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愛に帰す  作者:
愛を乞う
17/23

愛を乞う-2


一月も経たないうちにカメリア国はスカーレット姫を後宮に召すことを承諾してきた。

彼女は明日、我が城に到着することになっている。

これほど簡単に事が運ぶと、逆に何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうが、カメリアに潜り込んだ男からは何の連絡もないところからするとそうそう懸念することでもないだろう。

どうやら現カメリア国王は、見栄とプライドはあるが裏の裏まで読めるような知能は無いらしい。

それともこちらがまだ年若いからと侮っているのか。いずれにしてもこちらの動きを少しも怪しんでいないことは確かだ。


スカーレット姫とは幼い頃幾度か遊んだ記憶がある。

もう十数年前の話なのでハッキリとは覚えていないが、活発でよく笑う姫だった。

今回のことに巻き込んでしまうことは心苦しいが、彼女も王族ならば分かってくれるだろうと思う。


今日最後の書類に判を押し、疲れから痺れる目頭を指で揉む。

最近の忙しさで碌に睡眠もとっていなかった事を今更ながらに思い出した。

王として当たり前のことであって苦痛に思ったことは一度も無い。いや、私が王であることに何か感情すら挟んだことはなかった。

しかしそれでも、ふとした瞬間に夜は休む為のものだということを忘れていたと気付くのだ。

そういうときは無性にサラの顔が見たくなる。

大抵は涙の跡が残っているが、時々とても安らかな寝顔を見ることある。ほんの少し緩んだ口元で彼女が幸せな夢の中にいる事を知り、胸中に愛しさが溢れるのだ。

それを口にするには、あまりに多くの嘘を重ね過ぎた。彼女にも、自分自身にも。


今宵もそっと王妃の寝室を開け、音を立てずにベッドまで歩む。

サイドテーブルに置かれた薄い本と、編みかけのレース。窓から零れる月明かりでぼんやりと浮かぶサラの白い肌。

渇いていない涙を拭うのも今では習慣となってしまった。

夜はサラにとって、例え一瞬でも心休まる時であるのだろうか。現実から逃れ、夢であっても笑える時であるのだろうか。


「サラ、愛している」


そうであって欲しいと願う。

夢の中でも、幻でも。サラの涙が落ちない場所があるのならば。






それから2日の間は、何もかもが滞りなく進んだ。

スカーレット姫は無事王宮に到着し、その日のうちに歓迎の宴が開かれた。

一国の姫の輿入れだけあって、カメリアからは特産品である宝石が沢山贈られた。

それらは人々の称賛を集め、また姫の美しさにも話題が尽きなかった。

彼女は幼いときの記憶を楽しそうに話し、すぐに臣下の心を掴んだようだ。

それは私にとっても嬉しい事だったが、スカーレット姫を前にしてもサラの表情が少しも崩れなかったことは私の心に小さな影を落とした。

そうさせたのは私自身だと分かっているのに、それでも望んでしまう。サラの心に、私への関心が少しでもあることを。



「王妃よりお手紙を預かっております」


珍しく執務室へやってきた女官長が持ってきた思わぬものに、一瞬言葉を失った。

白い封筒に押されている蝋は王妃のみが持つことのできる特別な紋章。サラからであることは間違いなかった。

妙な浮遊感を覚えながら手紙を受け取り、封を開けた。

言うまでもないが、サラから手紙を貰ったのは初めてのことだ。当然封を切る指先にも力がこもる。

内容はこれといって特別なものではなく、話があるから少し時間をくれないかというものだった。

几帳面に並ぶ文字が、切ないほどに胸を抉る。

今日は確か面倒な会議もない筈だ。目の前の書類も、一通り目は通してある。判を押すだけなので時間も掛からない。

控えている女官長に昼食の後でなら時間が取れると返事を返し、私は残りの仕事に取り掛かった。



昼食もそこそこに久しぶりに正面のドアからサラの部屋に入った。

王という立場上、常に護衛の者は傍に置いておかなくてはならないが王妃の部屋には私の許可なしに男は入れない。

扉の外で待機しているように指示し、サラの許へと足を進めた。


サラは窓の傍に立っていた。

薄い色のドレスはサラの印象をいつも以上に柔らかく見せている。

先日の宴のような席では纏め上げられることの多い髪は、今は緩く背中に流されていた。

この国ではさして珍しい色でもない栗色の髪が、私はなにより気に入っていた。

波打つ髪に指先を絡めてみたい衝動に駆られ、手に込める力が強くなる。

俯きがちな瞳が真っ直ぐに私を見ていると思うだけで、喉の奥から熱いものが込み上げてくるような感覚に襲われた。


「お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありません」

「構わない。話があると聞いたが?」


一歩、一歩と私が近づく毎にサラとの距離が縮まっていく。

微かな花の香りが、辺りを漂った。



「お願いがございます。陛下」


――予感、だろうか。

何故かサラが口を開くことが、とてつもなく嫌だった。


「お前が何か望むとは珍しいな。言ってみろ」


