愛を乞う-3
陛下がサラに無体をはたらいたあの話です。
DVに近い表現をしております為、苦手な方はご注意頂くか読むのをご遠慮ください。
サラ視点の時よりも弱冠R描写が濃いです。
ひどく冷たい夜だった。
姫の手はアルコールで熱を含んだ私のと違い、氷のように凍えていた。
顔を近づけ、目を閉じる。
――彼女に口づけをする為に。
「陛…下?」
スカーレット姫のそれが重なる寸前、私は咄嗟に彼女の肩を押し返していた。
訝しげに歪む瞳が私を驚いたように見ていた。
戸惑いを隠せない姫の目を見られないまま、私は背を向けドアに向かって踵を返す。
「今宵はもう遅い。後日また日を改めて訪れるとしよう」
取って付けたような言葉を並べ、早々に姫の部屋を辞した。
後ろで姫か侍女の声が聞こえたような気がしたが、私には立ち止まる余裕すら残ってはいなかった。
そのまま乱暴に廊下まで行き、自分を抑えるかのように大きく息を吐く。
後宮の廊下は驚くほど静まり返っていた。警備の為の近衛兵は目立たないところに立っている為、木霊するのは私一人の足音だ。
アルコールで思考回路は霞んでいるはずなのに、目を閉じれば鮮明にサラの顔が浮かんだ。
女を抱くことは簡単であったはずだ。少なくとも一国の長として、私には子供を作る義務がある。
しかしもはや私には義務と割り切ることすら出来なくなっていたのだ。
どんなに忘れようとしてもサラの顔が、声が、絶え間なく私の脳裏を過る。
一度だって彼女を笑わせることなど出来なかった。ただ傷つけ、泣かせ、それでしか私という人間を刻みつけることが出来なかった。
昼間のサラの告白は予想以上に心の負担となっているらしい。あの時は怒りでやり過ごすことができたが、今私の中にあるのは深い痛みだけであった。
――痛みとはあまりに勝手すぎるではないか。自嘲気味に笑えば、夜半の冷たい空気がひやりと頬を撫でる。
廊下の壁に背中を合わせ、後ろ手に力いっぱい壁を殴った。静寂は僅かに破られたが、やがて拳の痛みが引くと同時に再び無音の空間が訪れる。
勝手だった。始めから、何もかも。
始まりもなければ、終わりもない。結局この3年間で私とサラが築いたものなど、何一つないのだ。
ふらふらと宛てもなく歩いているつもりだったが、気づくとそこはサラの部屋の前だった。扉を守っている近衛兵たちが私に気づき、慌てて頭を下げる。
こんな時間に私がサラを訪ねたことがないからだろう。いや、サラを王妃にしてからというもの正式にサラの部屋を訪れたことはなかった。
夜な夜な私が部屋の扉を使ってサラの寝顔を見ていることなど誰も知らない。そこで私が何を囁いているのかも。
国王夫妻の仲がおもわしくないと噂が立つのもその所為だ。
近衛兵たちを脇に下がらせ扉を開く。淡い花の香りがするのは気のせいか。
いつもの癖で足音は立てずに奥へと向かった。寝室は来客を接待する部屋の向こうにある為、例え足音を立てようと気づかれることはなかっただろうが。
薄い扉を開けるとぼんやりとした月明かりに照らされたサラがいた。まだ眠っていなかったらしく、丁度ベッドの脇のテーブルに何かを置いたのが見えた。
彼女が実家から持ってきた古い本。サラが繰り返し読んでいるのを何度か見たことがあった。
「誰…?」
不意に私の気配を感じたらしく、不安そうにサラは言った。
その声に応えるかのように一歩ずつ歩みを進める。
勝手なのは重々承知だ。昼間あれほど冷たい言葉でサラの願いを跳ね返し、それでもなお傍にいたいと願う。
私には素直に愛を伝える術がないのだ。くだらない矜持と嫉妬が私から大切な言葉を奪っていく。
本当に伝えるべき言葉を飲み込み、言葉すら口にすることを拒み、紡いできたのは痛みだけ。
