第5話 来ていた男①
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
最近、ちょっと面白い。
♡ ♡ ♡
今日は休日。さち子さんは趣味の物産展に来ている。
Tデパートの催事場で、北海道展。大勢の人がつめかけている。
さらに所狭しと並ぶグルメや土産物の数々。
さち子さんはこの会場に来ると血湧き、肉踊る。
生きている感じがするのだ。
さち子さんは早速目をつけていたチョコレート店の出展ブースへ向かった。
燦然と輝くショコラ達を物色していると、ますます生きてるなあと実感する。
これはさち子の持論だけれど。
超有名店は、ぶっちゃけいつでもどこでも買える。なんならオンラインで注文してもいい。
物産展で探すのはめったに来ない、現地に行かないとお目にかかれないような店。
そこにはお店と招くデパートマンとの出会いと感動の物語がある。そういう所へ行くべきだ。
名産品は、一期一会!
戦場に足を踏み入れて数時間。
さち子さんは沢山の戦利品を抱えてご満悦だった。
最後に、『超ビックリ!ウニとカニの饗宴~イクラも忘れずにね丼』を買えば完璧だ。
さち子さんはこの海鮮丼を広告で見て、今日の物産展入りを決めた。
こんな魚卵づくしの痛風丼、若いうちに食べておかないと後悔する!
さち子さんは逸る足取りで、人混みをかき分けながら最後のランデブーポイントを目指す。
店の前は大行列。さち子さんは人知れず「わお」と溜息を吐いた。
ん? なんか不穏な張り紙が見える。
赤い文字で、焦って書きました感たっぷりに悲報あり。
『超ビックリ!ウニとカニの饗宴~イクラも忘れずにね丼は完売しました』
ウソでしょお!
さち子さんは足元から崩れそうになる。
海鮮系は足が早いから、帰り際に買おうと思ったのが完全に裏目に出てしまった。
私の目の前は真っ暗だ。
誰か、私を支えてくれないか……
「花寄先輩、大丈夫ですか?」
ヨロヨロと列を離れるさち子さんの耳に、聞き慣れた声が入ってきた。しかもすぐ後ろで。
振り向くと、福祉課の鷲見君が立っていた。
「鷲見君!?」
「お疲れ様です」
「キミも来てたの?」
「はい」
鷲見君はいつもの飄々とした感じで佇んでいる。
背が高いので、人の波にも埋もれずにもっさりマイペース。
そんな佇まいがとても羨ましい。さち子さんは身長が低いので人混みは難易度MAXなのだ。
「鷲見君も、物産展好きなの?」
「……まあ、はい」
二十代の若者が、デパートの上の階まで来るなんてビックリだ。
さち子さんの勝手なイメージは若い=デパ地下である。
ところで鷲見君はもっさり頷いたけど、なんか変な間がなかった?
「先輩、あれ、買えなかったんですか?」
「え?」
「あの、ウニとカニとイクラのやつ……」
鷲見君が指差しているのは、さち子さんが夢破れたブース。
がっくりうなだれてさち子さんは答えた。
「まあね。しくったよ……」
「食べます?」
「え」
そう言って鷲見君が右手に掲げて見せたのは、まごうことなき『超ビックリ!ウニとカニの饗宴~イクラも忘れずにね丼』だった。
ウソでしょ、これ五千円するのよ。なんて強者なの!
もっさり差し出す鷲見君の表情は淡々。手に入れた喜びも、高価な買物をしたわずかな悔しみも乗っていない。
何故そんな顔でソレを持てるのか不可解。
私ならスキップが止まらないのに。
……と、さち子さんは思わず鷲見君の持つ海鮮丼をしばらく見つめてしまった。
すると鷲見君はやはり淡々と、魅惑の提案をしてくる。
「良かったら、そこのイートインコーナーで一緒に食べませんか」
「え、ええー……?」
さち子さんは不思議さと喜びと困惑で言葉が出なかった。
そんな魅惑の言葉を私にかけるなんて強者過ぎでしょ。
でも一口くれるって言った? やだ、嬉しい。
しかし五千円もする高価な弁当を後輩から恵んでもらうのはどうなのか?
「とりあえず行きましょう。ここで立ってると往来の邪魔になります」
確かに。
さち子さんは熟考に入ってしまったため、足元が疎かになっている。
しかし周りの人波は動きっぱなし。さち子さんはさながら転覆しそうなサーファーのよう。
鷲見君は言いながら海鮮丼を手に、さち子さんを誘った。
ウニカニイクラの鮮やかな色が透けて見えるビニール袋。
さち子さんを先導する、灯台の明かりのようだった。
つづく
お読みいただきありがとうございます
感想などいただけたら嬉しいです!