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愛に帰す  作者:
番外編
20/23

月下の庭園

本編より4、5年ぐらい前のお話。

サラと陛下のファーストコンタクト。

陛下の独白です。


香る香水、人々の内から零れる一夜の駆け引き。

女を飾るのが宝石と口紅なら、金と権力が男の装飾品だ。

囁く愛の言葉も、重ねられた指先も貴族同士のくだらない遊び。いかに偽りを並べられるかが勝負の分かれ目なのだ。

幾度となく目にしてきた光景であるのに、慣れるどころか嫌悪だけが募って行く。

これがこの国を支える貴族たちなのかと思うと我が国ながら将来を憂う。


―― オスヴァルト・アレキサンダー・ロゼ。それが私の名だ。

現ロゼ国王の嫡子にして唯一の王子。父に側室は何人かいるがいずれも生まれたのは王女だった。

私が次の国王になるのは明らかで、勿論異論はない。大きな責任が重圧に感じることもあるが、それも仕方のないことだと割り切っている。

父王の具合がおもわしくないのは最近のことだ。執務に向かうことよりもベッドの上での時間が長くなっている。

私ももう子供ではない。いつでも国を担う覚悟は出来ているし、その為に長年父と共に執務をこなしてきた。

既に何人かの姫が後宮へと輿入れされており、大臣たちの間では私が王位を継ぐのも時間の問題だと囁かれている程。

私の見えるところ、見えないところで数えきれないことが変わろうとしていた。

だから今日、人払いをした父に呼び出された時もこれからのことだろうと何の疑問も抱かなかったのに。


…まったく。あの父王の考えている事がまるで分からない。久しぶりに生き生きとした表情をしていると思ったらこれだ。

お前も民のことをより深く知っておく必要があろうと、渡されたのは鳶色の鬘と仮面。それが何を意味するのか初めは分かりかねた。

どこか楽しそうに「一夜の恋というものもいいものだぞ」などと言う口を塞いでしまいたいと思ったのは私だけか。

つまり変装をしてどこかの夜会に行き、遊んで来いと。父が言いたいことはそういうことだ。

挙句の果てには母上と知り合ったきっかけが忍んで行った夜会だったと嬉しそうに話し出す。

玉座に座っていた時とはまるで違う顔に、正直肩の力が抜けた。今まで生きてきた中で王以外の父を見たことがなかったからだ。

だからだろうか。どうする?と問われ即座に肯定の言葉を出したのは。



それを今更激しく後悔したとしても、何の意味もないだろう。


夜会が催されているのは名のある侯爵家だった。確かここの姫が最近後宮に入ったはずだ。まだ一度もあったことはないが。


口に入れたアルコールが苦く喉を通っていく。

仮面など逆に目立つものだと思ったが、周りを見渡せばどこもかしこも仮面の男女で溢れていた。

おそらくどの人物も名のある貴族なのだろう。配偶者がいるか私のようによっぽど顔を知られたくないか。まあ、多くは前者だ。

独身の貴族はわざわざ仮面をつけるような真似はしない。自分の容姿と着飾ったものを大いに見せる機会だからだ。

いかに自分が美しいか、権力を持っているか。それだけがこの夜会に必要なもの。


吐いた溜め息さえ周りの喧騒に掻き消される。



「まあ、随分美しい殿方ですのね」



弧を描いた赤い唇に、胸元の開いたドレス。仮面と扇で年齢などはよく分からないが、私とそう歳は変わらないだろうと思う。

年上の貴族に嫁いだ若い娘というところか。その主人とやらは壁に体重を掛け私を睨む壮年のあの男だと思って間違いない。

その横には若い娘がいる辺り、お互い今夜の不義には目を瞑ろうと約束でも交わしたのだろう。だったら睨むなとも思うが。



「お褒めに与り光栄です」

「声もお綺麗でいらっしゃるわ。今夜のお相手はもう決まって?」


言葉にはせず微笑んで見せれば扇から覗く頬がほんのりと赤く染まる。

彼女から伸ばされ、そっと腕をなぞる指先が何を意味しているか分からないほど子供でもない。

しかし、私はくだらないの一言で片づけられるような虚像に、想いを馳せようとも思わない。



「魅力的なお誘いですが、さきほどから熱心に貴女を見ている男性がいますので。私では役者不足でしょう」

「え?」


肩越しに指を指して女が振り返ったと同時に、踵を返し人ごみの中に紛れる。

嘘は言っていないから良心は痛まなかった。




人と人の間を縫うように歩いて辿りついたのは、裏庭と思しき場所だった。

