表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛に帰す  作者:
本編
14/23

14:愛に帰す

繰り返し見る夢があった。


一面花が咲き誇る場所で、どことは説明が付かないけれどとても美しい所。

誰かが私を呼ぶ。優しい声で、愛おしむような口調で。

振り返るとそこにいるのはいつも同じ人。シルバーブロンドの髪に深い海を思い出す瞳。

広げた腕はとても広くて温かい。その胸の中に私を抱きしめてその人は何かを言うのだ。


でもいつもそこで夢は終わる。

その人が何を言ったかさえ私には分からない。まるで音を失くした音楽と同じ。ただ空虚な映像だけが取り残される。

だから今回も同じだと思った。だってあの人は一度だって私に笑いかけてくれたことはないもの。

その口が紡ぐのは音のない言葉なのでしょう?

だったらいっそ何も言わずに去って行って。夢の中だとしてもこんな風に抱き締めないで。

私はもうあなたの傍にはいられないのだから。



――愛してる、サラ。






「王妃様!?よかった…お気づきになられましたか!?誰か!侍医を呼んでください!」



視界いっぱいに広がるエレナの泣き顔。私を覗く瞳全てが心配そうに揺れていた。私がいるのは温かいベッドの中。

訳が分からず、しかしとりあえず体を起こそうと全身に力を入れると、途端に眩暈が訪れた。

それをいち早く察したエレナに慌てて押し留められる。


バタバタと部屋の中に入ってくる侍医と侍女たち。表情は一様に険しい。

体を起こす手伝いをされながら、どうしてこんなことになったのか断片的ではあるけれど思い出してきた。

お兄様とエレナとお茶を飲んでいて、サイモン様が訪ねてらして…陛下との離婚が成立したら屋敷に来ないかと誘われた。

混乱して、部屋に駆け戻って。それから…お茶、そう、スカーレット様から頂いたお茶を飲もうとしたんだ。だけど口をつける前に吐き気が込み上げてきて。

それからの記憶は全くと言っていいほどない。

一体どれくらいこうしていたんだろうか。カーテンがピッタリと閉められた部屋の中では時間を予測することもできない。


診察に来た侍医が代わる代わる私の額に手を当てたり、いくつか質問をしたりして頻りに体調を気にする。

以前体調を崩して倒れたことがあったけれど、こんなにも執拗ではなかった気がする。少量の薬を与えられたぐらいだ。

起きた時は酷く気分が悪かったが、今は至って普通だ。そう医師に伝えると安堵の笑顔が返された。



「お茶はお飲みになっていないのですね?」

「え?ええ…その前に気分が悪くなってしまって…」

「そうですか。脈などにも異常は見られませんし、とりあえず安静にしていてください。すぐに戻りますので」


そう言って私の診察をしてくれた医師は出ていった。


どうしてあれ程までにお茶のことを気にしていたのだろう、と疑問はあったけれど。

スカーレット様に頂いたお茶は零してしまったのだろうか。

傍に控えていたエレナにそのお茶が飲みたいと伝えると、困った顔で私が倒れた時に茶葉ごと床に零してしまったと言われた。

せっかく頂いたものを私の不注意で台無しにしてしまったことに心が痛んだ。

エレナに急かされてもう一度ベッドの中に入る。医者はすぐ戻ると言っていたからこのままでも構わないと言うと凄い剣幕でベッドの中に押し込まれた。



「いつまでも起きているとお体に触ります!3日もお目覚めにならなかったのですよ?一時はどうなるかと」

「え、3日?そんなに?」

「ええ。陛下もとても心配されてましたよ。昼夜問わずずっとお傍に…」

「陛、下?それってどういう…」

「あっ」


エレナが急いで口を押さえるも、一旦言葉となってしまった以上消せる筈がない。

冷静になりかけていた頭が再び混乱し始める。


