第8話 匂わせる後輩
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
若者の不思議な感覚、見てて楽しい。
♡ ♡ ♡
月に一度の給与計算。今日のさち子さんは旅費の計算に忙しい。
出張などで使った電車の経路が正しいか、検索ソフトとにらめっこ。
全然最短で計算していない、いいかげんな旅費計算を弾く。
「花寄さん、昨日のパッカン動画見ましたよ」
画面を見つめすぎたので少し伸びをしたさち子さんに、向かいの席の後輩、畑野が話しかけてきた。
昨日行った物産展で撮影した海鮮丼のことだ。うらやましかろう、とさち子さんはちょっと得意げ。
だが、若者の興味はそこではないのだ。
「明らかに男の人の手でしたね。ああいうの匂わせって言うんですよ」
若い女子の着眼点はそっちか。すぐそうやって恋バナに持ちこむ思考はちょっと羨ましいかもしれない。
何しろさち子さんはまだ三十歳ながら恋愛的思考が錆びついているからだ。
「彼氏さんと行ったんですか?」
クールな畑野はいつになく興奮しているよう。
さち子さんの背後に一切出てこなかった「男性の影」に興味津々なのだ。
「違う違う、あの手、鷲見君だよ」
「え!」
「ええ!」
さち子さんの答えに、畑野だけでなく統括主査の涌井も驚いていた。
女子の会話をこっそり聞いていたのだ。仕事をするふりして、涌井も結構そういう話題が好きだ。
「す、鷲見くんと行ったんですか? いつの間に、そんな仲に……?」
驚きながら面白がる畑野。クールさが引っ込んで、ニヤついていた。
「偶然会ったんだよ。鷲見君は映画に行く前に寄ったみたいだったよ」
「あ、そうなんですか」
途端に興味を無くす畑野。クール、逆戻り。スンとして仕事に戻ろうとする。
「失礼します」
そんな話をしていたら噂の人物登場。鷲見君が会計課にやってきた。
「あ、鷲見くん。鷲見くんも物産展巡りなんかが趣味だったの?」
なんか、と言う畑野の物言いに、さすがのさち子さんもちょっと怒りたくなる。人の趣味にケチをつけるのか、二十代女子にはあの高揚はわからないだろうが。
「別に……たまたま……」
畑野の質問は本人のクールさも手伝って詰問のようになっている。
鷲見君は少しバツが悪そうに、言いにくそうにモゴモゴしていた。
「ふうん、じゃあ、映画?」
「それも、別に……」
続けた質問に、鷲見君は今度は無表情で答えていた。
昨日は結構愛想がいいと思ったんだけど、休日だったからだろうか?
さち子さんは思わず鷲見君をじっと見てしまった。詰問する畑野の雰囲気に負けることなく淡々としている。
若者のコミュニケーションってこんなものなんだろうか? ところで何に興味があるんだろ、この子?
「鷲見君は、何が好きなの?」
「えっ!」
休日にデパートに来ていたのに、どれも「別に」だったら鷲見君の興味はどこにあったのか。
さち子さんは話の流れで深く考えずに聞いたのだが、鷲見君は肩を震わせて驚いていた。
「鷲見君の趣味ってなあに?」
「え、ああ。趣味……ですか。聖地巡りとか……?」
さち子さんがもう一度聞くと、鷲見君は少しほっとしたような顔をして答えた。
「へええ! 意外とアクティブだね。旅とかするの?」
「まあ……一人でですけど」
常に仏頂面でイケメンの無駄遣いなのに、一人旅が趣味とは、更に無駄遣いで彼らしい。
聖地巡りというのも、明確な目的があっていいとさち子さんは思った。
「最近は、どこかに行ったの?」
さち子さんはすっかり興味津々。聖地ってどこ系なんだろう、映画かな? ドラマかな?
そんなさち子さんのワクワク顔に、鷲見君は少し視線を逸らして答えた。
「この前は、日光に行きましたね……」
おお、ぷち遠出。さては映画の聖地だな?
だから休日に映画を見に来るんだ。それなら映画も趣味って言えばいいのに。
さち子さんはまたひとつ鷲見君情報を手に入れてほくほくだ。
それから日光というワードにも思いを馳せる。
「日光かあ、私、小学生の頃、修学旅行で行ったっきりだなあ」
「この辺の定番ですね」
仕事に戻り損ねた畑野も会話に入ってきたので、さち子さんはひとつエピソードをぶっ込んだ。
「その時のバスガイドさんがさ、栃木弁が濃厚で、みんなで真似して流行ったりしたんだよね」
「えーかわいいー」
さち子さんと畑野が笑い合っている横で、鷲見くんは真面目に頷いていた。
「なるほど。貴重な情報です」
どの辺が? さち子さんは鷲見君の今日イチ動いた表情筋に驚く。
二十年くらい前の話だから、ガイドさんはもう定年してると思うよ?
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