第42話 匂わせる彼ピ
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
付き合い始めた彼氏への好きがとまらない。
♡ ♡ ♡
交際二週目の月曜日。
さち子さんは浮かれた足取りで出勤した。
何故なら、昨日のラブラブ初デートの余韻が未だこの身に残っているから。
特に、く・ち・び・る……♡
よせやい、恥ずかしい!
さち子さんは市役所に着くまでの間、思い出しては照れて打ち消す作業を繰り返していた。
「花寄さあん、見ましたよ、SNSのニ・オ・ワ・セ!」
さち子さんのSNS師匠・畑野がニヤニヤしながら言った。
出勤するなり先輩に近づいて愛想を振り撒くようなキャラではなかったはずだが。
さち子さんに彼氏が出来た事実は、会計課の雰囲気すら百八十度変える珍事件なのだ。
「あー、俺も見たよぉ。物産展の後、まんまと鷲見くんの部屋になだれ込んだんだね」
ギリセクハラ発言を朝からぶちかます涌井統括。
さち子さんは気にしないでスルーできるけど、以後気をつけた方がいいだろう。
「涌井さん、それだけじゃないんですよ。鷲見くんのアカウントも匂わせしてるんですよ!」
やはり畑野は鷲見君とも繋がっていた。
さち子さんは心の中で舌打ちする。つまり鷲見君の同期には今後も二人の匂わせが筒抜けだという事だ。
「え、マジ? 俺、鷲見くんのアカウント知らないんだよぉ」
「これこれ、これです!」
「えー! これなんだぁ、フォローしちゃおう!」
大変だ。私の先輩と後輩がキャッキャウフフでまたJK化してる。
おっさんと少女が顔を寄せ合って携帯電話を見つめている様は、微笑ましさと気持ち悪さのせめぎ合い。
盛り上がる二人に、当の本人だけが置いてけぼりだった。
「しかし、二人ともやりますね。こんなわかりやすいことしたら、あっという間に役所中に広まりますよ」
「あ、そっかあ。深く考えてなかった」
畑野の忠告に、さち子さんは初めて少しだけ後悔した。
バレるのは構わないけど、三十路女が浮かれてると思われるのは少しだけ恥ずかしい。
「困りますよ、そういうネットリテラシーが低いようじゃ! 鷲見くんは同期くらいしか知りませんけど、花寄さんはそうじゃないでしょ?」
「そうですねえ……」
さち子さんの投稿は、だいたいあのザ・拡散魔・鴨川に広められることが多い。
鴨川にアカウントを教えたが最後、芋づる式にそこからどんどん役所中の職員にフォローされてしまったのだ。
「まあまあ。SNSなんか介さなくても、もうほぼ知れ渡ってるよ」
ここで涌井からの爆弾投下。
「……でしょうね」
さち子さんもそれは諦めている。なにしろ先週は二人で仲良く退庁してしまったのだから。
狭い世界を生きる市役所職員のネットワークの中で、そんなことをするのは自滅行為だ。
「そうなんですか!? 役所、キモッ!」
畑野は少し引きながら衝撃を受けていた。
畑野、わかるよ。私も入ったばかりの時はそう思った。
だが畑野、君もだんだんこのコミュティに洗脳されていくんだろうなあ。
さち子さんが生温い目で後輩少女を見た時、始業のチャイムが鳴った。
♡ ♡ ♡
「お疲れ様です」
午前中は昨日の事を根掘り葉掘り聞かれたさち子さん。
そうしているうちに、彼氏の鷲見君がお昼持参でやってきた。
昼休みにはだいたいここに来る。それが会計課の新しい環境になりつつあった。
「鷲見くん、ちょっとそこに座んなさい!」
さち子さんの隣には『鷲見くん専用チェア』が常備されている。
彼がそこに座る前から、鼻息を荒くした畑野が鷲見君に説教を始めた。
「あんなにわかりやすい匂わせ、交際宣言したようなものでしょ! どうなってんの、チミィ!」
鷲見君はいつも通りもっさり座って、無表情で畑野さんに向かって淡々と言った。
「もちろん、わざとだけど」
──な、ん、や、て?
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