なんとかいつも通りの表情を保ちそう言葉を紡ぐと、途端にサラの顔に緊張が走った。

少しずつ視線が逸らされ、唇がきつく結ばれる。

知らず知らずのうちに私の指先にも力が入った。



「私を…城から出して下さい」



初めは何を言われているか分からなかった。

やがてその言葉の意味が、重く耳に響いたとき心が凍るような気さえした。


「わ、私は3年、王妃として城におりましたが、ただの一度も本当の意味で私が王妃だったことなどございません」


止めてくれ、それ以上言葉を紡がないでくれ。

出なければ私は…


「幸いお世継ぎはございません。それを理由に離縁しても皆は納得して下さるでしょう」


私は…


「スカーレット姫こそ真の王妃様に相応しい方。どうか私の最初で最後のっ…」


乱暴にサラの顎を掴み上を向かせた。

驚きだけで見開かれた瞳。

その瞳に映る自分の表情の、なんと情けないことだろう。

今や人々の讃える賢王の顔はどこにもない。そこにいたのは嫉妬と焦燥に駆られた男だ。


渦巻くようなこの感情を言葉には出来そうになかった。

怒りなのか、焦りなのか、悲しみなのか、痛みなのか。それぞれの欠片が一つにならないまま心臓を突き刺す。

いっそ一つに溶けてしまってくれたらこれ程までの想いは感じなかったかも知れなかったくらいに。


サラの目はもう逸らされてはいなかった。ただ私を見つめる瞳には少しの怯えと、期待が込められているだけ。

…期待?一体私にどんな答えを望んでいるというのだろうか。

笑って頷くとでも?そうか、分かった。そなたがそうしたいのならそうすればよい、と。

人々が敬うような王の顔でそう言えというのか――



「ならぬ」


体が芯から冷えていた。


口に出した言葉は思った以上に空気に緊張を与え、サラの顔に不安の影を落とす。

私は完全に良心を失っていた。

もうサラを傷つけまいと誓ったその舌の根の乾かぬうちに、新たな傷をこの手で与えようとしていた。

しかし、もはやそんなことはどうでもよかった。

彼女を脅し家族を盾に取るという、非道なことを口走っても心は痛まなかった。

痛みなど、感じるだけ無駄だったのだ。


例えばこれが己の招いた結果だと誰が言ったとしても私は何も言い返せないだろう。

数々の傷を作っておきながらただ傍にいてくれさえしたらそれでよかったと、今更綺麗事など幾ら並べても何の弁解にもならない。

サラの事を考えればこのまま望むようにしてやるべきだ。それは頭では理解している。

しかし、いくら理解をしても本能が拒否するのだ。

自由にしてやりたいと鳥籠を開けた次の瞬間に、また何重にも錠を掛けてしまうような矛盾した心。

人間という生き物が、王という仮面を被った自身が、エゴで塗り固められていると知った瞬間でもあった。





夜半に響く靴音。

一心に仕事をこなした後だというのに、全くと言っていいほど疲労は感じていなかった。

夕食も思うように喉を通らず、杯に注がれたアルコールを次々に流し入れた所為で少しだけ体は熱を持っている。

酔ってはいなかった。逆にこれ以上ないくらい頭は冴えていた。

心に空いた空洞を埋めようと酒を飲んだ筈なのに、それが忘れさせてくれるのは一瞬のことでその後は呑む前よりも強い虚無を感じる。

完全な悪循環だと分かっていても、給仕していた者が止めるまで私は杯を仰ぎ続けた。

その者たちを押し退けるようにして出た回廊には、夜らしい冷えた風が体から熱を奪っていった。


どこへと考えるともなく、足は勝手に後宮の方へ向っていた。

誰でもいい。この虚しさから解放されるのだったら、誰を抱いても同じこと。



「まあ、陛下!いらしてくれたんですね!」


その部屋の主はスカーレット姫だった。

名目上は側室であるが、私が彼女の部屋を訪れたのはこの夜が初めてだった。

何度か彼女付きの侍女から訪問を促されていたことをぼんやりとした頭の片隅で思い出した。



「私ずっとお待ちしておりましたの」

「そうか」


嬉しそうに笑う姫を見て、人々は口を揃えて美しいと言うだろう。

例えるのなら大輪の花だ。鮮やかな色を放ち、芳しい香りを放つような。

サラはどちらかと言えば控え目に咲く野花に例えられるだろう。

大半の人々の目には美しくは映らないかもしれない。しかし、あの淡い色がないとどこか心寂しく感じてしまうものだ。

一見目立たないでいるようで、なくてはならないもの。


姫の指先が私の肩をなぞるように這っていく。

鼻孔を掠める花の香り。

カメリア特有の花から採取した貴重な香水だと記憶している。

先日宴を開いた際に、彼女は確かサラにも同じものを贈っていた。


肩を撫でていた姫の手を乱暴に取ると、私の意図を汲んだのか姫は静かに目を閉じた。




――サラ

一体私はどうすればよかったのだ。

部屋に鍵を掛け、お前を閉じ込めればよかったのか?

それとも恥もプライドも立場さえも殴り捨てて愛していると叫べばよかったのか?

そうしたらこの虚しさの意味も、心臓が千切れるくらいの痛みの理由も少しは分かるようになるのだろうか。

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