第7話 来ていた男③
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
最近、ちょっと面白い。
♡ ♡ ♡
「どうぞ」
そう言って鷲見君は海鮮丼の半分をふたに取り分け、そちらは自分に置き、さち子さんに入れ物本体の方を差し出した。
それをありがたく頂戴しながら、さち子さんはサッと財布を出す。
「ありがとう! 半額払うね」
「いいです、別に」
しかし鷲見君はいつも通りのもっさり淡々とした口調で、右手まで前に出して断った。
「いやいや、そんな訳にいかないよ。だってこれ、五千円もするんだよ!?」
さち子さんが千円札を三枚財布から出そうとすると、鷲見君はすかさず右手でガードして、テコでも受け取らない意思を見せた。
「むむむ……」
さあ、困った。さち子どうする?
こんな大金を五つも年下の後輩に奢ってもらう訳にはいかないのだ。
さち子さんが唸っていると、鷲見君から世界の真理がもたらされる。
「花寄先輩」
「む?」
「そんなお金の話なんて、目の前の海鮮丼に失礼じゃないですか?」
な! なんてこと! 目から鮭の鱗!
さち子さんは目の前のイクラちゃん達が、キラキラと輝いているのに改めて気づく。
こんな純真無垢な子達の前で、私はなんて汚ねえ金の話なんてしてしまったんだ。
「それより食べてください」
「こ、この借りは必ず返すんだからねっ!」
何故かツンデレみたいな口調でさち子さんが敗北宣言。
すると鷲見君はかすかに口元を緩ませて頷いた。
「是非お願いします」
そして流されてしまったさち子さんは、海鮮丼を一口食べた。
「……ふわぁ! うま!」
なんだこれは。ほんとにこの世の食べ物か。
「良かったです」
そして目の前の鷲見君は可愛く笑っている!
美味とイケメンの二重奏!
さち子さんはしばし全てを忘れて、海鮮丼を堪能した。
「美味しかったあ、本当にありがとう!」
「……良かったです」
空になった入れ物を鷲見君が片付けている隙に、さち子さんはカバンを持って立ち上がる。
「鷲見君、まだ時間ある?」
「えっ、あっ、はい」
「よおし、ちょっと待ってて!」
さち子さんは呆ける鷲見君を置いて、ある場所へ駆け出した。
「お待たせえ!」
さち子さんは両手にソフトクリームを持って戻って来た。
ただのソフトクリームではない。
これはこの物産展の広告にも二番目に大きく載っている目玉商品。その名も。
『北の大地を愛する貴方に…その無垢な心を純白に染める♡そふとくりぃむ』
現地の超有名パーラーが、そのパフェに必ず乗せる伝説のソフトクリームを、今回に限りソフトクリームだけ売ってくれるという。
まさにデパートマンの交渉の勝利の味と言っても過言ではない、逸品だ。
ちなみに価格はあまり可愛くない千円。それでも飛ぶように売れていた。
「デザートやでえ!」
さち子さんは興奮のあまりエセ関西弁が出ている。
鷲見君はそんな姿に目をパチクリしていた。
「さあさあ、溶けないうちに食べなせえ!」
さち子さんは興奮のあまりどこの言葉を喋ったかわからない。
「あ、ありがとうございます……」
鷲見君はさち子さんからソフトクリームを受け取った。
さち子さんも満足そうに再び座る。そしてすぐに頂点をぱくり。
「ふわぁ! うまぁ!」
「花寄先輩、さっきと同じ顔してますよ」
そう言う鷲見君も、先程と同じように笑っていた。
なんて可愛い、パート2。
さち子さんはまたもやイケメンと美味の二重奏を味わった。
「花寄先輩はもう帰るんですか?」
ソフトクリームを食べ終えて、鷲見君が遠慮がちに聞いた。
だがさち子さんにはその機微がわからないので。
「うん。鷲見君は?」
「僕は……映画でも観て行こうと思って」
ほほう。やはり若者は元気ね。もう夕方なのに。
そんな感想を抱くさち子さんの猛烈に低い恋愛偏差値に合掌。
「いいね、楽しんでね」
「……」
「ん?」
「いえ……」
急に元気をなくした鷲見君。それでもさち子さんを物産展の出口までエスコートする。
背を向けて歩いていく鷲見君は、二回ほどさち子さんを振り向いてから去って行った。
帰りの電車の中、さち子さんは早速SNSに動画を投稿する。
『パッカーン、宝石箱やあ~』送信!
『レンティさんがいいねしました』
早っ!
ほぼ同時なんじゃない?
今ごろは映画を観ているはずでは……?
お読みいただきありがとうございます
感想などいただけたら嬉しいです!