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愛に帰す  作者:
本編
8/23

08:ハシバミ色の記憶


額にひんやりとしたものが当てられ、ゆっくりと目を開ける。

見慣れた高い天井に妙な安心感を覚えるのは、夢見が悪かったからだろうか。

内容はよく覚えていない。ただ、ぞっとするような感覚だけが、鈍く痛む頭にこびりついていた。



「お気づきになられましたか?」



傍に控えていた女官長と空中で視線が合い、ほっと安堵したような顔で問われた。



「私…」

「まだ起き上がってはいけません。覚えていらっしゃいますか?お倒れになったのですよ」



そうだ。スカーレット様とお茶を飲んでいるときに気分が悪くなったのだっけ。

せっかく時間を作っていただいたのに、申し訳ないことをしてしまった。


窓からの零れそうな陽の光で溢れていた室内は、今はシンと静まり返っている。

外はもう、群青色に包まれているところからして相当な時間眠っていたのだろう。

まだ頭に痛みは残るけれど、倒れる前よりはずっといい。

差し出された熱いお茶で喉を潤し、ほっと溜め息を吐いた。



「お医者様が充分な睡眠をとるようにとのことでございます。それから念の為にとお薬も」

「ありがとう。体調管理には気をつけないといけないわね」

「ええ。スカーレット様も心配されてました。つい先ほどまでは陛下と宰相閣下もいらっしゃいましたわ」

「陛下が?そう…後でお詫びに伺わなければね」



貴重な執務の時間を削らせてしまったに違いない。

スカーレット様にもお詫びの手紙と、庭園の花を沿えて後日お茶会のやり直しをしてもらおう。

その時は後宮の他の姫も集めて。


女官長が何か言おうと口を開くのと、部屋の扉がノックされたのはほぼ同時だった。

侍女に付き添われ入ってきたモリスは、私と女官長を交互に見、気まずそうに笑った。



「なにやらタイミングが悪かったですか?女官長殿」

「い、いえ…」

「お話の途中で悪いのですが、王妃様とお話ししても?」

「ええ。しかしまだ体調が万全ではないので、手短にお願いいたします」


勿論です、と笑ったモリスはゆっくりと私の方へ歩みを進める。

ベッドの中に入ったままというのは気恥ずかしかったので、体を起こそうとしたらやんわりと押し止められた。 



「そのままで結構です、王妃様。お加減は?」

「よくなりましたわ。心配をかけてごめんなさい」

「とんでもないことでございます。大事に至らなくてなによりです。…ところで」



いつになく真剣な顔で、周りを窺うようにして紡ぎだされた言葉。

急に落とされた声が、これから話される事の重大さを物語っていた。



「これから暫く王妃様の警護を強化いたします」

「…何かあったの?」

「いえ。大したことではございません。陛下にも話は通してありますのでご心配なさらず」

「そう…」

「近衛兵より3人、本日より警護にあたらせて頂きます。3人も若いですが腕は確かです」



近衛兵と言われ、一瞬アルフレド兄様の顔が頭を過る。

しかし、陛下に話を通してあると言われたらその線は薄いだろう。何しろ実家との連絡を絶つ為にエレナを解雇したぐらいだもの。

警護の強化と聞いて不安ではないかと問われたら、勿論不安だ。最近不穏な動きをしているものがいないと聞いていたから余計に。

けれど剣の覚えもない私は、ただ大人しく守られているしかない。


紹介してもいいかと問われたので、勿論だと答える。

これからのことも考えて、私を守ってくれる人の顔は覚えておいた方がいいだろう。

モリスに呼ばれ入ってきたのは、言われた通り若い兵士だった。王族を直に守る兵士だ。強いことには変わりはない。



「手前がヘルマン・ブラック。近衛兵副隊長です」

「まあ…そんな方を?」

「常にというわけではございません。公務の時など外に出られるときはブラックが先導しますが」


あとの2人のうち1人は女の兵士だった。

アメリアと名乗った彼女は薄い茶色の髪を短く切りそろえ、見た目は男と変わりないと言っていたけれど。

でも線の細さと、なだらかな体の曲線は武装していても隠せないものだ。

聞くと名のある貴族の令嬢なのだとか。とは言っても自分は五女で、結婚するのが嫌だったから入隊したのだと笑っていた。

深窓の姫君には決してない傷とか、日に焼けた肌とか。それが兵士としてのなによりの証だ。

それでも女の身でありながら近衛兵に抜擢されるなど、実力としては男に劣らないのだろう。

これからよろしくと笑いかけると、顔を真っ赤にして頭を下げていた。

歳もさほど変わらず、他の侍女のように私を好奇の目で見ないところがとても嬉しい。

彼女は常に近くにいてくれるということなので、エレナがいなくなってから寂しかったお茶の時間がまた楽しくなりそうだ。


