第9話 嫉妬する後輩
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
若者の不思議な感覚、見てて楽しい。
♡ ♡ ♡
「いよお! わりぃな、オハナ坊!」
ヘラヘラしながらさち子さんの机に近寄ってきたのは同期のサクラ、建築課の鴨川である。
手にはさち子さんが昨日返した旅費精算書を持っていた。
「あのねえ、ちゃんと経路調べて書いてよね。こんな迂回した行き方じゃあ、通せないからね」
さち子さんにとっては気安く接することができる仲間だが、気安過ぎるのが玉に瑕。
「だってえ、そこの駅にある立ち食い蕎麦が食いたくてさ。知ってる? 有名なんだぜ」
反省の色が全く見えないことに、さち子さんは溜息をついた。
まったく、我が同期ながら情けない。手前の私で止めてやったことをもっと感謝して欲しい。
さち子さんはこのテキトー男の作るテキトー書類に度々悩まされる。
だが当の本人はどこ吹く風。
「そこに寄りたかったから、早起きして行ったんよ。美味かったなあ」
「それは君の自由だけど、旅費はそこまで出ないから!」
「すんませんねえー」
ヘラヘラ笑う鴨川。こんなにちゃらんぽらんなのにさち子さんよりも高学歴だ。
神様はずるい、とさち子さんは溜息をもうひとつ。
「じゃ、よろしくやっといてよ」
「はいはい」
軽快に右手をヒラヒラさせて、鼻歌まじりで鴨川は去っていく。しかし、入口でその掌がすれ違った人の顔に当たった。
「おっと! ごめんな!」
「……」
軽いビンタを受けたのは鷲見君だった。しかし、鴨川は悪びれずに、そのまま帰ってしまった。
「わわ、ごめんね、鷲見君」
「……なんで花寄先輩が謝るんですか」
「いやあ、一応あんなんでも同期だからさ」
「別に、気にしてません」
口ではそう言っているが、鷲見君は明らかに不機嫌だった。
さち子さんから目も逸らし、とっくに去ってしまったが鴨川がいた方向をジトっと睨んでいた。
もっさり淡々が信条の鷲見君らしくない、感情が垣間見えている。
「今の人、建築課の鴨川サンですよね」
「知ってるの?」
「話したことはありません」
さち子さんと話しているのに、まだ不機嫌な口調の鷲見君。
うーん。怒りは深そうだ。どうしたものか。
さち子さんは鷲見君の上腕をぽんぽん叩いて宥めようとする。
背が高いので肩までは届かないのだ。
「まあ、許してやってよ。見た通りガサツな奴だけど、明るくて頼れる奴だからさ」
「……随分あの人を褒めるんですね」
宥めようとしたつもりが、鷲見君はますます不機嫌になる。
さち子さんは鴨川の何がそんなに鷲見君を刺激するのかわからない。
「え、そうかな? ガサツって言ってるのに?」
「なんと言うか、親しみがこもってます」
なんだか話題がおかしいぞ。どうした鷲見君。
さち子さんはますます不思議さを感じていた。
「入った時からの付き合いだからねえ。同期なんてそんなもんでしょ、ねえ、畑野さん」
「さあ。私達はそれほどでは……」
急に話を振ったが向い席の畑野からはそんな答えが返ってくる。
画面に視線をロックしたまま、クールな返答。
マジか。今の若い子は仲間意識が希薄なのか?
同期なんて友達みたいなもんでしょ、と言うのはすでにさち子さんの年代で終わっているのかもしれない。
「福祉課の旅費精算書です」
不機嫌なまま、鷲見君はさち子さんに書類の束を渡してきた。
いつもより、少し乱暴に。
「あ、ありがとう……」
「失礼しました」
くるりと踵を返して、鷲見君はさっさと帰ってしまった。
「あーあ、鷲見くん、拗ねちゃったね」
一部始終を見ていた統括主査の涌井は、ニヤニヤ笑っていた。
彼の視線は全てを見通しているが、さち子さんにはわからない。
残されたさち子さんは、冷たい書類の束を手に途方に暮れる。
若い子、ワカラナイ……
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