「陛下?」
戸惑いながらそういうサラに、果てなく想いは募る。今なら言葉に出来る気がした。言葉にしたかった。
――許してくれ。ベッドに腰を下ろし、不安げに私を見るサラに心の中でそう言った。
――許してくれ。お前を、失いたくないのだ。
ゆっくりと顔を近づけ唇を重ねようとしたときだった。
「いや…嫌!」
急にはっとしたよう目を見開いたサラはそう言って私の体を押し返した。
縮まりかけた距離が、サラの手でまた離れる。胸に触れるサラの手は微かに震え、それが彼女の本心を表しているかのようにも思えた。
そうか、と頭の奥で嘲笑うかのような声が響く。
そうか、それほどまでに私に触れられるのが嫌か。
全身で拒否する手を押さえつけ、強引に体をシーツに沈ませる。
恐怖に強張るサラの表情に反して私の心はどこまでも冷静だった。
いや、冷静ではなかったのかもしれなかった。私をこんな行動に走らせたのは、心を刺す痛みに他ならない。
きりきりと胸が痛む。かつてないほどの痛みだと、遠くに薄れていく意識の中で思った。
そうして私は再び"言葉"を飲み込んだ。
「こうして欲しかったんだろう?こうして抱いて欲しかったんだろう?」
「何、を…」
「世継ぎが欲しいのなら孕めばいい。協力は惜しまん」
嫌だと言うサラの言葉を無視し、強引に服の中に手を忍ばせた。
柔らかな肌に指先に馴染む体温が私から理性を奪っていく。
サラの悲鳴も、痛がる声も何もかもが私を狂わせた。理性の箍は外れ、ただ本能に忠実な獣になる。
3年間必死でサラを守っていた砦をあっさりと破り、ひたすら貪欲にサラという存在を求めた。言葉にならない想いを、体で埋めようと隙間なく熱を感じ、与えた。
許してくれと請う傍らで、許さないでくれと叫ぶ。狂おしい感情に突き動かされ、もう一方で冷静に言い訳を繰り返す。
愛している?いや、もしかしたらそんな生易しい言葉では語れないのかもしれない。
もはや執着に近いと認めざるを得ないだろう。
彼女の幸せすら上手く願えない私が、許しを請うなどあまりに馬鹿げている。
「サラ……っ」
だから許さないでくれ。憎んでくれても構わない。お前の心から、私を消さないでくれ。
私がサラを解放したのは夜が明けていく頃だった。ゆっくりと白く染まっていく空を見ながら、気だるい体をベッドから起こした。
気を失ったままのサラの顔は青白く、生気が感じられない。あれほど熱を共有したはずだったのに、触れた頬は驚くほど冷たかった。
何度も口づけて残した鬱血痕が鮮やかに昨夜の情事を主張する。
もう何も言うまい。
剥き出しの肩にシーツをかけてやり、ベッドから下りた。朝方の冷たい空気が容赦なく肌を刺したが、頭を冷やすには丁度よかった。
無造作に着ていたシャツを羽織り、腰に剣をさす。
正確な時間は分からないが、今から自室に戻っても執務には間に合うはずだ。
もう一度サラの顔にキスを落としてから部屋を出ると、応接室には先客がいた。
「おはようございます!サラさ…」
サラが実家から連れてきた侍女は私の顔を見るなりさっと青褪め、慌てて深く頭を下げた。その手には薄紅色の封筒を持っている。
「へ、陛下でございましたか。ご無礼をいたしましたことをお許しください」
「よい。それよりその封筒はなんだ」
「サラ様のご実家からのお手紙でございます」
サラが実家に手紙を出したことは今までにもあった為珍しいことではないが、実家と手紙のやり取りをするときは必ず私に報告があった。
王宮に届けられるものは、例え親しい間柄の人物の贈りものであっても一度全て封が切られる。
それはどんなに世の中が平和になったところで変わることはないだろう。万が一のことを想定しなくてはいけないからだ。