最後の1人は、モリスに名前を呼ばれるまでずっと俯いているので顔はよく見えなかった。

ブラック副隊長と、アメリアが前に出て私に礼をしている間もずっと。



「最後にサイモン・ノワイル。アメリアと共に常に王妃様の近くにいる者です。アメリアが室内なら、ノワイルは室外の警護を担当します」



彼の名前を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。

それは彼も同じだったのだろう。だからずっと、下を向いたまま私の方を見なかったのだ。



「サイモン・ノワイルです、王妃様」



躊躇いがちに向けられたハシバミ色の瞳は、私が記憶しているのと何も変わってはいない。

ただ、4年という月日が流れた分だけ彼は大人になり、その顔に精悍さも加わった。


サイモン・ノワイル。

私が王妃になる前…正確には実家がまだ裕福だった頃、私と彼は婚約していたのだ。

元々ノワイル侯爵家当主と母が幼馴染だったらしく、子供の頃はよくお互いの家を行き来していた。

大きくなったら旦那様になる方よ、と母が教えてくれた4つ年上の男の子はまさに絵本に出てくる「王子様」だった。

色素の薄い髪は、太陽に透けると金色に見え、幼いながらにも感動したものだ。

4つ下の私にも秘密の場所を教えてくれたり、器用に編んだ花飾りをくれたりと可愛がってくれた。


『サラは僕のお嫁さんだから、これ』


頭に載せられたお母様の薄い絹のショールと手作りの花冠は、本当に花嫁さんのようだと両親を笑わせ、兄たちを困らせた。

たった5つだった私には、どういう意味なのかもよく分からなかったけれど。

周りの人の反応と、隣に並ぶ男の子の笑顔で幸せなことだということは分かった。


やがて私の母が亡くなり、父が亡くなった14歳の春までその幸せは続く。

王兵に志願して直接会えなかった間は、月に1度の手紙のやり取りが幼い日の約束を未来へを繋げていたのだ。

そして私も、いつか彼の隣に立つことを夢見ていた。


しかし、父が亡くなり兄が子爵家を継いだことで事態は大きく変わる。

治める領地の負債が紙面上に残されていた額よりはるかに多かった。長兄は必死でその原因を突き止め、目の前の現実をなんとか打破しようと躍起になっていた。

父は優しかった。優しすぎたのだ。

その為、多くの悪意に触れ、その度に裏切られ。それでも決して私たちにそれを悟られまいと振る舞っていた。

私たち兄妹は、父を愛していたから恨もうなんて思ってもいない。けれど、世間の多くは違った。

友人は離れていき、親戚からは溜め息が零れない日などなかった。

あれ程親しくしていたノワイル侯爵家とも疎遠になり、遂に14歳の春に婚約が白紙になったことを知らされた。


仕方がないと思った。

元々母と侯爵様が知り合いでなければ、こんな不相応な縁談はなかったのだから。

それに父が生きていた頃ならまだしも、今や急速にその地位を落としている子爵家に何の魅力も無い。

逆に荷物を背負わせてしまうくらいなら縁談を白紙にしてよかったのだと。

悲しくないとは言えなかった。心に灯った淡い恋を気の所為になど出来ないから。

婚約を白紙にするという手紙を貰った時は、正直目の前が真っ暗になったし、泣き叫びたいほど胸が痛かったけれど。

必死に気持ちを押し殺して、実家の為に年老いた伯爵家に嫁ごうとしていた矢先、王宮から使者がきた。


あれがもう、4年も前の出来事だなんて。


彼の瞳には、深い後悔と同情の色が浮かぶ。

優しいこの人は、あの時子爵家を助けられなかったことを後悔しているのだろう。

同じ近衛兵に入ったアルフレド兄様が、いくら気にしていないと言っても、深く謝っていたと聞いたことがある。

貴族としてはよくある話だし、侯爵様の行ったことは何の無礼もない。それでもこの人の気は済まないのだろう。

あの頃と立場はまるで変わってしまった。

気軽に名前で呼び合うことも、無邪気に家の中を走り回ることもない。

それでも私の胸に、懐かしさと共に初恋の温かい感情が甦ったことは事実だ。それは兄に寄せる気持ちと似ている。



「よろしくお願いします」



また会えてとても嬉しいとは、王妃という立場上口には出来ない。

ただ精一杯の気持ちを込めて笑顔で言うと、サイモン様ははっとしたように息を呑む。

それからハシバミ色の瞳に感情が過ったかと思うと、跪き、床につくほど深く頭を下げた。

主君に対する、最大級の忠誠の礼だ。

近衛兵の場合、仕えるべき主は陛下なのだから私にするのには、少し大袈裟すぎる。

彼はそんなことは気にしていないようで、視線を下に向けたまま言った。



「この命に代えても、貴女をお守りすることを誓います。…サラ様」




最後に呟くように紡がれた私の名前は、懐かしさと、ホンの少しの切なさを残して空中へと消えていった。


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