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愛に帰す  作者:
本編
9/23

09:終わりへの痛み

後宮には現在、王妃の私を除いて4人の姫君がいる。

先日後宮入りしたスカーレット様の他に、イザベル・バレンデン嬢、ルイーズ・エメラ嬢、オリヴィエ・ロビンソン嬢の4人だ。

いずれも名のある侯爵家の出だったり、大臣職を父に持つ由緒正しい姫君ばかり。


後宮の女の数がその国の栄華の証とまで囃したてられるほど、後宮はある意味その国の象徴ともいえる。

過去、他国の王の中には30人近くの姫を囲ったという記録も残っている。記録に残っているだけなので、実際にはそれ以上という話もあるけれど。

ましてや今、ロゼ国は列国最強の国。

姫君の数は10を超えてもおかしくないと言われているだけに陛下への輿入れの話は後を絶たないそうだ。

陛下がまだ殿下であらせられた頃はそれなりの人数はいたらしいが、降嫁されたり、陛下の口添えで同盟国へと嫁いだりと今の数に至る。

つまりのところ、最近入られたスカーレット様以外は有力な王妃候補だったわけだ。

私が王妃となった時点でその道は絶たれたようだが、まだ未来の国母という地位は空いている。

陛下と私の関係が良好ではないと知っている彼女たちは、虎視耽々と機会を窺っていると言えよう。


国力を無視しても、陛下はあまりに魅力的な方だ。その容姿の美しさは、男女問わず一度は深く溜め息を吐いてしまう。

しかし決して女々しい訳ではなく、剣を振るう姿は獅子とも鷲とも例えられるだけあって彫刻のように整っている。

あの方の寵愛を受ける為に美しさも教養も重ねてきた深窓の姫君たち。

だから当然、いままで候補ですらなかった私の存在は疎ましいのだ。





「こちらが王妃様が丹精込めて作った花園ですの?先王妃様の庭とは随分違いますのね」



陛下にお許しを頂いて、後宮の姫君を集めたお茶会を開いたのは倒れてから一週間後のことだった。

王妃になった時に陛下から「好きにしていい」と言われた庭の一部。天気も良かった為、そこでお茶会を開くことにしたのだ。

スカーレット様だけは少し風邪気味だということで、来られなかったけれど。

表面的には何もなく和やかにお茶会は進み、イザベル嬢に乞われるがままに庭を案内した。

その、最初の一言がこれだった。呆れたような、そんな声で。


私が譲り受けた庭の隣には、前王妃様のバラ園が広がってる。

何もかも計算しつくされた絵画のような庭。色の配置も彫刻の位置も、ここを訪れた人はみな口々に前王妃様の事を褒めたそうだ。

名前にもなっている通り、国花はバラだ。王国の紋章には向かい合う獅子を囲うようにバラが描かれている程重要な花。

殆どの貴族は邸にバラ園を持ち、その美しさと精巧さを競い合っている。まるで庭の出来栄えが国への忠誠の証だと言わんばかりに。


そんな中で、私の庭は芸術とは程遠く、ぱっと見だとそれが花園だと考えられないような出来だ。

王宮に入って孤独だった私の、唯一心休まる場所。それが欲しくてあえて、野に咲いているような花を選んだ。

元々華美なものは私には似合わない。

それに素晴らしいバラ園は前王妃様が作ってくださったのだから、私が作る必要はないと判断した。

陛下は何も仰らなかったけれど、大半の人間には呆れられた。

彼女、イザベル様も同じ感想のようだ。




「こちらの花は?」

「スミレですわ、イザベル様」

「随分小さな花だこと。でも王妃様にお似合いな花だと思いますわ。ねえ、皆様もそうお思いになりますわよね?」



イザベル様の問いにあとの2人も「ええ」と穏やかに笑う。

けれど扇で隠したその上品な口元には、悪意に満ちた笑みが広がっているのだろうと想像に容易い。

この3年間で何とか気にしない術を身に付けたけれど、やはり小さくとも痛みは痛みだ。

最初の頃は泣いてばかりだったことを思えば、無理矢理でも平静を保てるくらいには進歩したのだろうけれど。


