1.喫茶店の主
私の住むアパートは、少し特殊な作りになっている。なんと、温泉が付いているのである。二階建ての一階部分がその様な共用施設になっていて、この地が温泉がを豊富に湧き出る土地だということを、最大限に活かしている造りであると言えよう。
住居になるのは二階の六部屋だけであり、私もその一部屋を借りている。
温泉地と言っても、観光客が多く訪れる場所でもなく、そもそも観光地化もされていない。集落の人たちが憩いの場となるように、との思いで開湯されたものだ。
長閑なところで、信号機などは見かけない。横断歩道だってそうだ。車を運転する人など、関係者以外では滅多に見かけないくらいなのだから。少し離れた場所には小さな集落があるが、そこにはタクシーの営業所があるため、交通にはそれほど不便はしていないらしい。若い運転手で、私も偶に利用している。
自己紹介が遅れてしまっただろうか。
私はアトリ。シェフやパティシエといったものを目標として勉強してきたのだけど、本格的にそう言った職業に就く前に、このアパートの大家にスカウトされて、このアパートの一階に備わった喫茶店兼居酒屋で働いている。
いわゆるワンオペではあるものの、既に説明した通り観光客も殆どおらず、来店するのは基本的にこのアパートの住人くらい。だから常に店番したりしなくとも、必要になれば部屋まで呼びに来てくれるよ、との営業方針をとっている。それでも給料を払ってくれる大家は、大変変わり者と言えるだろう。
果たして、その様な事が日本に於いて可能となるのか。法律的にあり得ないことは、他にも色々とある。なぜそれが許されるのか。その答えは、この地にさらなる秘密が隠されているということに由来する。
あぁ、このままだと解説が長くなってしまうだろう。淡々と語るだけではどうしても、味気ないものとなってしまう。なので、ここは楽しく理解できるような、そんな催し物を覗いてみたいと思う。
といっても、その会場は喫茶店であるから、自ずと、私は参加しなくてはならないのだけどね。
「というわけで、大家のアリスマリスです。とある世界で魔法実験をしていたら、偶然この世界と繋がる穴を作ってしまいまして……。おまけに、繋がったのは私の世界で魔境と恐れられる巨大構造体メガダンジョン。あぁ、ニュアンスが少し違うな。メガダンジョンと繋がる道が、この世界に上書きされてしまったというわけ」
カウンターを背にして座り、熱弁をするのは、名乗った通りアリスマリスという女性だ。ブロンドの長い髪が美しい女性。いわゆるエルフのような耳を持っている。
そしてその話を熱心に聞いているのが、このアパートの新たな住人である、メリッサ。どこの国からかは知らないが、海外からの視察という意味も込められて、ここに派遣されてきたらしい。
まぁ、それについても後ほど解説がなされるだろう。
私は、のんびりとコーヒーを淹れながら、何度目かの話を聞いていた。
「そのせいで、私の世界からはメガダンジョンへ入ることが出来ず、おまけにこの世界にメガダンジョンの魔物が解き放たれるかもしれないという、未曾有の危機!」
「わぁ、本当に大変な事態だったんですね! それで、どんなヒーローが現れて解決したんです?」
「それが、私さ!」
「わぁ!? すごーい!」
うまく乗せてくれる人だなぁ、と感心してしまう。大抵の人は、事情を知りながら来ても戸惑ってしまうというのに。
そうだろうそうだろう、と頷く彼女に、早く話を進めるように促した。この調子だと、折角淹れたコーヒーも冷めてしまいそうだ。
「冷たいことを言うなよ、アトリ。君も私を褒めてくれたまえ!」
「折角コーヒーを淹れても、話が長いと冷めるでしょ。早く話を進めてあげてよ」
「ブーブー。クールだなー。いつものアトリちゃんらしくなーい。もっと駄洒落を言いなよ」
「私は人見知りなの。初対面の人相手に駄洒落なんて言えません」
「あ、日本の駄洒落気になります。私の国にもあるんですよー。駄洒落」
「へぇ、どんなどんな? アトリに教えてあげなよ」
「アルミ缶の上にある蜜柑!」
「それは日本語だ!」
コーヒーは、ツッコミとともに提供した。
「ちょっと、タバコを吸ってもいい?」
灰皿を用意しながら、メリッサにそう断りを入れる。
