第4話 持ってくる男
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目の三十歳。
この十月で会計課の主任になった。
♡ ♡ ♡
今日の天気は雨。
けれどほぼ内勤の会計課の面々は関係ない。
今日もひたすら伝票をさばく。
さち子さんが伝票を審査し、統括主査の涌井が精査の後決裁に回す。決裁後、畑野が支払い処理をする。
これが会計課のゴールデンルーティンである。
「失礼します」
礼儀正しい声で入ってきたのは、福祉課の二年目職員、鷲見君だった。
この前さち子さんが叱った(←あくまで優しく)おかげで、今日はちゃんと入る前の挨拶は完璧。
ところで鷲見君はイケメンであるが、その視界は暗い。
多めの毛量に真っ黒なストレートヘア、前髪はわざとなのかと疑うくらいに長い。
背の高い彼が動けば、その前髪がもさもさと揺れる。その奥の表情は無に近く、良く言えば淡々としている。
そんな鷲見君はもっさり淡々とさち子さんの座席に近づいた。
「花寄先輩、これ毎月払いなんですけど、契約書つけた方がいいですか」
「初回?」
「僕が引き継いだのは今月からですが、違うと思います」
鷲見君は伝票とは別に契約書を持っていた。それを見たさち子さんは手を伸ばして一言。
「ちょっとそれ、見せて」
「ふぁっ、はい」
鷲見君からちょっと可愛らしい声が出た。さち子さんはほのぼのしながら契約書を見る。
内容には覚えがあった。しかも、四月に見た証の日付ハンコも押されている。
「ああ、だいじょぶ大丈夫。これ一回見てるから、更新するまではもうつけなくていいよ」
「わかりました」
鷲見君は満足そうにしながら契約書を引き取って、伝票のみをさち子さんに手渡そうとした。
さち子さんは不思議そうに首を傾げる。
「急ぎなの?」
「いや、別に」
「ならそこのボックスに入れてね。順番に審査するから」
「……」
さち子のぷち解説。
急ぎで払って欲しいとか特別な事情がない限り、伝票は会計課入口のボックスに入れる決まりである。
会計課職員はあまり人数がいない。いちいち手渡してやり取りしている暇はないのだ。
そんな訳で、さち子さんはごく普通の対応を鷲見君にとった。
だが鷲見君は少し不機嫌になって、渋々といった顔で、伝票を入口付近のボックスに入れる。
そのまま帰るのかと思ったら、またさち子さんの席に近づいてきた。
「花寄先輩、あとこれ、どうぞ」
「え、何……ええ!?」
出された書類にさち子さんは目を見張った。
なんと、それは婚姻届。
「僕のところは書いてきました」
「ええ!?」
いやいやいや、いつかの冗談、まだやってたの?
伏線コントが好きなタイプ?
若者のノリがわからず、さち子さんはどうつっこんだものか考える。
とりあえず、婚姻届の名前の欄を見た。
「鷲見……こいびと?」
「恋人と読みます」
わあ、キラキラネームだ。
イケメンにはぴったりの名前ね。
恋をするために生まれてきたような、少女漫画のヒーローのような名前。
もっさり無表情で、今の所何を考えているかわからない鷲見君だけど、綺麗な顔にぴったりだとさち子さんは思った。
「いい名前だね」
「いいですよ……れんきゅん、て呼んでも」
「うん、また今度ね」
れんきゅんて、うふふ。面白いこと言うね。
後輩をそう呼んだら一発アウトだ。セクハラおばさんにはなりたくない。
さち子さんは軽く躱したつもりだった。
鷲見君情報をひとつ仕入れて、ほくほくした気持ちで婚姻届を返す。
「はい、ご苦労様」
「……受け取ってくれないんですか」
「冗談に使うためにもらっちゃダメだよ」
「……」
するとまた、鷲見君は不機嫌な顔になり、更にはどんよりと雨雲を背負ったような面持ちになった。
今にも、その雲から雨が降りそうだ。
「失礼しました……」
ガックリと肩を落として鷲見君は帰っていく。
入口で、二階から戻ってきた涌井とすれ違った。
「うわっ!」
小さく悲鳴を上げた涌井に、さち子さんは驚いて聞いてみた。
「どうかしました?」
「鷲見くん、どうした? この世の終わりみたいな顔してたけど」
「え……」
涌井は席に戻りながら、さち子さんに注意する。
「花寄さん、若い子あんなに叱ったらダメだよ」
「ええー……」
今の、私が悪いの?
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