どうして…陛下がここにいるのだろう。

正式な退冠の日にちが決まったのだろうか。それにしても陛下ご自身が出向かう必要はない。

じゃあどうして?少なくともこの2カ月近くで王宮から使者があったのはサイモン様ただ一人だ。

それに何の知らせも無く陛下が王宮から出るということがあり得るのだろうか。


一つも整理が付かないまま、控え目なノックが思考を破る。

エレナが先だって扉を開けると先ほどの医師が穏やかな笑顔で立っていた。

そしてそのすぐ後ろには、陛下がいらしたのだ。

2か月振りにお会いするその姿は相変わらず凛凛しく、だけど以前よりも痩せたように感じる。

私が王宮にいた時もそうだったけれど、政務が忙しいのだろう。きっと寝る間もなく仕事をしていたに違いない。


エレナと何か話している医師とは逆に、陛下は真っ直ぐ私のベッドまで足を進める。

慌てて体を起こそうとするも、手を上げられやんわりと拒否された。

とは言っても、ベッドの中にいたまま陛下をお迎えするのはとても無礼だし何より初めてでとても恥ずかしいのだが。



「…具合はどうだ」

「え、ええ…お陰さまで。ご心配をおかけいたしました」

「いや。それはいい。…レオナード!」


あの医師はレオナードという名前だったのか、陛下の呼びかけにすぐに「なんでしょう」と言葉を返した。



「少しサラと話をしても構わぬか」

「ええ。ですが…」

「あの事なら私から話す。エレナと言ったな。そなたも外してくれるか」

「畏まりました。何かあればすぐにお呼びください。レオナード様、お茶でもご用意いたしますわ」

「ああ。ありがとう」



私が口を挟むまでもなく、陛下の指示通り2人は扉の向こうへと消えていった。


陛下の瞳が真っ直ぐ私を射抜いているのが嫌でも分かる。

さっきの夢が頭を過った。いつもは言葉が紡がれる間に終わる夢。なのに今日は、陛下の声で欲しかった言葉が聞けた。

自分に都合がいい夢だって分かってる。だって私はもう王妃を名乗る資格すらなくなる身なのだから。


ただただ沈黙が続いた。話をすると言った陛下は一向にその口を開く気配を見せない。

相も変わらず深海のような瞳は私を見つめるだけ。

居心地が悪くなって少しだけ体を起こすと、陛下の手が優しく背中を支えてくれた。



「あ、ありがとうございます」

「辛くはないか」

「ええ。大丈夫です」

「そうか」



そうして再び訪れる沈黙。

息遣いすらひどく臆病になる。


私は握りしめたシーツに、陛下はカーテンの閉じられた窓の向こうに意味も無く視線を落とす。

この沈黙を破った先にある何かが怖くて。その言葉の後に訪れる未来を知りたくなくて。



「サラ」

「はい」

「お前の退冠だが、難しくなりそうだ」

「え?一体どういう…」



一瞬、陛下の眉間に皺が寄る。

何かに耐えるかのように強く握られた服は細かい皺を幾つも作った。

浅く吐きだされた息は少し、震えていた。



「お前の体に私の子がいる」



――えっ…



陛下の言葉が、噛み砕かれないまま頭の中に残る。

ゆっくりと視線を向ければ、辛そうに眉を顰めた陛下がそこにはいた。その目は私から逸らされ、冷たい床を見つめているだけ。


無意識のうちにお腹に手を当てていた。

この体に宿る新しい命。今この瞬間にも時間をかけながら育っていく生命。

3年間、ずっと望んでいたはずだった。子供が出来れば、陛下も私を愛して下さるんじゃないかと思ってた。

だけど今陛下は愛する人を手に入れ、私は王妃を辞めようとしている。

そんな中、私が懐妊したと国中に知れ渡ったら一体どうなるんだろうか。退冠が難しくなるどころの話ではない。

陛下の代になって初めての御子だ。

私は、陛下は、スカーレット姫は?すべて何もかも幸せになる筈だった未来は、再び私の所為で黒く塗りつぶされてしまうの?



