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愛に帰す  作者:
愛を乞う
16/23

愛を乞う-1

愛に帰すの陛下視点の話。

激しくネガティブ思考なのでイメージが崩れてしまう恐れがあります。ご注意くださいませ。


連日美しい月が上っている夜。

いつものように執務を終え、寝台へ疲れた体を横たえる。ベッドの温かさなど、とうに忘れた。


王の寝室には人目に付かないよう隠された扉がある。その存在を知っている者は多いから、隠されたと言うのは少し語弊があるかもしれない。

わざわざ外へ出なくとも、隣へ通じる――つまり、王妃の部屋と直接繋がっている扉だ。

誰の介入も許さないそこを潜る瞬間だけ、忙しい毎日と王という立場から解放される。そして扉を開ければ、愛しい人が王の訪れを待っているのだ。

…だがそれは、私にとってはただの幻想に過ぎない。

サラを娶り、王妃という枷を与えて3年。私が扉を開けるのは、いつも彼女が寝入ってからだった。


いつものようにそっと王妃の寝室へと入ると、ぼんやりとした薄明りだけが私の行く末を照らしていた。

王妃らしい豪奢なベッドに横たわる華奢な体。栗色の髪は柔らかなシーツの上にまるで波のように広がっている。

足音を立てずに傍に寄るのも3年も経てば慣れたもの。閉じた瞳と唇から零れる浅い呼吸を確かめ、微かに涙の跡の残る頬を撫でた。


こんな想いをさせるつもりではなかった。

今更何を言ったところで、私の身勝手な言い訳に過ぎないが。それでも、この存在を手放すことなど出来ない。

もしもと考えたことなど数えきれないほどあった。

もしも彼女の家が没落せず、婚約者と破談にならなかったら。もしも私があの日彼女と出会わなかったら。もしも私が、彼女を愛さなかったら。

こうして夜ごと涙で枕を濡らすことも無かったのだと思う。


ハークネス子爵家が大変な負債を抱えていると知った時、私の胸の奥に閉まっていた淡い想いが溢れだしてきたのだ。

いずれはどこかの国の王女や、国内の貴族の娘を娶るのだろうとぼんやりと思っていただけの日々に、その想いはあまりに鮮烈過ぎた。

私と結婚し、王妃という立場を得れば彼女の実家は今までにないくらい繁栄するだろう。今はまだ婚約者のことを想っていてもいい。列国最強の王の妻という場所は、その痛みをすぐに消してくれるだろう。

