第40話 彼ピのお部屋を初訪問①〜推しがオレの部屋にいる
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
デート後に彼氏のお部屋、という王道展開を迎えている。
♡ ♡ ♡
ふ、普通だあ。
さち子さんが鷲見君の部屋に入った第一印象はコレであった。
鷲見君の家は単身者用マンションで、1DK。
間取りも普通。玄関入ってすぐにダイニングキッチン。奥は寝室になっていると思われる。
私の写真とかがたくさん貼ってあったらどうしよう、とさち子さんは思っていたが、全然なかった。
鷲見君は自分の二十年間を自ら「気持ち悪い」と評している。
そんな人が典型的なアレなはずはない、と思っていたが、あるあるの景色もちょっと見たかったような。
だがそのさち子さんの欲求は結果ありきのものである。
実際に見れるはずがない立場になったからこその、余裕感に他ならなかった
「どうぞ、奥に座ってください」
鷲見君が誘導してくれたダイニング部分はモスグリーンの上品なカーペットが敷かれ、ちゃぶ台が置かれている。
さち子さんは言われるがままに奥に敷いてあるクッションの近くに座った。
さらにその奥は、引き戸を隔てて寝室があるんだろう。
ちょっと開いてる。中は暗い。
の、覗いてみたい! ヤバい、私も変態かもしれない!
さち子さんの好奇心は彼氏の匂いでいっぱいの部屋でピークに達していた。
「ごめんなさい、今からお湯を沸かすので……」
コンロにヤカンをかけながら、鷲見君が申し訳なさそうに言う。
「ううん、いいよ。ゆっくりやってよ」
湧き上がる好奇心を抑えて、「年上の彼女」風を吹かせたいさち子さんが落ち着き払ってそう答えると、鷲見君は棒立ちになってこちらを凝視していた。
「どうしたの?」
「推しがオレの部屋にいるんだがこっから神展開があるのか気になって落ち着かない件」
「おい! 心情がラノベ風にだだ漏れてるぞ!」
面白過ぎるセンスをぶち撒けた彼氏には、渾身のツッコミを。
それがさち子さんのポリシーである。鷲見君がラノベ好きなのは初めて知ったが、不思議な納得感があった。
「……はっ! ごめんなさい、一瞬、二次元の世界に迷い込んだかと思いました」
「現実、現実! しっかりせいよ!」
「さち子さんは推しが部屋に来たことがないから、そんなことが言えるんです」
出ました、伝家の宝刀。二言目にはそれですわ。面白いなあ。
そんな事を言い合っていると、お湯が沸いた。それで鷲見君はインスタントココアを淹れる。
「あ、お弁当食べるのに、ココアは甘過ぎですかね……」
「ええ? 全然、気にしなーい。あったまるから嬉しいよ」
「恐れ入ります」
確かに初めて招いた客にココアは独特なチョイス。だが、さち子さんは「客」ではなくて「彼女」だから問題ない。
そんな勝手な優越感を感じながら、さち子さんはカップを受け取って、ココアを一口飲んだ。甘くて、あったかい。
「鷲見君、普段からココア飲むんだね」
スラリと長身スレンダーな彼からは、想像できなかった飲み物だ。
さち子さんがそう言うと、鷲見君は少し恥ずかしそうにしながら答えた。
「あの……以前、さち子さんにココアをご馳走になってから、ハマってしまって……」
「そっかそっか、いいヤツご馳走した甲斐があったかなあ?」
「恐れ入ります」
鷲見君の食の好みが変わるのはいつだってさち子さんが原因なのだが、まださち子さんはそれを実感していない。
季節が変わって夏になって、薄味のシロピスを飲む頃には気づくかもしれない。
少しの沈黙が二人の間に流れた。
付き合いたてで沈黙が気まずいさち子さんは、慌てて話題を探す。
「鷲見君のお部屋、キレイに片付いてるね。あんまり物がない感じ、すごいなあ」
無秩序に日用品が転がっている自分の部屋と大違いである。
さち子さんがそう言うと、鷲見君は軽く頷いて答えた。
「恐れ入ります」
……固いなあ! 恐れ入るの、これで三回目なんだけど!
さち子さんはガチガチに緊張している彼氏をほぐす話題はないものかと頭をひねる。
「鷲見君の実家、隣町でしょ? なんでわざわざ一人暮らししてんの?」
「何言ってるんですか、さち子さん」
さち子さんが苦し紛れで聞いた問いに、鷲見君が突如顔を上げた。
それまで緊張したような顔だった鷲見君の視線がギラリと鋭く輝く。
「働き始めたら税金を払うでしょ。市内に税金を落とせば、それがさち子さんのお給料になります」
「はあ……」
「僕の働いたお金をさち子さんのお給料に。そのためには市内に住まないと意味がありません」
「な、なるほど……」
例えばアイドルを追いかけるファンはよくこう言う。
『私のお給料が〇〇くんのお給料になるの♡』と。鷲見君の理屈も同じようなものだろうか。
つくづく面白い。私は貴重な彼氏をゲットしてしまった。
さち子さんがニヤけていると、お腹が鳴った。
ギャオー! 恥ずかしい!
……などと慌てる年齢はとっくに超えているさち子さん。
「よーし、お腹すいた! お弁当食べよっ」
さち子さんが腕まくりで言うと、鷲見君も笑って答える。
「さすが、さち子さんです」
つづく
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