硝子張りの扉を開けると夜風がアルコールで火照った頬を心地よく撫でる。

邸内とは打って変わって静寂が支配する庭には我が国の国花であるバラが所狭しと咲いていた。侯爵家の栄華を象徴するような豪奢できらびやかな花の重なり。

城に咲いているのとさほど変わらない香りであるのに、息が詰まる様な甘さが辺りを漂っていた。


不愉快な酔いを醒まそうと庭内に足を踏み入れる。

誰もいないのか、時折風が枝を揺らす音以外は何も聞こえなかった。

こんなに静かな夜はいつ以来だろか。昼間は父の代わりに執務をこなし、夜は夜で大臣や後宮の姫の部屋を行き来する毎日。

王になる為にはそれが当たり前だと思っていたが、夜の静寂さえ忘れていた程忙しかったのだと今更ながらに思う。

大きく息を吐けば、胸に(つか)える重みもとれるような気がした。



「きゃっ…」



不意に聞こえた声にはっと思考を戻す。辺りを見渡しても声の主らしい人影はない。

耳をすませば、それは垣根の向こうから聞こえた声だったらしい。微かに人の足音と、鈴の音が鳴った。

そっと足音を立てぬように垣根を覗けば、栗色の髪を持った少女の横顔が見えた。

見たところ、夜会に参加できるような年齢でもなさそうだ。誰かの付き添いで来たにしてもあまりに不用心過ぎる。

中にはそういう趣向を持った男だっているのだから。



「もう、驚かさないで。誰かに見つかったら怒られてしまうわ」


一瞬、私に向かって言っているのかとも思ったが少女の視線からしてそうではなかった。

彼女の足元には一匹の白い猫が纏わりつき、のんびりとした鳴き声を上げていた。さっきの鈴の音は、あの猫の首元にぶら下がっているものからだったらしい。

子供らしく少し高めの柔らかい声は危機感など少しも感じていないようで、近くにあった石造りの椅子に腰を降ろすとその猫を抱きあげた。猫は大人しく彼女の腕の中に収まっている。



「あら、名前があるの?えっと、スノー…リア?」

「にゃあ」

「素敵な名前ね。お伽噺に出てくる妖精のお姫様と同じ名前。私はサラよ」



猫に向かって話しかける不可解な少女。動物に名を名乗ってどうするのかと問いたくなる。

しかしそんな私の思いは余所に、彼女は尚も猫に話を続けた。今夜の月は丸いだとか、昨日食べたパイは甘すぎたとか。

誰が聞いても下らない内容ではあったのに、私は何故かその場から動けなかった。

彼女のくるくる変わる表情と笑顔から目が離せなかったから。



「そうだ!最近覚えた歌があるの。聞いてくれる?スノーリア」

「にゃあん」

「ありがとう」



優しいキスは朝露に零れて

美しい声は昼の風に乗って

温かい抱擁は夜の静寂を破って

妖精は歌います

可愛い君に

朝陽より柔らかく

花の蜜より甘やかに

妖精は歌います

大好きな君に



静寂を破る様なその声は、しかし、自然なほど耳に響いた。

この国に古くからあるお伽噺の歌だ。幼い頃母がよく庭先で歌っていたのを思い出す。

時々外れる音程が妙に愛らしい。彼女は真剣に歌っているのだろうが、零れる笑みは隠せなかった。


ふと、歌声が途切れる。何事かと思えば誰かが近づいてくる足音。

咄嗟に腰に挿した剣に手が伸びる。



「サラ!!」

「きゃあっ!…お兄様?」

「お兄様じゃないだろう。まったく…私から離れるなと言っただろう」

「だって私が傍にいたら、お兄様誰ともお近づきになれないじゃない」

「ばっ…馬鹿!そんなことお前が心配しなくてもいい。それよりもう帰るぞ」

「はあい。じゃあね、スノーリア」



会話から察するにどうやら兄妹のようだ。

少女は膝から猫を降ろし、頭を撫でてやると兄と2人で邸の中に入って行った。


再び訪れる静寂と闇。

なのに私の耳には未だ彼女の歌声が離れなかった。あの優しい笑顔も。

チリン、と音がしてスノーリアと呼ばれた猫が私の足に体を擦り寄せてくる。

そっと抱き上げると、甘いスミレのような香りがした。



「…スノーリア、お前オスではないか」


妖精の姫君と同じ名前を持つくせに。そんな呟きもこの猫には分からないのだろう。


先ほどまでには無かった、胸を温かくする感情。

私はまだ知らない。その名前を、その意味を。


ただ柔らかな熱を胸に、私は月下の庭園を後にした。

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