きなように呼んでいる。
深呼吸をする。空気は私達の世界と変わらないのだろう。常夏、と言った風情だろうか。
「おーい、車が来たから乗りこめー!」
ダイナが声を張り上げる。アリスマリスは早速仕事をしたようだ。思い思いに歩き回っていたそれぞれが集まり、思い思いの席に座っていく。運転ができるのは、ダイナとサキ、そして、ここはダンジョンの中なのだから、メリッサも。今回はダイナが担当するようだ。
「シートベルトはしてくださいよ。凶暴じゃないモンスターが、行く手を横断することもありますから」
「はいはい」
主に私に向けられて言っているのは、久し振りのダンジョンでもあるからだろう。シートベルトを装着し、窓を開けて縁に肘を乗せる。風が心地良い。
「手荒な運転をすると、私は酔うからね」
「わお。他にはない発言にハンドルを握る手が汗ばむわぁ」
「繊細じゃなくて悪かったなー」
助手席に座ったエミカがボヤく。
「ビニール袋、持ってきた」
「ありがと」
隣に座るノゾミに礼を言うと、それを合図にしたようにエンジンの回転音が変わる。先ずは、八層目を目指すことが目標である。既に探索が終わり、階段は見つけてあるため、およそ四時間の道程だろう。
窓の外に広がる青い空を眺めながら、私はあることを思い出した。
「そう言えば、おやつはバッグに仕舞ったままだった」
「えー!? クッキー作ってきたんだよね? 車内で食べるの、楽しみにしていたのにー」
肩を落とすエミカに詫びながら、階段に辿り着いた時に出しておこうと、頭の片隅に置いておいた。
※
『ハロー、紳士淑女の皆様。お耳の恋人、アリスマリスの息抜きラジオコーナーだよ。今日は主に、みんなからは届いたお便りを紹介していこう』
二層、二つ目のフロアに辿り着いてしばらく走った後、車内のスピーカーから唐突にラジオが聴こえてきた。
「こんなのあったっけ?」
「なにか計画していたようだったけど、これのことだったのね」
一番後ろの席で、サキが呆れたように呟いた。そう言えば先日、私も頼まれてアンケートに答えたような気がする。
『ラジオネーム、恋する鯉こくさん』
「鯉こくってなんスか?」
「あら、ダイナは食べたことないんだ。物凄く分かりやすく言うと、鯉の味噌汁」
「へぇ、アトリさん流石っすね。味はどうなんです?」
「さぁ、食べたことない」
「えぇ」
まぁ、郷土料理だし、仕方がない。
『鯉は国産のほうが良いです』
鯉こくさんだけに? みんなの顔を見回すけれど、こんな回答をした人はいなかったようだし、軽いジャブみたいなものなのだろう。
『続いて、ラジオネーム無口の恋人さん』
「ガムだ」
「そうなんです?」
後ろから声がした。これも、世代間ギャップ……、と言うより、国間ギャップか?
『風船ガムの膨らませ方を教えてください』
隣から、物凄く視線を感じた。
「気合、かな」
しょんぼりしている彼女は、一体どういう回答を求めていたのだろうか。……どんなジャンルかは知らないが、漫画を描く趣味があると言っていたし、そのネタになるようなものがお望みなのだろうか。
『次のお便り行ってみよー。ラジオネーム、景気の良いケーキさん。ちゃんとしたカルボナーラを作ってください』
……。
「ごめんなさい」
「あ! い、いえ、そういうつもりじゃなかったんです。あの、これはスーパーとか、コンビニのお弁当に言ったことというか」
『続いてはラジオネーム、爆音天使さん。シスコン兄貴からの、状況報告依頼の電話が毎日のようにかかってきます。何とかしてください』
……。
「うちの兄が、すみません」
「これに関しては、本当に止める様に言ってちょうだい。この前やってきた時に、ちょっと格好良いからって連絡先を交換したら、このザマよ」
これは謝罪の気持ちを返してほしい。
「つーか、これ全部、私へのお便りなの?」
「いや、俺は全員の分を書きましたよ」
「アタシも書いたー」
……え、これ全員分紹介するまで終わらないの?