イザベル様のご実家は、王家とも縁の深い侯爵家だ。何代か前には王妃を輩出させたこともあるという。

はっとするような美しさは、スカーレット様にも引けを取らない。

輝くばかりの金色の髪と強い意志の宿る琥珀色の瞳。最も妃の椅子に近かったのはこの方だろうとも言われている。

後の2人は決してイザベル様に楯突くことはしない。いつも彼女の後ろにつき、専らイザベル様を褒め、彼女の意見に従っているだけだ。

侍女も取り巻きのように、彼女を崇拝していると聞く。


イザベル様の言っていることがすべて正しいのだとでも言うかのように。

そして私に何か言うのも、決まってイザベル様が一番初めなのだ。




「しかし、王妃様はご存知でしょうか」

「なにをでしょう?」

「獅子は名も無いような野花よりも、バラを好みますのよ。目を奪われたとしてもそれは一瞬のこと。興味などすぐに薄れます」



その言葉が暗に意味することは、この国に伝わるお伽噺を知っているものなら誰でも気付く。

どうして国の紋章に獅子とバラが描かれているか。

それはこの国を創った獅子の異名を持つ初代王の妃の名が、外国の言葉でバラという意味だったから。

愛妻家だった彼は国の名前を自国の言葉の「ロゼ」に変え、城の周りをバラの花で一杯にした。

以来、獅子は王、バラの花は王妃に例えられ紋章として残ったという話。求婚する際に男性が女性に一輪のバラを贈る所以もここからきている。


私じゃ陛下に愛されない。

イザベル様はそう言いたいのだろう。

今は情けで王妃の座を貰っていても、いつかはその地位を追われると。


噂を知らないほど私は愚かではなかった。

偽りの王妃から一転、陛下は夜ごと私の部屋を訪れ私を囲っているという。

イザベル様もその噂をご存じなのだろう。元々そういった情報には早い方だから。

さっきの言葉にはそういった含みもある。



「…ええ、存じております。イザベル様」

「は?」

「すぐに獅子も気付きますわ。真に愛されるべきなのは美しいバラだと」



陛下は貴方の許へ帰ります。

そんな意味を込めた言葉にイザベル様の顔が赤く染まったかと思うと、次の瞬間には頬に鋭い痛みを感じた。

庭中に響くような音で、頬を打たれたのだと他人事のように思った。



「馬鹿にするのもいい加減にしてっ!!」



悲痛な叫び声に、庭にいた人々の視線が私たちに集まる。

ルイーズ様もオリヴィエ様も、この時ばかりは言葉が出なかったようで顔面を蒼白に手で口元を押さえていた。


例えどんなにイザベル様のご実家にお力があろうとも、王妃である私の方が立場が上だ。

こんな大勢の前で私の頬を打てば罪は免れられない。

冷静な時だったらこんなことはしないだろう。だから今まで嫌味や皮肉で済んでいたのだから。

尚も私に詰め寄ろうとするイザベル様の腕は近くに控えていたアメリアによって取り押さえられ、私を背に庇ったサイモン様の手は剣に添えられていた。


「もううんざりよ!どうして私がこんな思いをしなくてはいけないの!?」

「お気を鎮めください。皆が見ています」


サイモン様の言葉にも耳を貸さず、イザベル様は更に捲し立てた。


「あなたさえいなかったらっ…!!憎いわ!あなたが!」

「バレンデン様。それ以上王妃を詰るのは私が許しません」

「五月蝿い!どうしてこの女なの!?スカーレット様ならまだしも!!」



眉を顰め剣を抜いたサイモン様の手に自分の手を重ね、首を振る。

彼女に剣を向けることは私が許してはいけない。



「王妃様!何故止めるのです!」

「いいの」



今はそれしか言えなかった。

一概にイザベル様のことばかりは責められない。

彼女にだってプライドがあったのだ。王妃となるべく重ねてきた年月が、その努力が私によって壊された。

それも自分の家よりずっと爵位が低い貧乏子爵家の娘にだ。


“スカーレット様ならまだしも”

