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愛に帰す  作者:
本編
4/23

04:氷の契約

作中にはR15の表現、残酷な描写があります。

少々狂気を孕んだ内容になっておりますので、苦手な方はご注意下さい。

大きく息を吐く。

小刻みに震える指先をなんとかしようと努力したけれど、あまり効果はなかった。

窓の外は私の心の中を示すように、どんよりと重たい雲が空を覆っていた。

昨日あんなに綺麗な満月だったのに、夜半のうちに曇ったのだろう。



話があると陛下に手紙を書いたのは今朝のことだ。

すぐに女官長が持ってきた返事は是。

直ぐには無理だけれど、昼食の後時間を取ろうと書いてあった。

初めは心臓を落ち着ける時間が出来たと安堵していたが、それは間違いだったらしい。

長針が短針を追いかける毎に私の心臓は壊れそうな程に鳴っている。

喉の奥が渇き、何度お茶を飲んでも落ち着かなかった。


思えば陛下と2人きりで話すなんてことは今までなかった。

侍女や兵士の姿があったし、陛下とは公の場で会うのが常だったから。

今回は話の内容が内容だけに、人払いをしてもらうことになる。

そうした時、私はきちんと話が出来るのだろうか。


弱気になりそうな自分を叱咤し、深く息を吐いた。

もう決めたこと。後戻りはできない。



「陛下がお着きになりました」



ドアの外にいた侍女がそう告げると、心臓の音も頂点に達した。

窓の外に向けていた視線をドアに移す。

両隣にいた侍従の者に席を外すよう指示し、陛下はそのまま私の所まで足を進めた。

先日のような華美ではないけれど、王に相応しい服装。

左側の腰には愛用している剣が敵を威嚇するように備わっている。



「お忙しい所お呼び立てして申し訳ありません」

「構わない。話があると聞いたが?」



遂に。遂にこの時がやってきた。

一瞬でも気を抜けば崩れてしまいそうな足元に、必死で力を込める。


指先の震えは未だ治らなかった。

しっとりと手の平に汗が滲む。

まるで判決を受ける囚人の気分だと自分自身に苦笑いした。


陛下の蒼い瞳はしっかりと私を見据えていた。初めてお会いした時、深い海のようだと思った。

何度この目に見つめられたいと願っただろう。

その瞳に、私だけを映して欲しいと。



「お願いがございます。陛下」

「お前が何か望むとは珍しいな。言ってみろ」

「私を…城から出して下さい」



ぴくり、と陛下の秀眉が上がる。



「なんだと?」



底冷えするような声に戦慄が走った。


国が安定するまで戦場で第一線で戦ってこられた陛下は、他国に名の知れた軍人でもある。

剣の腕もさることながら、その冷然とした瞳に震え上がった敵も多いと聞く。

戦場に赴いたことのない人々は噂だと思っているようだが、真実だったのだ。

海の底を思い出させる目には青々とした冷たい炎が宿っていた。


ひゅう、と無理に呑み込んだ空気が喉の奥で音を立てる。



「わ、私は3年、王妃として城におりましたが、ただの一度も本当の意味で私が王妃だったことなどございません」



陛下は何も言わず、仮面のように無表情で私を見下ろしていた。


舌が縺れて上手く言葉が紡げなかった。

けれど、何としても伝えなければという一心で先を続ける。

きっと陛下なら慈悲を下さる。敗国にそうしてきたように。



「幸いお世継ぎはございません。それを理由に離縁しても皆は納得して下さるでしょう」

「…………」

「スカーレット姫こそ真の王妃様に相応しい方。どうか私の最初で最後の…っきゃあ!」



今まで微動だにしなかった陛下は突然、私の顔を上げさせた。

骨が砕けてしまうのではと思うほど強く掴まれた顎は、鈍く痛みを放っている。

恐る恐る陛下を見ると、冷気を纏っていた瞳には今やはっきりと怒気を帯びていた。


陛下を怒らせてしまったことが、深く心を傷つける。

今まで贅沢な暮らしをしておいて、陛下のご尽力で実家まで立て直して頂いて、なんて我が儘なんだろう。

けれどこれ以上自分の存在意義すら分からぬまま過ごすことは出来なかった。

蔑まれる王妃などこの国の為にもよくないだろう。



「陛、下」

「お前は…それほどまでに私の妻でいるのが嫌か」

「え?」



陛下が呟いた言葉はあまりに小さく、私には聞こえなかった。

顎にかけられていた手が離れ、不安定な熱が痛みを残す。



「ならぬ」



吐き捨てられるような言葉を理解するのに時間がかかった。

慌てて紡いだ言葉はひどく滑稽に零れ落ちる。

この部屋に入ってきた時と同じ、無表情な陛下と視線が合った。



「えっ…」

「ならぬと言った。今後その考えを改めない限り、部屋からも出さぬ」

「陛下!」

「これ以上話す気はない。いいか、お前の実家や親族の家を潰すことは容易い」

「……っ」



その瞳が、その言葉が暗に意味することに愕然とした。

