肉のないカレーと母の記憶
しいなここみさまの「華麗なる短編料理企画」参加の一品です!
うちのカレーには、肉が入っていなかった。
にんじん、じゃがいも、たまねぎ……
野菜はたくさん入っていたが、具材に肉が仲間入りすることはなかった。
子供だった僕は、不満をぶつけた。
「肉、いれようよ」
「〇〇の家では牛肉が入ってるんだって、いいなぁ」
その言葉を、母親は微笑みながら、でも少し困ったような顔で聞いていた。
◇ ◇ ◇
母が怪我をした。
その知らせで、東京の大学で寮生活をしている僕は、すぐに里帰りを決意した。
久しぶりに実家に戻ると、“僕の家”は変わらずそこにあった。
母はベッドに寝転がり、僕をみた。
「迷惑かけてごめんね」
「大丈夫だよ」
僕は言った。
「こんな状態だから、ご飯作れないの。冷蔵庫にあるやつを使って、足りない分は買ってきてね」
久しぶりに、カレーを食べたくなった。
カゴを覗くと、じゃがいもだけなかった。
僕は財布を持ち、スーパーへと出かけた。
スーパーにつくと、じゃがいもがお買い得品だった。
ラッキー。
そう思いながらじゃがいもをカゴに入れた。
と、その時、少し先にある精肉コーナーが目についた。
「肉、か……」
僕はじゃがいもだけの会計を済ませ、家に帰った。
「買ってきたはいいものの……どう作ればいいんだ?」
ーー僕は、カレーを作ったことがなかった。
キッチンを探すと、「カレーレシピ」と母親の筆跡で書かれたノートがあった。
めくると、これまで母が作ってきたカレーのレシピがたくさん書いてあった。
その中で、僕が目を引いた記述があった。
ーー「食中毒」
これまで、僕が無縁だったものだった。
◇ ◇ ◇
カレーを食べ終わった母に問いかけた。
「食中毒、なったことあるの?」
母は動きを止め、ぎこちなく頷いた。
「そう、だよ」
さらに僕は聞いた。
「カレーに、関係があるの?」
母は、観念したように話し始めた。
「それは、あなたが覚えていないほど昔のことよ」
「ある日、カレーを作った。あなたが好きだったから」
「でも、加熱が甘かった。肉は生だった」
「あの腹痛を、私は忘れない。
……それが、母さんがカレーに肉を入れない理由」
僕は、黙っていた。
そんなこと、覚えていなかった。
僕は肉のないカレーが嫌だったけれど、それは母なりの愛だったのだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、僕はスーパーへと出かけた。
母にカレーを作るためだ。
いつもの具材だけじゃなくて、肉も買った。
「これがあれば、もっと美味しいカレーになる」
そう思って。
でも。
「なんか違う」
それが、味見した僕の感想だった。
確かに、美味しい。
でも、求めているのはこれじゃない、そんな感覚。
母にも出した。
「おお、肉入れたんだ」
僕は母へと話しかけた。
「僕、わかったよ」
「肉のないカレーに、足りないものなんてなかったんだ。ただ、僕が気づかなかっただけで」
母は微笑んだ。
「あなたもわかってきたじゃない」
リビングに広がるカレーの香り。
あの日の母の気持ちが、少しだけわかったような気がした。