好きなだけ宝石とドレスを与えれば私を愛してくれる。きっとそうだ。

3年前の私はそんな愚かなことを考えていた。私自身、そういう女性にしか触れてこなかった所為もある。宝石と権力。その2つは彼女たちにとって何よりも代えがたい。

そしてサラもそうだろうと、信じて疑わなかった。

だが高価な装飾品を贈れば贈るほど、ドレスを新調すればするほど、サラの瞳は悲しい色を湛えるようになっていた。

初めて会った夜のような笑顔が見たいのに、「ありがとうございます。嬉しいです」と言うサラは少しも喜んではいなかった。


そんなある日、私は偶然サラと侍女の会話を耳にしてしまった。


『王妃様、お手紙です』

『ありがとうエレナ。クラウスお兄様と、アル兄様からね』


どうやら実家からだったようで、滅多に聞けないサラの弾んだ声に私はドアを開けずに聞き入っていた。

その後の言葉が、私を狂気に走らせるとも知らずに。


『お二人ともお変わりはありませんか?』

『ええ、そうみたい。…サイモン様は未だにアル兄様に申し訳ないと言っているみたいね』

『左様でございますか…ノワイル様はお優しい方でしたから』

『本当にそうね。サイモン様には幸せになっていただきたいわ。素敵な方ですもの』


その切なそうな声に、背筋に剣を突きたてられたような痛みが走る。

それと同時にどこかで納得している自分もいた。いや、納得しなくてはその感情についていけそうにもなかったから。

ああ、そうか。サラは婚約者のことを忘れずにいるのだ。だから私に笑いかけず、心を開こうともしない。

嘗ての婚約者…ノワイル侯爵家の嫡子を、愛しているから。

胸を突くような衝撃は、やがて冷えるような感情に変わって行く。握りしめた拳が白く変色していくのも構わず、私はその場に立ち尽くした。


愛されることが叶わないのならどうすればいいか。

答えは簡単だ。相手を憎めばいい。しかし、その感情を持つにはサラを愛しすぎていた。

王という立場にあり全てを持っている私は傲慢で、出した答えはあまりにも愚かだった。

――傷つけてしまえ、と誰かが言う。例え痛みであってもサラの心に残るのならそれでいいと。

初めは小さなその声も、段々と大きさを増して叫ぶ。歪んだ思考に陥った私は、そのまま身を委ねた。


王妃としてのサラの立場は思った以上に脆い。その地位を保ったまま、私はゆっくりと、しかし確実にサラの心を傷つけていった。

最低限の会話しかせず、夜は後宮の他の姫のところに通う。

傷が増える度、私は心のどこかで笑っていた。また一つ、彼女の心に消えない痛みが残ったのだと。元婚約者を想う気持ちは、痛みで塗りつぶされていくのだと。



愛とは物や痛みで与えるものではなく、言葉と抱擁で伝えるものだ。

それに私が気付いたのは、サラと結婚してから一年も過ぎた頃だった。今更愛を乞おうとも何もかもが遅すぎた。

サラが私に向ける瞳には相変わらず悲しみと、そしていつからか諦めが加わった。

虚しく時は過ぎ、いつしか私は他の姫君の許へ通うこともしなくなった。代わりに夜毎あの扉を開け、サラの寝顔を見るようになっていた。


サラが言われも無い噂に傷ついている事も知っている。表面上は何もないように装っても、無防備になった夜にその感情は溢れだし涙になる。

本当はこの手で何の痛みにも触れず穏やかな生活だけを与えてやればよかったのに。

そうすべき手で、彼女を傷つけてきたのは他ならぬ私だ。


サラの涙で湿った指先が心に鈍い痛みを与える。


「サラ…愛している」


そっと触れるだけの口付けを落とし、そう呟いた。

夢の中を彷徨っている彼女に贈るのは、いつも同じ言葉。その言葉が伝わることはないだろう。

昼間は王の仮面を被り、妻に冷たい態度を取る。しかし夜になり、冠を脱げばその心に覆った仮面すら剥がれてしまうのだ。


もう一度サラの頬を撫で、来た時と同じようにそっとベッドから離れる。

朝日が昇ればまた、私は仮面を被らなくてはいけない。

人々が讃える賢帝は、愛の言葉一つ贈ることもできない。散々傷つけた後で今更愛など乞える筈もなかった。








「最近カメリア国で不審な動きが相次いでいます」


王だけが動かせる暗部の兵士が膝を折り、そう報告した。少し前から気になって極秘に兵を送っていたが、どうやら吉と出たようだ。

カメリア国は我がロゼ国よりも繁栄した時代があった。今はもう歴史の陰に埋もれてしまっているが、過去の栄光にしがみつく様に生きている連中もいる。

嘗ては属国としたロゼに支配権を奪われ、彼の王は気に食わないのだろう。周りの同盟国に頻りに使者を送っては、何やら物騒な会合をしているらしい。


王としての判断を迫られていた。

今のところは大した脅威ではないが後々どうなるか分からない。我が国が領土を広げれば広げるだけ不満を持つ国は出てくるだろう。

小さいものならいいが、油断していると途端に大きくなる。それはなんとしてでも阻止しなくてはならない。

――カメリア国には姫君が一人いる。まだ父も母も存命だった頃、幾度か顔を合わせたことがあった。

幼い頃は共に城内を駆け回った記憶すらある。

その彼女が今回のことを知っているかは分からないが、恐らくカメリア国王は私の提案を飲むだろう。上手くいけば戦を仕掛けるよりも簡単に、この国を奪えるのだから。


「エリオット」

「は」

「カメリアに潜れ。あちらの動向を暫く窺うとしよう」

「御意に」


暗部が去ったのを感じ、急いでカメリア国に使者を送る為の手紙を書く。表向きはスカーレット姫を側妃として召したいという内容で。

しかし実際は人質としてだ。流石のカメリア国王も一人娘を犠牲にしてまで我が国に攻め入ろうとは思わない筈だ。

もしも彼女が今回のことに何の関係もなかったら自らの手で相応しい夫を探してやるつもりだった。


元々後宮にいる姫君は別として、結婚してから新しい側妃を迎えるのは初めてのことだ。

サラは…悲しむだろうか。それとも私のことなど当に見限っているのだろうか。

宰相に渡す予定だった令状は一瞬の心の乱れの所為で、インクが滲んでしまった。もう一度書き直さなければいけない。

いつだってそうだ。私の心を動かすのはサラだけだった。サラに会って恋を知った、己の弱さを知った。

そして、口から出ない言葉がどれほど無意味なのかも。



書き上がったばかりの令状を宰相のモリスに渡すと、おもいっきり顔を顰められた。

基本的に忠実であり、柔軟な考えを持つモリスだが時には頑固な一面を見せることもある。サラが関わるのがその時だ。


「恐れながら陛下」

「なんだ」

「王妃様にはこのことは伝えられるのでしょうか?」

「いずれ伝わるだろう。わざわざ私が言うことではない」

「しかしそれではっ…!」


視線をモリスから手元の書類に戻し、右手を軽く払えばそれ以上モリスは何も言えなくなる。

「失礼しました」と臣下らしく礼を取りモリスが出ていくまで、私は前を向かずにいた。

真実を話してもよかったと思ったが、何の証拠もないまま下手に事を荒げる訳にもいかない。モリスには宰相としてスカーレット姫をもてなして貰う必要があるからだ。

今回のことを言ったところでサラは何も変わらない。大声で泣き喚いて、いっそ私を詰ってくれれば少しは気が楽だったかもしれない。

彼女はきっと、ただその身に運命を受け入れるだけ。もしも明日、私が王妃を別の誰かに譲ろうともそれは変わらないだろう。

サラは王妃という立場には固執していない。私が与えたから受け取った。実家に対しての負い目もあるのだろう。一度として私を困らせるような我が儘を言ったことはなかった。

権力や金に動かされないところに惹かれた筈なのに、時々それがひどく苦しい。私から権力と金を取ったら、なにも残らないから。


それでも傍にいて欲しいと思うのは単なる私のエゴだ。


「…また泣かせてしまうだろうな」


泣かせてしまったとしても、私の我が儘だとしても、手放す辛さを思えばよっぽどいい。

それだけを思い、執務机の上に溜まった書類を一つ一つ片付けていく。



――身勝手な私は気付くことができなかった。

そうやって言い訳を重ねている間に、サラの出した静かな決意を。


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