私のたった一つの行動が、愛する家族を破滅させる。

目の前が真っ暗になるとはこういうことなのか。

私には重厚な扉が閉まったことにすら気付かなかった。

もう立っていることすらままならず、崩れるように床にへたり込んだ。



「どう…して」



涙が静かに頬を伝う。

心が痛いと悲鳴を上げる。

粉々に砕けた残骸はもはや希望とは呼べない。









陛下に言い付けられたのか、食事の時間すら部屋から出ることは許されなかった。

警備の兵士も人数が増え、今まで以上の厳戒体制が敷かれている。

代わる代わる入ってくる侍女達は、まるで私がここから逃げ出さないように見張っているようだった。


そんなことしなくても逃げられるわけないのに。

羽をもがれてしまった鳥は静かに籠の中で生きるしかないのだ。



「王妃様、湯浴みがお済みになりましたら今夜はおやすみになりますよう」

「ええ…分かったわ」



言われた通り沐浴を手伝ってもらった後はベッドに入った。


一人で眠ることが常だったのに、今夜は眠れそうになかった。

目を閉じると、昼間の氷のような瞳を思い出してしまうから。

ベッドから降り、実家から持ってきた本を取る。

子供の頃から好きだったお伽話の世界は、いつだって幸せに溢れていた。

美しい王女と王子は互いに愛し合い、数々の困難を乗り越える。

どんなに途中切なくても、最後はハッピーエンド。



「それから2人は、幸せに暮らしました…」



何度も読んで空想の世界に耽った。

自分にもいつか、素敵な王子様が現れて愛されて幸せになるんだと、信じて疑わなかった。


それは叶わない永遠の夢。

現実はもっと苦しくて辛いものだ。

幸せそうに微笑む2人の挿絵に涙が落ちる。

もう枯れてしまったと思っていたのに、私はまだ泣けるらしい。




不意に人の気配を感じ、ドアの方に目を走らせる。

月明かりも淡く、はっきりとは見えない。



「誰…?」



私の声に応えるかのように、その人物は一歩一歩近づいてきた。

コツン、コツンと暗闇に響く靴音は不気味以外の何物でもない。

やがてぼんやりと浮かんできた姿に、私は危うく悲鳴を上げそうになった。



「陛下?」



何も言わない陛下に、昼間と同じ恐怖を覚えた。

開けたシャツに、ズボンといつもよりも無防備な格好なのにそう感じるのは、腰に下げている剣が鈍い光を放っているからだろうか。


陛下が腰を降ろした所為で、ギシリとベッドが軋んだ。

その表情からは何も分からない。

王という立場上、表情を悟られないよう幼い頃から訓練を積んできたと聞いていたけれど…

違う。これは「表情」ですらない。

蒼い目はガラス細工のように何も映していないのだから。


ギシ、と音が鳴る度陛下は私との距離を詰めて行く。

その目に見つめられた私は、その場から動くことが出来なかった。

やがて暗闇の中でもお互いの顔が確認出来るほど近くなったとき、私の鼻を二つの香りが掠めた。


一つはアルコールのツンとした匂い。

もう一つは…優しい花のような香り。


私はその香りを知っていた。

先日スカーレット姫がいらしたときに頂いた香水と同じだったから。

そこから導き出せる答えは一つ。


頭から冷水をかけられたようだった。

私を嘲り、傷つけるつもりならば大いに成功した。

抱いたのだ、彼女を。

今にも陛下の瞳の中にあの美姫が映りそうで怖かった。

重なり合う身体が、絡み合う様子が目に浮かんできそうで。



「いや…嫌!」



胸板を力一杯押して距離を作る。

それが過ちだと気付いたのは、手首を痛いくらいに掴まれてからだ。



「私を拒むのか?」



抑揚のない声で問われ、はっとした。

だけど私が口を開くより早く、両手が柔らかいシーツに沈む。

断続的な痛みだけが、これを現実だと教えてくれた。



「陛…いや!止めて下さい!」


服にかけられた手を拒もうともがくと、一瞬だけ動きが止まった。

思い直してくれたのかと安堵したのも束の間のこと。

陛下は突然高らかに笑い出した。

誰もが戦くような声で。



「こうして欲しかったんだろう?こうして抱いて欲しかったんだろう?」

「何、を…」

「世継ぎが欲しいのなら孕めばいい。協力は惜しまん」



冷たい声と瞳は、闇の中で更に深さをました。


陛下の手は震える私を嘲笑うかのように、次々と服を剥いでいった。

恐怖に怯える肌に指を滑らし、言葉を紡ぐことを忘れた唇を塞ぐ。

もしこれが愛のある行為なら、どんなに幸せだったかと思うと、心が壊れた。

陛下は決して私を愛さない。感情など必要ないのだ。

私という器さえそこにあればいい。





「私のものだ、全て。お前のものですらない。いいか、サラ。お前は私のものだ」





吐息のような言葉さえ、私には届かない。

心を殺した私には。

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