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幸福の心中

作者:
掲載日:2025/11/02

どうか朝日に見つかりませんように。カーテンから射す光に頭を撃ち抜かれた私の体躯に残されたのは、今すぐ消したい美しい思い出と醜い心だけであった。見事なまでに滑稽である。哀れである。惨めである。


上着を重ねるにはまだ少し早いが、薄着で出かければ「頭が沸いているのか」と言われかねない。そんな中途半端な季節が来てしまった。私の十五回目の夏はとうに別れを告げてどこかへ消えてしまった。また来年と笑いかけてくれた気がしないことも無い。私にはその笑顔は悪魔の笑みにしか見えなかった。


貴方が嫌いなものは何かな。私は明日というものが嫌いである。いや、変化が嫌いだと。そう言った方がいいだろう。明日の私は確実に昨日の私とは違う私である。明日の貴方は確実に昨日の貴方とは違う。そんな日々が、私は心底憎かった。


非常によく出来た人生を送ったものだ。人にはそれなりに愛されていたしそれ以上に人を愛していた。努力は出来た。何かと運は良かった。頭は良かった。苦労した事と言えば跳び箱が四段以降飛べない事と逆上がりができない事くらいだろう。肝の座った中々図太い人間だと思われていたと思うが、蓋を開ければただの意気地無しであった。常に何かに怯えていて石橋を叩いて渡るどころか、叩きすぎて石橋を割ってしまうくらいの小心者であった。我ながら情けない。そんな私にも友人がいた。そいつは歳が違ったが非常に図太い神経と美しい目を持っていた。自分の意思とか考えというのがはっきりしている部類の人間だった。それでも私に似ていた。前世で何かあったのかと思えるくらいに思考が似通っていた。居心地が良かった。


最近まで若々しかった葉が口惜しくも散り始めた十月頃。いつも通り生産性の無い話をしていた。「人の感情で要らないものって何だと思う?」「一番は恐怖とかじゃないか?」そう答えた瞬間には涙が頬を伝って手の甲に落ちた。それほどまでに私は何が怖いのだろう。


「何が怖かった?」-目が怖かった。人の目が、今にも本質を見透かしてきそうな、あの目が、私には弾丸のように見えた。将来の為を思って学校の行事や委員会には積極的な方であった。そうなると人からの目線は付き物である。いつから他人からの印象なんてものを気にし始めたのか。私を視界に入れる全ての人類にどう好感を持たせるか。まずそこが大事である。薄気味悪い笑顔を貼り付けて、冗談を言えば鈴を転がすように笑い、恐ろしいほど相手の目を見た。相手の目を見ていれば相手に写っているのは私の目だけであって、胃に溜め込んだ狂気に気づかれにくくなると考えたからだ。

「まだあるだろう?」-口が怖かった。人の口が、あれは劇薬である。口から出る言葉が甘ければ人は酔い狂い、苦ければ簡単にその人を嫌ってしまえる。噂なんてものは代表的な副作用である。一人が根拠の無い話題を口から口へ紡ぎ広げていく。不特定多数というのが最も恐ろしい点である。誰が何を言っているか分からない。昨日言っていた事は嘘かもしれない。一昨日吐いた愛の言葉は嘘かもしれない。嘘じゃないと願いたい。

「はぁ、次は?」-願いが怖かった。欲望とでもいい変えようか。人の欲ほど恐ろしいものは無い。欲の為なら手段を選ばないような馬鹿はそこら辺に転がっている。漏れなく社会から蹴り弾かれるだろうがね。願いを叶えるために人に迷惑をかける。犯罪に手を染める。馬鹿のすることだ。願いを叶えるために努力する。これはただの狂人である。願いとは簡単に人をすり減らす事ができる。すり減った後得たものがどれだけ大きいかは完全に賭けだ。欲の無い人類はほとんどいないだろう。貴方の願いにはいくら賭ける価値があるかな。

「まだありそうだね?」-愛が怖かった。愛情以上に保証ができないものは無い。一年前まで「お前が一番だ。」と言ってくれたあの人が大好きだった。私の一番の理解者だった。だが今はどうだ。一週に一度連絡が有るか無いか程度の仲である。あの人からの愛情なんて微塵も感じられない。実際私もあの人への愛は薄れているかもしれない。愛と時間は反比例する。一度愛してくれた人がこれから先も愛してくれる保証なんて無い。そして愛には確実に愛されてると実感する術がない。人によって基準が変わってくるからだ。言葉という劇薬を飲めば愛の言葉なんて息を吐くように出る。あぁ、恐ろしい。でも愛は欲しい。どれだけ怖くても欲してしまう。愛の一番怖いところである。

「それだけじゃないでしょ?」-心が怖かった。こんなに儚いものが存在して良いのか。心というのは実に脆く、醜く、美しい。心が何故すぐ壊れてしまうのか。それは、目まぐるしく変化するからである。同じ機能を反復するのなら多少は持つだろう。しかし、心はどうだ。多種多様な感情を受止め、対応を続けている。すぐ劣化するのも仕方がない。それに壊れてしまえばもう修復はできない。そして、昨日と同じ心はもう二度と持つ事はできない。世に存在するとされているものでここまでに曖昧で脆いものはきっと他に無いと思う。心が見えたらならどれだけ楽か。

「もういいでしょう。」「いや、まだだね、まだ残っている、君の1番怖いもの。」


変化が怖かった。血の気が引くまでに、どうしても、恐ろしくてたまらない。変わらなければ良いのだ何も。産まれて何も考えずケラケラ笑っている方が幸せならそのままでいい。ランドセルに背負われて校庭で走り回るのが幸せならそれでいい。部活に打ち込むのが幸せならそれでいい。変わらなければ幸せは一生続く。ずっと甘い蜜だけ吸い続けたっていいじゃないか。何も変わらなければ友達との関係は崩れない。臨機応変という無茶振りも甚だしい熟語はきっと使わなくなる。あの人からの愛情も、きっと、変わらなければ…。幸せでありたい。幸せでありたかった。あの日々がずっと続けば良かった。今といえばあまりの寂しさに人に依存し無償の愛を注ぎ続け、その愛は帰って来ない。どこまでも愚かで、哀れで、目も当てられない。こうして私の心の中の愛の予備は減っていくのただ。せめて自分だけでも自分を愛してあげたかったのに。


「服がびしょ濡れじゃないか。」「誰のせいだと思ってるんだ。」頬を伝った涙も何故流れてきたのか分からない。怖いものへの恐怖か?嫌な思い出が蘇ったか?あの日の幸せを…思い出してしまったか。


「最期に聞こう、君が1番好きなものはなんだ。」

私は変化を愛している。明日が来れば今日より少しは幸せになれるかもしれない。それに私が愛した人々は皆、変化する人生の中で出会った宝であった。あの人もきっと、変化を望んでいたに違いない。愛するの人の為なら自分の心なんて簡単に操縦できる。


もう半袖なんて誰もいないそんな日の朝、一人で私は何を言っているのだろう。見事なまでに滑稽である。哀れである。惨めである。

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