しかしその封筒には開けられた形跡が一切ない。そして、サラの実家からだというのが更に私に不信感を抱かせた。
「その手紙は一旦預かろう」
「は?しかし…」
「王宮に届けられたものはどんなものでも一度目を通すしきたりなのだ」
「それは大変失礼いたしました。なにぶん存じ上げませんでしたもので」
その手紙の中身を侍女は知らないのか、それとも私の考えが杞憂だったのか、あっさりと封筒を渡された。
サラはまだ目覚めぬだろうから、他の仕事を優先するように彼女に伝えると何やら顔を赤くして部屋から出て行った。
王妃の部屋の応接間はそれなりに広い。何度かここに後宮の他の姫君を招いたこともあるらしいことは私も報告で聞いていた。
サラなりに一生懸命王妃としての務めを果たしてくれていたのだと今さらながらに気づかされ、どうにも切ない気持ちになる。サラは確かに貴族の出であるが、始めから王妃候補として育てられた姫君とは何もかも違う。
戸惑うことも、辛く感じることも多かっただろう。本来なら傍で支えるべき私も頼らずに、必死に3年もの間。
その応接間のソファに座り、侍女から預かった封筒を見つめた。
ハークネス家の家紋の封蠟印。確かにサラの実家からのものだ。
ゆっくりと封を開けていく。他人の手紙を読むなど、どう考えても褒められたことではないが。
私の嫌な予感はどうやらまた当たったらしい。
そこにはサラを案じる文章が連なっていた。家の為とは言え、辛い思いをさせて済まなかったとも。
――陛下との離縁が決まったら、必ず実家に寄ってくれ。サラ、今度こそ兄としてお前を守らせてくれ。
ハークネス子爵のサラへの愛情が詰まった手紙は、無意識に指先に力を込めた所為で僅かに形が歪んでしまった。
今日手紙が届いたということは、ハークネス子爵は何日も前からサラの決意を知っていたということか…?
私の脳裏にスカーレット姫が来た日のことが思い浮かんだ。あの日、ハークネス子爵も宴に招かれていた。
サラが退出したと侍女に聞いたと同時に、モリスがやってきたではないか。そう、確かサラがハークネス子爵と話をしたいと。
あの時は久しぶりの兄妹の再会だからと深く考えずに許可を出したが、そういうことだったのかと思えば全て辻褄が合う。
鉛を飲み込んだかのように喉の奥が重くなる。
どれほど前からサラは決意を秘めていたのだろうか。そうして私の許を去り、誰かと一緒になるつもりだったのだろうか。
もしも、と仮定するにはあまりに現実味を帯びている気がした。
扉一枚隔てた向こう側で、私との情事を色濃く残したサラはこの手紙を待ち侘びていることだろう。
「離縁など…してやるものか」
誰にともなく呟きそのままもう一度手紙を封筒に戻すと、酷く冷酷な感情を引きずった私は執務室には行かず近くにいた侍女に女官長を呼びに行かせた。
その間に一旦自室に戻り、王として相応しい服装に着替える。
女官長は数分と待たずに訪れると、静かに頭を下げすぐに用件を聞いてきた。
長年城に仕え、侍女たちを纏めてきただけある。彼女は私が余計な話を好まないのを把握しているのだ。
「今日から暫く王妃に仕えよ。サラが実家から連れてきた侍女は暇を出し、家に帰らせる」
「…何か彼女が失礼を?」
「余計なこと。詮索は無用だ」
女官長の問いを切り捨て、話はそれだけだと右手を払う。
心得たように頭を下げ去っていこうとする女官長を、もう一度呼び止め付け加えた。
「暫くはどんな理由があっても、私の許可なしに王妃を部屋から出すな」
はっと息を飲んだ女官長に背を向け、私は執務室へと向かった。
薄紅色の封筒を、胸のポケットに入れたままで。