「サラっ!」



意識が遠のいていく私を支えたのは陛下の腕だった。

エレナと医師を呼ぶ声が、耳の奥で響く。



「王妃様!?」

「まあ!お顔が真っ青ですわ!」


すぐさま部屋に入ってきた2人は慌ただしく私の熱や脈を測りだす。


思考は全てを拒否していた。

愛する人の子供を身ごもって嬉しくないわけがない。だけど陛下にとっては疎ましい存在になってしまうんではないだろうか。

私だけならいい。けれどこの子はどうなってしまうの?

王族や貴族の間で望まれなかった子供の末路を、私は嫌というほど知っている。

もしもそうなってしまうのだとしたら…



「やっ…」

「王妃様?」

「いやっ…いや!いやよ!」

「どうされたんですか?落ち着いてください!すぐに鎮静薬を用意してください!」

「はいっ!」



医師たちに取り押さえられながら、私はただ叫び続けた。


お願い。この子を殺さないで――










気が付くと、カーテンの隙間から薄く光が入ってきていた。

朝、と呼ぶにはまだ幾分薄暗い。


部屋の中はシン、と静まり返っていて人の気配はない。まだ少し頭は痛むが、力の入らない身体に鞭打ってベッドから起き上がった。

冷たい床と、刺すような空気。ベッドの傍のテーブルに置かれた水差しで渇いた喉を潤す。

あれからどれくらいの時間が経ったのか分からない。ただ、花瓶に生けられた花が同じだったことから一日以上は経っていないだろうと予想する。

思考はぼんやりとして、考えることすら億劫なのに最後の記憶だけは嫌に鮮明に思い出された。

まだ平らなままのお腹をゆっくりと撫でる。この小さな存在を知ってしまった今、手放すことなど出来る筈がない。

このまま逃げてしまえたら…そんな考えを打ち消すかのように頭を振った。


カーテンの向こうはバルコニーになっている。少しでも頭を冷静にさせようと窓を開け、空気を取り込む。

朝の風は冷たいが、それが逆に気持ち良かった。

バルコニーのところまで軽めの椅子を移動させ座ると、丁度真下には庭師が私に与えてくれた庭が広がっていた。

今までこうしてバルコニーから眺めたことなど無かったけれど、とても心が落ち着いてく。朝露に濡れた花々が、私に語りかけているようにも思えた。

私は、もう一人ではないのだと。


ふと昔お気に入りだった歌を思い出した。

母が幼い頃よく歌ってくれたもので、お伽噺を元にした優しい音楽。いつの間にかこの歌が好きだったことすら忘れてしまった私は、自分自身を偽ることに必死だったのかもしれない。

