侍女:エレナ・クラウンの証言
前作「宰相の憂鬱」よりもう少し後の話になります。陛下あまり出番なし。けどなんか濃いです。
さらっと読んでくださったら嬉しいです。
「サラ様、お茶をどうぞ」
「ありがとう、エレナ」
優美な彫刻が施された小さな丸テーブルに、バラの模様が描かれた茶器から温かそうな湯気が立ち上る。サラ様はレース編みをされていた手を止め、それに手を伸ばした。
ドレスの上からでも分かるほどに膨らみ始めた王妃様の腹部は、幸せと愛情に包まれているようにも見える。今や国全体が、国王夫妻の第一子を心待ちにしていた。
サラ様と私は幼い頃から同じ時を同じ場所で過ごしてきたと言っても過言ではない。サラ様がまだ子爵邸にいた時から、そして王妃に召されてからも私は傍にお仕えしてきた。
ほんの数ヶ月前まで、サラ様の結婚生活は決して幸せとは言えなかっただろう。身分を楯に言われのない中傷を受けたことも一度や二度ではない。唯一の頼りである国王ですら、サラ様を顧みなかったと知った時は心から怒りを覚えた。
サラ様が王妃を辞し、田舎で生活されることを望むのなら私もついて行こうと決めていた。
しかしこうして、数か月経った今は全てが良かったと肯定は出来なくとも、全てを否定することもしようとは思わない。例えどんなに回り道だったとしても陛下はサラ様を心から愛し、大切にしていることを分かっているから。
それにあの出来事がより一層2人の絆は確固たるものになっているのだ。
サラ様は変わられた。前より美しくなられ、そして強くなった。没落寸前の子爵令嬢から文字通り一夜にして王妃の名を頂いた時は、ただただ怯え自信を失っていた。
あれほど快活だったのにも拘わらず、数か月後には笑顔すら忘れてしまわれたかのようだった。
けれど今は昔よりも笑顔が輝いているように見える。愛している人の子を宿したことでサラ様に自信が付き、そして王妃として国王の支えとなる強さも生まれた。一日一日、サラ様は魅力的になっていく。
――これじゃあ、陛下がサラ様を離したがらないのも無理はないと思う。先日の宰相様事件(侍女たちの間ではこう呼んでいる)が頭を過り、緩んでいく頬を締め直すことは中々に困難となった。
あれから暫く宰相様は連日、陛下直々の仕事を任せられ数日姿を見せなかったと聞いている。だから部屋に入る前にお止めしたのに。
城に戻られてからの陛下は今までのことは夢だったのかと思うほど、サラ様を愛し抜いている。朝食と夕食を共に摂りサラ様との時間を大切にしている。
それはもう、城中の侍女が一目でもお2人を見たいと心から切望するほどに。勿論私はいつも特等席で拝見させて頂いている。王妃専属の侍女の特権だ。
「なあに、エレナ。何か嬉しいことでもあった?」
「あ…申し訳ございません!」
おもわずうっとりとした表情が顔に出てしまっていたらしい。サラ様に指摘され、いったん深呼吸をして自分を落ちつかせた。
「それよりサラ様、すっかり大きくなられましたね」
「ええ。早く生まれて来て欲しいわ。陛下も私も楽しみでしかたないの」
「生まれたら生まれたで、陛下が嫉妬しそうですね」
冗談で言ったその一言だったが、間違いなく一瞬にして場の空気を凍らせたことを長年の侍女の勘で悟った。
サラ様は紅茶の入ったカップを持ちながら何かを考えるかのように真剣な表情をしている。
「えっと…サラ様?」
「ねえ、エレナ。それって冗談よね?」
「はあ、まあ…何かあったんですか」
無言でサラ様は頷く。陛下…一体何を仰ったんですか。
「実はね…」
サラ様によると。
昨夜いつもの通り、サラ様と陛下は夕食の後の一時を過ごしていた。陛下はまだ執務が残っていたらしく、ご自身の部屋で今後の外交についての資料を読んでいた。
そのすぐ傍のカウチソファでサラ様はレース編みをされていたらしい。生まれてくる我が子への小さな靴下を編んでいたそうだ。
話題は自然と子供の話へ移り、王子であろうと姫であろうと愛情に満ちた毎日を送らせてあげたいと2人で笑った。
しかし問題はその後に起こった。
サラ様はご実家で奥様がされていたように、子供が大きくなるまでは子供と同じ部屋で寝たいと零されたそうだ。そして、空気が固まった。丁度先ほどと同じように、冷たい沈黙が辺りを這っていたそうだ。
陛下は笑顔でサラ様の提案を却下。昼間は仕方なくとも、夜だけはサラ様との時間を邪魔されたくないと優しく笑顔で――だが目は全然笑っていない――仰ったそうだ。
「…冗談よね?」
再び、確認するように言ったサラ様の問いに私は答えることが出来なかった。見てもいないその風景がありありと瞼の裏に浮かぶ。
有り得ないですと言えばサラ様は安心するだろうか。だが、そんな心にも思っていないことを私には口にできない。
なぜなら、陛下なら十二分にそう言う可能性があるからだ。
「愛されておりますね、サラ様」
そう言うのが精一杯な私をどうかお許しください。
「エ、エレナ!?」
「安心してください。このエレナ、お役にたてることでしたらなんでもいたしますから!」
「それはそれは。実に頼もしく優秀な侍女だな」
突然背後から聞こえた声に、サラ様も私も言葉を失った。
微かな物音すら立てずにこの国の頂点に立つお方――国王陛下がそこにいたからだ。
国中の女性たちの視線を攫うようにして集める整った容姿には穏やかな笑みが浮かび、陛下が歩みを進める度に腰に下げられた装飾用の剣が太陽の光を反射していた。
「へ、陛下!お出迎えもせず申し訳ございません!」
「よい。それより少しサラと2人きりにさせて貰えないだろうか。先ほどのことについてじっくり話し合う必要があるようだ」
「陛下!?」
「勿論でございます。では、サラ様。私はこれで失礼いたします」
笑顔で一礼し、私はドアへ向かう歩みを速めた。サラ様、これも運命でございます。この国で一番素敵な方に愛された宿命とでも申しましょうか。
きっとサラ様の提案は昨夜と同じように陛下の言葉一つで簡単に覆されてしまうだろう。
なぜですって?
それは陛下がサラ様を愛して止まないのと同じくらいに、サラ様も陛下を想っているからなのです。