「あ、大丈夫です。アトリさんって吸われるんですねぇ。少し、見た目からすると意外です」
「見た目幼い……、は言い過ぎだけど、学生みたいってよく言われるからね。居酒屋で年齢確認とかよくされてたし。別に、そこまで背が低いわけでもないのにね」
「私は大人っぽいってよく言われるんですよー。話すと子供っぽい、なんて言われますけど」
「そういうギャップは羨ましいよ。私は見た目相応、なんて言われるしね」
タバコに火を付ける、肺に取り込む。仕事終わりだから、この煙が本当に染み渡る。
「あれ、ただのタバコじゃないんだよ」
そうして、再びアリスマリスの解説が始まった。
「メガダンジョンはね、内部の空間が魔力というもので満たされていて、それが人体を蝕んでもいくんだ。私達は、それを〈侵食〉と言っている。最初は疲労程度なんだけど、長期間浴びていると、体調に異変を伴うようになってね。そうすると、君みたいに交代要員が派遣されるんだ」
補足すると、彼女の世界から来られるのは、彼女一人である。そのため、メガダンジョンとこの世界の繋がりを断てるかどうかは、その探索にかかっているという訳だ。
メガダンジョンの奥深くまで浸透してしまった、その実験の結果を解除しなくてはならない。そこで、この世界の住人による調査が行われるようになった。それがこのアパート、ひいてはそこに暮らす対策部隊の始まりでもある。今から五年前のことだ。
「メガダンジョンで活動するには、適性が必要となるんですよね。私も、検査でそれが見つかりました。一度メガダンジョンに入ると、特殊な能力が発現すると」
「ちょっと違うー。適性はね、メガダンジョンでの活動時間の長さを測るものなの。特殊な能力は、誰にだって発現するんだよ。そう。だからメガダンジョンは危険なんだよ。誰であっても能力を得てしまうから、こんな平和な世界にあっては、混乱が起こるのは必須。だから、私は秘密裏にこの国と接触し、幸い人気が少なかったこの地に、この施設を造ったの」
この地に繋がったのは、不幸中の幸いだっただろう。お年寄りが多く、SNSで頻繁に情報を発信する人が少なかった。多くの人の目に触れる前に、対処することが出来たのだ。
「それで、彼女のタバコの話に戻ろうか。メガダンジョンで得られる特殊な能力もね、使えば使うほど魔力が身体を侵食してしまうんだ。それは、休息を取れば抜けるものなのだけど、彼女に限っては、そうはいかない」
「私の能力は〈急速補給〉といって、私が作った料理や飲み物を与えると、その人の侵食が急速に和らぐの。だけど、自分自身には効果がない」
この喫茶店を、好きなように使わせてもらっているのもそのため。本来は、ちゃんとした喫茶店だったのだ。憩いの場となるように、という。
「あ、じゃあ、アトリさんは探索を終えた人達のために料理を作るのだけど、料理を作れば作るだけ侵食されてしまう。かと言って休む時間もそこまでないから……、そのタバコが侵食を和らがせるものなんですね」
「理解が早くて結構だ。生憎、材料は私の世界のものを使っていて、こちらに運ぶのに制限がかかることから、一人分を作るのが精々でね。彼女からは、格好いいと受けが良いし、製作者冥利に尽きるというものさ!」
「余計なことは言わなくてよろしい」
私の思考は、いつだって中学の頃から変わらないのだ。だから、見た目相応なんて言われてしまう。
「私も格好いいと思いますよ!」
純粋な眼差しが痛い!
「因みに、体調の変化には個人差があって、適性がちゃんとあるなら早くて一年。長いと数十年は活動出来るから、君が長く一緒にいられることを祈っているよ」
因みに私は今年で二年目だ。大事に大事にされている所為か、長くいるのかと疑われるほど馴染んでいる。
「そのためには、私がどんな能力を得られるかも鍵ですね。明日、入るんですよね?」
「そう。まぁ、ほぼほぼ戦闘にまつわるような能力だろうけどねぇ。緊張、しているかい?」
「いえ、ワクワクしてます。勿論、アトリさんの料理も楽しみです!」
「ありがとう。もしリクエストがあったら言っておいてね。可能な限り受け付けるから」
「お寿司も出来ます?」
「大丈夫」
「ジャンバラヤとか」
「あー、それは、馴染みがないかも」
「じゃあ、天津飯で」
寿司じゃないんかい!