我が国には劣ろうとも、スカーレット様は生粋の王族。それに比べて本来、王族と関わりが持てる筈のない私の家。

この3年間、彼女たちもまた見えない鬱積をただただ積み上げていたのかもしれない。

私だって、もしイザベル様と同じ立場だったら同じ事を思うだろう。

もっと醜い感情を露わにして相手を罵倒していたかもしれない。

そう思うと、何も言えなかった。



「…部屋に戻ります。アメリア、イザベル様を放して差し上げて」

「しかし!」

「放しなさい」



私の言葉に従い、それでも全く納得がいっていないという顔でアメリアはイザベル様を拘束していた手を緩めた。

重力に逆らえずにその体は柔らかい芝生の上に落ちる。


唇は未だに震えながらも、気丈に口を結ぶイザベル様は私を見ようとはしなかった。



「せっかくのお茶会ですのに、場の空気を濁してしまってごめんなさいね。アメリア、悪いのだけど姫君たちをお部屋までお送りして」

「はい。王妃様」

「それでは私が頬の手当てをします。こちらへ」



サイモン様の言葉に頷き、その後に続く。

幾つもの視線が私を貫いているのに気付きながらも、全て無視した。

立っているのが精一杯なのを悟られたくない。


赤く腫れた頬よりもずっと、心が痛かった。






「速効性のある塗り薬です。少し染みますが」

「大丈夫よ」



遠くの医務室へ行くよりもと、鍛錬室から湿布と塗り薬を持ってきたサイモン様は手早く私の頬にそれを貼った。

ツン、と消毒液の臭いが鼻を突く。

言われた通り、湿布を貼られた場所は少しだけ染みた。だけど我慢できないほどではない。

子爵家の子女であった私だけど、兄2人に習って少々お転婆だった。

膝を擦り剥いたことも一度や二度ではないので、この位の痛みなら慣れていた。


カチャカチャと道具を片づけるサイモン様は無言だ。

こうして2人きりになったのは4年以上も前のこと。その時はまだ幼かったし、こんなに空気は重くなかった。



「あの、サイモ…」

「何故」

「え?」

「どうしてそこまでして我慢しているんだ!?」



興奮しているのか、いつもの物腰の柔らかい彼はどこにもいなかった。言葉遣いも昔と同じまま。

真摯な瞳に見つめられ、自分の中の緊張の糸がぷつん、と切れる。

ずっと張り詰めたままだった糸が。


視界を歪ませる涙は次々と頬を伝って落ちていく。

後から後から溢れて止まらないそれは、零せなかった自分の感情だ。

イザベル様に憎いと言われて傷ついた。どうして私なのかと問われて胸が締め付けられた。

そして向かう感情はただ一つ。


私さえ、王妃にならなかったら誰も不幸になどならなかったんじゃないか。


どうして王妃になどなったのだろう。王宮から直々に来た話だとは言え、断る口実は幾らだってあった筈だ。

自分ばかりが傷ついてきたと思っていた3年間。

私は同じくらいの痛みと屈辱を彼女たちに与えていたのだ。



「…言ってくれ」



暫く黙って私を見ていたサイモン様は、ふいにそう言った。



「え?」

「言ってくれ。王宮から出たいと」

「なにを…」

「アルフレドを通して、ハークネス子爵から手紙を貰った。だから王妃を守る近衛兵の話が出た時、立候補した。君を守る為に」

「サイモン様」

「言ってくれ、サラ!君が一言ここから出たいと言えば、私が出してやる!命を懸けてでも!」



「それは面白い話だな、ノワイル」



空気を切り裂くかのような冷たい声に、言いようのない恐怖を覚えた。

それはサイモン様も同じだったようで声のした方に向ける表情はとても硬い。



「陛、下…」



陛下の口元は上がっているのに、血に飢えた獣のように光る眼が恐怖を増幅させる。

扉に寄りかかるようにして立つその姿は、まるで獲物を追い詰める獅子そのものだった――

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