もう何年も歌っていないのに、一字一句間違えずに歌詞は言える。



優しいキスは朝露に零れて

美しい声は昼の風に乗って

温かい抱擁は夜の静寂を破って

妖精は歌います

可愛い君に




「初めてお前に会った時も、その歌を歌っていたな」



後ろから突然届いた声に、私は息を呑んだ。

当の本人は気だるげに額にかかった前髪を掻き上げ、窓枠に寄りかかっている。

いつもよりも簡易な格好の所為かそこに近寄りがたさはなく、柔らかな雰囲気を纏っていた。

未だ固まったままの私を余所に、バルコニーまで出てきた陛下は柵に体を預ける。

その手に持っている毛布を私の肩にかけ「冷えるぞ」と言った声は、少し掠れていた。



「あの…どうして、ここに?」

「私の部屋が隣だからだ」

「隣?そんな筈は…隣は使用人の部屋です!」

「無理矢理代わってもらった」

「そのようなこと、」

「お前の傍を離れたくなかった」



その目が、指先が、私を捕らえる。



「昨日…お前が気を失ってからだが、お前の侍女に散々詰られた」

「申し訳ございません。きちんと言って聞かせますので」

「いや。私が悪いのだ」

「え…?」

「サラ」

「へ、陛下!?」



驚きすぎて心臓が止まるかと思った。

陛下が、この国の最高人物である陛下が、私に跪いている。

それはお伽噺の王子が愛する姫にするのと同じように、しかしもっと鮮明に私の視界に広がった。


長い指が私の手を捉え、そしてその甲に陛下の唇が落とされる。



「陛下!お止めください!そのようなっ…」

「一目惚れだった」

「え?」

「いつだったか…私がまだ王子であった頃、どこかの貴族の夜会に忍んで参加したことがある。服装を変え、髪色も鬘で誤魔化して一夜の恋の相手を探してた」

「陛下、あの」

「酔いを覚まそうと庭に出た時お前がいた。その家の飼い猫を腕に抱いて、先ほどの歌を歌って、ときどき猫に向かって話しかけて。初めは変わった子供だと思った」



朝陽に照らされた横顔は、遠い記憶を懐かしむかのように優しく穏やかだった。

私が陛下の隣に立つようになってから見たことのないほど。


陛下の言うその夜会が、私は思い出せなかった。

心配性の父に連れられてよく色々な貴族の夜会に行っていたからだ。勿論、陛下のような方が来ていると知っていれば、父も私を連れていこうなどとは思わなかっただろう。

けれど私が覚えている限りそのような騒ぎになったことは一度も無い。ということは、余程巧妙に自分の身分を隠していたということか。


陛下の瞳に映る自分の顔は、ひどく困惑していた。

手にこもる陛下の力は強くなるばかり。



「それから城に帰って何日か経つと、ふとお前の顔が思い出されるんだ。妙に調子が外れたあの歌と、柔らかい笑顔が頭から離れなくて自分はどうかしてしまったかと思った」

「……」

「何度か貴族の夜会に参加する度、お前のことを無意識に探していると気付いた時にはもう手遅れだ。どうしようもなくお前を愛している私がいたんだ」

「そんなことっ…!!」



そんなことただの一度も言ってくれなかった。

私がどんなに焦れて、欲しくて仕方なかった言葉を。


陛下も私の言わんとすることに気付いたのか「ああ」と頷く。それはどこか自分を責めるような響きさえ持っていた。



「その頃お前にはノワイルという婚約者がいただろう?予期せぬ出来事で破談になったとは言え、簡単に断ち切れるほどの想いではなかったはずだ」

「あ…」

「尤もな理由をつけてお前を妻にした時も、心のどこかでそんな考えが残っていた。私は、愚かだったのだ。愛されぬなら、傷つけてしまおうと頑なになっていた。すまないと、何度言っても足りない」

「陛下」

「サラ。今更だと思って私を詰っても構わない。それだけのことをしてきた自覚はある。だが、これだけは聞いて欲しい」



ずっと夢に見ていた。夢に見るのは、現実にならないからだと思っていた。

その手で触れて。そして言ってください。

あの夢の続きを。これが夢ではない証として――



「心から愛している」



溢れたのは涙だったのか、心だったのかは分からない。

だけど羽のように落とされた口付けに、これ以上ないほど胸が一杯になっていた。


陛下ばかりではない。私も愚かだったのだと気付かされた。

ただの一度でも私から愛していると陛下に伝えたことはあったのだろうか。

愛されていないといつも怯えて、本当の気持ちを言葉にしなかったのは私だ。たった一言、その言葉さえ口にしていれば真実は手に届いていたのに。


今からでも遅くないのなら私も伝えたい。



「私もです。私も心からあなたを愛しています。オスヴァルト様」




言葉にすらならない感情を埋めるかのようにキスを繰り返した。

それは確かに、離れていた心が一つになった瞬間。

確かに、バラバラだった2人が愛に帰す瞬間でもあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