「最後に一つ。この場所は極秘施設として公にはされていないから、敷地内の外に出る場合は許可が必要だからね。申請はお早めに」
「了解しました!」
敬礼が可愛らしい。
「あと、君はメガダンジョンの視察と言う役割も果たさなくてはならないから、月に一度レポートの提出が義務付けられています。そこら辺は、聞いているよね?」
「はい。メガダンジョンの状況や応用可能な技術を調査する目的です」
「そう。一応、この国の不利になるような記述がないかのチェックが必要だからさ。母国や他の国との連絡はそれに限られる。頼むね」
「勿論。大好きなこの国の生活を体験できるだけでも満足ですし、制限はありますけど、スマートフォンも使えますし、不便はないと思います」
「寂しくなったら、いつでも呼んでね。いつでも、ここを開けるからさ」
「アトリさん、ありがとうございます」
そろそろ時間だ。そうアリスマリスが告げると、メリッサは立ち上がる。部屋に荷物が届く時間のようだ。このあと荷解きをして、駐在するスタッフから生活に関わる説明を受けることとなる。
そのスタッフは私達のストレスにならないように、最低限の人数しかいない。もちろん、あまり大勢になって、出入りが激しくなり、まわりに不審がられないようにしよう。という理由もあるにはあるのだが。
集落の人たちに関しては、多額の謝礼を払って黙っていてもらっているらしいし、なんというか、心の奥底の少年の心が刺激されるシチュエーションというかなんというか。……まぁ、一応、そんな訳で、私達は国家機関の研究員とか、作業員とか、そんな感じの立場なのだ。極秘だけど。
彼女が出ていくのを確認して、にこやかに手を振っていたアリスマリスに向き直る。
「技術や資材を独占するんじゃないか、なんて、イチャモンもいいとこだと思ったけど、良い子が来て良かったね」
「まぁ、審査はちゃんとしてるしね。それに、向こうも結構気を使ったらしいよー。下手をしてメガダンジョンのモンスターが世界に解き放たれたらー、なんて、ビクビクだもの」
「ダンジョンがバレたら、みんなビクビクだろうけどね。知っている人の中にも、結構いるんじゃない? そう言う話を聞かれないように、って理由もあるのかな。ここに人が少ないのって」
「あるかもねぇ。私達も警戒の対象ってわけだ」
笑い話ではないかもしれないけれど、笑うしかない話だ。
さぁて、と彼女は座っていた椅子から腰を上げる。新人との顔合わせと言う催し物も終わり、ここからは彼女にとっても、私にとっても自由時間だ。
「不味い、って言われなくてよかったよ。コーヒーが一番自信があったから」
「そう言うモチベーションが、能力に表れちゃうからねぇ。コーヒーが苦手な人が来なくてよかった」
ジャンバラヤも、作れるようにしておこうか。
「けど、けどけどけどー。そんな話はもうお仕舞い。これからは自由時間なんだからねー」
「調査に出ている子たちが戻らないと、アリスの仕事もないからねー」
「データ解析のお仕事も、今日はなし。彼女らが帰ってきたら、メリッサの歓迎会だからね。君も、それまで休んでいるように」
「はーい」
殆どが灰になったタバコを揉み消しながら、次のタバコに火を付ける。この後大仕事が待っているのだから、もう少し侵食を和らげておきたい。健康には害はないらしいけれど、吸いすぎると彼女の負担にもなってしまうし、ほどほどに。
そんな気遣いを知ってか知らずか、彼女は鼻歌を歌いながら、店内の片隅にある本棚へと向かった。
「今日は、月曜日ー。げっつ曜日ー。だから、あれを読まないと……。え、あれ? あれれ?」
しかし、どうやら探し物は見つからなかったようだ。
「残念だけど、今日は夜間調査の人たちの面倒を見ていたから、買い出しに行けてないの。明日、メリッサの案内がてら行く予定だって、申請出したんだから知ってるでしょ」
「そんな!? 待ってくれよ、月曜日の漫画雑誌が一週間の楽しみなのに! 明日は明日、今日は今日でしょ!」
「別に、一日遅れるくらいいいでしょうに」
「やだよー。他の人より遅れているって思うだけでも、負けた気がするのにさー」
彼女的には、深夜零時にでも読みたいのだろう。けれど、ここにコンビニがあるわけもなく、そんな時間に買い出しに行けるはずもなく。
「誰か、出かける予定の人はいなかったっけ」
「残念ながら。夜間調査明けで休んでいる人を、起こそうなんて思わないでよ?」
「ブーブー。もっと気軽に出かけられるようにすればよかったよ!」
後の祭りってやつだ。まぁ、気軽に出入りできるようにして、問題が起きてしまえばあとの木阿弥。現状で問題が起きていないなら、それで良いのだ。
「あ! そうだよ、あれがあった。タクシー呼んじゃおー」
「あ、今日は駄目だよ。集落の人を病院に連れて行くって言ってたから。……そもそも、そんな耳をして街に行こうとすんな」
「えー!? そんなぁ」
元の席に戻って、がっくりとカウンターに伏せる彼女を見ると、異世界で一番力のある魔女だ、という話が嘘のように思えてしまう。
なんだかちょっと不憫だし、彼女は元の世界に戻っても不便のないように、なるべく文明の利器を持たないように心掛けているところもあるそうだし……。
ここは、飴でもあげてやろうではないか。
指に挟んでいたタバコを口に咥え、ロッカールームの方へと向かう。そこに、彼女にとっての切り札がある。
「そんな君に、良いものを使わせてやろう」
カウンターに尻を預け、彼女の目の前でそれを摘まんで揺らしてみせる。
「んあー? ……スマートフォン? え、読めるの!?」
「読めます」
「借りていいの?」
「いいよ。私が休憩している間に、ちゃっちゃか読んじゃいなさい」
「ありがとう、ありがとうね、アトリ。……変なところを押しちゃったらごめんね?」
それは触る気のあるやつが言う台詞では?
私の休憩は、その大部分が彼女の監視に費やされた。
「歓迎会、なにか食べたいものはある?」
「北京ダック」
この近辺でアヒルを買える場所はないので、その要求は却下した。




